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批判を前提とした形而上学とは、理性論で正しいでしょうか。
経験論ではないですよね。。

A 回答 (3件)

経験は他者達の意見の批判の様なネガティブキャンペーンを必要にさせ難いですね。

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 無回答の削除と思っていましたが、ご奇特にもご投稿のお方がおられました。


 拙者は大1のときに、英語しか知らないのに原文をもとに数ヶ月やりました。敢えて拙者といいまして
 哲学史とともに、そう、一年半かかって。法学部でしたが、西洋の文科史、社会思想歴史とともに。 
 ことばとしての批判というのは、検討、探求でしょう。
 そして西洋哲学の手法は人間と自己を中心意識に置いた、は所詮理論と省察でしょう。
 西洋の思想や所作というのは、結局所作ですよね。
 形而上とはえらいことばですが、形而的にということでしかなりえない理論探求ですね。
 アプリオリなる時間・空間って、アプリオリではありませんしね。
 コペルニクス的転回って、その中心を純粋理性という人間、主観においては、まだヒンドゥや日本の足元との、数千年の開きは否みがたいでしょうね。
 悪口でもなんでもないですけれどもね。マルクス・レーニンやその他の思想とは格段には思いますが、所詮はせえようのご仁のお話ですね。

 認識の仕方・その正しさ、根拠の検討ですよ。
 日本やヒンドゥの哲理の世界の創造からの認識とは異なっていますね。
 理性の依って来る根拠なんですが、その宇宙的位置づけはなされては居ないと存じますがね。
 無回答になると思って居ましたが、恐れ入り谷の鬼子母神でした。
 明確にいえばしっかり読んだら、西洋思想史のご編纂でなければ、ご卒業されることが大事です。
 デカルトもそうです。
 カント・デカルトの人間はすばらしいですし、偉大ですけれども。
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参考程度に


[純粋理性批判]にある「批判」という表現は「根拠を明らかにする」という意味ですから論理的であれば良いということでしょうね。
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