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哲学のある入門書に次のようなことが書いてありました。

 自分が聴く自分の歌う歌は、他人が客観的に聴いているその歌
よりも、いつもうまく聴えているものだ。これが人間が自分自身
に対して持っているロマン的幻想のありようである。逆にいえば
各自のロマン的幻想は必ず他者の目(現実そのもの)によって
相対化され無化される。この事実はいつも私たちに不安をもたらす。

ここで言われている「現実」とは何だろうと考えてみました。

(1)名刺の肩書き・学歴・年収・偏差値・仕事の成績・知能指
数などのことだろうか。これらは人間を抽象的な剥製標本にする
だけの虚構にすぎないのではないか。無意味とは言わないが一人
の人間の生きた現実を表してはいないと思う。
(2)世の中の(たぶん自分も参加している)権力闘争とか領土
(なわばり)争いのことだろうか。これらは人間の持つ動物性を
人間の本性そのものであると早合点することによる、現実の一面
の皮相な見え方にすぎないのではないか。
(3)「生物は遺伝子の乗り物にすぎない」などという要素還元
論的思想のことだろうか。これは、例えば「水は水素と酸素の化合
物である」という程度の小さな小さな事実のひとつであり、それに
よって全体が規定されてしまうような現実などではないと思う。

私にとって現実とは、友からのメールであり、「教えてgoo」での
出会いであり、仕事仲間や家族との時間であり、出勤時に見える
朝の海の白銀色であり、春の沈丁花の匂いです。もちろんつらくて
悲しい現実もある。けれどしかし、それは決して夢や理想やロマン
をかみ殺しなどしない。逆にそれを育ててくれる。

みなさんは「現実」をどう考えますか?

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A 回答 (13件中11~13件)

細かい記述に関しては記憶が怪しいのですが、


故手塚治虫氏の亡くなる間際のノートには、
全ての生物は憎みあったり、殺しあったりもするような醜いものだが、
と前置きした上で、
「それでも僕は全ての生きとし生けるものが、愛しくて愛しくてたまらない。」

と記述されていたそうです。
ものすごい人間のデカさです。これエライことです。
あれだけ、きっちり現実を認識している人が言うんだから、
大変なことです。相手を理解すれば、必ず醜い部分についても、
知ってしまうことになるでしょう(世の中聖人君主ばっかりじゃないから)
ところが、その上でここまで言い切るのは希有な強い魂と愛を持つ証拠で
ありましょう。「一般人」にチェックを入れている僕なんぞには到達できません。

というようなわけで、「かみ殺す」かどうかは知りませんが、
現実によって「ロマン」が挫折することは故手塚治虫氏のような偉人ではない
「一般人」にはよくあることだと思います。
僕にも、ままありますし。

ただ、ある種の人は、現実に挫折させられない、強固なロマンを持ち得るかもしれないです。
故手塚治虫氏のような強固な魂を所有する偉人か、それか全くもって、
現実認識の欠けている人の場合のような気がします。

おそらく、その本の記述では後者のことを述べているのではないかと思うのですが。
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この回答へのお礼

oni_ocさん、いつも回答ありがとうございます。お礼が遅くなって申し訳ありませんでした。
> ある種の人は、現実に挫折させられない、強固なロマンを持ち得るかもしれないです。
> 故手塚治虫氏のような強固な魂を所有する偉人か、それか全くもって、現実認識の欠けて
> いる人の場合のような気がします。
やっぱり私は現実というものが分かっていないのかも知れません。ボーナスが下がっても
カミさんに叱られても、白髪がめだち始めても、πだの宇宙だの遺伝子だの夢だのロマンだのと
まるで中高生のようですから。中年にとっての現実って何でしょう? リストラ? 肩たたき?
窓際? そうなってもπだ宇宙だって言ってたら本物でしょうか? (ちがうでしょうね)

お礼日時:2001/03/04 01:31

こんにちは


引用された哲学の入門書の文言から自分が受けた印象は、
主観と客観について述べられているように感じます。

自分の考え(引用では幻想)は常に主観的なものであるので、
客観敵に自分を評価できることは仮にそう望んでも出来えない。
よって自分の歌は自分では良く聞こえるし、
それが自己のアイデンティティを形成している部分でもある。
他人(客観的な視点)により、自己を形作っている一部が幻想であることを認識させられることに、
人は大いに不安を感じるのだ。
といった意味に読み取れました。で、自分が感じたことは、
人間は、ともすると現実から目をそむけ、
自分の中の価値観に閉じこもりがちになるが、
しっかりと現実(目の前にあること)に、
勇気を持って向き合う必要がある、 です。

強くありたいと感じる、日々です
では、
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この回答へのお礼

hasshyさん、回答ありがとうございます。
引用が不適切でした。申し訳ありません。
north073さんへのお礼をお読みいただければ幸いです。

ご回答内容には強く共感いたします。
> 強くありたいと感じる、日々です。
本当に私も、自分に言い聞かせたいです。
それは「他人の目を気にしない」強さなのではなくて
「他人の目を受け入れる」強さなのですね。

お礼日時:2001/03/02 00:06

素人考えですが、私見を述べさせてもらいます。



私は、この入門書の文章をあなたと違うように読みました。ここでいう「ロマン的幻想」というのは、あなたのおっしゃる「夢や理想やロマン」とは違って、「自分は歌がうまい」「自分は力が強い」「自分はかっこいい」等の…極端にいえば、自分に都合のよい幻想のことを言うのではないでしょうか。
「ロマン的幻想」と「夢や理想やロマン」のどこが違うかというと、前者は現状に対する理解に関する認識、後者は将来に対する想いであるということです。
だから、ここで著者が言っていることは、自分の現状に関する認識(たとえば「自分は歌がうまい」)が他者の自分に対する認識(たとえば「あなたは歌が下手」)と食い違いを生じた時には、自分の認識が相対化され、無化され、不安になる、ということではないでしょうか。そして、そのような認識の食い違いは常にある、と(「いつもうまく聴こえるものだ」)。

その不安をその度に受け入れ(時には排除するかもしれませんが)自分の自分に対する認識を他者の目を借りて修正しながら、他者と共に生きる「自分」をつくっていく。そのときの「他者の目」こそが「現実」ではないでしょうか。
あなたの言葉どおり、「現実」は、友からのメール、仕事仲間や家族との時間etc.だと思います。そして、「ロマン的幻想」を無化することは「夢や理想やロマン」をかみ殺すことではありません。あなたが書いたとおり、よりよい「夢や理想やロマン」を育てていくために必要な痛みと強さを与えてくれるものなのだと思います。
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この回答へのお礼

north073さん、回答ありがとうございます。

質問文800字以内という制限に気をとられて、引用がすこし不適切でした。
著者の言う「ロマン的幻想」とは、自分の過大評価のことだけでなく、自分に自分の存在
理由を与えてくれて、生きるよすがとなるような「思想」や「宗教」や「理論」全般のことを
指しており、そういうものを内部に築きあげて自分に言い聞かせている姿を「自分で自分の
歌を聴く」と表現しています。

しかし現実がつねに冷厳な事実をつきつけてくるので、人は自分のロマンが現実生活の
なかでは背理的で非現実的なものだと気づき、ロマンのほうを徹底してかみ殺す。
ロマンにこだわれば自閉的独我の世界を固守しなければならなくなり、それは神経症的な
苦しみを招く。客観的事実だけを信じれば、わたしたちは生きるために生きる事実として
だけの人間に落ち込み、自分自身を失ってしまう。

と、言葉が続きます。

このような「理想と現実」という二分的・図式的思考法が、わたしたちにとって有用なのか
どうか、それも考えてみたいと思い、この質問をたてさせていただきました。
でも、ご回答内容はすばらしいと思います。まったく同感です。

お礼日時:2001/03/01 23:53

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