横山光輝 三国志の中では、劉備の子供「阿斗」は20巻で産まれた描写が出てくるのですが、

実は、18巻の「関羽千里行」の中に、劉備の子供が出てきております。

これは、横山光輝さんの間違いなのか、「阿斗」の前に、
劉備の子供がいたのか、どちらなのでしょうか。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (4件)

「「阿斗」の前に劉備の子供がいた」で間違いないです。

    • good
    • 0
この回答へのお礼

返事が遅くなりました。
回答ありがとうございます。

断言頂けて非常にすっきりしました。

「阿斗」が劉備の跡を継ぐことになったのは、
その他の年長者はお亡くなりになったってことと勝手に納得しておきます。

お礼日時:2008/12/17 21:35

 劉備には劉禅(阿斗)に長じて劉封という養子がいます。

劉禅よりも年長です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8A%89%E5%82%99# …
    • good
    • 0

横山三国志ではウヤムヤにしてありますが


一夫多妻なので子供は何人もいると思われます。
    • good
    • 0

横山光輝三国志の他に蒼天航路にも「阿斗」より年長の子供の描写があります。



うろ覚えですが、関羽が曹操の元にいたのは捕らえられた劉備の妻と子供のためだったと記憶しております。
    • good
    • 0

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q劉備に迎えられる前の諸葛孔明

こんばんわ
諸葛孔明についての質問です。
この人は「三顧の礼」で劉備に迎えられたと聞いておりますが、それまで何をしていたのですか。フリーター?
学を究めた人と想像していますが、独学だったんでしょうか。

Aベストアンサー

孔明は、どうやって自分をつくったのか。後年の大活躍の「原因」は、どこにあったのか。孔明の生い立ちには諸説があるので、それらを勘案して語りたい。
 孔明は九歳くらいで母を亡くした。少年には大変なショックであった。この世から光が消えたような─。父は後妻を迎える。父は、ある郡の副知事(丞)であった。その父も、孔明が十二歳くらいで死んだ。孔明は、こうして幼くして母を失い、父を亡くした。特別の財産があるわけでもない。残されたのは、父の後妻である継母、そして孔明の兄、姉、弟であった。どう生きるべきか、一家は途方に暮れた。相談の結果、叔父の諸葛玄を頼ることになった。一家は徐州の故郷を捨て、叔父の住む荊州へ向かった。南へ、南へ。中国は広い。移動の途中、少年は多くの流民と出会った。世は乱世である。戦乱によって殺された人々。焼かれ、破壊された町々。流浪する難民の数も限りなかった。〈後漢末期。王朝は衰え、群雄が覇を競っていた〉少年は、民衆の惨状を目の当たりにした。「何ということか。人間は幸福になるために生まれてきたのではないのか?なのに、どうして人間は、こんなにも不幸なのか?」「国はどうしてこんなにも乱れているのか?」少年は悩んだにちがいない。そして、乱れた世を救う"何か"を求めていった。
 やっと叔父の家に着いた。しかし、ここにも落ち着くことはできなかった。叔父が、さらに南の揚州の知事(太守)に任命されたからである。また移転 ─ 孔明は、兄とも別れ、さらに南へ、叔父とともに移っていった。  
 
 生きた学問智慧の学問
 このように広い中国の各地を転々としながら、生命の危険を乗り越え、風雨と闘い、空腹を耐え、そのなかで孔明は勉強したのである。豊かな自宅の、きれいな机で、悠々と学んだのではない。それでは、あの「常勝将軍・孔明」は絶対にできなかったであろう。孔明の学問は「生きた学問」であった。苦しむ民衆と交わり、語り、庶民の心の機微も学んだ。自分の生命を守る智慧も身につけた。精神を練った。肉体を鍛えた。渡り歩く各地の風土・地理・人情・風俗を調べ、鋭い目で観察し、自分のものとしていった。また各地の様子から指導者の善しあしを見抜いた。「我れ以外、皆我が師」 ─ 作家・吉川英治氏の言葉の通りであった。そのなかで、彼は「書物」を学んだ。書物の教えを、体験を通して、ひとつひとつ身につけていった。「知識」を「智慧」に変えていった。ここが偉大である。   
 しかも彼の「学び」は、目的がはっきりしていた。この乱れた世の中をどう救うか。未来をどうすれば一番よいか ─ ここに焦点があった。目的が明確だったゆえに、学んだことが何ひとつ無駄にならなかった。こうして苦労が全部、孔明の成長の「こやし」となったのである。
 孔明は、叔父とともに、叔父の任地・揚州についた。しかし、そこには思いもかけぬ事件が待っていた。他の実力者から任命された別の「知事」がやってきたのだ。「私こそ本当の知事だ」「いや私こそ」.…。そのころ国の命令系統が乱れ、こうした混乱が少なくなかった。
 "二人の知事"が争うことになった。戦争が始まった。実力で決着をつける以外になかった。しかし叔父は敗れた。追放されてしまった。孔明は敗戦の惨めさを骨身に徹して知った。
 彼は敗れた兵隊たちとともに、命からがら逃げ回った。叔父も逃走中に殺されたという説もある。「よし!」。孔明は誓った。血涙にまみれて、我が身に言い聞かせた。「二度と負けてはならない。絶対に勝たねばならない。負ければ、これ以上の不幸はない」
 孔明は再び、流浪の身になった。その時、十七歳と言われる。荊州に戻り、その後、十年間、晴耕雨読の生活で、弟妹を養いながら、自分を鍛えに鍛え、「一剣」を磨きに磨いた。「不敗」「常勝」の智慧と力を養った。立ち上がる「その時」を目指して、苦労し、勉強し、あらゆるものを吸収した。そういう彼を知るものは、例えば村の長者は娘と結婚させ、親友徐庶は、劉備に、彼の登用を薦めた。ついに「その時」が訪れた。二十七歳、主君となる劉備玄徳と出会う。ここから「三国志」の、あの大活躍が始まるのである。
   
 
 「鞠躬して尽力し、死して後、已む」と。身をかがめて真剣に尽力し、死ぬまで戦いをやめない、との意味であります。鞠躬─頭を下げ、礼をもって接する。偉くなればなるほど、身をかがめて、相手を敬い、力のかぎりを尽くしていく。



 あの「三国志」の大英雄・諸葛孔明も、名指導者の要件として、「天よりも曇りのない目をもって、人物の善悪を見極めること」を挙げていた。
 そして、国土のすみずみまで心を配りながら、公平かつ厳正な目をもってへ優秀で善良な人間を登用し、貪欲で惰性の人間は退けていくことを強調した。
 そうすれば、良き人材は雲のように集まってくるというのである。
 孔明は、恩を忘れて自分の繁栄ばかりを考え、全体のことを心配する気持ちを全く持たない人間、また、自分は何もしないくせに、威張って他の人々を非難する人間に対しては、まことに厳しかった。
 そうした人間を放置しておいたら、将来に破滅と禍をもたらしてしまうからである。厳しいようであるが、大切な歴史の教訓である。  
〈『中国古典新書続編 諸葛孔明語録』中林史朗著・明徳出版社、『諸葛孔明の兵法』守屋洋編訳、徳間書店などを参照〉

※徐庶は水鏡先生(司馬徽の翁)の弟子でしたが、孔明は
働きながら学んだ刻苦勉励の人です、偉いな(^-^)



孔明は、どうやって自分をつくったのか。後年の大活躍の「原因」は、どこにあったのか。孔明の生い立ちには諸説があるので、それらを勘案して語りたい。
 孔明は九歳くらいで母を亡くした。少年には大変なショックであった。この世から光が消えたような─。父は後妻を迎える。父は、ある郡の副知事(丞)であった。その父も、孔明が十二歳くらいで死んだ。孔明は、こうして幼くして母を失い、父を亡くした。特別の財産があるわけでもない。残されたのは、父の後妻である継母、そして孔明の兄、姉、弟であった。ど...続きを読む

Q横山光輝さんの三国志について

横山光輝さんの三国志を読みたいなーと思っているのですが
漫画ですが目をそむけてしまうシーンはあるのでしょうか?
チラッと斬首されるシーンは見たことありますがそれは大丈夫でした。
私は吉川英治版の三国志を今読んでいるのですがなかなか進まず、まずは漫画でと思っている次第です。
小説の中では車裂のシーンがありましたがそれも漫画で描かれているのでしょうか?
書かれているとしたら私みたいな怖がりでも大丈夫でしょうか?

Aベストアンサー

横山光輝三国志特に前半は
小さな子供むけの読み物として書かれていますから、
残虐なシーンは一切ありません。

途中からは大人も楽しめる読み物という性格にかわっていますが、
それでも特に子供にも見せられないというような
シーンはなかったように思います。

Q諸葛亮(孔明)の人材を起用する能力は低かった???

孔明よりも劉備のほうが人材を見る目や、その人材の活用術については、上であったと思いますが、いかがでしょうか?

それは劉備の周りに集まった綺羅星のごとき人材を見れば伺えます。
孔明の方はといえば、彼は意外と人事と言う最重要任務において失策が目立ちます。
1、街亭の戦いでの馬ショクの起用
2、魏延の軽視
3、魏延と楊儀との不仲の仲裁をしなかった事
4、李厳の扱い方の失敗

などなど、挙げればかなり多いです。


実は孔明の総司令官としての初陣はかなり遅くて、南蛮征伐の時期であったと言われています。
従って、戦争の現場での経験がほとんどありません。
実際、“学者である孔明”と“現場たたき上げの魏延”の意見は対立したと予想されます。
魏延にまつわる話で有名なのはやはり、「子午谷の奇謀」でしょう。
「子午谷の奇謀」は演義の創作でありますが、
史記には魏延は一か八かの作戦で長安を陥落させる作戦を提案したことが書かれています。
それに対して孔明は、魏延の作戦を軽視して、安心・安全・確実な作戦を実行していきます。
そして結果、孔明は長安を落とすことはできませんでした。

劉備は
1、魏延を能力を高く評価していおり、魏延を重視するように言っています。
2、逆に馬ショクを軽視しており、馬ショクには重要な任務を任せないように言っています。

丞相の地位にいた孔明にとって人材起用といった能力は必要不可欠なものです。
やはり孔明の人材を起用する能力は低かったと思いますか?
諸葛亮(孔明)の人材を起用する能力について、あなたの意見を聞かせて下さい。

孔明よりも劉備のほうが人材を見る目や、その人材の活用術については、上であったと思いますが、いかがでしょうか?

それは劉備の周りに集まった綺羅星のごとき人材を見れば伺えます。
孔明の方はといえば、彼は意外と人事と言う最重要任務において失策が目立ちます。
1、街亭の戦いでの馬ショクの起用
2、魏延の軽視
3、魏延と楊儀との不仲の仲裁をしなかった事
4、李厳の扱い方の失敗

などなど、挙げればかなり多いです。


実は孔明の総司令官としての初陣はかなり遅くて、南蛮征伐の時期で...続きを読む

Aベストアンサー

 こんにちは。これは面白い問題提起ですね。

 結論から先に言うと、劉備も孔明も、人材登用能力はあったと思います。政治家としての力量も充分だった、ただ、人材がいなかった、というのが答えになります。

 なぜ、蜀の滅亡が他の国に比べて速かったのか。

 私は「天下三分の計」の時点で、蜀の運命は決っていたと思います。

 魏は、中国古来の、いわゆる「中原」といわれる土地を領土としていました。
 呉は、これも南方の、古来、中原とは異なる文化を築いてきた地域を押えていました。
 対して、蜀はどうだったでしょう。確かに肥沃な土地ですが、魏や、呉ほどの文化や歴史の充実があったか。

 これが、国力に出てしまったと思うんです。で、国力とは、人材ではない。なんていうか、人材を育てるもの、発達した経済と、厚みのある文化です。

 天下三分の計を孔明が劉備に諮ったとき、もう魏、呉はかなりの安定政権でした。それに拮抗し、起死回生の道を開く賭け、それが、望蜀だったわけです。

 実際、蜀を得てから、劉備も孔明も、殖産興業に勤めています。肥沃な土地を生かして、国力を充実させるのに努めます。
 そして劉備の死後、自分の死期をも悟った孔明が力を入れたのが、南方の安定―七擒七放―と、魏を叩いておくこと―出師の表―です。つまり、自分亡き後、しばらくは外患をなくし、国力を充実させる時間を稼いでおくことだったわけです。
 そのために、孔明は、できうる限りの人材を配置したと思います。

 ただ、正直、関羽や張飛、趙雲などの将星が次々と世を去っていくなかで、新しく参加した蜀出身の武将たちは、どうだったか。

 曹操死後も、優秀な人材が集まり、強大な軍団を保持できた魏と比べて、どうしても見劣りがしてしまうんです。
 それは、「蜀」を選んだ(選ばざるをえなかった)劉備や孔明の宿命だったように思います。
 孔明は、その宿命を知っていて、それに自らの力を賭して抗ってみようと思っていたような雰囲気さえ感じます。

 冷静に考えれば、魏、呉に蜀が拮抗できる訳がないんですね。それをおそらくは知っていて、で、孔明は劉備についたと思います。

 孔明の生涯で、自分の判断と逆の事をした―それを悔いてはいないでしょうが―最初で最後が、この、三顧之礼に続く、出廬だったと思います。

 だからこそ、この話が、人の結びつきの美しさを後世に伝えることになったんだと思います。「出師の表」が、これを読んで泣かざるは人にあらず、とまでいわれたのも、その忠義よりも悲壮さの故だったと思います。そして、秋風五丈原のくだりが、あんなに美しいのも、運命に戦いを挑んだ人の姿が、共感を呼ぶからであると思います。

 長文失礼。ご参考になれば。 

 こんにちは。これは面白い問題提起ですね。

 結論から先に言うと、劉備も孔明も、人材登用能力はあったと思います。政治家としての力量も充分だった、ただ、人材がいなかった、というのが答えになります。

 なぜ、蜀の滅亡が他の国に比べて速かったのか。

 私は「天下三分の計」の時点で、蜀の運命は決っていたと思います。

 魏は、中国古来の、いわゆる「中原」といわれる土地を領土としていました。
 呉は、これも南方の、古来、中原とは異なる文化を築いてきた地域を押えていました。
 ...続きを読む

Q横山光輝・吉川英治「三国志」のセリフで・・・

横山光輝版コミックス、そして吉川英治版の小説、両方ともあったと思うのですが、
「それがしのような者、車に積んで、升で量る程おります」というセリフがどこで出てきたかおわかりになりますでしょうか?
なんとなく思い出そうとして気になって眠れなくなっています。
どちらか片方だけでもおわかりでしたら教えていただきたいのですが・・・

Aベストアンサー

赤壁の戦いの前に、「諸葛亮」が呉との同盟を結ぶために、
孫権の前で呉の重臣たちと論戦を繰り広げたときに、
呉の重臣から「魏にそなたのような人物はいると思うか」と問われたときに
諸葛亮が答えたときの台詞では無かったですか。

吉川・横山 両方で同じところで出てきていたはずです。

なにしろ、横山三国志は吉川三国志が原作のはずですので。

Qなんで諸葛亮じゃなくて、諸葛孔明なの?

三国志を読んでいて、疑問に思ったのですが、
諸葛孔明は、姓を諸葛。名を亮。字を明なんですよね?
で、普通によく使われる名称って、諸葛孔明じゃないですか。
最初はなんで諸葛亮って言わないのか疑問だったのですが、
劉備玄徳も玄徳が字だし、名を言わないで、姓と字をいうものなのでしょうか?
では、劉備の名はなんなのでしょうか?
劉が姓で名が備なのですか?教えてください!

Aベストアンサー

 歴史に登場する中国人の名前で、「名」とは生まれたときにつける本名、「字(あざな)」とは成長してから自分で付ける名前です。一般的に「名」だけで呼ぶのはごく親しい間柄か、目上の者が目下の者を呼ぶ場合に限られます。あまり親しくないのに、本人が成人後に名乗っている「字」でなく、子供の頃からの「名」を呼ぶのは場合によっては失礼にあたるわけです。
 従って、姓+名+字で呼べば諸葛亮孔明、劉備玄徳ですし、姓+字で呼べば諸葛孔明、劉玄徳ですね。(劉玄徳とはあまり言いませんが)
 >劉が姓で名が備なのですか?
 その通りです。

Q横山光輝三国志の文庫本と通常版との違い

タイトルにあるとおり、どのように違うのですか?

文庫を購入したいのですが、
内容が減っていたらいやだなぁと思い、お聞きします。

加筆はあるのか?修正は?減ってはいないか?を知っている方教えてください。

Aベストアンサー

文庫本にするときに内容が減っているなどは基本的には無いと思います。
ただ、通常版に載っている表紙も見ていると素晴らしいものがあり
こだわるのであれば、集めるのは大変ですが通常版を
買ったほうがいいと思いますよ。

Q劉備de周回

劉備使ってます。
ミルやデビラを周回したいんですが、パーティがわかりません
取り敢えず、
LF劉備 ディオス3、
は、組めます。
後の1枠は何を入れたら良いでしょうか?
他に緑ソニア、アヴァロン、シルヴィ、ヴェル、水着アルビダなど
がいます。ダンジョンモンスター
で使えるモンスターや継承のオススメ、周回例を教えてもらえませんでしょうか?

Aベストアンサー

劉備でデビラ周回でしたら
Aチーム
L覚醒劉備(バインド回復スキルを継承)
ディオス三体
神羅黄金神マキシウスか水着アルビダ

Bチーム
L覚醒劉備(ドロ強スキル継承)
ディオス三体
佐助(66973)

これに10個潜在覚醒で水軽減着けておけばブブまで回復せずに行けますよ(^ω^)

ミルについては高難易度用の編成で行けると思います。

LF覚醒劉備
緑ソニアかアヴァロン
ペルセウスやミカエル
覚醒アスタロト
などの軽変換スキル持ちのモンスターをいれるといいかもです。

参考程度になれば嬉しいです(*^^*)

Q三国志 横山光輝 脾肉の嘆

劉備の「脾肉の嘆」は有名ですが、
横山光輝の漫画「三国志」ではこの場面ってありましたっけ?
探しているのですが、何巻目にあったのか見つけることが出来ません。
別の本で見たのと混同しているのでしょうか?

ご存知の方よろしくお願いします。

Aベストアンサー

こんにちは。『三国志』全60巻、所有しています。

【脾肉の嘆】・・劉備玄徳が荊州の劉表の元に
身を寄せていた時、脾肉(太股)に贅肉が
付いているのを見て嘆くシーンですよね。
「絶対この漫画の中で見た筈だ」と思って
探してみたのですが、見つかりませんでした。

ただ、『横山光輝 三国志事典』の第7章(P169)
「故事・諺」の項目で、この故事が紹介されています。
もしかしたら、この記憶が、「本ストーリーでも
出ていた筈」と思い込むようになった原因かも。

あ、上記の本は潮出版社より、S58.4.28付けで
発行されたもので、単行本と同じ大きさです。

Q張良が目標だった孔明の天下三分の計は失敗だった

と、コーエーの三国志をやりながら常々思っているのですが・・・

赤壁の大勝後は、襄陽を奪還して、漢中を落とし、ここで天水の馬超と結んで共同で洛陽を落としてから、馬超を恭順させて、龐統を軍師につけて蜀攻略~南蛮攻略で良かったんじゃないでしょうか?
劉備は洛陽。
趙雲に荊州を守備させて、関羽と張飛と孔明で呉軍と共同で魏を攻略し、徐州以南を呉に割譲案で、遼東方面に逃げる曹操を討ち取る算段が、いつもの手なんですが、孔明はあくまで地方自治を目指していたのでしょうか?

Aベストアンサー

光栄の三国志はゲームですから、弱小勢力でも頑張れば勝てるように作らなければなりません。だけど、他の方も指摘しているようにあの時点で劉備が天下を狙うってどうやったって無理なんですよ。もう国力の差が歴然としていますからね。

軍隊ってのは今も昔もお金がかかります。当時は貨幣経済が普及していたわけではないすが、要するにお米が足りているか的な意味でお金がかかるんですね。んで、劉備にはもう絶望的にお金がない。お金ってか、お米がない。軍隊を率いて漢中を落とすまで軍隊を維持するだけの食糧(とそれを買うだけのお金)がないのですよ。それは馬超も同じ。
一方の曹操は、その問題を解決するために屯田兵制度を作ったのです。これが食糧確保と軍隊の維持とコスト削減の一石三鳥の効果があったのですね。

じゃあ劉備も屯田兵制度を取り入れればよかったじゃないかと思うけど、これを維持、構築するためには学問のある役人が大勢必要です。中小企業がトヨタの真似事をそう簡単にできるものではありません。劉備の勢力ってのはいってみりゃ武闘派ヤクザみたいなもんでしたから、システムを作れるような学のある人がいなかったんですよ。唯一、それができる人が孔明先生だったというわけです。

ただ孔明先生は、頭がいい人にありがちな欠点がありました。それは「部下を育てられない」ことです。部下が育つには時間がかかるし、失敗も多い。勢い、「えーい変われ、俺がやる」となってしまうのです。カリスマ経営者の会社なんかにありがちでしょ、そのカリスマ経営者が死んじゃったら会社がダメになっちゃうってやつ。ダイエーとかマクドナルドなんかがそうですよね。トップダウンが企業風土になってしまっていて、ボトムアップができない。それについでに部下を見る目がない。馬謖みたいな奴に目をかけちゃうし。

あと孔明先生は無理に北伐を繰り返し、それが国家としての蜀を疲弊させたのは事実です。しかし、魏との国力の差は日々開く一方。こちらから攻め込んで相手を疲弊させないと、満を持した魏が大軍を率いて攻めてきたらひとたまりもなかったというのも事実です。司馬懿もそれを分かっていたから、無理に攻めるようなことはせず、内戦の利で蜀が自滅するのを待っていたのでしょう。
蜀の民からすれば、別に魏の支配下になったというところで殺されるわけでもないんだから為政者はどっちでもいいというところだったのではないでしょうか。劉禅が後に「蜀の生活より魏での生活のほうが楽しいよ」といって周囲を泣かせた話は有名ですが、北朝鮮で将軍様をやるより、アメリカでそこそこ豊かで自由な生活のほうが楽しいみたいなものだったと思いますよ。

つまるところ、孔明先生の戦略は置かれた状況ではベストだが、どのみちジリ貧。司馬懿はそれを見抜いていたから無理をしなかった。というところでしょう。荊州陥落で、手詰まりではあったと思いますよ。というか、荊州が陥落したら詰んでしまうポジションにいた時点で劉備は詰んでいたといえるかもしれません。

光栄の三国志はゲームですから、弱小勢力でも頑張れば勝てるように作らなければなりません。だけど、他の方も指摘しているようにあの時点で劉備が天下を狙うってどうやったって無理なんですよ。もう国力の差が歴然としていますからね。

軍隊ってのは今も昔もお金がかかります。当時は貨幣経済が普及していたわけではないすが、要するにお米が足りているか的な意味でお金がかかるんですね。んで、劉備にはもう絶望的にお金がない。お金ってか、お米がない。軍隊を率いて漢中を落とすまで軍隊を維持するだけの食糧...続きを読む

Q横山光輝の三国志以外の面白い作品

横山光輝の三国志を最近読んではまりました。
そこで他の横山作品も読んでみたいと思うのですが、「水滸伝」「項羽と劉邦」という作品は面白いのでしょうか?

 余りに三国志が面白かったので、それと比べると何を読んでもつまらなく感じてしまうのではと危惧しています。また、他に横山作品の長期歴史漫画のお勧めはありますでしょうか。

Aベストアンサー

こんにちは、横山光輝は僕も大好きです。殷周伝説・項羽と劉邦・三国志・史記・平家物語をもっていますが・・・、残念ながら三国志が最高におもしろいです。もうあれ以上の最高傑作はないです。でも自分の持っている中では、平家物語>項羽と劉邦>殷周伝説=史記でしょうか!
?一言ずつ感想を言うと、平家物語はやはり読んでいて得しますよ。だって日本人なら知っている物語なんですから、そういう話になれば「俺
、○○のシーンが好き」とか話に入っていけますよね。あと3巻しかないのですが・・うまくまとめられています。項羽と劉邦に関しては、結構おもしろいのですが・・三国志よりも迫力はありません。「あれ!?これぐらいの武将しか活躍しないの?」という感じです。殷周伝説は本当に作り話としか言いようがないです。変な妖術合戦ばかりです。水を操ったり、変な幻を相手に見せているうちに剣で殺す!とか・・・そんな対決ばかりです。史記はいろんな話が合体している感じだったと思います。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報