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いくつか国鉄のSLの形式名についてわかりません。

○C11 D51 C62etc.のようにアルファベットの次の数字は、十の位が1、5,6以外はないようですが、なぜでしょうか。

○96、86型については、なぜC、Dの形式名にしないのでしょうか?

A 回答 (4件)

>○96、86型については、なぜC、Dの形式名にしないのでしょうか?



国鉄となる前の鉄道院の時代の1909年に車両形式称号規程が改められ、蒸気機関車は1~9999の4桁を使って形式が付与されるようになりました。

96(9600形)や86(8620形)はその頃に落成したので4桁の形式番号を持っています。

ところが、この当時は蒸気機関車の全盛期で新形式も次々と登場し、また私鉄を国有化した際に編入されて国鉄籍となった旧私鉄機関車にもそれぞれ形式番号を付与しており、4桁形式番号では行き詰まりが見えてきた為(それゆえC51形は18900形という5桁で登場した)、1929年に再び車両形式称号規程が改訂されて現在良く見るCやDを使った形式が使われるようになります。

ただ、この時4桁形式を全て新しい形式番号にしてしまうと非常に手間と費用(1台に4枚ある砲金製のナンバープレートを全車交換しなければならない)がかかること、(4桁番号の新形式化で)新形式番号がまたパンクしてしまうのでは称号規定を改定した意味がなくなること、製造年の古い(=廃車の近い)機関車にまで新しい形式を付与するのは無駄がでることなどから、この改訂時に旧形式から新形式に移ったのは、製造時期が新しい本線旅客用の18900形(C51形)、8200形(C52形)と、製造途中だった9900形(D50形)の3形式のみとなっています。


>○C11 D51 C62etc.のようにアルファベットの次の数字は、十の位が1、5,6以外はないようですが、なぜでしょうか。

上記した1929年の車両形式称号規程では、アルファベットが動軸数を表し、十の位の1~4がタンク機関車、5~9がテンダー機関車を表すようになっています(1の位はどれも0から始める)。

1930年頃には私鉄の国有化も一段落しており、また機関車製造や設計の技術も一定レベルに達していたため(以前は設計・製造技術が未熟だった為に少数輸入機も多く、これが多形式化の一因ともなっていた)、国鉄が設計・量産する機関車はその時点での要求性能を満たす標準機的なものとなっていて、以前ほど多くの形式が登場しなくなっています(その代わりに1形式の両数は昔と比較にならないくらいに増えた)。

また、形式が多いということは保守の手間(保守ノウハウや部品確保等)が増えるうえに、少数多形式は車両運用面でも面倒かつ様々な制約が出るため、形式をなるべく増やさないようにしていたというのもあるでしょう。

そのため、最終形式番号は、タンク機関車のC形はC12、E形はE10、テンダー機関車のC形はC63(ただし、C63は製造直前で計画中止)、D形がD62、と昔と比べると遥かに少ない形式数で終わっているのですね。

ここから余談。

C63を除く十の位が6の機関車は全て改造(もしくは改造名義)で登場したものです。

戦後、旅客輸送が飛躍的に伸びた際に旅客用機関車が必要となったのですが、その当時日本を統治下においていたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)が新しい機関車の製造を一切認めなかった為、窮余の策として、軍需輸送がなくなって余剰気味だったD形貨物機関車のボイラーを使用し、C形の足回りと組み合わせて改造扱いで旅客用機関車として登場したのがC61とC62です。

この2形式は、改造種車(ボイラー提供元)であるD51とD52の1の位を取って、それぞれC61とC62というように形式が付与されました(当時の最終形式はC59だったが、この理由によりC60が飛ばされてC61とC62に付番された)。

また、東海道、山陽のような重幹線へのC62の配置と電化により、余剰となった重幹線専用機C59を地方幹線で使えるように軸重軽減改造を行なったものがC60です。(C61、C62登場時に飛ばされた60の番号を使用した)

電化の進展によって幹線の蒸気機関車が余剰となるのは貨物用機関車も同様で、これらは地方線区で老朽化が進んでいた9600形等の置換え用として軸重軽減化改造が施され、D50、D51、D52形がそれぞれD60、D61、D62という新形式で登場しています。
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この回答へのお礼

よくわかりました。長文ありがとうございます!非常に勉強になりました。形式の変更がそのまま不連続的に行われたということが違和感の原因だったのです。テンダタンクの形式名もはっきりしました。

余談のほうもいい知識を得られました。GHQは予想以上にうるさいですね。

お礼日時:2009/01/13 21:52

タンク機関車 B10、B20


C10から始まってC12まで
テンダー機関車 B50、C50からC59まで、D50からD52で
改造車としてC60~C62、D60~D62
それ以降新形式がない。
番号の飛んでいるB20は戦時標準規格の乙B20をそのまま形式としたもの。

8620,9600形式
形式の命名が改正される前に製造されたものは改番せずそのままとした(形式が多すぎる)、ただし新製途中の形式は改番 9900→D50,18900→C51 8200改造→C52
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この回答へのお礼

タンク式は30番台、テンダー式は70番台まで登場しなかったと言うことがよくわかりました。8900から新形式に行くときの連続性もわかりました。

お礼日時:2009/01/13 21:47

>○96、86型については、なぜC、Dの形式名にしないのでしょうか?



しないのではなく、こっちのほうが古い決め方なんです。

この時期の形式称号は基本的には「1~がタンク機関車」「5000~が
テンダ機関車」という形式の決め方で、8000~が3軸駆動(C型)、
9000~が4軸駆動(D型)だったんで、8620、9600という番号になった
んです。当然8200型とか9500型とかもあったんですよ。

でも、8000番台が8900型(後のC52型)で行き詰まり、次の新形式を
18900型(後のC51型)にせざるを得なくなった時点で、形式称号を
変えたんです。

同じような形式称号の切り替えは電車でもあって、80系まで行って行き
詰まり、新形式なのに番号を逆戻りして20系(後の151系)にせざるを
得なくなった時点で、3桁の形式称号に変えたんですね。

>○C11 D51 C62etc.のようにアルファベットの次の数字
>は、十の位が1、5,6以外はないようですが、なぜでしょうか。

単純に、そこまで登場しなかっただけです。別に制限を加えている訳
ではないのですが・・・。

ただ、この手の形式称号の行き詰まりってのは頻繁に発生することでも
あって、新幹線でも既に九州新幹線の800系で頭打ちになっているために
新形式なのに無理やり700番台に突っ込んだN700系、600系になるはず
だったのに、それを見越してE1系にしたJR東日本、70~の交流用機関車
の行き詰まりを見越したのか、新形式は全部3桁にしちゃったJR貨物
とか、まあ、色々あってゴチャゴチャしてます。
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この回答へのお礼

途中で変わったんですね。その歴史がよくわかりました。30番台、70番大は登場しなかった、それがよくわかりました。

お礼日時:2009/01/13 21:45

wipediaに詳細があります


4桁は1909年以前の付けかた
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%84% …
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この回答へのお礼

よくわかりました。ありがとうございます。

お礼日時:2009/01/13 21:43

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