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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%B4%E5%8F%B2% … 
このページの4節の「最後の人間」の冒頭の数行から、ヘーゲルの著作物で「最初の人間」が、またニーチェの著作物で「最後の人間」が論じられているものと推測します。

「最初の人間」はヘーゲルの如何なる著作に於いて論じられていますか。
「最後の人間」はニーチェの如何なる著作に於いて論じられていますか。
よろしくお願いします。

なお、上記のページから「最初の人間」、「最後の人間」の意味合いは見当がついています。
また、断るまでもないのでしょうが原書は読めません。

A 回答 (2件)

ニーチェの「最後の人間」は「ツラトゥストラかく語りき」の第1部序章第5節に出てくる言葉です



意味はいいのですね?

ヘーゲルは具体的にどこかはわかりません
わかったら補足します
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この回答へのお礼

「最後の人間」が登場している著作の表題のみならず、登場している箇所まで特定して下さって感謝しています。
幾つかダンボールを解けば、この書籍は出てくるかもしれませんが、手っ取り早いところで図書館にて拝借しようと思います。
意味の解説は拒否する訳ではありませんが、曲がりなりにも読む前にお願いしては叱られそうなので遠慮しました。もしかすると「最初の人間」や「最後の人間」の解釈は、質問文にあるURLの解説記事に納得し難い向きも、いらっしゃるのかもしれないと思います。この際、是非というご見解があれば何方様なりと、自由に記すことができます。

朝一番でのご回答、有り難うございました。ヘーゲルの件は無理のない範囲で、判れば教授下さいませ。暫く締め切らずにおきます。

お礼日時:2009/01/17 11:34

 では私がヘーゲルについて補足します。



「「最初の人間」はヘーゲルの如何なる著作に於いて論じられていますか。」
の問いには、私は恐らく如何なる著作に於いても論じられていないと思う、と回答します。「無い」ことを証明するのは難しいのですが、そう思います。

 だからウィキペディアの「これはヘーゲルの哲学に出てくる、「最初の人間」に対比させて造った概念である。」という文は誤っていると思います。いま手元に『歴史の終わりと最後の人間』が無いので、フクヤマが誤ったのかウィキペディアの書き手が誤ったのか分かりませんが。

 続いて「最初の人間たちは名誉のために命がけで戦い、勝った者は主人となり、負けたものは奴隷となった。」は、ヘーゲルの『精神現象学』「B―自己意識」の「自己意識の自立性と非自立性」に出てくる話です。ただここのヘーゲルの叙述には最初の人間云々は出てきません。

-----------以下、余談です-------------

(1)カントは「人類の歴史の憶測的起源」という小論文で、最初の人間にあたるものを考察しています。
(2)ウィキペディアの「歴史の終わり」の書き手はかなり怪しいと思います。「それまで共産主義の正当化に使われてきたヘーゲル哲学」というのも間違いです。マルクスや彼の影を受けた一部の思想家が自説の補強にヘーゲル哲学を用いたのは事実ですが、共産主義はその正当化にヘーゲル哲学など必要ありませんでしたから。
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この回答へのお礼

ご見解はよく判りました。本当はWikiの記述者を交えて意見交換ができると全ての人が納得できて、ありがたいですね。
この時点での印象として、哲学に素養のある方々の間では「最後の人間」といったとき、ニーチェに由来する共通したイメージがもてて、よってまた、その対極としての「最初の人間」にも共通したイメージがもてるらしいことが判りました。ただし、ヘーゲルに奴隷と主人に言及した著述はあるものの、「最初の人間」がヘーゲルと結びつくのか否か、どの程度の濃度で結びつくのかは個々人によって、差異があるらしいと受け取りました。さらには、カントとの錯綜の可能性もなきにしも非ずなのでしょうか。この上は、書籍を紹介して頂いたことでもあるし、閑をみて自分なりに考えてみようと思います。
また、ヘーゲル哲学が共産主義の後ろ盾になっていたか否かにも議論があるらしいと理解しました。

『精神現象学』と『人類の歴史の憶測的起源』は容易に入手可能だそうで手配しておきました。
有り難うございました。またの機会にもよろしくお願いします(25日(日)までは締め切らずに様子を見ることにします)。

お礼日時:2009/01/21 22:23

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