AKB48の推しメンをセンターにできちゃうかもしれない!? >>

学校の社会のテストでこういう問題が事前に配られたのですが・・
        --問題--
ぺリーの来航より日本は200年以上続いてきた鎖国政策をやめて開国を決断した。この開国について次の問いに答えなさい。

(1)あなたがもしこの時代に生きていたとしたら開国に賛成か反対かをそ
 の理由を明確にして答えなさい。


というものです。。テストがもうすぐなのでできれば早めにお願いします。。

開国のメリットとデメリットを書いてくださるだけでいいです!!
本当に困ってるのでお願いします!!!

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A 回答 (4件)

 立場によります。


 (1)幕府のトップであれば様々な情報(オランダからの)に接しています。1840年に中国がアヘン戦争でイギリスに負けたとか、アメリカが艦隊を派遣してもうすぐ日本に来そうだとか。
 この場合は、基本的には開国を選択するでしょう。戦っても負けそうだから。
 (2)それ以外。ろくに情報がない場合、「外国人」=「怖い」というイメージがあったり、「日本は神様の国なのに、外国人が土足で入ってくるのは許せねぇ!」という考え方ですから開国にはとにかく反対!ということになるでしょう。
 「この時代に生きている」という設定は、この二種類の考え方しかない、という結論となります。
 つまり、「開国のメリット・デメリット」というのは、現在(2008年)から見た、という事になりますから、「開国してどうなったか」が分かっていることになり、「この時代に生きていた」とは別物であることになります。
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残念!


OK Waveでは宿題の丸投げは削除対象です。
それにこの問題、決まった答えはないですよ。
先生もうーんとうなるような回答を書けば例え史実と違っていても
100点もらえる。
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この回答へのお礼

あ~ぅちの書き方が悪かったんかな??
スミマセン。。そういうつもりぢゃなかったんですけど・・
つかアレです・・・・メリットとデメリットを教えていただければ
それでよかったんです。。
スミマセン。。。メリットとデメリットだけ教えてもらって
後ゎ考えるつもりやったんですけど・・・・・・。。

お礼日時:2008/11/27 16:35

メリット:経済大国になった


デメリット:農業が廃れた

>(1)あなたがもしこの時代に生きていたとしたら開国に賛成か反対かをその理由を明確にして答えなさい。
というものです。。テストがもうすぐなのでできれば早めにお願いします。。

他にもメリットデメリットがあるので自分で賛成か反対かをがんばって考え、その理由を書くだけです
授業中に先生が話した内容をメモしたであろうノートにもヒントがあると思いますよ^^
この問題に答えてしまうと回答者も規約違反になるので(学校等から出されている課題をそのまま回答者にやってもらうことを目的としたり、具体的にやってみたことを示さずに課題等を丸投げするような場合にはマナー違反)となっているので書いてあげたいのですが書いてあげることはできません
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「本当に困ってる」のなら「早めに」自分で調べて考えようよ。

そもそも「メリット、デメリット」と「賛成、反対」は別物ですよね。

「開国」ってどういう状態なのかは、わかっていますか? わからなければ教科書を見て。「ペリー 開国」で検索しても、いろいろわかります。

で、わかったら、次に、開国していなかったら日本はどんなふうになっていたと思いますか? 想像でいいので、自分なりのSF物語を考えてみて。例えば、今も日本が開国していなかったら、どうでしょう。味わえないものがきっとあるのでは? 逆に、開国によって失われたものもあるはず。開国前(江戸時代)に存在したけれど、開国後(明治時代)に消えていったものってなんだろう。

そうやって考えていくと、自分が賛成なのか反対なのか、見えてくるのでは?
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この回答へのお礼

メリット・デメリットを教えていただければ
いいです!
書き方が悪かったんですけど。。メリット・デメリットを聞いて
それを参考にして書くつもりだったんですけど。。

あ~あとちなみに『開国』ってどういう状態なのか位こっちも
学生ですからわかってます。。

あ~色々ありがとうございましたぁ。。

お礼日時:2008/11/27 16:45

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Q江戸幕府はなぜ開国したか。

中学校の授業での宿題です。
江戸幕府はなぜ開国したか
について教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

中学での宿題ということを考慮して回答します。
まず、ペリー来航以前の状況をしらべてください。イギリス船が長崎にはいってきたり、ロシアが着ていたりします。
 また、漂流民の帰還ということで外国の事情がわかり始めてきたのでしょう。そこで時代の趨勢として鎖国は難しいという判断があったのは当然でいつかは開国になったとおもいます。
 ここらあたりは誰でも回答してくるのでちょっと違った側面から調べてみてはどうでしょうか?それは航海技術の進歩です。鎖国が行われた当時太平洋、大西洋を安全に一気に渡るのは不可能でした。しかし、ペリーはやすやすと太平洋を横断しており、それぞれの国も補給をしながらでも日本に直行しています。このように高度な航海技術が発達するとそれまで日本を守っていた海というのが、今度はどこから外国船が来るかわからない状況になってしまいます。(日露戦争のころでもバルチック艦隊の位置を知ることが日本海海戦の重要なポイントになりました)
 以前なら東南アジアを拠点として九州ぐらいまで着ていたのが一気に日本の海岸どこでも来航できる状況になったのです。

Q徳川時代の鎖国について

徳川家光は鎖国をしました。
これによって日本はどのようなメリットとデメリットがあったのでしょうか?

Aベストアンサー

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

これまでの考え方:(通説)
(1)「神の下では、万民が平等」という教えが、徳川幕府を頂点とした「封建社会の秩序」を乱しかねない。などの理由が挙げられていますが、戦国時代あたりから日本に「布教活動」を活発に行い始めたのは、主に、イギリスやポルトガル、スペインを中心としたキリスト教の中でも、カトリック系の宣教師たちであった。
(2)そして、確かに、私たちは、学校教育などの現場で「キリスト教徒」の進出に恐れて、日本が植民地化されるのではないか、と言う「懸念」から「鎖国」をした・・・と、習ってきましたね。
(3)しかし、長崎の出島においてはオランダとの交易は「許可」をした。
これには、オランダも植民地化を推進する国ではありましたが、一言で言うと、日本から「輸入」する「産物」が乏しかった。つまり、東インド会社などのように、当時、ヨーロッパが欲しがるような「香辛料」などは、日本の風土の中では、全くなかった。
さらに、金銀などにしても、当時は「銀」が主な流通貨幣でしたが、メキシコにおいて銀山の開発が本格化して、大量に輸出されたため、「黄金の国ジパング」とは言われても、その産出量は比較にならないほど少なかったためにスペインはいち早くメキシコとの交易に転じた。
そして、オランダはキリスト教の中でもプロテスタント系が多く、東インド会社を巡っては、オランダはイギリスに勝利をしイギリスは排除され、日本からも撤退せざるを得なかった。しかし、すでに、日本が戦国時代頃から布教がされていたカトリック系をプロテスタント系に改宗せよ、と言っても、すでに根付いてしまったものを覆すことは、非常に困難であり、無理だと考え、布教活動に対する「魅力」は何もなかった。
(4)そこで、布教活動をするよりも、交易による利権に目を向けた。

もう一つの考え方:(日本側)
(1)どのような国の支配者たちも、自らの権力の「維持」「強化」を目指すものであり、海外との交渉で諸問題が発生するよりも、「閉ざされた社会」の方が「管理」をしやすい。
(2)当時の諸外国と言えども、中国や朝鮮でも同様に「閉ざされた社会」であり、例えば、明にしても、朝貢以外を排除し、中国人の海外渡航を禁止している。
(3)幕府としては、「開国」することにより、日本の諸藩が貿易による「財力」や「兵力」の拡大を強く恐れた。
(4)ただし、こうなると、諸外国の「情勢」が何も見えなくなって、いわゆる、「独裁国家」になるため、幕府権力だけでは日本を「独裁的」に統治する力は、まだ「完全」とは言えず、とは言っても、幕府権力という独裁的立場を確立するために、「布教活動をしない」という約束のもとで、長崎の出島のみでのオランダとの交易を許可した。
そこには、日本の諸藩を介入させず、幕府だけが「富」と「情報」を独占するためであった。
しかし、幕府の力が、まだまだ弱いことを印象付けたのは、寛永14年(1637)10月25日より発生した「島原の乱」では、幕府軍は苦戦をし、オランダに依頼をして、海上から原城への砲撃をさせています。
(5)「鎖国」をする・・・と、言うことは、とりもなおさず、国家の中だけで「自給自足」をすることになるわけですが、秀吉の頃からは、日本国内でも「灌漑」「治水」事業が発達して「新田開発」なども盛んになった、また、「農業技術」や「農機具の発明」などで徳川幕府としては、「国内生産」「国内消費」だけでも統治できる・・・と、考え「鎖国」に踏み切った。
(6)やがて、幕府権力も充実してくると、海外との戦いでも、必ずしも「最新の兵器」だけで勝てるわけもなく、「兵力数」や「食料の補給路」で、さらには、戦国時代としう戦いにおいての「戦略」や「戦闘技術」では、幕府は諸外国に対抗できる・・・と、考えた。
これには、秀吉が朝鮮出兵で「補給路」を絶たれて敗北した経験が、そうした考えとなった。
従って、徳川幕府としては、「鎖国」をすると同時に「海外進出」には一切目を向けていない。
寛永12年(1672)6月25日、幕府評定所の話し合いで酒井忠勝は、
「我々は、他の人の奉仕を受けることができるかぎり、日本の船を国外に渡航させる必要はない」
との諮問を出している。
(7)幕府は、一気に「鎖国」をしたわけではなく、徐々に発令していった。
*慶長17年(1612)、キリスト教禁止令を出す。
*寛永10年(1633)、奉書船(渡航が許可された船)以外の海外渡航を禁止。
*寛永12年(1635)、日本人の海外渡航と帰国を禁止。
*寛永14年(1637)、島原の乱。
*寛永16年(1639)、ポルトガル船の来航を禁止。
*寛永18年(1641)、オランダ商館を平戸から長崎の出島へ移転。
(8)また、「鎖国」とは言っても、「四口(よつのくち」と呼ばれて、
*中国から琉球へ、そして、薩摩藩を通じて幕府への路。
*中国から朝鮮へ、そして、対馬を通じて幕府への路。
*中国やオランダから長崎へ、そして、幕府への路。
*蝦夷地(アイヌ)から松前藩を通じて幕府への路。
(ただし、松前藩には40%位の課税をしたとか)
が、開かれていました。

「鎖国」という言葉について:
(1)ドイツ人のエンゲルベルト・ケンペルが江戸旅行をして、帰国後に書いた「日本史」(1712刊)の中にある、
「日本国において自国人の出国、外国人の入国を禁じ、また、此国の世界諸国との交通を禁止するにきわめて当然なる理」
と、いう一文を、蘭学者である志筑忠雄(しづきただお)が享和元年(1801)「鎖国論」において初めて使用した「造語」である。
(2)しかし、嘉永2年(1849)に成立した「徳川実記」では、寛永12年(1635)の措置を「海禁」と書かれている。
(3)近年、「鎖国」という言葉は、研究者の間でも使われなくなってきており、学校の教科書などでも、山川出版「新日本史」では、本文中には一切「鎖国」という文字は出てきていない。
(4)著者の東大教授藤田覚氏によると、
「幕府は、最初から鎖国を意図したわけではない。その状態が、たまたま200年ほど続いたから『なんとなく鎖国』だった」
と、考えた方が自然ではないか・・・とコメントしている。

結論:
>>これによって日本はどのようなメリットとデメリットがあったのでしょうか?

メリット:
(1)植民地化されずにすんだ。
(2)諸国の大名が幕府よりも経済的優位にはならなかった。
(3)幕府の「独裁体制」が一層強固なものとなった。

デメリット:
(1)諸外国の政情が幕府の独占で、諸国の大名たちには、海外情勢が理解できなかった。
(2)物産が国内の取引だけであったので、一部の「発明」や「工夫」などはあったが、画期的な進歩がなくなってしまった。
(3)農業依存度が続いた。

このようなところでしょうか。

少しでも、あなたのお役に立てば・・・。

こんにちは。
私は、自称「歴史作家」です。

これまでの考え方:(通説)
(1)「神の下では、万民が平等」という教えが、徳川幕府を頂点とした「封建社会の秩序」を乱しかねない。などの理由が挙げられていますが、戦国時代あたりから日本に「布教活動」を活発に行い始めたのは、主に、イギリスやポルトガル、スペインを中心としたキリスト教の中でも、カトリック系の宣教師たちであった。
(2)そして、確かに、私たちは、学校教育などの現場で「キリスト教徒」の進出に恐れて、日本が植民地化されるの...続きを読む

Q幕末の攘夷派と開国派について

幕末の思想には、大きく分けて尊王攘夷派と佐幕開国派があったと理解しています。
以下の疑問について、大まかにご教授いただければ幸いです。
1.薩摩藩や坂本竜馬は尊王攘夷から尊王開国派に変わったと理解して良いか?
2.長州藩はどんな思想だったのか?
3.朝廷はひたすら攘夷だったのか?
4.「佐幕攘夷」などの思想を持つ藩や人物は存在したのか?
以上、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

No5です。
最初のご質問からかなり踏み込んだ質問に変わりましたので私の回答では説明不足だったと反省しています。

大政奉還は徳川慶喜が打った大芝居で世上の予想を超えたものでした。
これは徳川幕府の発達した官僚制度を頼み、大政奉還しても朝廷は実務上徳川幕府に頼らざるを得ないと予測していたのです。
そこで政治総裁(首相のような地位)を維持できると期待していました。  一種の徳川幕府存続の奇手であったわけです。

しかしこれが討幕という事態の引き金に進んでしまったわけです。
その手段としてはその意思をもつ有力諸藩の結集が必要でした。

坂本はこの情勢を見て勤王の意思が強い長州と、軍事力は強大な薩摩の結合を図ることが必要と考え両者の仲介に乗り出したのです。
確かに坂本の現状打破の思想からして当然の帰結とはいえその政治力はすぐれていました。
しかし彼には内戦にまで進むのではなく平和裡にことが進む希望があったのではないかと私は考えたいです。

Q憲法改正のメリット、デメリット

自民党による憲法改正のメリット、デメリットはなんでしょうか?

メリットは、国際平和に貢献し、外交の幅を広げ、同盟関係の信頼性の向上。これによる、日本の安全保障、経済利益の拡大。

デメリットは、自衛隊兵士の犠牲、武力行使により外国人の血を流すことで外交上リスクが出る。

私が調べたものでこれくらいしか分かりませんでした。
どなたか、他にありましたら教えてください。

Aベストアンサー

現憲法との対照は、自民党サイトでPDF形式で公開されていますね。
http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/pdf/051122_a.pdf

メリットは、、、正直、思いつきません。
「○○について法律で定める」って言葉が多すぎます。
憲法は、改正に3分の2以上の賛成が必要ですが、「法律」は過半数で可決・改正出来ます。
つまり、重要な事はその時々の政権が決めるって事ですね。
自衛隊の位置づけも、「法律」で簡単に変えられそうです。
例えば、「法律」で「自衛隊は総理大臣の命令だけに従う」とすれば、総理大臣の「私設軍化」することもできそうですね。
「現実問題出来るか」ではなく、憲法案のままでいけば「出来てしまう可能性がある」ところが大問題です。

憲法とは、そもそも時の政権が暴走しないように国民が政権に足枷をはめるとような機能もあります。(と、いうか此がメイン)
だからこそ、改正には高いハードルが課されている。
そのハードルを「法律レベル」まで下げるのが、自民党法案の狙いですね。

まぁ、権力者による「骨抜き憲法」ってのが私の印象です。

現憲法との対照は、自民党サイトでPDF形式で公開されていますね。
http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/pdf/051122_a.pdf

メリットは、、、正直、思いつきません。
「○○について法律で定める」って言葉が多すぎます。
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Q鎖国はすべきだったか

ここに質問させていただくのは初めてです。
僕は中二なのですが、歴史の授業でディベートをすることになりました。
しかも明日なのです。
内容は『鎖国はすべきだったのか』です。
資料を探したのですが、あまりいい資料が見つからず、
ここで皆さんの知識をお借りさせて頂こうと思います。

鎖国をしたことによって、どんなメリットがあったのでしょうか。
海外との国交が途絶え、日本独自の文化が発展したんじゃないかなぐらいにしか考えられません。
ディベートは立論、第一反駁、第二反駁と3つに分かれています。

なぜ鎖国をしたのか。
鎖国によってどんなメリットがあったのか。
開国のきっかけはペリーの来航だと聞きました。
なぜ開国したのでしょうか。

その辺について皆様の知恵を貸してください。
どうかよろしくお願いしますm(_ _)m

Aベストアンサー

忘れてはならないことは、日本は完全に外国との関係を絶っていたたわけではない、ということです。例えばオランダとは幕末まで通商が続きます。朝鮮からは将軍が変わるごとに通信使(お祝いを述べに来た人たち)が来ていましたし、清(中国)に対しては日本から通商を申し込んだのに断られる始末でした。
 ではなぜ、完全な鎖国を行わなかったのでしょうか。鎖国を行った理由としては、今までの回答者の方々が述べておられる通り、キリスト教を恐れるあまりでした。しかし、完全に鎖国をすれば、諸外国と貿易ができなくなってしまいます。例えば、特に重要な輸入品である「生糸」が全く入ってこなくなります(当時日本では、ほとんど輸入に頼っていました。これがなくなれば服が作れなくなります。ちなみに、オランダ、清は生糸の輸出国です)。つまり、国の安全を守ることと、対外貿易との関係をうまくすり合わせた物が鎖国といえるでしょう。ですから、僕の意見としては「鎖国はすべきだった」というよりも「せざるをえなかった」ということになります。
 ちなみに鎖国期において、独自の文化だけが発展したわけではありません。「杉田玄白」は蘭学(オランダの学問)をもとに大成した人ですしね。

忘れてはならないことは、日本は完全に外国との関係を絶っていたたわけではない、ということです。例えばオランダとは幕末まで通商が続きます。朝鮮からは将軍が変わるごとに通信使(お祝いを述べに来た人たち)が来ていましたし、清(中国)に対しては日本から通商を申し込んだのに断られる始末でした。
 ではなぜ、完全な鎖国を行わなかったのでしょうか。鎖国を行った理由としては、今までの回答者の方々が述べておられる通り、キリスト教を恐れるあまりでした。しかし、完全に鎖国をすれば、諸外国と貿易が...続きを読む

Q★「封建制度」を簡単に説明してください!

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いろいろと調べてみたのですが、いまいちよくわかりません。

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封建制度とは「封」(封土=土地)を与えて家来を「建てる」と言って、つまりは
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ちなみに対義する言葉は絶対王政や絶対君主制です。

Q動物農場を現代に置き換えると・・

今、娘がオーウェルの『動物農場』を勉強しています。
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 娘さんは英文学の授業あたりで読んでいるのでしょうか。「動物農場」は難しい単語が少ないし、短い物語ですので、英文学の講義や一般教養英語のテキストとして今でも使われていることと思います。実は、私は23年前にそれで卒論を書きました。現在は英文学とほとんど関係ない仕事をしているため、当時の卒論コピーや使用した資料も手元にないので具体的なお話はできませんが、分かっている範囲で書きますね。

 No.2の方が次のように書かれています。
>「動物農場」はその典型を示しているわけで、これがいま
>だ古くならないで読み次がれている理由かと思います。
>(典型的状況を描いたり典型的人物を創造したりするのは
>ヨーロッパ文学の伝統です)
これが「動物農場」の本質的なところです。動物たちを登場人物とした、表面的にはおとぎ話の形を借りた人間社会に普遍的な「権力の寓話」を描き出したものと考えられています。ですから、豚たちの権力闘争の場面や一般の動物が惨めな生活を営んでいるところや未来への指針を示したスローガンが段々骨抜きにされる過程などは、現在の日本や世界情勢(中共や北朝鮮を含めて)のある部分と酷似していると感じる人も多いようです。

 それはオーウェルが21世紀初頭の中共や北朝鮮の某指導者を予言していたのではなく、彼が「権力の腐敗」というテーマで権力者たちは自らの権力によって堕落する普遍的な歴史的事実を「動物農場」という小作品に結実したということです。だから、読んでいるうちに「これって近所の国の、あの裸の王様かな?」と思えてきます。そこがオーウェルの巧みなところでしょう。

 ただもう一点申し添えれば、普遍的な「権力の寓話」と言っても「動物農場」の下書きにしたのはロシア革命から第2次世界大戦にかけての歴史的事実です(登場人物に関しては、一般的に言われるナポレオン→スターリン、スノーボール→トロツキーの線でいいと思います。)。何の資料だったか思い出せませんが、オーウェルが原稿を送った出版社に対して、「スターリンのドイツ戦線での戦いは**(果敢に戦っただだったかな? いや、逃げ出しただったかな? あまりに昔で忘れました…。)だったようなので、原稿のナポレオンの行動も**へ直して欲しい」との書簡を送っているくらいですから、モチーフと言うよりも、20世紀前半のロシア・ソビエト連邦をパロディ化しているといってよいでしょう。

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Qアルトリコーダーの運指を教えてください

アルトリコーダー(バロック式)の初心者です。
ハ長調の簡単な曲でも吹けたらと思いつつ、ドレミファを順に吹いているのですが、添付されていた運指表の見方すら、頼りない状態です。
以下の運指は、間違っていませんか?
お教え下さいますでしょうか。

ソ … ●   ●●● ●●● ○
ラ … ●   ●●● ●●○ ○
シ … ●   ●●● ○●● ○

ド … ●   ●●● ○○○ ○
レ … ●   ●●○ ○○○ ○
ミ … ●   ●○○ ○○○ ○
フア … ●   ○●○ ○○○ ○
ソ … ○   ○●○ ○○○ ○
ラ … ◎   ●●● ●●○ ○
シ … ◎   ●●● ○●○ ○
ド … ◎   ●●● ○○○ ○

レ … ◎   ●●○ ○○○ ○
ミ … ◎   ●●○ ●●○ ○
フア … ◎   ●○○ ●●○ ○


親指(裏の穴)
◎じるしは、少し開ける

アルトリコーダー(バロック式)の初心者です。
ハ長調の簡単な曲でも吹けたらと思いつつ、ドレミファを順に吹いているのですが、添付されていた運指表の見方すら、頼りない状態です。
以下の運指は、間違っていませんか?
お教え下さいますでしょうか。

ソ … ●   ●●● ●●● ○
ラ … ●   ●●● ●●○ ○
シ … ●   ●●● ○●● ○

ド … ●   ●●● ○○○ ○
レ … ●   ●●○ ○○○ ○
ミ … ●   ●○○ ○○○ ○
フア … ●   ○●○ ○○○ ○
ソ … ○   ○●○...続きを読む

Aベストアンサー

全てバロック式のアルトの指使いで合っています。

それからこれは余計なことですが、「◎じるしは、少し開ける」とご本人が書かれているように '少し開ける’で正しいです。
昔、リコーダーを小学校などで教わった時に「半分あける」と教わった人も多いようですが、実際には1~2ミリくらいのものです。

リコーダーを始めるに当たって、アルトを選択し、しかもバロック式で始められたというのは最良の選択だと思います。がんばってくださいね!

Q開国に反対したのは何故?

こんにちは。いつもお世話になっています。

ペリーが浦賀に来航、事実上日本は開国したわけですが、日本人は開国を承諾した幕府に対して不満を抱きました。外国人や外国の建物に襲撃もしました。このように攘夷が発展した理由は何でしょう?
本では、外国との貿易が始まった為に物価が暴騰し、市民の生活が困難になったからと書いてありましたが、他の理由はありますか?

教えてください><お願いします!

Aベストアンサー

私も、日本史に興味を持った頃に同じ疑問を持ちました。明快な解説には接したことがありません。

私見ですが

1. 外交に責任を持ち、外国と実際に交渉する幕府は、軍事力をバックに交渉する外国の要求を受け入れざるを得ない。責任のない者から見れば「外圧に屈している」と見えます。

2. 責任のない者からすると、幕府を叩く格好の理由となります。昔の社会党、今は民主党がやっていますが、「反対のための反対」と言うヤツです。なお、幕府を倒した勢力は、維新政府確立後は「攘夷」などとうコトバも考え方も綺麗に捨て去りました。

3. 外国の要求を受け入れて開国した結果、「外国との貿易が始まった為に物価が暴騰し、市民の生活が困難になった」のはその通りです。開国によって日本がトクしたことは、少なくとも明治維新までは何もありません。実際は、開国以来猛烈なスピードで欧米の学問や技術を学びだした日本人は、欧米へのキャッチアップを始めて150年後の現在に至っているのですが、そんなことは神でない身には分かりません。
「開国は災厄でしかなかった」ということです。

4. さらに、国内のあちこちの開港場に外人がやって来て西欧レベルの生活を始めました。唐人お吉の話にあるように、日本女性を呼び入れて妾にします。不心得者の外人がいても、治外法権で守られています。
実際に外人と接する日本人はほんの少数ですが
「何だあの異人どもは!好き放題しやがって!これも幕府のせいだ!」
という感情が生まれるのは無理ないことです。
表現が適当か分かりませんが、米軍基地と日本社会の摩擦を考えて下さい(今の米軍は、開国当時に日本に来た外人よりずっとマナーが良いはずです)。

私も、日本史に興味を持った頃に同じ疑問を持ちました。明快な解説には接したことがありません。

私見ですが

1. 外交に責任を持ち、外国と実際に交渉する幕府は、軍事力をバックに交渉する外国の要求を受け入れざるを得ない。責任のない者から見れば「外圧に屈している」と見えます。

2. 責任のない者からすると、幕府を叩く格好の理由となります。昔の社会党、今は民主党がやっていますが、「反対のための反対」と言うヤツです。なお、幕府を倒した勢力は、維新政府確立後は「攘夷」などとうコトバも考...続きを読む

Q鎖国の影響は今の日本に残ってますか?

日本は江戸時代に300年くらい鎖国してたわけですが、その影響は今の日本にどれくらい残っているものでしょうか?

本当に鎖国って長いですよね。
開国~現在よりも鎖国してた時代のほうが長いし、アメリカ建国よりも期間が長い。
今でもいろいろな方面で影響があると思うのですが、どうでしょうか。

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本当に「鎖国」状態にあったのは、江戸時代ではなく、平安時代の遣唐使停止以降の一時期だけではないでしょうか。

ですから、日本に特異な点があるとすれば、海を隔てて地理的に隔絶した場所にあったということに加えて、極東というヨーロッパから距離的に非常に遠かったからというのが理由だと思います。
また、そのことによる最大の影響は、中国の支配下に置かれず中華思想に組み込まれることを免れたことだと思います。