出産前後の痔にはご注意!

バイト先の人に「幸福の王子」の話を教えてもらいました(Wikipediaに載っている程度に簡単に)。
この話はキリスト教に関連していると聞いたのですが、ではこの「王子」と「つばめ」はそれぞれ何を表しているのかなと、ふと疑問に思いました。
キリスト教と言ったら「神は無償の愛をくれる」くらいのイメージしかないので、「じゃあ無償の愛を配っている幸福の王子=神で、王子のために働いたつばめ=キリストなのかな?」と思いきや、よく考えたら神は話に登場しているしで、よくわかりません。
幸福の王子とつばめは、それぞれ何を表しているのでしょうか?

A 回答 (8件)

王子はイエス・キリストのことです。


イエスは、人々の苦しみをいやし、人々と共に自らも苦しまれ、最後には、理解できない民衆にはりつけにされ死にました。
我々にはツバメの生き方ができるのか、という問いです。我々も見返りを求めず献身的に人に優しく接することができるのだろうか、ということです。現実的な我々の多くは、何も知らず、外見やみえばかり気にするだけで、ツバメや王子の行為を最後まで気づくことはありません。
神は結局ツバメを人知れず良しとされ、ツバメは天国で幸福に暮らします。我々は民衆をとるか、それとも王子とそれを助けるツバメのほうを選ぶか、どちらを選択するかを問うているわけです。そして本当の幸せってなんだろうか、を問うているわけです。
この話の批判として「この二人は自己満足なだけじゃん」といわれたりします。それについては、人生は満足を得られるかどうかです。例えばカネの亡者は、億万長者でも、満足を得られずただ、渇望して、幸福感を得られることはありません。仏教ではこれを餓鬼といいます。そして禅では人生の幸福について「吾唯知足(われ、ただたるをしるのみ。4つとも口が入っている漢字。満足を得るということは究極に難しいが究極な目標ということです)。
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この回答へのお礼

やはりイエス・キリストのことですか。そうじゃないかなとは思いましたが、いまいち自信がなかったんです。
ツバメのことはちょっと考えさせられますね。

お礼日時:2009/01/11 10:02

>幸福の王子とつばめは、それぞれ何を表わしているのでしょうか?



「他者への無償の愛を貫いた自己犠牲の末の死」こそ、この世で最も美しいものとワイルドは表現したかったのかもしれません。
その最たるものはキリストと彼の使徒と象徴づけることが出来ますし、また、気高く清らかな信念を持った市井の人々ともみなすことが出来るでしょう。

かつて私が幼心に想像力をかき立てられたのは、黄金にサファイアや真っ赤なルビーをちりばめたかつての壮麗な姿以上に、素をさらけ出した無防備な王子の姿態。
力尽きたアンニュイなつばめ。そして一途に献身し尽くした王子のハートが真っ二つに割れてしまう、といった大変に残酷で無常とも思える箇所です。
大人になった今も、死をも厭わぬ自己犠牲の果ての死と沈黙からはえも言われぬ退廃的な香りを感じるのです。

そしてかつての王子の美しさを誇りに思い褒め称えていた人々。
何故彼等は心無い人々の酷い仕打ちを黙認しえたのか、大変不思議でした。
結局のところ、王子とつばめの「熱い想い」と「物質的な自己犠牲」はどれほど他者に心通じたのか。
涙ぐみながら読みつつも、彼等の急進的かつストイックな献身ぶりに半ば呆れ滑稽にさえ思えたりもしました。

損得勘定一切無しの「無償の愛」というのものがいかにこの世で崇高で美しくあろうとも。
それを具現化するということはいかに困難なものであるかといった強烈なアイロニーを大人になった今も私は自分の内に感じてしまうのです。
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この回答へのお礼

そうだとしたら、何も死ぬまで自己犠牲を貫かなくても・・・と、ちょっと思ってしまいますね。
確かに、言われてみればアイロニーを感じてしまいます。

お礼日時:2009/01/11 10:31

王子は優しく、何も悪いことをした覚えがなくても自由を選ぶなら罪を背負い歩まねばならぬ人生を象徴しているのではないかと思います。



優しさ、思い遣りがあることは人間の原罰で、同胞と共生するためともいえるでしょう。
王子の動かせぬ体でありながら、生きた心が同胞を生かし、ツバメも生き生き、疑問に飲み込まれることなく自由に生きたのです。
しない自由(フリーダム)よりする自由(リバティ)を持っていてその種を播いた人。かななんて。
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この回答へのお礼

王子は罪を背負っていたのでしょうか?罪を背負っていたようには思えないのですが・・・。あくまで自己犠牲による無償の愛のように思えます。

お礼日時:2009/01/11 10:27

No.5ですが、下記の通りに訂正させていただきます。



(誤)「王子」も「つばめ」も《キリスト》を象徴している

(正)「王子」は《キリスト》を、「つばめ」はその忠実な弟子をそれぞれ象徴している
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この回答へのお礼

すみません、馬鹿なので「ということで」の上の話がなぜ王子=キリスト、つばめ=弟子の説明になっているのかよくわかりませんでした・・・。
でも王子=キリスト、つばめ=弟子というのには大方賛成です。つばめ=キリスト教徒かなとも思いましたが、キリストの弟子と限定した方がいいかもしれませんね。

お礼日時:2009/01/11 10:25

>この話はキリスト教に関連していると聞いたのですが、ではこの「王子」と「つばめ」はそれぞれ何を表しているのかなと、ふと疑問に思いました。



確かに、王子とツバメとが貧しい人々への愛のために自己犠牲をも厭わなかったという内容の童話です。
作者ワイルドは、これに類した佳品として、「わがままな大男」という心温まる童話も書いております。

ところが、ワイルドには、乙女に恋する学生の願いを叶えてやるべく、夜啼鳥が自らの生命を犠牲にして「赤い薔薇」を咲かせたのに、その犠牲が全く報われずに終わるという、強烈な皮肉の毒のきいた童話?もあります。

要するに、このワイルドという作家・劇作家・批評家は、19世紀末の唯美主義、デカダン芸術を代表するだけに、地獄と天国との両世界に二股かけて生きた男だったのだとご理解下さい。
ですから、「幸福の王子」にしても、いかにもワイルドらしく、結末近くには、市長・議員・美学者といった俗物どもを揶揄したエピソードが挿入されております。

ただし、ワイルドの息子ビビアンの回顧談によると、父親は幼い息子たちに自作の童話を涙ながらに語って聞かせたということだったようです。

>幸福の王子とつばめは、それぞれ何を表しているのでしょうか?

ということで、「王子」も「つばめ」も《キリスト》を象徴していると思います。
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いや、バイト先のご友人は実に洞察鋭い方ですね。


確かにこの話はキリスト教に関連しているようです。

  無償の愛を与えれば与えるほど、
  金箔が剥がれ落ちてゆくのが見えますよ

というオスカー・ワイルドならではのジョークともとれます。
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この回答へのお礼

彼はミッション系の大学に通っていて(無宗教ですが)、その必修のキリスト教関連の授業で聞いた話だそうです。
私も無宗教ですが、なんとなく興味をひかれる話でした。

お礼日時:2009/01/11 10:20

「王子」=豊かな者=上から恵む・施すもの


「つばめ」=賛同者、使者(使徒)
という構図なのでしょうね。やさしさやおもいやりは評価できるのですが。

当初、「王子」も「つばめ」も、全く、キリスト的でありません。

キリストは、抑圧される者と同じ目線で、同じ境遇にいたのであって、
特権的な余裕のある暮らしに安住しつつ、恵んだり、施したりしてやっているんだということではないはずです。

ですから、「王子」は、慈善活動をしてやってるぞ側の象徴であり、
「つばめ」は、その活動を手伝って振り回されてる側の象徴です。

そして、慈善活動できなくなったとき、無残にも像は捨て去られ、ツバメは息絶えていたわけで、
すべてを失い、抑圧されている者たちと同じ境遇になった時、
初めて神様の救済を知るという点が重要なわけです。

つまり、本当の自立支援や救済とは何かをそれぞれ考える教材です。
施し礼賛では、ないはずです。
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この回答へのお礼

>「王子」は、慈善活動をしてやってるぞ側の象徴であり、「つばめ」は、その活動を手伝って振り回されてる側の象徴です。
う~ん、ちょっと自分とはイメージが違いますね。これだとなんかイメージが良くないというか・・・。
オスカー・ワイルドは無償の愛についての話を書いたのではないでしょうか?王子のしていることは明らかに無償の愛に基づいていると思いますし。
調べてみたらワイルドはプロテスタントの家庭に生まれたみたいなので、キリスト教の考え方の1つである無償の愛について書きたかったんじゃないかと思うんです。なんか言いたいことが上手く文章にできませんが・・・。

お礼日時:2009/01/11 10:18

>ではこの「王子」と「つばめ」はそれぞれ何を表しているのかなと



うーーん、近い人なら、仏陀でしょうか。


幸福な王子は、高貴な生まれで生前、物質的な幸福な世界に生まれて死んだわけです。

物質的な幸福の象徴が幸福な王子の像になり、物質的な幸福の偶像として、建てられたわけです。


生前、物質的な幸福の世界にいたが、死後、自分がいたときとは違う外の世界に像は建てられ、別の世界を知ることになった。


仏陀は王族に生まれたわけですが、出家して俗世界に身を置くきっかけも、もしかして、外の世界を知ったからかもしれないし、マザーテレサも修道女として教会内で生活していたのですが、キリスト教会の外にはたくさんの貧しい人々がいるが、キリスト教会はそれら貧しい人々に見向きもしないことに心を痛めて、教会の外に出ることを決心し、それに対して教会は「(幸福なこの世界を)出てもいいが、一切手助けはしないぞ」と言い、それでも出ると、テレサは教会を出た。

教会内に立てこもり、外の世界に興味を持たなければ、教会内で蝶よ花よと浮世離れした能天気な一生を終えることができたものを。

キリスト教会は、外の世界の悲惨さを知っていながら、神から罰を受けた人々とでも思ったのか、慈悲の心を起こす人は全くいなかった。
例外はテレサ。
波風を立てるとんでも野郎のテレサが懲りて、教会に戻りたいと言っても、見せしめのために、許すものかって感じでしょうか。
ところが、テレサは悲鳴を上げずに、こなしていき、逆にキリスト教の方が、「我々キリスト教が、貧しい人々を救済するために、テレサを派遣したんです。我々がやっているんです 我々が!」と布教の宣伝にちゃっかり使ってしまった。
そして、こりゃ おいしいと思い、テレサに協力すれば徳になると思って、テレサに援助をするようになったらしいです。


そういえば、ユダヤ教も、10分の1税をローマ帝国各地のイスラエル人から徴収しており、神殿の宝物庫に一旦ためて、人々の暮らしに役立てていたようです。
それをローマ帝国から派遣された提督がネコババしたことで、とうとう怒りが爆発して、ローマ帝国と戦争することになったわけですね。

ローマ帝国は神殿を破壊し、兵士は宝物庫から金銀財宝を奪ったため
、一時期ローマ帝国内の金の価格は下落したそうです。



さて、外の世界を知った王子ですが、体が動かない。
それで暖かい国に渡る途中のツバメに代理で自分が持っている物質的な幸福を、そうではない一部の人に分けてやることにしたわけです。


ある秘密結社の理念は、<恵まれた人は恵まれない人を助ける義務がある> です。
その理念に添って慈愛として、炊き出しとか恵まれない人が餓死しないですむような施設の運営とかしているようです。


王子はただ、物質的に貧しいために不幸になっている人を見ていられず、手足となって働いてくれるツバメを利用したわけです。
ツバメも、自分の話を聞いてくれる王子に気をよくして、協力した。

王子は、あまりにも幸福ボケしていたため、ツバメが疲労するということに気づかなかった。
あれだけ南の暖かい国の話をしたのに、ツバメは寒いところでは住めないから、自分の満足の達成の犠牲にするわけにはいかない 早く飛びたて、そしてまた帰って来い ということまで思考が回らなかった。


悲劇ですね。

物質的豊かさが、幸福の尺度だと思っていた王子。
その王子の心の満足度をあげるために使われたツバメ。

これは、、、、
仏陀とは違う。

誰でしょうね 物質的に幸福だと人は幸福感を増大させると説いた人。


ツバメ、、、これはもう悲劇としかいいようがない。
が、しいていえば天使かな?

西洋の神は不動の動とされ、不動なものが力を発揮するための仲介者が天使とされ、天使が派遣されるとされる。

聖書でも、何かあると、天使が登場します。
アブラハムに子供を授けたのも天使、ソゾムを崩壊させたのも天使、ヤコブと戦ったのも天使、マリアに子供を授かると伝えに来たのも天子。
せっせと神の祝福を届けていたのは全部天使。

ということで、幸福な王子=神、ツバメ=天使 という図式になりますね。

じゃあ 天使はパシリとして使い捨てにされるだけで、かわいそうじゃないか?
いえ、愛です 愛。
天使は燃えるように神を愛していることになっており、盲目的に神を愛しているので、たとえ神の自己満足のパシリにされ使い捨てされようと、天使は幸福のままなんです。
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この回答へのお礼

すみません、仏陀やテレサの話がなぜ引き合いに出されたのか、よくわかりませんでした・・・。
幸福な王子=神。ツバメ=天使というのは個人的にはちょっと違うかな?と思います。
死んだしまった王子とツバメを、神が天使に命令して天国に連れてこさせたのですから・・・。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/11 10:08

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・コリア系の帰化人には
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『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで韓国併合政策により在日朝鮮人はもとより、朝鮮半島にいる朝鮮人まですべて大日本帝国臣民扱いで法律上、外国籍ではなかった(両者とも本籍は半島にある)。
昭和20年の終戦を迎え在日の多くは半島に帰国しましたが、日本に残ったり、また朝鮮から戻ってくる人達もおりました。
明治時代から昭和26年までの間に朝鮮より日本へ渡って来た朝鮮人達は昭和27年にそれまであった日本の国籍を失って正式に外国籍となる。そして、在日朝鮮人の日本国への帰化が始まったのも昭和27年。

古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
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真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠れする方みたいですが、伝統を破るほどの革新的な王子ではないそうです。

ダイアナは正直、自分の言いたい事を言う、好きな時に好きなことを楽しみといった自由人で強く、暖かい人情のある方だったそうです。
しかし一般的な母性はあるとしても極端に甘えさせてくれるなどの懐の深さはなかったようです。

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伝統や格式を担う公人としては適役と思われます。

そして問題なのが、公人としてダイアナを妃にした事としかしダイアナは公人としてでは無く私人として愛して欲しかった事です。
ダイアナは彼を変えられると幻想を抱いてたのかもしれません。
ダイアナは言いたい事を言う性格ですので、キレて文句を言う日々が続いたのかもしれません。
しかし、チャールズはグッと考え込んで大事な事だけ発言するタイプです。
ですから元々の性格は真逆だったと思われます。
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そして最大の彼女の魅力は強い母性愛です。
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長くなりましたが、カミラとダイアナでは性格が真逆であることは一番の原因だったのではないでしょうか?
ただ、誰が悪いとかでは無いと思います。

私も最初は否定派でしたが、現在はお二人の関係を暖かく見守って差し上げたい様な心情です。

真面目に答えます・・・。

カミラの曾祖母はエドワード7世(イギリス国王)の長年の公妾にして最愛の女性であるそうです。
そして更に遡ればリッチモンド公爵チャールズ・レノックスの血筋だとも言われてます。

充分に王妃としての素質はあったように思います。

ダイアナと結婚以前からカミラとは関係があったようです。(すでに最愛の人だったみたいですね)
何故、カミラを最初に王妃にしなかったのかまでは王室の事ですので分かりません。
ただ、チャールズ皇太子は伝統に対して抵抗したがるところが見え隠...続きを読む

Q黒髪、焦げ茶髪のbrunet(ブルネット)って日本人でも使いますか?

私はよく黒髪のことをカタカナ言葉のようにbrunetと読んでいます。

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Aベストアンサー

アメリカに35年ほど住んでいる者です。

まず、blonde と言う単語ですが、eが付いたりつかなかったりしますが、ここアメリカではeをつけるのが普通となっています.

そして、そのブロンドの殆んどの地毛はブルネットなんですね. (子供の頃はブロンドでバービーのような毛であっても、十代になると色が変わってきます) でもそのような、染めたブロンドの人の事をなんて言うかというと、ブロンドの色であれば、ブロンド、と言うんですね. Natual blondeとbleached blondeの違い、となるわけですね. (マリリン/モンローは後者になります)

ただ、こちらでは、髪毛の色の名前はたくさんありますので、それによって、「いつも」同じ色の髪の毛の色を言います. dark blonde, light brown, brown, brunet等のように、色が濃くなります.

また、burnetといって、dark brownからbrownish blackまで含めた色合いもまとめていってしまう事があります. (このときは、髪の毛の色は4種となります、 blonde, brunet/brown, red, black)

こちらでは、この地毛と染めた色の事が普通に分かっていますので、運転免許書、ないし、パスポートでも、地毛ではなく、いつもの髪の毛、と言う事で、表記しています.

また、最近では、東洋人も染めますので、brunetと言う言い方で、ダークブラウンに染めていれば、その色の髪の毛をしている、と言うようになってきています. (I'm a brunet but the real hair color is black、と言う具合ですね)

よって、日本では既に髪の毛を染める、と言う事が普通になってきていますので、いつもの自分の髪の毛の色(地毛とは限らず)を言ってもいいと思いますよ. つまり、I'm a brunet. My hair color is brunet. I dye my hair brunet.と言うような感じですね.

また、日本女性の染めているダークブラウンはblack hairとはいえませんね. ですから、brunetのほうが自然なかんじです。

これでいいでしょうか。 分からない点がありましたら、補足質問してください。

アメリカに35年ほど住んでいる者です。

まず、blonde と言う単語ですが、eが付いたりつかなかったりしますが、ここアメリカではeをつけるのが普通となっています.

そして、そのブロンドの殆んどの地毛はブルネットなんですね. (子供の頃はブロンドでバービーのような毛であっても、十代になると色が変わってきます) でもそのような、染めたブロンドの人の事をなんて言うかというと、ブロンドの色であれば、ブロンド、と言うんですね. Natual blondeとbleached blondeの違い、となるわけですね. (マ...続きを読む

Q映画を観る? 見る

映画館へ映画をみにいくと
時に
見る 観る どっちが正しいですか?
それともどちらも正解ですか

Aベストアンサー

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イタリアン料理で
よくアンチョンビを使われますが
これは何でしょうか?
どんな味がするのですか?
スーパーで売っているのですか?
よろしくお願いします。

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ちなみにこんな感じです。

http://www.kenko.com/product/item/itm_6511879072.html

参考URL:http://www.kenko.com/product/item/itm_6511879072.html

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「人間は考える葦である」とはどういう意味なのでしょう? また誰の言葉なのでしょう? 簡単な質問ですみません。 よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去しました。
  
  残された膨大なメモを元に、パスカルが計画していた著作に似たものを編集することも考えられたのですが、とても、それは無理なので、断片集として、計画のまとまりや、内容の関連性などから、おおまかに断片メモを整理してまとめて、一冊の本に編集したのが、『パンセー』です。当然、パスカルの死後出版されましたし、内容は、緩やかなつながりで、長短の断片文章が並んでいる構成です。従って、本のなかの文章はパスカルのものですが、本は、パスカルの「著作」とはちょっと云えないでしょう。ほとんどできあがっていて、足りない部分などを、他の文章で補ったりして、計画通りかそれに近い本を作ったのならともかく、当初の計画とは違う、「箴言集」か「随想集」のような本になってしまっていますから。
  
  それはとまれ、「葦」が弱いものの代表として人間の比喩に取り上げられているのは事実ですが、何故「葦」だったのか、という疑問が起こります。例えば、「人間は考える蟻である」とか、「人間は考える蝶である」とか、また「人間は考えるクローヴァーである」とか、幾らでも考えられます。
  
  これは、誰かの説明であったのか、わたしが勝手に考えたのか記憶がはっきりしないのですが(おそらく誰かの説明です)、人間が「葦」であるということの比喩は、ナイルの河畔に生える葦は、強い風が吹くと、弱いために、すぐしなって曲がってします。風に抵抗できない。いや抵抗せずに、しなって敗北するのである。しかし、その他方で、偉大な樫の樹などは、風が吹くと、しなることはせず、抵抗するので風に勝利するが、しかし、繰り返し風が襲って来た時、何時か強い風に倒され、根元から折れてしまうのです。しかし、賢明に自らの分を知る「葦」は、風が吹くとそれに身をまかせてしなり、逆境のなかで、一見屈服したように見えるが、しかし、風がやむと、徐々に身を起こして行き、再びもとのなにごともない姿に戻って微風に揺れているということが、人間への「比喩」の意味だったはずです。
  
  少しの風が吹くとしなり、風の前屈して曲がるが、風が去ると、また元のように立ち上がる。人間とはこのように、自然や運命の暴威に対し無力であるが、それに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずからの姿で立ち上がる。自然界のなかでたいへん弱く、簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない。そして何よりも、「考えることができる」すなわち「精神を持つ」ことで、ただ、自然の力、暴威として、力を無自覚に揮う風に較べて、遙かに賢明で、優れた存在である。……このような意味の比喩ではなかったかと思います。
  
  この葦の比喩は、パスカルという人がどういう人だったかを知ると、パスカル自身のことのようにも思えて来ます。パスカルは、四十に満たないで亡くなっています。彼は、少年の頃から神童と言われたのですが、病弱で、一生、病気や身体の苦痛とたたかいながら、思索し実験し、研究し、晩年は、修道院に入って信仰生活を送ることを決意して、自分自身でも、そのことについて、悩み考えつつ、世を去りました。パスカルは、自分に襲いかかる不条理な病や、身体の不調などと、「たたかう」というより、それを受けて耐え、病の苦しみのなかで思索や研究を続け、「精神」において、自然が与えた病の暴威などを、乗り越えて生涯を送った人だとも云えるのです。
  
  暖めた流動食でないと、喉を通らないというようなこともしばしばあったということは、解説書などには必ず記されているはずです。弱々しい「葦」のように、襲って来る風に身をまかせつつ、思索した精神、それがパスカルなのでしょう。パスカルは「人間とは、運命に従順であるが、しかし、精神で、運命に抵抗し、不屈の意志で、思索することで、運命や自然の暴威を乗り越える自由の存在なのだ」という意味で、この言葉を記したのではないかとも、思えるのです。
  

 
  「人間は考える葦である」というのは、フランスの17世紀の思想家・数学者であったブレーズ・パスカルの手稿にあった言葉の翻訳です。普通、『パンセー Pensee(思索)』という著作のなかの言葉だとされますが、『パンセー』はパスカルの著作ではありません。パスカルは、もっと系統的に、人間、世界、神の秩序や矛盾などを考察した、体系的な浩瀚な著作を著すことを計画していて、そのメモを多数書いたのですが、構想が難しかったのか、または若くしてなくなった為か、計画した著作を完成させずに死去し...続きを読む

Q四次元というのはどんな世界ですか?

そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?
三次元の世界とは縦横高さのある空間の世界だと思います。
これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?
我々の世界にも時間があるので、四次元といってもいいのでしょうか?
それとも四次元とは時間とは無関係の世界なのでしょうか?
あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタインでした。
 彼は、リーマンという数学者が作った、
曲がった空間の幾何学(現在リーマン
幾何学と呼ばれています)を使い、4次元の
空間が歪むという状態と、重力や光の運動を
あわせて説明したんです。これが相対性理論。

>これに時間の概念を足せば四次元になるのでしょうか?

 物理学的にはそうです。

 相対性理論の話に関連付けて説明するとこんな感じです。
例えば、下敷きの板のような平面的なもの(数学的には
これを2次元空間と言ったりします)を曲げると
いう動作を考えてみて下さい。下敷きに絵が書いて
あったとして、曲げながらそれを真上から見て
いると、絵は歪んで見えます。平面的に見て
いても下敷きという2次元空間が歪んでいる
ことが感じ取れます。
 2次元的(縦と横しかない)な存在である下敷きが
歪むには、それ以外の方向(この場合だと高さ方向
ですが)が必要です。

 19世紀に、電気や磁気の研究をしていた学者たちが、
今は小学校でもやる砂鉄の実験(紙の上に砂鉄をばら撒いて
下から磁石をあてると、砂鉄が模様を描くというやつです)
を電磁石でやっていたときに、これは空間の歪みが
原因ではないかと直感したんです。
 電磁石の強さを変えると、砂鉄の模様が変化します。
これを砂鉄が動いたと考えず、砂鉄が存在して
いる空間の歪みが変化したのでは?と考えたんです。

 3次元の空間がもう1つ別な方向に曲がる。
その方向とは時間という方向だということを
証明したのが、相対性理論だったんです。


>あるいは時間と空間を自由に行き来できるのが四次元なのでしょうか?

 4つ目の方向である時間は、存在していても
その方向に、人間が自由には移動する方法は
現在ありません。時間方向を自由に動ける機械と
いうのは、タイムマシーンのことなんですが。

 日常生活を考えてみたとき、縦、横といった
方向は割りと自由に動けます。1時間ちょっと
歩けば4kmくらい楽に移動できますが、
道路の真中で、ここから高さ方向に
4km移動しろと言われたら、人力だけでは
まず無理でしょう。
 飛行機やロケットといった道具が必要と
なります。
 時間方向というのは、このように存在していても
現在のところ自由に移動できない方向なんです。

 例えば、人間がエレベーターの床のような
平面的な世界に生きているとしましょう。

 この場合、高さ方向を時間と考えて下さい。

 エレベーターは勝手に下降しているんです。
この状態が、人間の運動と関係なく、時間が
経過していく仕組みです。

 人間もほんの少し、ジャンプして高さ
方向の移動に変化をつけることができます。

 同様に時間もほんの少しなら変化をつける
ことができます。

 エレベーターの中で、ジャンプすると
ほんの少し下降を遅らせることができる
ように、時間もほんの少し遅らせることは
できるんです。




 

>そもそも我々の住んでいる世界は三次元ですか、四次元ですか?

4次元であると考えると都合がいいというのが
現段階の結論です。

 100年ほど前、スイスのチューリッヒ工科大学
のミンコフスキー教授が物理学的な4次元の理論というのを
考えました。物理的な計算をするのに、縦、横、高さ
方向以外にもう1つ方向があるとして計算すると
うまく計算できることがあるというもので、
彼の教え子の一人が、4次元時空の理論と
して有名な相対性理論を完成させた、アルバート・
アインシュタイン...続きを読む


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