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自分は自己顕示欲が強いほうだと思います。

現在イギリスで働いているのですが、自分の行動を自己顕示欲と見るべきなのか、自己主張と見るべきなのか考えています。
特に具体例はないのですが、自分の行動を自己顕示欲として捉え、謙虚に生きてしまうと、外人は自己主張がうまいので、ましては海外は文化の違いからか、自己主張ができないと伝わらない部分が多々ある気がするので、自己を確立できないというか、不利に生きることを余儀なくされてしまう気がします。

たぶんその境は明確ではなく、ましては自分で判断できるものでもなく、他人がどう感じるかで決まるものなのかもしれませんが、なんとなくその定義が分かると、自分の中での判断材料になると考えています。

それから、こういったことが起こるのは、自分の生活している範囲がとても限られてしまっているから起こるものなのでしょうか?
価値観の多様性が認識不足になっていることや、その範囲の中で自分を満たそうとしているなどが原因となって、視野が狭くなってしまっていることも原因のひとつでしょうか?

なんだかまとまりのない文章になってしまいましたが、ぜひ皆さんのご意見を聞かせてください。
よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

まず思ったのは、自己主張の内心と方法に過剰に囚われると、肝心の目的を失うことになりかねないということです。

価値観の多様性なんて本で読んだり、海外旅行の観光程度で体得できる代物ではないように思います。

こういうことは、お仕事でも日常生活でも実践して初めて
培われることであって、その点、日本にいる人達よりも、ご質問者様の方が鮮烈な現実に身を置かれていて、その環境が整っているのではないでしょうか。
マイナス思考を奨めているのではありませんけど
具体的な出来事において、失敗や後悔があるなら、
次は具体的にどうするか・・・の積み重ねがご質問者様を
育てるに違いありません。

>自分の中での判断材料になると考えています。
自己主張ができたかどうかの判断は、自分でもなく、他人でもなく
常に結果によって決まります。
日常生活や他人にどう思われているかは、基本的に関係はありません。
とはいえ、こちらも重要な面があるわけで、こちらは、まさに実践あるのみでしょう。抽象的に考えても、やるときは結局、発言なり、行動なり具体的なことになりますよね。

そういうご経験ができることを羨ましく思いますし、是非日本人の良い部分を発揮なさりご活躍ください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
おっしゃられる通り、基準はひとつではないのかもしれませんね。
人それぞれの養われた経験や知識から、それぞれが導き出すものであって、達成することもないだろうし、人生ずーと繰り返していく作業かもしれませんね。
少しずつ何かを変えながら、自分にとって、良いフィーリングが得られる周りの感興との関係を模索することあがいてみます。

お礼日時:2009/01/17 10:03

いろいろな考え方があると思いますが、自己顕示は自分の存在をほかの人に示すのが主な目的であるのに反し、自己主張のほうは自己を主張するというよりも主張の内容の方に重点が置かれているのではないでしょうか。

ただ自己主張の方も単に意見を述べるというよりは自分の存在も一緒に示そうとしているいう面もあると思います。そういう意味ではあまり違わないのかもしれないと思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かにおっしゃられる通りかもしれません。
重みとなると、やはり境はないということですよね。
…難しい。

でもなんだか
>そういう意味であまり違わないかもしれない
という部分を読んで、そうだとしたら、あまり悩んでも仕方ないのかなと思い始めました。

ただ、自分が独りよがりな、他人を思いやれない人間にはなりたくないので、この機会にもう少しいろいろ考えたいと思います。

お礼日時:2009/01/16 10:20

自己主張は動詞的な意味合いが強いと思います。


自己顕示欲は、言葉の通り、欲求であると思うので、心理を表していると思います。
自己顕示欲があるために自己主張をするのような表現も可能だと思います。

で。

自己主張は、自己の考えを主張することであり、自分が周囲からどのように見られるかという事とは関係ないと思います。
「私は~をやりたくない。」とか「その考え方は違う、こうだ!」のような発言や行動は自己主張と言えると思います。

自己顕示(自己顕示欲ではなく)というのは、自分を目立たせたり、周囲に良く見せるための行動を全般を表すのではないかと思います。
才能のある所を人に認めてもらいたくって起こすような行動や発言は、自己顕示といえると思います。

と私なりに考えるわけですけど。
このように、言葉の意味を明確にして、自分がどっち寄りなのか考えてみるとよろしいのではないかと思います。
参考になりますでしょうか。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、私にも分かりやすい定義の仕方です。
自己主張の裏に自分を良く見せたい気持ちがあるかないかということですよね。

逆に言えば、自己主張の裏に相手を思いやる気持ちを持たせることも可能ということですよね。
そうなると、自分のそのときにおかれている状況で、どう発言・行動すべきかを判断する必要があるのでしょうね。

自分は英語がまだまだなので、ましてやその表現から相手の感情まで読み取るなんてもってのほかで、心に余裕というか遊び心がなくなってしまっているのかもしれませんね。

お礼日時:2009/01/16 09:52

>外人は自己主張がうまいので


というよりも、プライドが高いんです。だから

この回答への補足

回答ありがとうございます。
プライドが高いですか…その定義が難しいですね。
固定観念ですが、日本人でプライドが高い人は、自分を格付けして、それに見合わない人に対しては、足蹴?に扱うイメージがあるのですが、外人の同僚に対してそういったことを感じたことはまったくありません。
ただ、共同でしていた仕事なのに、なぜか出来上がったものを自分がしたこととして、上司に言ったりはします。
そうやって世の中は成り立っているものとして見ることもできるのですが、思うところ彼らはそういった社会で生きてきたので慣れているというか、本能に近いところでしている気がします。
だから逆に自分がそれと同じように行動しても、意図的にしているので、本当にこれで良いのかと罪悪感というか、後少し落ち込んでしまいます。

補足日時:2009/01/16 09:26
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Q自己実現欲と承認欲の違い

はじめまして。

マズローの欲求5段階説についての疑問です。

承認欲…低いレベルの尊重欲求は、他者からの尊敬、地位への渇望、名声、利権、注目
     …高いレベルの尊重欲求は、自己尊重感、技術や能力の習得、自己信頼感、自立性
(wikipediaより)

とあり、他者と比較して相対的に自分がどうか、というところに承認欲があると捉えました。

自己実現欲について、どのようなものかがいまいちわかりません。
今のところ私が思う「自己実現欲」とは自分の能力を活かしきること、と考えています。


自己実現欲と承認欲の違いについて詳しく教えてください。

Aベストアンサー

独りよがりでは結局満足しないのが人間なので、
他人に認められたい、尊敬され褒め称えられたいと
願う欲求、と捉える限り、承認欲と自己実現欲は
切っても切れない裏表の様にも思えますね。

でも、別な視点から見ると、つまりその欲求が
満たされるかどうか、という尺度で見てみると、
一過性の欲望充足と、継続的な充足の二極に
これらの欲求を配置し直すことができます。

例えば、ミュージシャンとしてステージで好演し、
観客を沸かせば熱い充足感が得られます。
俺は唯一無二の存在だ、皆が俺に熱狂している。
それは心を奪うことだ、心を奪って俺のソウルを
体いっぱいに満たしてやるることだ。
セックスで女を忘我の境地に連れて行き、俺で
身体も心も一杯にしてやるのと同じ征服感が
ある。

そう言い切った人もいます。 ま、一理ある。

でも、コンサートが終わり、次の朝になれば
聴衆は現実世界に戻り、日常生活に戻る。
そこには、会社にも行かず熱狂したりボーッと
したりする人はほとんどいない。

ミュージシャンもそれを痛いほど知っているから
継続的にファンでいて欲しいと願う。
レコードを出したい、売れたいと望む。

ワンステージである日ある時、或いは会話の中の
一瞬でも、他人に認めてもらいたいという承認欲は
花火の様にすぐ消えてしまうけれど、これを継続的に
いつも満たし続けようとするのが自己実現欲、とも
言えないでしょうか。

ワンステージを沸かす、から売れる、そして売れ続ける
スターになりたい。 地位も名声も金も、その威光が
及ぶ範囲も大きく拡大し、ゆえに揺るぎない立場を
手に入れた、ということになる。

これが「実現」した状態。

階段状にステップアップしていくサクセスストーリーの
中で、坂を上る手懸り足がかりにするのが承認欲。
そうして這い上がった平地に立つことが自己実現欲。

それぞれの充足を手応え、踏ん張り応えと捉えれば、
すっきりするように思うのです。

承認欲と自己実現欲を対立せぬまでも区別して
考えるべき、相容れぬものと捉えるといくら考えても
矛盾を生んで悩むことになりますが、同じ欲求が表出
する際の、サイズの違いだったりレベル差として、
基本的に同じものの見せる面の違いと考えれば
この二つがダンスを踊るように常にセットでくるくる
廻っていることに気づきます。

どちらも単体では殆ど意味を成しません。

承認欲を満たしながら軌道上まで登り、安定軌道に
乗れれば自己実現充足。これを段階的に繰り返すことで
人工衛星も地球周回軌道に、地球・月重力圏離脱、
太陽系重力圏離脱、更には銀河系重力圏離脱、と
ステージを上げていく。

レベルとは、殆どすべてにおいて、階段状、若しくは
音響波形グラフのように多くの山と谷を繰り返しながら
形成されています。

このテーマは恐ろしく奥が深く、この階段、或いは波は、
それで固定されたものではなくて、他者との関わり、
社会との関わり、それらの相対的な力学的関係性で
変化し続けるものですし、あるサイズでの波形パターンが
ミクロでもマクロでも現れるフラクタル構造だ、と言った
数学者もいました。

とまれ、いずれにせよ視点をまるで異なるものに変えて
しまうことで、固定観念に縛られることなく、自由な思索が
可能になることは素晴らしいことだと思います。

話がそれました。

ご参考になれば幸いです。

独りよがりでは結局満足しないのが人間なので、
他人に認められたい、尊敬され褒め称えられたいと
願う欲求、と捉える限り、承認欲と自己実現欲は
切っても切れない裏表の様にも思えますね。

でも、別な視点から見ると、つまりその欲求が
満たされるかどうか、という尺度で見てみると、
一過性の欲望充足と、継続的な充足の二極に
これらの欲求を配置し直すことができます。

例えば、ミュージシャンとしてステージで好演し、
観客を沸かせば熱い充足感が得られます。
俺は唯一無二の存在だ、皆が俺に熱狂してい...続きを読む

Q「裸の王様」という比喩

 飲み会の席などで、よく「あそこのボスは、裸の王様だよね~」という例えを聞くことがあります。

 が、その意味合いは、人や場合によってまちまちの様な気がするのです。具体的には、

(1)自分は「それは違うのではないか?」という疑問を持ってはいるが、周囲が自分と相反する意見を主張すると、リーダーのくせに何も発言することなく「そういうものか。それでは自分が間違えているのだろう」とあっさり引き下がる人

(2)自分では何も見聞していないのに人の言うことを全て鵜呑みにする、判断力に欠けたリーダー

(3)自分にとって都合の良いことを言ってくれる連中だけを周りにおき、都合の悪い話には聞く耳を持たない人

(4)本当は威厳も権威も既に失墜しているのではあるが、他人にそのことを指摘されてもなお、威厳や権威があることを見せつけようとする人

 といったところです。

 「裸の王様」のストーリーからすれば、確かにどれも正しいような気がするのですが、本来はどのような意味合いで使用すべき比喩なのでしょうか? ご存じの方、ご教示下さい。
 なお、辞書は一応調べてみたのですが、掲載されていないようでした。

 飲み会の席などで、よく「あそこのボスは、裸の王様だよね~」という例えを聞くことがあります。

 が、その意味合いは、人や場合によってまちまちの様な気がするのです。具体的には、

(1)自分は「それは違うのではないか?」という疑問を持ってはいるが、周囲が自分と相反する意見を主張すると、リーダーのくせに何も発言することなく「そういうものか。それでは自分が間違えているのだろう」とあっさり引き下がる人

(2)自分では何も見聞していないのに人の言うことを全て鵜呑みにする、判断力...続きを読む

Aベストアンサー

No1です。
辞書をいくつかひっくり返してみました。
で、三省堂の新明解国語辞典(第5版)で、裸の王様の語句説明を発見しましたので、紹介しておきます。

[目に見えない服を着せられているのに気づかず、子供から「裸の王様」と言われてはじめて自分のほんとうの姿に気づくという、アンデルセンの童話から]いいことだけを知らされていて本当のことを知らないでいる人のたとえ。「有権者は裸の王様であってはならない」

という説明がありました。
ご報告いたします。


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