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はじめまして、よろしくお願いいたします。

もし昔の日本にタイムスリップしたとしたら
いつの時代まで言葉が通じますか?

ここで言う「言葉が通じる」という定義は
日常会話が理解出来るレベルとします。
(古い言葉を詳しく知っている人などは除いて下さい)

また、江戸時代の人との会話はどのくらい理解することが出来ますか?
上記で言う「言葉が通じる」レベルを100%とした場合、だいたい何%ぐらい理解することが出来るのでしょうか?

A 回答 (4件)

1番さんと同じようなことになります。



下のURLは、切支丹時代にできたローマ字で書かれたイソップ物語です。
http://esopo.fc2web.com/Esopo/esopo/mocurocu.html

ローマ字で書かれていますので、発音までわかります。
中には知らない言葉もありますが、9割方わかると思います。

スリップする人が現代の教養人で、この時代の教養人に出会ったとしたら100%通じると思います。
我々が、外国へ旅行したとき、現地の外国人が教養人だと通じやすいのと同じです。

また、スリップする人が機械化前の農業の経験者(肥料に人糞を撒いていたような人)で、この時代の人がお百姓であれば、これも話が弾むでしょう。

まあ、文語や文語調で書かれた昔のものを読むのは大変です。
平安時代のものは勉強した人でないと無理です。
でも、1番さんの資料や、上のイソップ物語のように、口語で書かれたものはわかり易いですね。

現在でも、鹿児島の老人と青森の老人は、話の通じにくいところがあると思われます。
ラジオ放送が始まってから育った人でもそうですから、昔の方言はさらにキツイかも知れません。
タイムスリップするのは、生まれ育った土地の方がいいでしょう。
なにせ、方言は昔言葉の生き残りですから。

今の若い人でも、兵隊に行ったお爺ちゃんとは不自由なく話せるはずです。
兵隊に行ったお爺ちゃんは、幕末に生まれた自分のお爺ちゃんと100%会話が通じました。
そんなことから類推していくと、話題を限定すれば普通の人でも、江戸時代の人とは大体通じると思います。

書かれたものは文章語ですから、格好をつけて古格を守っているようなところがありますので、わかりにくいです。
でも口語はそんなことはありません。

ロクに英語がしゃべれなくても、度胸英語で世界を渡り歩いている人がいます。
戦後のパンパンさんは、パングリッシュを駆使?して、米兵と渡り合っていました。
古い言葉を知らない若い人でも、度胸とゼスチュアで、江戸時代はいけるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

>兵隊に行ったお爺ちゃんは、幕末に生まれた自分のお爺ちゃんと100%会話が通じました。
とても貴重なお話をありがとうございました!
幕末の方と会話が出来ていたなんて素敵ですね!

教養人同士、農民同士ですね。なるほどとてもうなずける話です。
ありがとうございました!!

お礼日時:2009/01/01 12:57

何%かって難しいですね。


幕末は手紙が割合多く残っていますが、口語では伝わりにくい為
手紙でやり取りしたとも言われています(証拠の意味もありますが)
ただ、昔の人の言うことはある程度理解は出来ると思いますが
こちらの心情を正確に伝えるのは結構むずかしそうですね。
たとえば友情って言葉は江戸時代にはありませんし、
愛という単語は今ではLOVEですが昔は意味が違っていました
でも意思の疎通はできるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど。伝えることは出来ても心情までは難しいかもしれませんね。
友情という言葉が江戸時代になかったなんて驚きですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/01 12:59

まともに通じるのは、戦前の昭和に入ってすぐぐらいでしょう。

このあたりなら、文法的にもそれほど変わらないはずです。

明治ぐらいになると、標準的な日本語を作っている時代ですので、通じないことはないでしょうが、宮沢賢治や福沢諭吉の文章が読みにくいように、かなり違和感を感じると思います。

江戸時代になると、場所の差が大きくなります。藩ごとに地域性の大きな方言を話していましたので、kazzyu様のお住まいや普段使っている言葉(方言)によるでしょう。
また文法的には何をいっているかわかっても、語彙がまったくわかならない可能性があります。
現代日本語は、近代科学や経済学などの必要から生まれた言葉が沢山あり、明治以前はそのような言葉がありませんから、現代に使われている外来語だけでなく、以外な部分で語彙が異なったりします。また当時のはやり言葉は、それ以前の日本の文化(中国の本や浄瑠璃・和歌などから由来する言葉)を元にした言葉が沢山ありますので、何を言っているか分からないでしょう。たとえば、手洗い→手水(ちょうず)を使う、と変化します。
また羽織を着るという表現があります。現代ではネクタイを締めるぐらいが適当でしょうか。意味は正装をして、公の立場であるとする、ということです。
江戸時代は制度が今とまったく違い、役人は全て武士ですから、町人や農民の細かいことはしてくれませんでした。
そのため、庄屋とか商人で大家の隠居などが、村や町の世話役として色々な調整をしていました。今でいう村役場の農業課とか土木課、福祉課などの役回りです。
このときに、「羽織」を着て「今日は公務(世話役)で来たよ」と知らせるのです。この場合、対応者は個人ではなく村の代表と話しているとして、それなりの対応が求められました。

というぐらい色々違いますので、江戸時代に遡ると、よほどの教養の持ち主でなければ、ほぼ100%理解できないと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

なるほど。戦前の昭和だと文法もさほど違いがないんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/01 13:03

私はそれ以前の口語で書かれた物を読んでいないので、いつまで戻れるか判りませが、戦国末期までは確実に戻れると思います。

以下の文はその頃書かれた『おあむ物語』の一節です。元は殆どがひらがなで書いてありますが、読み易いように私が漢字に直した所が在ります。これは関が原で石田がたの大垣城で篭城した13才の少女の記録ですが、声を出して読んでみるとそのまま今の人でもわかる言葉ですね。

怖やとばかり我れ人思うたが、後々はなんともおじゃるものじゃない。我々母人(ははびと)もそのほか家中の内儀むすめ達も、みなみな天守に居て鉄砲玉を鋳ました。また味方へ捕った首を天守へ集められて、それぞれに札をつけて覚えおき、細々(さいさい)首にお歯黒を付けておじゃる。それは何故なりや。昔はお歯黒首はよき人とて賞玩(しょうがん)した。それ故白歯(しらは)の首はお歯黒付けて給われと頼まれておじゃったが、首は怖いものではあらない。その首どもの血臭き中に寝たことでおじゃった。

また同じ頃書かれた『雑兵物語』も紹介します。これも読み易いように私が旧漢字を今の漢字に直してあります。

さてまた敵おっくずした話を、おれがして聞かせべいぞ。先敵味方一の先から鉄砲の勝負がはじまって、弓になり、場中の勝負場中の高名一番槍がはじまり、二番槍あるいは槍脇槍下崩しぎわの高名、組んず組まれつ突(と)っ細首をおっこすり落とされつ、或はもぎり落とされ、今日は大合戦だ。、、、頭数をもぎいた者は鼻を引っかけ引っかけ持つ程に、胸板へも入れられないで、百八の数珠玉程にひっつないで首へ引っ掛ける者もあり、、、(新六の段)

別の一節では、

適地の井戸の水は必々のまないもんだ。底には大方糞を沈めるものだに、あるべいぞ。川水をのむべいぞ。(八木五蔵の段)

また疵が、がいにうずくべいならば、おのれが小便をのみなされろ。やわらぎ申すべい。銅笠でも置いて、小便をしためて置きなされ。、、、(彌助の段)

どうです、何方かに読んでもらって目をつぶって聞いていると、情景が浮かんで来るでしょう。

上の例は両方とも今の人でも100%言葉が通じて分かると思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

とても勉強になりました。
貴重なお話をありがとうございました。

お礼日時:2009/01/01 13:04

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