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「順調であるといえよう」
など、“…といえよう”という文法はどういう時に使うんだろうってずっと考えていたらゲシュタルト崩壊を起こしました。

つまり“…といえるであるだろう”という予測の言葉と同じ意味なのですか?
それとも断定している時の言い方なのでしょうか?

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A 回答 (2件)

丁寧にいえば「いうことができるだろう」ですね。



反対語の「…ということはできない」を考えましょう。
これは物理的に言葉を発することができないという意味ではなくて、そのような発言は批判に耐えるものではない、すなわち間違っていると否定されるであろう、という意味で使われますよね。

ということは、反対の「…といえよう」は、そのような発言が批判に耐えるとか、現実的に否定される余地がほとんとない正論だ、という意味で使われているのだと思います。
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この回答へのお礼

反対語を考えると分かりやすいですね^^
言わずともそう理解してくれるだろうということを前提に言ってるわけかぁ!なるほど~!
ありがとうございます^-^

お礼日時:2009/01/22 03:11

こんばんは。


ゲシュタルト崩壊ですか。 ^^


>>>つまり“…といえるであるだろう”という予測の言葉と同じ意味なのですか?

そうですよ。


(3)をご参照ください。
http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%A4%E8 …

2番をご参照ください。
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E3%8 …


以上、ご参考になりましたら。
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この回答へのお礼

わざわざ調べてくれたんですか!ありがとうございます^^
ふむふむなるほどー。
「すしでも食べ〈よう〉か」のようかと同じ意味なんですね!なるほど理解しました~!ありがとうございます!

お礼日時:2009/01/22 03:10

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Q「あくまで」「あくまでも」の意味

「あくまで(飽くまで)」「あくまでも」という副詞の意味ですが、辞書をひくと「物事を最後までやりとおすさま・徹底的に」とあります。例文も「あくまでもがんばる、あくまでも主張を貫く」などとあります。

しかし、よく話の中で「あくまでも個人的な考えですが・・・」「あくまでも噂です」「あくまで一例です」「あくまでの話しです」などという風に使われます。このような文章中では「徹底的に」という意味ではないと思うのですが、どうなのでしょうか。

Aベストアンサー

あくまでも、という意味の「徹底的に」という所から転じて、「完全に」とか「中途半端ではなく(どこまでも)」という様な意味合いも持っています。


「あくまでも個人的な」
完全に個人的な

「あくまでも噂です」
=「あくまでも噂[に過ぎません]」
完全に噂に過ぎません

「あくまで一例です」
=あくまで一例[に過ぎません]」
完全に一例にすぎません

「あくまでの話です」
・・・すみません、この用法は聞いた事がありません。

Qここの「と言えよう」は自然だと思うでしょうか。

 日本語を勉強中の中国人です。「身振りと言語」という題目の文章を読んでいますが、文末に理解できないところがありますので、質問させてください。

「このように、人々の何気ない表情や動作も、実は民族固有の文化や伝統に深く根差しているのである。どんなに外国の言語や文化を学んでも、その人の民族性は、身振りの中に色濃く残っていると言えよう。」

 上の段落は全文の最後の段落です。「どんなに外国の言語や文化を学んでも、その人の民族性は、身振りの中に色濃く残っていると言えよう」は結尾文です。皆さんは「と言えよう」のところは自然だと思うでしょうか。

 私は「と言えるだろう」か「と言えるであろう」なら理解できるのですが、「と言えよう」ならなんか文意が通らないような気がします。「と言えるだろう」か「と言えるであろう」を「です・ます調」に変えると、「と言えるでしょう」でしょう。「と言えよう」を「です・ます調」に変えると、「と言えましょう」でしょう。

 また、質問文の中に不自然な表現がありましたら、そちらについてもご指摘いただければ大変嬉しいです。よろしくお願いいたします。

 日本語を勉強中の中国人です。「身振りと言語」という題目の文章を読んでいますが、文末に理解できないところがありますので、質問させてください。

「このように、人々の何気ない表情や動作も、実は民族固有の文化や伝統に深く根差しているのである。どんなに外国の言語や文化を学んでも、その人の民族性は、身振りの中に色濃く残っていると言えよう。」

 上の段落は全文の最後の段落です。「どんなに外国の言語や文化を学んでも、その人の民族性は、身振りの中に色濃く残っていると言えよう」は結尾文...続きを読む

Aベストアンサー


この場合の『よう』は【推測】の助動詞です。
ただ、この『と言えよう』という文語的表現は格式を持った丁寧な表現として効果的ではありますが、場合によっては気取った、高飛車な印象を与える言葉でもあります。
形としては推測なのですが、良くも悪くも、有無を言わせず自分の考えを納得させようとする、最も強い意思の感じられる表現です。

以下、同じ意味の口語的表現を、強いと思われる順に列挙してみます。
『と言えるであろう』
『と言えるだろう』
『と言えるでしょう』
『と言えると思います』


ただ、この「言えよう」は「言う」の推測ではありません。
「言える」という【可能を意味する】言葉の文語的推測形です。
丁寧に言うと『言えましょう』となります。


a.
「食べる」の【文語的推測表現】は「食べよう」です。
「食べるだろう」ということです。
相当に気取った印象を与えますが、
丁寧に言うと「食べましょう」となります。
b.
「行く」の【文語的推測表現】は「行こう」です。
「行くだろう」ということです。
同じく一般人にはなじみの薄い気取った言い方ですが、丁寧に言うと「行きましょう」となります。

これらa.b.は、共に【婉曲的命令・同意を促す気持ち】を表現する場合にも『全く同じ言葉』を使います。
ですから「食べよう」「行こう」という言葉だけでは、推測なのか同意を促しているのか判断することは不可能です。
「さあ食べよう」
「明日は学校へ行こう」など、
前後の文章から判断するよりないということです。
しかし、これらa.bなどの文語的推測表現が使われるのは特殊な場合に限られますから(「言えよう」は割合よく使われていますが)、通常の文章であれば「食べよう」「行こう」は【同意を促す気持ち】として判断して間違いないでしょう。


ところで、「言える」という可能動詞に関して【同意を促す気持ち】ということはあり得ませんから、
『言えよう』と言えば、【推測】しか他には考えられないということになります。

では、「言う」の【同意を促す気持ち】はどのように表現するかというと、
「言えよう」ではなく、
『言おう』となります。
「恥ずかしがってないで、思っていることをはっきり言おう」
などの場合です。
丁寧に言う場合は、
『言いましょう』です。
もちろん、【文語的な推測表現】もあります。
他の例と同じく「言おう」という全く同じ言葉になります。


この場合の『よう』は【推測】の助動詞です。
ただ、この『と言えよう』という文語的表現は格式を持った丁寧な表現として効果的ではありますが、場合によっては気取った、高飛車な印象を与える言葉でもあります。
形としては推測なのですが、良くも悪くも、有無を言わせず自分の考えを納得させようとする、最も強い意思の感じられる表現です。

以下、同じ意味の口語的表現を、強いと思われる順に列挙してみます。
『と言えるであろう』
『と言えるだろう』
『と言えるでしょう』
『と言えると思います...続きを読む

Q「~やら~やら」と「~とか~とか」の違い

物事を複数並列する時に「~やら~やら」と使っていますが、
最近の若者がよく使っている語で、同じようなものに「~とか~とか」があります。
「~やら~やら」と「~とか~とか」は、どう違うのでしょう?
なんとなく用法が違うとは思うのですが、正確にはわかりません。
以前から気になっています。どうぞ御教示ください。

Aベストアンサー

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?

ここから先は、個人の語感によって、或いは世代によっても意見が分かれそうな部分ですが、
私は「パンやら牛乳やら」からは、並列の意味に加えて、「いっぱい」や「必要もないのに」という印象を受けます。
「パンとか牛乳とか」の方は並列の意味に加えて、ちょっとあいまいに表現しようという気持ちが感じられます。

これは例文を変えてみるともうちょっとはっきりするかもしれません。
1「バーゲンでコートやらスカーフやらいっぱい買ってしまった。」
2「バーゲンでコートとかスカーフとかいっぱい買ってしまった。」
1の方がいっぱい買ってしまった感が強いような気がします。
2の方は普通の並列ですが、この言葉を言う人によっては、本当はコートとスカーフ以外に重要なものを買ったんだけどそれをわざとぼかして言っているような感じも受けるかもしれません。

1「彼女の気を引くために、バッグやらアクセサリーやらプレゼントした。」
2「彼女の気を引くために、バッグとかアクセサリーとかプレゼントした。」
これも、1の方があれこれたくさんプレゼントした感じがよく出てると思いますがいかがでしょう。
2は素直な人が話しているなら単なる並列。
ものをはっきり言わない人が話しているなら、ひょっとしたら車もプレゼントしているかもしれません。

とまあ、こんなところです。
前にも書きましたが、ここまで来ると、個人の語感や世代によって感じ方はさまざまだろうと思います。
色々な回答がつくといいですね。

「~」の部分に入るものを名詞に限定して書かせていただきます。

「~やら~やら」には意味が二つあります。
1 名詞の並列
  例:スーパーでパンやら牛乳やら買った。
2 どちらか決めがたいことをあらわす。
  例:真っ黒に日焼けして、どちらが前やら後ろやらわからないほどだ。

それに対して「~とか~とか」には、
1の名詞の並列の意味しかありません。

それでは
「スーパーでパンやら牛乳やら買った。」

「スーパーでパンとか牛乳とか買った。」
は完全に同じ意味でしょうか?
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Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Q「を通じて」と「を通して」の使い分け

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を通じて」、「一生を通じて」、「生涯を通じて」のような使い方はさておき。

「を通じて」
1.秘書を通じて社長との面会を乞う。
2.学生会を通じて、学校側に意見を出した。
3.テレビを通じて広告をする。
4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。

「を通して」
1.書物を通して世界を知る。
2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
3.仲人を通して娘の縁談を進める。
4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。

 また、質問文に不自然な箇所がありましたら、併せてご指摘いただけますと幸いです。どうか、よろしくお願い致します。

 私は中国人で、日本語を勉強中です。「を通じて」と「を通して」は形的にも意味的にも非常に似ています。皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。疑問に感じるのですが、下記の例文の中の「を通じて」と「を通して」とお互いに交換できるでしょうか。また、これらの例文は中国人の著者が作った例文なので、不自然のところがありましたら、ご指摘いただけますと幸いです。

P.S.「を通じて」の「一年を...続きを読む

Aベストアンサー

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど不自然な文ではないです。)
なぜそう思うのかはよくわからないのですが、以下の理由があると思います。
・「臨床実践」という言葉を聞き慣れない。医学の世界ではどうか知らないが、普通の日本人が使うような言葉ではない(#4のご回答でも指摘がある。)
・「臨床実践」「治療経験」・・・四字の漢語が二つもあって、重苦しい印象を受ける。更に「積み重ねる」があることによってごてごてした印象を受ける。

私なら、もっと軽い感じに、
「実践的な臨床経験を積み重ねる。」
「臨床経験を積み重ねる。」
「臨床の経験を重ねる。」
「臨床の実践経験を積む。」
などなどでもよさそうに思います。


#4の方もおっしゃっている通り、質問の例文に関しては、#2と#4は、似ているようです。
特に、思うのは、

>4.問題があると、民主的論議を通じて解決する。
→このとおり「つうじて」
>2.両国の文化交流を通して、相互理解を深める。
→「つうじて」
>3.仲人を通して娘の縁談を進める。
→このとおり「とおして」

この三例は、#2と#4で同じですし、自分が改めて考えても、この通りでおさまりがいいと思います。
改めて、いくつか意見を述べておきます。

一つ目は、
「民主的論議」「文化交流」などの長めの漢語があると「をつうじて」で、
「仲人」というような和語だと「をとおして」の傾向があるのではないか、
ということです。
(短めの漢語は、中間。)

二つ目は、
「を通じて」というのが、何か形式的な印象を与える、ということです。
「仲人をつうじて」とはあまり言わないような気がしますが、
もし「仲人をつうじて」と言えば、何か仲人を(人ではなくて)道具のように扱っている感じがします。

三つ目は、
「を通じて」は、二つのものの間に「何かが挟まっている」が、その間に挟まっているものそのもの(秘書、書物、・・・)を重要視せず、二つのものの関係を重要視している。
「をとおして」は、「間に挟まっているもの」を重要視している、ということです。

四つ目は、
「を通じて」という表現は、公式であり外向きであるが、
「をとおして」という表現が、ややくだけた表現だということです。

これらは、「まあそんな気がするかな」程度の意見なので、きちんと詳しく検討する必要があるだろうと思います。

改めて考えても、#2#3も、#4のご回答も、みんな正しいような気がするのです。

#4では
>「通して」という場合,文字通り「それを通り道にして」という意味があるように思います.(q304さんの#3のご意見と矛盾してしまうのですが...あくまで私の個人的印象です.)
とのご指摘がありますが、必ずしも矛盾とまでは言えず、別のご指摘かもしれません。
#3では
>「秘書を通じて」というのは、秘書を、単にそういう地位とか役割のようにとらえていて、
>(秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている。)
>具体的な人を思い浮かべていないんじゃないかな、
>ということです。

「秘書を単なる「とおりみち」のようにとらえている」
というのは、"単なる" に意味の重点があって、
「秘書に重きをおかない」という意味です。


ところで、質問では、
「皆様はどのように使い分けをするのでしょうか。中国人の著者が書く参考書で調べてみたのですが、使い分けの説明が付かずに例文しか並んでいません。」
とありますが、
この著者自身、本当に使い分けすべきと考えているのでしょうか。

他の方(No.4の方)にもお答えいただいて、よかったです。
私の自信のない(誤っているかもしれない)回答で、質問者の方が誤解したまま終わってしまうようなことがあったらいけないですから。

#2でも少し書きましたし、No.4のご回答でも似た指摘がありますが、
>4.臨床実践を通して治療経験を積み重ねる。
という文は、(「通して」「通じて」の問題以前に)
意味がわかりにくく、何か読みにくいような、くどいような、自然でない印象を受けます。
(でも、「日本人はこんな文は書かない」と言えるほど...続きを読む

Q拘らず・関わらず??

すみません。以前から気になっていたので正しい答えを教えていただけないでしょうか。

「かかわらず」という言葉の漢字変換なのですが,
例えば

 雨が降ったにも「かかわらず」,彼は傘を差さずにやってきた。

というような文の場合,正しいのは「関わらず」「拘らず」どちらでしょうか。

国語辞典で調べてみたのですが,よく分からなくて(+_+)
すみませんがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。それも「かかわる」でなく「かかる」です。「人命に係(かか)る問題」「係(かか)り結び」など。前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合(常用漢字の基準では)「係わる」でなく「かかわる」です。

結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。

漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的(「関わらない」「係わらない」)にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。

ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。念のため。

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい...続きを読む

Q「~になる」と「~となる」の使い分け

複数の人で手分けして報告書を作成しており、現在校正中です。
今悩んでいるのは、ある人は「~になりました。」と書き、別の人は「~となりました。」と書いているところがあり、報告書全体としては「に」と「が」が混在している状態なので、この表記の揺れをなくすために、どちらかに統一すべきかどうか、ということです。
「に」でも「と」でも全体の文意は同じのような気がするのですが、ニュアンスや文法的な違い、あるいは使い分け方法があれば教えていただきたいと思います。
よろしくご教示のほどお願いいたします。

Aベストアンサー

格助詞「に」と「と」の違いですね。この質問は過去に2,3回ありましたのでその1つを1部付け加えて回答しておきます。
「に」「と」はともに帰着または結果を表しますが、ニュアンス的には少し違いがあります。
「雨が降れば川になる」というのは平板で当然の帰結としての言い方の場合は「に」
「蛇行を繰り返し小川や多くの支流を集めて大河となる」のように紆余曲折を経る場合は「と」です。
「すったもんだの末、結局彼が村長となった。」
「すんなりと彼が村長になった」
あなたの会社の報告であれば:
「計算の結果予算は○○円になりました。」
「いろいろ審議を重ねて検討した結果○○円となりました。
また、「へと」と 「へ」との違いについての質問にも私が回答したのがありますので参考にしてください。

参考URL:http://okwave.jp/qa1126103.html

Q「思う」と「思われる」の違い

疑問に思うことがあるのですが、
自分の意見を言う時にも「思われます」を使う場合がありますよね。
例えば
「今後について一度真剣に考えてみる必要があると思われます。」
と言うように。

この場合の「思われます。」にはどんな働きがありますか。
普通に「思います。」と言った時とどう違いますか。

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

「れる」「られる」には、受け身、可能、尊敬以外に、もう一つ大変重要な用法として、自発というのがあります。質問者さんの例は、まさに自発の「思われる」です。その意味は、自分で意識してそう考えようとしているわけではないのに、自然にそうなってしまう、と言う意味です。

この自発の用法は、日本独特のものだそうで、少なくとも西洋の言葉には存在しない用法なのだと聞いたことがあります。西洋人には無い用法があるとは、何を意味するのでしょうか。それは、日本人には、西洋人と同じ様に、受け身、可能、尊敬という物の見方があるのですが、それに加えて、もう一つ別の物の見方、あるい世界観を持っていると言うことです。物理学や数学の世界で、1次元、2次元、3次元などという言葉を聞いたことがあるでしょう。数学の世界では次元が1次元増すと、その次元の分だけ自由度が増え、それより低次元の世界では不可能なことや、見えないものが見えてきます。「れる」「られる」に関して、西洋人はいわば3次元の世界に住んでいるのですが、日本人は4次元の世界に住んでいるのです。したがって、日本人は、この独特な自発の「れる」「られる」を持っているお陰で、西洋人達には見えないものがみえ、感じることができると言う自由度を持っているのです。

ところが、残念なことに、近年になって、何でも西洋のことが優れていると思うような人が増えてきて、「れる」「られる」の用法の中から、自発の用法が消えかかって来ているとのことです。自分たちの折角持っている、この世界の見方の独特な自由度を減らしてしまうのは、もったいないと思います。質問者さんは、是非この日本人の優れた用法を意識して、世界に誇るべき日本人の財産をなくさないようにしてほしいです。

「れる」「られる」には、受け身、可能、尊敬以外に、もう一つ大変重要な用法として、自発というのがあります。質問者さんの例は、まさに自発の「思われる」です。その意味は、自分で意識してそう考えようとしているわけではないのに、自然にそうなってしまう、と言う意味です。

この自発の用法は、日本独特のものだそうで、少なくとも西洋の言葉には存在しない用法なのだと聞いたことがあります。西洋人には無い用法があるとは、何を意味するのでしょうか。それは、日本人には、西洋人と同じ様に、受け身、可...続きを読む

Q「ある意味」の意味ってわかりませんか?

よく、「ある意味・・・だよね」とか、よく使いますが、それではこの「ある意味」の意味ってわかりませんか?ちょっと気になってしまって。どなたか、教えてくれませんか。お願いします

Aベストアンサー

「ある意味」の本来の使い方は「ある意味では」です。
違った見方をすれば・・・別の言い方をすれば・・・というような意味で、自己主張や新説を述べるときに使われますね。最近では短縮されて「ある意味」というので違和感を覚えます。

これは日本人の好きな表現で相手と違った意見を述べるときにも使われるので、多くの場合、話し手が一人納得していることがあるが、相手もあえてそれに反論しないパターンになっています。「ま~、ある意味でそれも正しいな」対立を避ける日本人の性格にあった便利な表現だと思います。

Q「~ありき」の意味・使い方を教えてください

「結論ありき…」
「小説ありき…」

など、ありきという言葉はいったいどういう意味なのでしょうか?
馬鹿な質問ですみませんが、心優しい方教えてください!

Aベストアンサー

最近の会話の中では「それがあって初めて成立する」とか「それがあってこその○○」みたいな使い方をされますね。

「あなたのアプローチはまず結論ありきで、課程というものを軽んじているように思えます」みたいな。

いちばん有名なのは聖書の「はじめに言葉ありき」だと思いますが、これは#1の方がおっしゃっている本来の用法です。


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