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現在の神道(神社本庁系?)は国家神道の流れを汲んでいるようですが、
明治以前の神道の形も、「天皇を中心とした神の国」なのでしょうか?
多神教(八百万の神?)とは矛盾しているように感じるのですが。

それとも、天皇家とは直接関係のないところで、神道の考え方は成立していて、「~神の国」は明治政府による創作なのでしょうか?

本来の神道(土着信仰としての神社?)について知りたいのですが、調べても難しくてよくわかりませんでしたので質問しました。
当方素人のため、わかりやすくお願いします。

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A 回答 (6件)

こんばんは。

難しいけど、面白い質問ですね。
私は勉強不足で国家神道についてはよく知らないのですが

>明治以前の神道の形も、「天皇を中心とした神の国」なのでしょうか?

日本神道の最も古い文献は古事記・日本書紀です。
わかりやすく現代語訳されたものが出版されていますからぜひ読んでみられるといいと思います。
ただし、古事記や日本書紀以前から神道はあったと思われます。
たとえば魏志倭人伝に
「身分の高い人が尊敬される作法を見ると、ただ手を打つだけで、中国の跪拝の代わりとする。」
との記述があり、これは神社にいって柏手を打つことを思わせます。
ただし、古事記・日本書紀以前にあった史書は蘇我蝦夷が自殺をはかって自宅に火をつけたときに
焼けてしまって現存せず、内容もわかっていないようです。

古事記や日本書紀のテーマはおおざっぱにいって二つあると思います。
(1)皇位を継承するのは天照大神の子孫に限られる。
(2)怨霊鎮護

(1)はまさしく「天皇を中心とした神の国」であることを主張するものだと思います。
天皇家が万世一系で(そうではないという意見もあるようですが)現在まで続いてきた要因のひとつであるといえるのではないでしょうか。

ただし、神道でこういったテーマを掲げているにもかかわらず、江戸時代には天皇家の権威はかなり落ちていたようです。

また(2)においては、政治的陰謀によって不幸な死を迎えた人物が怨霊となって祟るのを、神として祀ることで鎮めようとする内容が記されています。

代表的なのは奈良県大神神社の大物主命です。10代崇神天皇の御世、疫病や風水害がおこり、また人民が背くなどして国が乱れたのは大物主命の祟りであるとして、大物主命の子孫である太田多根子を神官として大物主命を祀らせることで、大物主命の祟りは納まったと記しています。

大物主命は出雲大社の大国主命と同一神とされています。
というのは大国主命の前に光り輝く神が現れて「私を祀るように」といい、
大国主命が神に名を問うと「私はあなたの幸魂・奇魂」と答えたとあるためです。
そして大国主命が自分自身である大物主命を祀ったのが大神神社だということです。

この記述をどうとらえるかは研究者によって意見が分かれると思いますが
私は大物主命=大国主命とは初代神武天皇が日向より東征してやってくる以前に大和にあった政権の王だと思います。
というのは、神武は東征に出立するにあたって
「東にはニギハヤヒが天の岩船を操ってすでに天下っている」と発言しているからです。
ニギハヤヒは正式名称を天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてる くにてる ひこ あめのほあかり くしたま にぎはやひ の みこと) といいますが
大物主命は倭大物主櫛甕玉命という別名もあり
二神は櫛・玉が一致するところから同一神ではないかと言う説があります。
ここから、神武以前に畿内に王朝があったと考えられます。
ニギハヤヒは物部氏の祖神とされていますから、その王朝は物部王朝であったという説もあります。

また初代神武天皇と10代崇神天皇はどちらも和風諡号をミマキイリヒコといい、ふたりは同一人物であるという説もあります。

とすれば、記紀に記された崇神天皇代の記事は日向から東征してやってきた崇神=神武が自らが滅ぼした物部王朝の王を怨霊と怖れ、神として祀った話だということになります。

では大物主と同一神であるとされる出雲大社の大国主はどうなるんだ、となると思いますが
梅原猛氏によれば、大物主という神が根の国とされていた出雲へ追放されたのが大国主ではないか、「出雲の国譲り」というが、もともとは「大和の国譲り」だったのではないかとしておられます。

>多神教(八百万の神?)とは矛盾しているように感じるのですが。

これは私自身の考えですが、
日本は多神教ではありますが、神も輪廻転生すると考えられたのではないかと思われます。
輪廻転生というのは仏教の考えですが、古事記・日本書紀が成立したころ、すでに日本には仏教が伝来してかなりの年月が経過しており、また日本では本地垂迹説をベースに、神仏が習合されていました。

本地垂迹説というのは、日本古来の神々は仏教の神々(仏)が衆上を救うために仮にこの世に姿を現したものであるとする考え方で、仮にこの世に姿を現した日本古来の神々のことを垂迹、神のもともとの正体である仏のことを本地仏といいました。

天皇が即位すると大嘗祭が行われますが、この儀式は天皇が天照大神と同体となるものではないかと言う説があります。
つまり、天皇とは天照大神の生まれ変わりだと考えられたということだと思います。
http://www.tanken.com/daijyo.html
また日本の神は子を産みますが、子とは神の分身のことを意味しているのではないかという説もあります。
八百万といいますが、それは神が分身を作った結果で、
もともとの神はそんなに多くない野では、と思います。

>純粋な土着信仰としての神道があったなら、今も残っているのかも気になります。

大神神社は三輪山を御神体とし、神殿を持ちません。
地元に伝わる伝説では、神は神殿はおろか、拝殿すらつくることをこばんだとのことです。(拝殿はあります。)
また大阪府枚方市交野市あたりは肩野物部氏が本拠地としていたところですが、星田妙見宮などやはり神殿のない神社があります。
 http://murata35.chicappa.jp/meisho/myokendensetu …
これらは神殿のある神社よりも古い形態を残す神社で
物部氏による祭祀の形態ではないかと思います。

反対意見もあると思いますが、ひとつの意見としてお考え下さい。
 

この回答への補足

ありがとうございます。
>わかりやすく現代語訳されたもの
あるんですね?探してみます。

>神のもともとの正体である仏
別の方の回答にもありましたが、これにはびっくりです。
高校時代の友人に、神仏分離主義者がいたせいで若干抵抗がw

>(天皇が)神として祀った
奥が深いですね。今の天皇のイメージとはだいぶ違う。

補足日時:2008/12/20 22:04
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神道はわかりませんが簡単に説明すれば、


日本の神=スピリット
外国の神=ゴッド
これだけでも思考のズレが分かると思います。

天皇中心とした~は天動説と思えば良いです。
神の国とは精霊は無数に存在するのと、生死問わず認めればお仲間になるし、このように永遠に増え続けるから神の国。
もう八百万は超えてると思う。
一神教は神の定義の幅が1個限定なのと、日本のように適当に認めちゃうのとではお互いにすれ違うのは仕方が無い。

この回答への補足

ありがとうございます。
>天皇中心とした~は天動説
きれいにまとめていただきました!

補足日時:2008/12/20 22:00
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明治以前だと「神より仏の方が上位の存在」のような気がするなぁ. 神仏習合も普通だと思うし.


一応江戸時代にも「日本」という意識はあったといえばあったらしいですが, この場合の「日本」は「徳川幕府の支配下にある地域」という意味のようです. 多分, 「天皇」というものの存在はあまり意識されていないんじゃないでしょうか.

この回答への補足

ありがとうございます。
>神仏習合
神社と寺の区別が時々わからなくなりますが、妙に納得。
「~寺」「~神社」以外の名称だとほんとに。
一緒になってればなおさら。
>天皇・・・あまり意識されていない
日本人の適当なところでしょうか。

補足日時:2008/12/20 21:56
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ごくごく簡単に要約すると



まず神道のような原始信仰は、世界中の何処でも見られます。現在キリスト教などが一般的になっているところでもその名残をみることができます。
例としては、イタリアの道祖神→キリスト教の聖人の祠、ケルト人の冬至のお祭→ハロウィンなどがあげられるでしょう。

日本は一神教がほとんど布教されなかったために、原始的な信仰の形態が残っています。大きく言えば神道になりますし、小さなものでいえば、「針供養」とか「箸供養」など素朴な信仰形態に現れています。

また宗教というのは、必ず政事と一緒になります。日本の例で言えば、古代の卑弥呼は宗教的な長であるとともに、政治の長でもありました。
またローマの皇帝は「平民特権(拒否権)・宗教長特権・執政官(コンスル)」を同時に保持する事によって、事実上の皇帝としての権力を振るうことが出来ました。
このように宗教は原始宗教や多神教、一神教の別なく、政治に利用されるという特性をもっています。

以上のことを踏まえたうえで日本の歴史を見てみると、4世紀ごろにヤマト王権が成立し、飛鳥時代といわれる6世紀から8世紀にかけて、日本の統一王朝の形を整えていきます。
このとき日本の統一に力を発揮したのは、軍事力だけでなく宗教的な力も利用されました。国分寺など、新しく導入された仏教の力を利用したものもありますが、そのころすでに成立していた各神社も体系的にまとめられ、政治に利用されることになります。
また大和朝廷の天皇は、政治的な首長であるとともに、宗教的な首長の側面も持っていました。
新嘗蔡など現在でも天皇家が行う宗教的な儀式があります。
当時の民衆に支配の正当性を説明するには、軍事統一した後に「日本の神々が私に政治を任せた」という一種のお墨付きをもらったことにするのが良かったのでしょう。
なお現代でも、イギリスの国王は国教会の祝福(要するにお墨付き)のもとに戴冠式をするように、各国でそのような事例があります。

これを元に考えれば、日本は天皇が神々を取りまとめる「天皇を中心とした神の国」といえます。
ただ逆にいえば、日本には元々八百万の神をあがめる信仰があったからこそ、天皇家が天下統一のために利用したともいえます。

また神様も必ずしも、天皇家の支配に服したともいえません。古代においては、出雲大社は国譲りをして神の国の支配者となり、現世の支配は天津神(天皇家の祖)に譲ったと伝えられていますし、一言主神社の神様は、天皇から贈り物をもらったとか、天皇と一緒に狩りを楽しんだ(つまり同格)という話もでてくるのです。

もうすこし時代が下ると、織田信長など「天下統一」は都にいる天皇のお墨付きをもらうことが目的になります。現代でも総理大臣は天皇より任命されるということになっています。
構図としては征夷大将軍も内閣総理大臣も同じなわけです。
どの国でも、その国を治めるために必要な手続き、国民(民衆)が納得する手順というものがあります。
先に書いたイギリスの例もそうですし、アメリカ大統領は聖書に手を置いて宣誓します。
この点でいえば、明治時代を待つまでもなく、日本は神道を体系化して政治に利用してきたといえます。

ただし、これは個人の心の中までも規制するということではなく、八百万の神でもキリスト様でも、日本人は誰でも好きな神様を信じることが出来ます。

むしろ、キリスト教のほうが大変です。神様は一人しかいないのに、教会は会派に別れ、特にカソリックなどは中世時代は政治勢力となって、人々に宗教を強要しています。そのためプロテスタント(反抗という意味)を生み、アメリカ大陸に(宗教からの)自由の国を作る原動力になっています。また最近エルサレムの教会内で宗派の違う聖職者たちが殴り合いの喧嘩を起こしています。
このような事例を考えると、日本は多神教でよかったなあと思います。

土着信仰はかなり難しいです。
例を挙げると稀人信仰(マレビト信仰)と言うものがあります。
これは遠くからの旅人や、別の民族の人の漂流遺体などを、神のなんらかの意思と感じて、祠をたて祭るものです。明治時代に来た外国の若い軍医ポンペさんは、帰国した後に日本でポンペ神社を建てられてしまいました。もちろん存命中にです。日本人の稀人信仰とポンペ氏に対する感謝が神社という形になったのでしょう。
また、大地信仰=山を神聖なものとしてあがめたりする信仰もあります。
日本人の特色として、面白いのが太陽信仰です。正月の初日の出をお参りしたりしますよね。これ日本人だけの宗教的な特色です。
普通の国では、天文学が発達すると太陽の動きは日食も含めて計算・予想できるようになり、神秘性が薄れるのです。ストーンヘンジも太陽をあがめる(と同時に暦でもある)信仰の場所だったといわれていますが、今では太陽信仰の跡形もありません。
しかし日本人だけは、天の岩戸に代表される「太陽が隠れる=日食」を恐れる感覚を有しているといわれます。そのため、元旦に太陽が現れると、今年1年の計をお祈りする気持ちになるのだそうです。

土着信仰は古い神社に行って、資料を見てみるのも面白いですよ。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
>また宗教というのは、必ず政事と一緒になります。
今の憲法も総ですよね、第一章「天皇」から始まるし。
天皇家が嫌いというわけではないですが、元の健全(?)がよいとおもうのです。
>天皇を中心とした神の国
必ずしも森さんの発言は間違いじゃないかも。

>初日の出
元旦に限らず、日の出はきれいですよね。日本人だけというのはびっくりです。

補足日時:2008/12/20 21:49
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国家神道については、明治になってから明確な天皇制強化のために組織化されたものであり、それ以前の神道とは世俗との関係という点では明らかに異なっています。


江戸期までは日本人全体に国家観というものが希薄で、神州日本という言葉と概念が人口に膾炙されたのもおおむね明治以降だったことを考えると、「天皇を中心とした神の国」という思想の一般化は明治以降のものだといえます。
日本書紀における天皇は、神の継嗣でありますが主神ではなく、祭祀の宰としての王ですが、それらは主に中央政府の官吏や寺社や豪族にとっての天皇像であり、一般の民衆がそういった宗教的崇拝をしていたというわけではありません。

もっとも、純粋に宗教としての性格を論じるとしても、明治以前と以降でどれほど差異があるのか疑問が多く残ります。
土着の宗教は文化や習俗の基層でもあり極めて多面的で重層的なものですから、私も含め、素人が簡単に分析できるようなものだとは思えません。

とりあえず、多神教としての性格について、これが天皇中心の宗教観と矛盾するかという点ですが、これは必ずしも矛盾とはならないと思います。
というのは、一神教の特色の第一は他の宗教の否定・禁止ですが、国家神道として官職にまで組み入れられた明治以降においても、憲法上の信教の自由が認められていました。
このあたりは、欧米における一神教とは一線を画すものといえます。
むろん、廃仏毀釈や靖国神社による思想統制はありましたが、これはナショナリズムの高揚を目指したものであり、民衆の宗教観までを根本的に変革した要素とまでは断定しかねます。(それが試みられたことは確かですが、成功したとは思えません)

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。
>一般の民衆がそういった宗教的崇拝をしていたというわけではありません
>明らかに異なっています
現代の神道への感覚が、国家神道に近いと感じ、だいぶ前より、神社に行くのに抵抗を感じておりました。なので、すこし安心。
>素人が簡単に分析
自分なんか、まったくわからないので、もちろん無理ですね。
でも、国家神道の影響の程度の見分け方くらいは知りたいので。

補足日時:2008/12/16 18:47
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これに関しては話すだけでも一冊の本が出来てしまうようなことなので、本を買うなり、図書館で借りるなりして調べてみてください。


結構面白いですよ。

この回答への補足

早速の回答ありがとうございます。
できれば何かお勧めありますか?

ただ、手に取った本だけが事実とも思えないので先にいろんな意見を聞きたく質問しました。

純粋な土着信仰としての神道があったなら、今も残っているのかも気になります。
以前すんでいた近くの神社でも、国家神道を思わせるようなポスターが張ってあった記憶があり(詳細失念)、また、ほとんどの神社を管轄する神社本庁も、
>内務省の外局である神祇院の業務を引き継ぐ形で(wikipedia)
成立したそうですし・・・

補足日時:2008/12/16 18:04
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