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天皇家はなぜ滅びなかった?

中国では、皇帝の一族が滅ぼされるということが、
よくあったと思います。

日本では、どうして天皇家は滅ぼされなかったのでしょうか。

単純に日本人は権威を尊ぶ、権威に弱いということなのでしょうか。

A 回答 (11件中1~10件)

#5さんに加えて補足しておきます。



>(1)天皇家が権力を手放し、権威のみの存在となった

これに加えて重要なキーワードは

日本が中央集権国家ではなくて封建国家であった。

です。中央集権国家では王とそれに直属する国民きりおりませんが、封建制度では王の王(将軍)と、王(豪族とか大名)と、その豪族に直属する国民と言う3種類で国家が構築されております。封建制度は豪族がドングリの背比べで、たとえ抜きん出た豪族がいても、残りの豪族がまとまって抵抗したらその傑出た豪族一人では敵わない場合に出来上がる制度です。その傑出した豪族が王の王になるわけです。その場合、王の王は軍事力ばかりでなく、外交を駆使して残りの豪族の説得した同意の下で成り立っているのですから、どこかからその権威のお墨付きを貰うと言う形にしておいた方が皆を説得され易いです。各豪族は皆平等であると言う原則を認めつつ、状況に応じて天皇から承認された者が国政を預かるとしておけば、残りの豪族も納得出来ますから。そう考えると、江戸から明治への政権委譲が何故大政奉還と言う形をとって殆ど無血でなされたかの理由も判るでしょう。また、天皇の承認を国民の承認に入れ替えてみば、封建制度と現在の民主主義と殆ど同じ精神を持った制度なのです。昔の封建制度では武力と外交による説得を使ったのですが、その武器の部分をお金と置き換えてみればいきなり民主主義になりますね。

もともと平等と言う概念は、それを正当化する根拠が曖昧な概念です。その証拠に、西洋ではその根拠を「神の下に平等」などと分けの判らない神なる概念を引っ張り出さなければ説明出来ないのです。日本では神の部分を天皇で置き換えることによって、この平等という概念を西洋に教わることなく、自前の千年にもわたる歴史から手に入れてきたのです。日本人の持っている徹底した平等意識は、アメリカを含め何処の国より優れています。その証拠に、私はアメリカに住んでいますがアメリカでは自由という言葉をラジオやテレビで聞かない日は在りませんが、平等という言葉は一ヶ月に一度けれたら良い方です。天皇制がこの日本人の平等意識を育むのに、どんなに重要な役割を演じてきたかお判りになりますね。我々の先人達のこの智慧はことほど左様に大切なものですから、天皇も同じ人間じゃないかなどという幼稚な発想だけは止めておいた方が良いと思います。下手すると、今回のアメリカの選挙でオバマに反対した45%以上のアメリカの白人達と同じように、日本人から平等意識を奪い取ってしまうかもしれないからです。

ここ2千年程の人類史で政権の安定期に中央集権制ではなく、封建制を採用したのは、西欧と日本だけのようです。そして、この両地域だけが明治大正ころの近代の早い段階で民主主義を確立したこと、また、近代技術革命を成功させ高度な資本主義を発達させたのですから、日本が中央集権制ではなく、封建制であったことがどんなに幸運だったか分かると思います。

上で述べたことから判るように、もし絶対的に軍事力のある豪族が出てきたら、こんな込み入った封建制度など採らずに、いきなり中央集権制度をとって、自分を皇帝と呼ぶようになるはずです。日本の歴史ではそんなことができたのは信長だけだったと思います。天皇家にとって幸運だったことに、信長は夢半ばで暗殺されてしまいました。

私は、日本史の中で天皇制の存続の危機が過去に三度在ったと思っています。建武の中興で貴族を取り立てて武士をないがしろにしたときと、信長と、この間の敗戦です。
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上皇とは何を言い出すかわからない秋篠宮紀子妃になることも現在ありえます。

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http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4517279.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4516851.html
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa268481.html

類似の質問が既出ですので参考程度に。。。

こういった問題を思考する際には、色眼鏡をはずし「客観的」になることが大事でしょう。
現にわれわれは日本人ですから、どうしても主観が入り込んでしまいます。
しかし、日本独自である「天皇」を客観的なシステムとしてとらえることができれば、より深い理解が得られます。
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平成の世であれば


どうせいらないんだから殺しちゃっていいんじゃないの?
となります。

しかし、
昭和40年頃までは、電車内で角帽を被った大学生が漫画本を読んでいれば「親に申し訳無いと思わないか、恥ずかしく思え!」
間違いなく殴られたそうです。

近所の子供でも、弱いものいじめを見ると「平手」は普通であったようです。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A1%E6%88%90% …

成敗するならそれ相応の理由が必要です。
理由が言えなければそれこそ成敗の対象になります。

また、足利将軍は上杉も織田と言い奉じ上げています。
これは、私利私欲だけの行動とは思えません。
乱世を鎮めると言う大儀があったのではないでしょうか?

それ程野望があったのでしょうか?(天下布武)

足利義昭は、豊臣秀吉が天下を取るまでは征夷大将軍の地位のままです。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%B3%E5%88%A9% …

武士道と言う物をもう一度考えてみてはどうでしょう?
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皇室に兵権を持っていない。

禁軍、近衛師団が無い。
大王の時代にすら兵権は物部氏が持っていて、皇室自身が持っていなかった。
何よりも法治国家ではない。中国は始皇帝により法律を整備。ローマもローマ法典がある。

権力者の特権である自分に都合の良い法律とそれを正当化するための暴力機関である兵権:強大な軍隊を天皇は持っていなかった。

後は何よりもそういった外国の直接支配をされなかったことでしょうか。
外国の支配は必ず自分に都合の良い法律と暴力組織を必要とします。


皇室は今までこの法と兵権に無縁だったからではないでしょうか。
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年間の神事を見ても解る通り天皇が大地と国民から乖離しなかったこと


島国で神社を地方に分散配置させたこと
以後武力の前に権力に固執しなかったことなどが考えられます。

しかし皇太子を超えて発言する様子などからは上皇としての資質に欠けると思われるところが見受けられ、この国際社会の中で日本国民にとって今後天皇制は取り返しのつかないくらいの害になってしまう可能性すら考えられます
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No.1の方と同じく、逆説の日本史シリーズを一読することをおすすめします。



ここで私の意見を簡単にまとめると、
(1)天皇家が権力を手放し、権威のみの存在となった
(2)異民族が日本を侵略しなかった
の二点となります。

1についてですが、権力は戦争に勝てば勝ち取ることはできますが、権威は力だけでもぎ取るのは非常に難しいのです。
なぜなら、万民が納得する理由が必要だから。
中国でそれができたのは、易姓革命という革命理論が成立し、中国の主流思想である儒教学者がそれを認めたからです。

詳しくは逆説の日本史を読んでくれとなりますが、日本では江戸時代になるまで儒教は主流とならず、革命理論が成立しませんでした。
よって、権力争いに勝利した者は、日本の最高権威である天皇に認められることで、国内でその力を誇示したのです。

このように権力者が権力を手放すことで長続きした例は、外国にもあります。
有名なのは、イスラムのアッバース朝でしょう。

しかし、このようにして権威のみの存在となっても、外敵が侵入して国が征服されれば、その権威ごと侵略民族によって破壊されます。
イスラムのアッバース朝も、最終的には異民族であるモンゴルの侵攻によって滅ぼされました。

ですが、幸いながら日本は異民族に国土全てを占領されることが近年までなく、第二次世界大戦の敗戦でも勝者であるアメリカも天皇家の存続を認めたため、今に至るまで長続きすることができました。
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天皇家不滅のなぞ


もともと「大王」であったのが天武朝のころより中国より取り入れた「天皇」となり現在まで続いている天皇制
このなぞを解く鍵は天皇制のもとになった中国との比較から
はじめなければなりません、

1中国には「天子は天の命によりその地位にあり、徳を失い天から
 見放された王朝を廃すことは天の命を革めることだ」という
 王朝が起こっては消えてゆく王朝革命交代理論がありました
2日本はこの交代の連鎖を断ち切り、「天」に代わる神聖な権威
 を「アマテラス」に由来する「霊統」におき代えこれを「血脈」
 により継承する独特のシステムを作り上げました
3こうして俗界の「王」として君臨し神秘の力を持った
 「神聖王」の役割を代々継承する根拠を得た
4俗界の「王」としての権威はたびらびほかの権力者(将軍)
 に委託されたが、神聖王としての立場は変わらなく継承されてきた

つまりこの「神聖王」としての役割がいかなり「困難」をのりこえ
継承されてきたようです、天皇に関する本は無数にあり難解なものが
多いのですが、
(お勧めは)
学研 天皇の本
が平易でわかり易いですよ
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普通にある説明は「天皇は権力を持たず権威しかなかった」でしょうか. 中国の皇帝は権力と権威を同時に持つために権力を手に入れるためには皇帝を倒すしかなかったのですが, 日本では天皇が「権力を持たなかったために天皇家を滅ぼしたとしても権力は手に入らない」ということになります. であれば, 「天皇家を滅ぼす」メリットはあんまりない (その後を考えるとむしろデメリットはたくさん) わけで, それよりは天皇を懐柔したり圧力をかけたりすることによって権力を手に入れた方が楽.


神話から考えるとこんなことがいえるかも:
中国の皇帝は「天の命により天下を治めることを認められた徳のある人物」であり, つまりは「神の代理人」です. これに対し日本の天皇は天照大神を祖とする「神の末裔」です. だから, 中国では「徳のある人物が天の命により天下を治める」→「皇帝であっても徳を失えばその地位を追われる」→「徳を失った皇帝の一族は (天の命を失えば) 滅んでも仕方ない」という考え方ができます (「天の命が変わる」=「革命」). ですが, 日本では (自分が「神の末裔」でなければ) 天皇の代わりになれないわけです.
実際問題として, 日本において「神の末裔」と「認定」されていたのは天皇家以外は物部氏しかいなかったような気がする.... 蘇我氏と天皇家によって実権を失うわけですが. 蘇我氏や藤原 (中臣) 氏は渡来人という説もありますし, それ以降の源平などはすべて天皇につながることをもってその権力基盤としています.
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(1)宗教性が弱い


(2)取り巻きの立ち回りが上手
(3)中央権威、権力に弱い
(4)単一では無いが圧倒的にそれに近い民族構成

というところでしょうか。まぁ官僚国家と言われる所以ですね
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