生きる意味は?のような疑問をもっている人は,たくさんいます。
逆に考えて,何故,死ねないのかを教えてください。
そして,世間一般では,死ぬことを悪としています。
この理由も,教えてください。
周りの人が悲しむから,親からもらった命だから等の一般論ではなく,
ユニークな意見だとうれしいです。

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A 回答 (40件中1~10件)

No.34、38です。

お礼ありがとうございます。

>つまり,自己否定したくないし,現世に満足しているということね。

「自己否定したくない」は確かにその通りです。
自分で自分を憐れみたくないです。
生きるエネルギーはまだゼロになっていないと思うので。
まだ世を儚むほどボロボロになってはいないと思うんです。
(以前も書きましたが自分自身は、まだ死ぬ権利を持つ程生き抜いていないと思います。)
ただ、上手くきっかけがつかめなくて、過去に引きずられがちですが、そんなものに負けたくないんです。

ここで回答しているのもきっかけが欲しいからだと思います。
問答していると自分の中のわだかまりの本質が何なのか解りそうな気がするんです。

「現世に満足している」のとはまた違います。
変われるはずだと思っているとか諦めたくない気持ちがあると言ったところです。
やはり、自分に負けたくないんです。


>悩みが深刻だと開放されたい気持ちが芽生えるとも考えられますね。

まさにそうだと思います。
でも、死ぬ瞬間って発作的なものなのではないのかなと思ったりします。
迷いがあると遂行するのは難しいと思うんです。
最後まで迷ったまま実行して、そのまま死を迎える人もいるのだとは思うんですが、多くの人は迷いを振り切って、「悩みから解き放たれたくて」死ぬんだと思います。自殺は迷いがあっては難しいことなのだと思います。
一瞬でも悩むと現世に引き戻されてしまうんじゃないでしょうか。


>”怒”により,死ぬことを悪としているのでしょうか?
自分は,死ぬことを卑怯だと考えたことがないのですが,多くの人達はそのように考えているのですかね。

相手が友達だったり肉親だったり、掛け替えのない人であれば卑怯とは取らないでしょうね。ただ、置き去りにされた悲しみや、亡くなった人を苦しめていた現実や自分が無力であったことに怒りのような感覚を持つのではないかと思います。
「もっと生きていて欲しかった。何故相談してくれなかったんだ」と。

あと、自殺した人が世の中に大きな不利益を被って、後始末をせずに突然死んだ場合は一般人に卑怯と取られるのではないでしょうか。
身内でも、先ほど述べたような感情とは別の怒りを持つことがあると思います。この場合は身内は加害者側でありながら被害者の側面を持つのだから怒りは複雑だと思います。

良くニュースで中高生がいじめを苦に自殺したとニュースが流れますよね。
私個人としてはその子を卑怯だとは思いません。
このようなニュースを聞いて自殺は良くないという人の多くは、亡くなった子を責めているのではなくて、救えなかった事実(社会)に怒りを感じるのだと思います。何か手だてはあったのではないかと思ってしまうので、もっと生きていて欲しかったと言う気持ちが自殺はいけないと言わせるのだと思います。
自分も社会の一員であるから、何とはなしに加害者になってしまったような感覚になるのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
回答者さんには,いろいろ教えていただきました。
これから,自分の中できちんと消化していきたいと思います。

お礼日時:2009/02/18 04:48

こんばんは、MAXMIN2008さん。



●ザッとではありますが,一通り読みました。
しかし,回答者さんがご紹介くださった意図を読み取ることができません。
よろしければ,教えていただけませんか?


お話なら、何でもよかったんだけど

『女の決闘』 太宰治
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/304_1 …

を、載せたのはちょうど読んでたから

ここでの質問は、『死ねない理由』をおたずねでしたよね?

本を読んでいたら、あっ!?とね、

本の中の登場人物って、お話の中では死んじゃったりもするけど…

現実には、存在しない。

存在しない人がいるか???

ほでも、本を開くとその中にいるのよ

でさ、『女の決闘』このお話にしても

ずいぶん前に書かれたお話じゃない

廃れることなくいまも読み継がれてたりもする

なんでだろうね?

手にとって、読む人がいるからじゃないかな

死ねない理由―人がいるから
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり,人の存在は,大きいですよね。
自分も,周りに支えられてばかりです。

お礼日時:2009/02/18 04:47

「死ねない理由」「世間一般では、死ぬことを悪とするのは何故か」



どちらも、
現世を生きていくことが素晴らしいと信じたいから。
死んだら全てが無くなると思っているから。
捨てられないこだわりを持っているから。
死にたいという思いが人に伝染する呪いのようだから。


――No.34です。何度もすみません。なんだかもやもやすると、回答してしまいます。逆の立場から生きる意味を考えるとは良い思いつきですね。
ユニークな回答が出来ません。難しいですね。
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この回答へのお礼

度々,ありがとうございます。
つまり,自己否定したくないし,現世に満足しているということね。
たくさんの回答をいただいて,とても参考になりました。

お礼日時:2009/02/07 02:05

こんばんは、MAXMIN2008さん。




『女の決闘』 太宰治
http://www.aozora.gr.jp/cards/000035/files/304_1 …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
ザッとではありますが,一通り読みました。
しかし,回答者さんがご紹介くださった意図を読み取ることができません。
よろしければ,教えていただけませんか?

お礼日時:2009/02/07 01:54

死ぬ事は悪ではありませんが、自殺は勧められません。


自殺して楽になる・当面の問題が解決するという事はありません。

人間の身体は物質で構成されていると同時に心・魂・霊といった
言葉で表現されているものが人間の本質であり、亡くなると
同時にそれらが身体から抜け出して新しい生活を始めます。

つまり『死』とは身体から魂が離れる過程の事です。

これらは自然の法則であり決して怖がる事ではありません。

心・霊・魂といったものが人の肉体から
離れてしまえば当然ですが死ぬことになります。

ですが亡くなり方というのはとても大切で自殺の場合
については死後長い間苦しみ続ける可能性が高くなります。

「死んでも楽になれない」
「死んだのに生前の自分と何も変わらない」
「最後まで生き抜くべきだった」

という後悔の念に苛まれる可能性があります。

ちなみに「亡くなると無になる」と生前考えていた人の場合
●お墓に留まる
●そのまま地上での生活を続ける
●無になるというイメージに近い世界に留まる

といった傾向があります。

死ねない理由は人や状況・体験によって異なります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私は,霊や魂などの概念を素直に聞き入れることができないようです。
霊や魂の概念は,どのような考えのもとに生みだされたのか気になりますね。

お礼日時:2009/02/07 01:52

 よく受け取っていないかもしれませんが、回答番号:No.34さんのご所論の部分になると存じますが、悩み苦しむことを離脱するが故に、本人も死ねないし、その離脱を、そして同じ仲間であることを離脱することに世人・他人は納得をしないのだ。

というお話ですね。

 そして、回答番号:No.33さんのお話は、所謂るぬる(い)風呂は居るに居られず、出るに出られずということに通じるのでしょうね。

 関連して、まぁ私も古希をずいぶん越しましたので、同じですけれども、ご老齢の方々も、元気が少しでも残っていないと、ずぅっと肉体を生きておられますようです。
 新でいくにはやはり、元気が少しでも必要だと存じます。
 ヒンドゥの聖者様は、自信の生死を受動的だけでは送迎しない意識を以って、自己性としておられます。
 死ぬときがくると、瞑想したまま(自己本然になって)三回回り、北に向かい、一定の行をするのだそうです。そして最後の呼気を為し、肉体を自ら出て行くのだそうです。
 肉体を傷つけたり、苛めたりはしないそうですね。これを私達はマハ・サマディと申しております。
 貴重なお話に、私もご参考となりますように、書き添えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても,参考になりました。

お礼日時:2009/02/07 01:47

「死ねない理由」→“悩む”



悩むから。人は常に悩むから、死を考えるときもこのままで良いのかと悩む。
間違っていないかと悩む。


「世間一般では、死ぬことを悪とするのは何故か」→“怒り”

悩むことを止めるのは、苦しむことを止めること。
それを卑怯と取る者は怒りを覚える。

死とは仲間であることを辞めること、関わりを絶つことであると取った者もまた、置き去りにされた事実に怒りを覚える。



No.28です。本当に、このテーマは答えが尽きませんね。

悩むことを選んだ人は死ねないのではないでしょうか。死への恐怖もあるけれど、悩んだ先にきっと道が開けると信じたい気持ちが踏みとどまらせるんだと思います。

一般に死ぬことを悪とするのは、去っていった人達に一緒にこの世に留まって、共に悩んで欲しい気持ちがそうさせるのだと思います。

悩みは必ず苦しみのままで終わらないと信じている人たちが、未来を“自分たちの属する世界を否定された”と思うと悔しくなるのだと思います。
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この回答へのお礼

確かに,おっしゃるとおりです。
ただ,悩みが深刻だと開放されたい気持ちが芽生えるとも考えられますね。
”怒”により,死ぬことを悪としているのでしょうか?
自分は,死ぬことを卑怯だと考えたことがないのですが,多くの人達はそのように考えているのですかね。

お礼日時:2009/02/07 01:44

生きる意味を持っていないからではないでしょうか。



生きることは死ぬことといえます。
つまり、生きることへの意味を明確に持っていない限り、死ぬことへの意味も見つけられないという内容です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

「死ぬ意味」を持っていないからですか。
確かに,持っていない人には死ねないかもしれません。
私の場合は,死後→楽だという考えがあります。

お礼日時:2009/02/01 04:20

何故、死ねないのかについて、森博嗣が著書の小説の中で次のように


表現していることを紹介したいと思います。

・死を恐れている人はいない。死に至る生を恐れている。
 苦しまないで死ねるなら、誰も死を恐れない
・そもそも生きていることの方が異常。死んでいることが本来で、
 生きているというのは、機械が故障しているような状態。
 生きていることは、それ自体が病気。病気が治ったときに、生命も消える。
 例えば、眠りたいと思うことについて、眠ることの心地よさは
 不思議で、何故、私たちの意識は、意識を失うことを望むのか。
 それは意識がなくなることが、正常だからではないか。
 眠っているのを起こされるのは不快で、覚醒とは本能的に不快なものだ。
 誕生も同じで、生まれてくる赤ちゃんは、だから、みんな泣いている。
 生まれたくなかったと
・自分で、自殺しないのは、他の人に殺されたいから。
 自分の人生を他人に干渉してもらいたい。それが、愛されたいという
 言葉の意味ではないか。自分の意志で生まれてくる生命はない。
 他人の干渉によって死ぬというのは、自分の意志ではなく生まれたものの、
 本能的な欲求ではないか

うまくまとめられなくてすみません。

また、死ぬことを悪としている方については意見できず、申し訳ないです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
私は,「生きる意味」について考えた事があります。
導き出した答えが,「死ねないから生きている」です。

私の考え方も,ご紹介くださった森博嗣さんの考え方に近いと感じています。
ただ,生きているならば,ポジティブな考え方も持ちたいと思っています。

お礼日時:2009/02/01 04:12

こんにちは。


ちょっと重たい話ですが、自殺しようと思ったことがあるので(当然失敗し今生きています)、
そのときの経緯とかをお話してみようかと思いました。

ロープを首に巻いて、締めてみたのですが、苦しさと一緒に恐怖が襲ってきて、
そのまま締め続けられませんでした。でぼろぼろ泣きました。
ああ体は生きていたいと思ってるんだなあと思ったことを覚えています。
毒を飲んでも吐き出すように人間できていますし、どれだけ理性というか意識が死にたいと思っていても、
恐怖を覚えるよう、どうにか生命を維持するように(少なくとも体は)できていて、
それを頭だけで乗り越えるのは大変な力が要るんだ、と思いました。
だから本能説に一票ですかね。死なないように本能が訴えてくるというか。
私が死ななかった(死ぬ行為を阻止された)理由のひとつです。
もうひとつ上の段階では、人に迷惑がかかるだろうという月並みの理由というか理性が、
どうにか死にたいと思うことをやめていました。

死を阻む壁としては、順に
世間や愛してくれた人への遠慮→本能的な死の恐怖
でしょうか、私にとっては。イデオロギー的なものはわかりません。

個人的には生も死も等価だと思うので、ことさら世間一般で
死が疎まれているのは、いわゆる事務的なというか即物的な理由以外には、ちょっとわかりません。
確かに迷惑ですし、怖いし、悲しいですけれど。
でもそのなんていうか、哲学自体は私には嬉しい、受け入れられるものです。
「人間は生まれるだけで尊敬されるべき対象なのだから、死なないで欲しい」
というような気持ちを聞くとほっとします。人が大事に思われているということが嬉しいので。
だから存続して欲しいと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
「人は大事」だとの意見を良く耳にします。
しかし,本当にそう思っているのか疑問に感じる部分もあるのです。
そのような意見をおっしゃている方々は,「生の危機」に直面している人々に,何かされているのかと。
おそらく,一部の人々は,本気で助けようとしていますが,大半の人々は,「無責任」に言葉を放っているのではないかと感じています。

自分の身近な人たちは,「大事」だということなら別ですが。

お礼日時:2009/02/01 03:59

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