これまでで一番「情けなかったとき」はいつですか?

凹レンズでできる「虚像」は、実際に光が集まっていないのにどうして眼に見えるのですか?

(※同じIDでもう1つ関連のある質問をしています。)

A 回答 (3件)

同じところから出た光が全部同じところに集まっても、


その物全体は見ることができません。
「実像」を作図する時、ろうそくの先端から出た光だけを使って
説明してある図がほとんどですが、その光が集まる点に目をおいても
ろうそくの先端しか見えないことがわかりますよね。
(目に悪いので実際にやってはいけませんが。)

人間が物の遠近を把握できるのは、同じ所から出た光が
左右の目に違った角度で入ってくることでわかるのですから、
むしろ光はバラけて来ないと両方の目に入りません。
片方の目だけにしか光が入ってこなかったら頭が混乱します。
たとえば左手を開いて人差し指側を鼻にくっつけると、
手の甲は左目にしか見えず手のひらは右目にしか見えないので
よくわからない映像になります。

さて「虚像」の作図では、ろうそくの同じ所から出た光が右目と左目に
入ってくる方向を逆向きに延長して交わったところに像を描きます。
レンズがあると光は屈折しますから、屈折した後の光の角度を
目が信じてしまい、実際よりも遠くから光が出ていると「錯覚」してしまうわけです。


物が見えている時は、同じ所から出た光が集まって来るのではなく、
むしろ違うところから出た光が集まってくる必要があるのです。
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この回答へのお礼

早々にご回答いただき、ありがとうございます。
光が集まるから像が見える・・・という訳ではないんですね。
ご丁寧に解説していただき、大変参考になりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/28 09:39

実像に対し、そこに実像があるかのごとく


見えるので”虚像”と言ってるのです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。

お礼日時:2009/01/28 09:44

 私たちが身の回りのものを見ているときに、どこかに光が集まっていますか?


 鏡を使って我が姿を見ているときに、鏡は光を集めていますか?
 目で何かが見えるのは、外界のどこかに光が集まっているからではなく、
外界から来た光が目のレンズ(水晶体)によって目の奥の網膜上に集められている(ピントが合っている)からです。
 近視の人が掛けるメガネは凹レンズであることはご存知ですよね。
 近視の人は近くの物体にしかピントを合わせることが出来ないので、
凹レンズを使って遠くの物体の虚像を近くに作り、
その虚像を見ているのです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきありがとうございました。
参考にさせていたただきたいと思います。
(また、もう1つの質問にも回答していただき、ありがとうございました。)

お礼日時:2009/01/28 09:43

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