痔になりやすい生活習慣とは?

戦国時代に合戦に向かう場合、昔は徒歩などの行軍でとてつもない距離を歩き、それだけに途中の補給や、体を壊した場合など、行軍中の事を詳しく調べてみたいのですが、何かお勧めの本や、ホームページなどありますでしょうか?あれば教えてください。

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A 回答 (3件)

下記のサイトは、「足軽は戦のプロ」です。

足軽の装備、補給などを調べれば、判ると思います。
また、中世の欧州と日本での軍隊の補給については、下記を:

http://member.nifty.ne.jp/bintaro/touken/zadanka …

参考URL:http://webcatplus.nii.ac.jp/tosho.cgi?mode=tosho …
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/07 22:30

私もそういう専門書ではないのですが。


光栄の「信長の野望将星録」ハンドブックに
軍団の食糧事情(P64)がありますよ。
小荷駄隊や略奪について書いてあります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/07 22:30

そういう専門書ではないのですが、


学研の”歴史の群像シリーズ(66)”「戦国 武心伝」
というのはどうでしょうか?
本の中で「戦国武士の食」というのがありましたよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

お礼日時:2003/02/07 22:31

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Q戦国時代における戦での遺体の取り扱いって?

近年の戦争の映画で戦死者の遺体を棺に収め、国旗などでくるんで本国に移送するという場面を見たことがあるのですが、日本の戦国時代はどうしていたのでしょうか?
大きな戦では大量の遺体が発生すると思うのですが、そのまま放置されたのでしょうか?それとも組織的に回収されたのでしょうか?
また、海外(中世の欧州など)でどうだったのかも分かれば教えてほしいです。

ご存知の方、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、通行するクルマ以外に邪魔者はいません。効率よく死体処理(カラス等の食事)が進むでしょう。

ご質問ですが、戦国時代の戦いでの戦死者の遺体は、下記の経過を辿ったと思われます。

1. 戦死者は、首を取られた状態で戦場に残されている。
よほど大きな合戦、例えば武田信玄が徳川家康を完敗させた三方ヶ原の合戦でも、徳川軍の戦死者は1000人行かない計算のようですから、そんなに大きな数ではありません。普通の合戦なら「戦死者10人」とかの単位です。

2. 戦闘が終わって両軍が引き上げると、既に回答されているように農民たちが「戦場狩り」を行います。これは、「田畑を荒らしたことに対する補償」の意味も含まれていたようです。
この際は、我々の眼から見て価値がある鎧、刀、槍などはもちろん、着ているものもフンドシに至るまで全て剥ぎ取られます。戦国時代の日本は、今の北朝鮮のような「使えるものは全て使う」社会ですから、例えば「戦死者がつけていた、血に染まったフンドシ」でも洗えば価値があるので剥ぎ取られました。地位のある武士が着ていた服は、農民から見れば「超豪華な織物」ですから、血や泥を落として分解すれば高値で売れました。(和服は、縫った部分をほどけば長い反物に戻ります)

3. 農民が徹底的に戦場狩りを行った後、戦死体は、全て丸裸になったでしょう。即ち、冒頭で説明した「クルマに轢かれたタヌキ」と同じ状態です。この状態であれば、後は野生動物が死体を処理してくれたと想像できます。実際、合戦の後の戦場をカラスが徘徊している様子が、当時の手紙か何かで描写されている例があったと思います。

4. 現在も痕跡が残るように、地元の僧侶が穴を掘って死体を埋め、供養したと言う例もあったでしょう。これは、「戦場狩りで大儲けした農民たちが、罪滅ぼしの気持ちで供養を依頼」ということが多かったのではと思われます。

現代の山の中の道を走っていると、タヌキなどの小動物が車に轢かれて死んでいるのを目にするのが珍しくありません。周りに人家もないようなところだと、近所の人が見かねて死体を処理することもないでしょう。保健所などの行政当局が通報(誰の?)を受けて死体を処理するのか?

実際は、タヌキの死体は直ちに他の動物(例:カラス)が寄って来て綺麗に食べてしまうそうです。
参考文献:カラスはどれほど賢いか 都市鳥の適応戦略 中公文庫
http://www.7andy.jp/books/detail?accd=31131995
山の中であれば、...続きを読む

Q戦国時代の部隊編成

現在海外にて居住しております。
先日ちょっとした話題より友人(異国人)と戦国武将の部隊編成の話へと発展しました。
自分でも持っている本などをあさって調べてみましたが、はっきりとした回答を探す事が出来ませんでした。
海外の方に回答するのでなるべく正式な回答を求めております。
ちなみに1万石で騎馬武者が≒22~23騎、戦闘員総人数≒380人、非戦闘員人数≒120人程度と記載されていました。
騎馬隊、槍隊、槍もち、弓鉄砲足軽、歩行侍、中間小者、持小旗、組頭等、複雑すぎて理解し辛いので戦闘員、非戦闘員ともに簡単に説明していただけると大変助かります。
鉄砲隊の編成拡大により基準がずれてしまうと思いますが、どちらの編成でも結構です。
皆様、宜しくお願い申し上げます。

Aベストアンサー

江戸時代の軍役(兵制)について
将軍直属軍である旗本の一例として、5000石の大身旗本の軍役は
主人を含め騎馬武者5騎に従者(馬の口取り、槍持ち、若党、鎧持ち各一人)、槍侍=徒歩(かち)武者10、長刀侍1、槍足軽6、鉄砲足軽5、玉薬箱持ち3、弓足軽3、矢箱持ち2、馬印、旗持ち4、押さえ足軽(手明という)10、ここまで戦闘員。
小荷駄、長持ち運びなど15、替え馬口取り5、茶坊主、弁当持ち、ぞうり取りなど10     総数約100人で50石あたり1人の軍役です。    戦闘員:非戦闘員は約 7:3です。
これは確立された兵制で、戦国時代は大名により、まちまちです。  旧陸軍参謀本部では昔の合戦の研究をしていて、戦国時代は30~50石あたり1人、中をとれば40石あたり1人の軍役と推定していました。   このころの非戦闘員の割合は、江戸の兵制より低く、10~15パーセントでないかと、思います。
江戸も幕末では40パーセント位との、話も聞いています。  兵士も贅沢になっているようです。
一例として、「天正13年上杉氏軍役帳」によると、軍勢100人につき、騎馬武者10、槍65、鉄砲6、旗持ち7、手明12となつているそうです。   小荷駄は不明。

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Q戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ

戦国時代の戦は実際に互いの軍の兵士や武将たちがワーワー叫びながらだだっ広いようなところで敵味方混ざりながら戦っていたんですか?
戦国時代がかかれた映画とかゲームとか見るとそんな感じでかかれていますが

Aベストアンサー

何とも言えませんが・・・そうですね、自然に考えれば戦闘の際は現在の科学戦法と違い、真っ向勝負が基本だった事が「何々合戦図屏風」なんかを見れば、分かります。敵味方入り乱れて背中に自分の軍である幟を背負い目印にし、ワーワーやっていたんだろうという事は想像に難くありません。大声を上げるのは「自分を鼓舞」するのと「相手を威圧」する効果があるので、「おりゃ~」「きさま~」「死ね~」「お前らの負けじゃ~」とか言いながら戦闘してたんでは無いですかねぇ。それが入り混じれば、ワーワーとしか聴こえないので、12noname34さんが疑問に思っている事は正しいと思いますよ。


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