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なんでゴルバチョフは日本とかではゴルビーとか言って親しまれてるのに肝心の自分の国では嫌われてるんですか?

ゴルバチョフは民主化とかも進めたんじゃないんですか?

A 回答 (5件)

日本では、「ソビエト連邦」=「悪の帝国」だった国を、情報公開(ペレストロイカ)や民主化に導いたことなどから、英雄として扱われています。


ついでに、知識人の間でも、「プラハの春」の挫折を知っている「数少ない民主主義論者」として、更に米ソ冷戦を終わらせた人物として評価されています。

では「ロシア」ではどうでしょう。「ソビエト連邦」の最盛期、軍事予算は推定でGDPの40%に達していました。これを一気に削減することで、確かに「戦争」の恐怖は減りました。実際に、SALT3などの協定によって、日本周辺に配備されていたSS20などの大陸間弾道弾なども削減されました。

しかしながら、ソビエトはスターリン時代より重工業化を急いでおり、かつまた、主力の国有企業は独占の体制化にあり、衛星国と呼ばれた東欧などへの工業製品の輸出などで潤っていました。この軍事産業の崩壊は、国民の所得や年金などに多大な影響を与えることになったようです。実際に、ペレストロイカ後の年金や所得などは激減して、国民生活は苦しくなりました。確かに一部の金持ちは、大金持ちになりました・・・ロシアガスなどの国有企業の民営化などにより。

さらに、連邦は各地で分離独立が続き、現在に続くチェチェン紛争などの火種を残しています。

現実には、これらの責任はゴルバチョフ氏によるものではなく、一部の官僚と結託したKGBや軍産複合体と呼ばれる官僚組織によってもたらされたものですが、それらの人々にとって、強いソビエトという幻想の名の下に、強いソビエトに止めを刺した人物として記録されているようです。

しかしながら、長期政権であったブレジネフ時代の末期には、既にソビエトは終わっていた(ソルジェーニンの収容場群島など)とする説もあり、現在も評価が分かれているというのが本当のところでしょう。
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民主化なんて食えてから初めて言えること。



お湯の中のカエルというたとえ話があります。
水につけられたカエルはゆっくり水が温められていると気づかないうちにゆだって死んじゃうというもの。
ゴルバチョフの前のソ連経済はまさに、このカエルの状態。
これじゃ あかん!と、水を取っ払って水が無くても生きていけるようにソ連経済を変えよう!というのがゴルバチョフで、いきなり水が無くなったので、カエルはひからびて死にかけたということになります。

そりゃ 恨むでしょうゴルバチョフは。まだ耐えられるお湯の中にいると思っている人も多かったのですから。

あと、ロシア人はイワン雷帝とか、エリチェンとかプーチンとか強面が好きだという話も聞いたことがあります。ゴルバチョフはロシア的ないい男ではないそうです。
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当時のソ連は資本主義に反対する社会主義を標榜していたが実際には効率の悪い資本主義の原理に従って米国と軍事的に争っていたのではないでしょうか。

効率が悪いというのは簡単に言えば怠惰を幸福と思う大衆に福祉を行っていたからではないかと思います。民主化というのは自己責任を原則としますが、資本主義とかさなると自由競争(カネがすべてを支配する)が伴います。案外ロシアの大衆は資本主義的自由競争のフンの不毛性あるいは破壊性を感じていたのかもしれません。ゴルバチョフが資本主義をどのように考えていたのか知りませんが、現在の世界恐慌なるものが資本主義の限界と関係があるとすれば、この意味でも彼がロシア人に嫌われることもわかるような気がします。
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#2さんの回答にかぶるんですが、イワン雷帝の昔からスターリン、プーチンに至るまでロシアの指導者というのはしばしば他民族には到底耐えられないような「強い指導者」が好まれる傾向があるようです。


一説にはあまりに自然が厳しいロシアでは、話が通じても路頭に迷わせる指導者より、独裁者でも家を確保してくれる指導者のほうがはるかにましだと考えるからだという話もあります。

幕末の老中阿部正弘やゴルバチョフなどの「穏健改革派」というのはゆるやかに改革することによって円滑に社会を変える、つまりソフトランディングを試みるのですが、しばしば限定的な改革のつもりがその改革がきっかけになって社会が大きな潮流となり穏健改革がその津波に飲み込まれてしまうということがありますね。
ゴルバチョフはソ連社会主義という根本を変えないままで社会の改革を行おうとしたのですが、その改革そのものがソ連社会主義を否定する潮流になってしまったということです。
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ゴルバチョフ氏は、日本に限らず欧米などの西側諸国でも評価と人気が高いですね。


英国首相サッチャーは、「ゴルバチョフは気に入った。彼となら交渉できる。」と言っています。

この逸話が示すように、ゴルバチョフは国際社会との対話路線を推し進めていきました。
西側諸国からも批判のあったアフガニスタン侵攻から撤退、当時険悪な関係にあった中国との国交正常化、米国ブッシュ(父)と軍縮協定を結び、湾岸戦争では協力関係を構築。
さらに、この間にポーランドを始めとした東側諸国が民主化されていきますがこれを追認しましたし、なによりも「ベルリンの壁の崩壊」で象徴される東西ドイツの統一がありました。


このように、ロシア側からは西側諸国に妥協・屈服した売国奴というイメージがあります。
また、他の方も指摘されているように資本主義市場への移行によって経済が悪化し国民生活がむしろ苦しくなったことも原因でしょう。
また、半分冗談ですがゴルバチョフ嫌いのロシア人が一気に増えたのは飲酒制限政策だそうです。
いかにも酒好きなロシア人らしいエピソードではありますけど。

因みに、一説にはゴルバチョフはソ連を崩壊させるつもりは無かったようです。
実際、ソ連を解体させたのは彼よりも急進派で知られていたエリツィンが、ロシア大統領に就いたことによります。
エリツィンはソ連時代から、ゴルバチョフ以上に急進的な改革を唱える改革派の急先鋒でした。
そこまでの急進的な改革では保たないと考えていたゴルバチョフとは対立します。
で、1990年の8月に起こったクーデターからゴルバチョフを救った事で一気に人気が高まり、ロシア連邦の大統領に就任しソ連を解体させました。
逆に、ゴルバチョフは一気に求心力が低下しました。
1996年の大統領選には、ゴルバチョフも参戦しますが0.5%の得票しかなく惨敗します。
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