「蒲田行進曲」が公開された後だった(18年前?)と思うのですが、「アメリカ版・蒲田行進曲」というコピーだったか、雑誌の紹介にそんなことが書いてあったのか、ちょっと定かではありませんけれど、そんな映画が公開されていたのを覚えている方はいらっしゃいませんか?映画の撮影現場にたまたま入り込んで、そのまま撮影に参加する羽目になる男の話だったと思います。男は警察に追われて橋の上を逃げていた記憶があります。劇場で見たはずなのにタイトルが思い出せずにいます。これだけの情報しかありませんが、お分かりになる方がいましたら、ぜひ教えて下さい。

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A 回答 (1件)

83年1月に公開された「スタントマン」ではないでしょうか。


スティーヴ・レイルズバック扮するベトナム帰りの青年が、警官ともめて手錠をかけられたまま逃走。それが映画の撮影シーンに紛れ込んで、そのまま監督に眼をつけられてスタントマンになるというお話でした。監督はリチャード・ラッシュ、作中での監督役はピーター・オトゥール、女優役にバーバラ・ハーシーでした。本国では'80年に公開されていたのに、日本ではオクラになってたらしく、82年秋に公開した「蒲田行進曲」が話題になったので、便乗コピーで公開したようです。あまり話題にはなりませんでしたが、中身はかなり面白い作品でしたね。80年のアカデミー賞でも、主演男優(P・オトゥール)、監督、脚色の3部門ノミネート(賞は取れず)となってました。
多分これで当たりだと思うんですが・・・。

参考URL:http://us.imdb.com/Title?0081568
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この回答へのお礼

・・・これです。確かにいわれてみればピーター・オトゥールが出てました。
ありがとうございました!

お礼日時:2001/03/02 21:40

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Q蒲田行進曲に感動しました

先ほど、深夜映画劇場で(後半部分からなのですが・・)「蒲田行進曲」を初めて見ました。
とても感動しました!

ここでお聞きします。
(1)あなたが印象に残ったシーンはどこですか?
(2)ラストの病院で赤ちゃんを抱いて、急展開して、撮影所のスタッフに
祝福されるシーンの意味は・・・何でしょうか?
(実際にはヤスは実在しておらず、全ての話しが映画の中の出来事だったってこと?)
(ヤスは実在しており、一人前の役者になったヤスの為に皆が粋な計らいをした?)
(3)これまで舞台などでも再演されていますが、どの俳優が出演する蒲田行進曲が良かったでしょうか?

ぜひお教え下さいませ。

Aベストアンサー

公開当時、映画館に通って10回以上観た、唯一の映画です。

兎に角、深作監督のスピード感あふれる演出が最高です。
何度観ても飽きないので、印象に残ったシーンは、ほぼ全部ですね。

でも、それじゃ回答にならないので、ひとつだけ挙げれば、ラスト近くで(階段落ちの直前)、ヤスと小夏がうまくいかなくなって、ヤスが部屋で暴れて、小夏が泣きながらお腹の子をかばって、その後ヤスが黙って家を出て行くシーン。
ヤスが出て行ったドアを見つめて小夏がポツリと「やっぱり、あたしたち、ダメだったの?」と言うあたりは泣けますね。

あともうひとつ(笑)、ヤスと結婚することを決めて銀ちゃんを完全に忘れようとした小夏が、銀ちゃんのいない部屋を大掃除して、お風呂もきれいに洗って、その湯船に浸かってさめざめと泣くシーン。

ラストシーンについてはいろんな解釈があるのかも知れません。深作監督の製作日誌みたいなものが残っていれば、それに書いてあるかも知れません。

私は、蒲田行進曲というタイトル通り、映画というフィクションの世界から一瞬にして現実の世界に戻ってしまう、ということを表現したのかな、と思っていました。

ご存知かと思いますが、あれは元々、松竹の蒲田撮影所を舞台にした映画人(昔は活動屋と言ってました)の泣き笑いがテーマですが、実際にあれを撮影したのは松竹ではなく東映の太秦です。松竹配給の映画なのに東映の撮影所を使って撮影したのです(もちろん全部ではありませんよ)。でもこれってすごいことでしょう?
TBSの緑山スタジオでフジ系の「笑っていいとも」を収録するようなものです。

その埋め合わせのつもりか、東映の看板スターだった千葉真一さん、真田広之さん、志穂美悦子さんたちを撮影場面という形でカッコ良く描いてますよね。

つまり『映画人はいいものをつくるためなら、会社の違いなんか関係なしに協力するんですよ、そして、こんなに多くの人たちによってこの映画が作られたんです。みなさん惜しみない拍手をお願いします』っていうことなんじゃないでしょうか?

監督役の蟹江敬三さんと銀ちゃんが作りかけの階段セットのところで、階段落ちをやるかやらないかで言い争いになったときに、蟹江さんが「これは俺の映画だ!」と怒鳴るシーンがあったでしょ?
映画の世界では結局、完成した映画は監督のもの、という考え方があったんでしょうね?
でも深作監督はあの映画を、大道具さん、床山さんなどスタッフを含めて、映画にかかわった人全員のもの、と考えてあのようなエンディングにしたのではないでしょうか?

あと、私は映画版の風間杜夫、平田満、松坂慶子、しか知らないのですが、この映画版が一番良いような気がしてます。
また、DVDを観たくなりました。

ちなみに、蒲田行進曲公開直後、山田洋次監督ら松竹系の人たちから「あれは蒲田行進曲じゃないよ、僕たちが本当の蒲田行進曲を作らなくちゃいけないんじゃないか?」という提案が出されて「キネマの天地」という映画が作られています。

こちらは本当に、松竹蒲田の映画、という感じです。もちろん蒲田撮影所はとっくになくなってましたから、撮影は主に大船撮影所がつかわれたのだろうと思いますが、こちらもけっこう面白かったです。
昭和10年頃が舞台で、小津安二郎監督(映画では小倉監督)なども出てきて、色合いというか空気感が「三丁目の夕日」とちょっと似ています。
是非こちらもご覧になることをお薦めします。

公開当時、映画館に通って10回以上観た、唯一の映画です。

兎に角、深作監督のスピード感あふれる演出が最高です。
何度観ても飽きないので、印象に残ったシーンは、ほぼ全部ですね。

でも、それじゃ回答にならないので、ひとつだけ挙げれば、ラスト近くで(階段落ちの直前)、ヤスと小夏がうまくいかなくなって、ヤスが部屋で暴れて、小夏が泣きながらお腹の子をかばって、その後ヤスが黙って家を出て行くシーン。
ヤスが出て行ったドアを見つめて小夏がポツリと「やっぱり、あたしたち、ダメだったの...続きを読む

Q映画だったかどうかも定かではありませんが

一年か二年くらい前に、確かNHKで朝九時ごろから放送していた洋画なのですが、もしかすると単発のドラマだったかも知れません。

内容は、大戦前(1次か2次かは分かりません)、男の先生が全寮制の男子校に赴任します。
その先生が主役です。
その先生が休み中に旅に出、ホテルで出会った女性と結婚したり、
寮長になるならないで落ち込んだり、学校に戦闘機が落ち、敵兵を助けたり、
奥さんが子供を産んで、母子共に亡くなったり、
最後は年老いたその先生が校長か何かになり、昔の教え子たちに感謝される、と言った内容だったように思います。

記憶を頼りに書いているので、内容は前後しています。
その先生の名前が和名の作品名だったような気がします。

もしカテゴリー違いでしたらすみません。
誰か分かる方、教えてください。

Aベストアンサー

今晩は
リメイク・TV版があるようですが内容的に
「チップス先生さようなら」ではないでしょうか?↓

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=85371

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=14542

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=321607

参考URL:http://www12.plala.or.jp/dannys_den/00_101_150.htm

Qなんで「蒲田行進曲」?

先日テレビで久しぶりにこの映画を見ました。
ふと疑問に思ったのですが、
どうしてこの映画のタイトルは「蒲田行進曲」なんでしょう。
舞台は京都の撮影所ですし。
JRの蒲田駅ではこのテーマソングが流れるということを聞いたことがありますが。

どなたかご存知ですか?

Aベストアンサー

 こんにちは。
 この作品が映画賛歌だということは判ったと思います。
 その上で何故蒲田(こちらからは歩いても行けるところです)なのか? この辺は日本映画史をある程度概観したことがないと、実感できないかもしれません。

 今はあまりはっきりとした映画会社ごとの社風とか作風というのはなくなりました。最後にそういうものが存在したのは、東映=やくざ路線辺りだったのでないでしょうか。
 2番の回答に有る昭和5年をとってみると、まだ阪急系の資本を得て創立される東宝は無く、大映も東映も無い、大手映画会社は日活と松竹の二大勢力の時代でした。これ以外には大スターが自ら主宰する独立プロダクションや、B級映画専門の小さな会社もありましたが、映画といえば日活か松竹が代名詞だったわけです。
 そのうちの日活は元々は墨田区の向島に撮影所が有ったのが、震災で壊滅し、やがて多摩川(調布)に新たなスタジオを建てて移転します。その頃の現地はといえば、周りは畑しかなかったとか。田舎も田舎。同じ東京の外れでも蒲田とは大違いでした(蒲田は東海道にも近いし、国鉄の駅もありました)。
 撮影所の周囲の環境のせいでもないでしょうが、日活の作品は全体に鈍重で泥臭いものが多かったと言われています。映画史上の名作とは言え『土』、『蒼氓』では確かにこの印象は免れません。
 一方で松竹は都会的なモダンで華やかな世界を作品の基調にしていました。蒲田撮影所は夢や憧れの的だったわけです。最先端のファッションや歌や遊び。こういうものがここから日本中に広がって行ったのです。

 もう一つ。それでは何故京都にも松竹の撮影所は有ったのに、そちらにならないのか? これは、戦後もある時期までははっきりと区別されていたようですが、東京は現代劇、京都は時代劇という大原則ともいえる制作方針が各社に共通して有ったためです。切った張ったの時代劇ではどう頑張っても夢がありません。
 京都は時代劇、というのはひとえにロケーションの関係でそうなったわけです。戦前の割合有力な第2グループの映画会社の一つに、マキノ映画というところがありましたが、ここなど等持院というお寺の境内の一廓を借りてスタジオを建てていたくらいです。
 この等持院というのは足利家の菩提寺で、檀家はここ一軒のみ。当然足利家は衰亡していた訳ですから、収入が無くて寺は困窮。そこで境内を貸したというわけですが・・・まあ、それは別の話。
 大体こんな感じです。

 こんにちは。
 この作品が映画賛歌だということは判ったと思います。
 その上で何故蒲田(こちらからは歩いても行けるところです)なのか? この辺は日本映画史をある程度概観したことがないと、実感できないかもしれません。

 今はあまりはっきりとした映画会社ごとの社風とか作風というのはなくなりました。最後にそういうものが存在したのは、東映=やくざ路線辺りだったのでないでしょうか。
 2番の回答に有る昭和5年をとってみると、まだ阪急系の資本を得て創立される東宝は無く、大映も東映...続きを読む

Q【映画・スターウオーズ一般公開初日】今日のPM6:30からスターウオーズ一般公開だそうです。今日

【映画・スターウオーズ一般公開初日】今日のPM6:30からスターウオーズ一般公開だそうです。

今日、レイトショー見に行ったら見れますかね?

予約が取れないって言ってるのはどういうことですか?

全部予約で席が埋まってるってこと?

映画館に行ってチケット買おうと思っても買えないってこと?

普段、映画館に行かない僕に教えてください。

Aベストアンサー

>全部予約で席が埋まってるってこと?
>映画館に行ってチケット買おうと思っても買えないってこと?

そのとおりです。 うちの地元では

字幕 スター・ウォーズ フォースの覚醒
18:30~20:45 Screen01  指定席 ゴールドクラス ×完売
18:55~21:30 Screen07  指定席 ◎予約購入
21:50~24:25 Screen07  指定席 割引 ◎予約購入
22:15~24:50 Screen08  指定席 割引 ◎予約購入

という状態です。

混雑するときの電車のように、増発されている感じですね。(18:55の回)

3D吹替 スター・ウォーズ フォースの覚醒  のほうは3回ありますが、全部空席ありです。

私はスターウォーズ 初めのもの(1977年)を映画館で初日に見ましたが、
その後とくにはまりもしないので、これは見に行かないでしょう。

映画自体は月に二回ほど邦画中心に見ています。
いつでも1100円です。

Qアメリカ版「蒲田行進曲」?

「蒲田行進曲」が公開された後だった(18年前?)と思うのですが、「アメリカ版・蒲田行進曲」というコピーだったか、雑誌の紹介にそんなことが書いてあったのか、ちょっと定かではありませんけれど、そんな映画が公開されていたのを覚えている方はいらっしゃいませんか?映画の撮影現場にたまたま入り込んで、そのまま撮影に参加する羽目になる男の話だったと思います。男は警察に追われて橋の上を逃げていた記憶があります。劇場で見たはずなのにタイトルが思い出せずにいます。これだけの情報しかありませんが、お分かりになる方がいましたら、ぜひ教えて下さい。

Aベストアンサー

83年1月に公開された「スタントマン」ではないでしょうか。
スティーヴ・レイルズバック扮するベトナム帰りの青年が、警官ともめて手錠をかけられたまま逃走。それが映画の撮影シーンに紛れ込んで、そのまま監督に眼をつけられてスタントマンになるというお話でした。監督はリチャード・ラッシュ、作中での監督役はピーター・オトゥール、女優役にバーバラ・ハーシーでした。本国では'80年に公開されていたのに、日本ではオクラになってたらしく、82年秋に公開した「蒲田行進曲」が話題になったので、便乗コピーで公開したようです。あまり話題にはなりませんでしたが、中身はかなり面白い作品でしたね。80年のアカデミー賞でも、主演男優(P・オトゥール)、監督、脚色の3部門ノミネート(賞は取れず)となってました。
多分これで当たりだと思うんですが・・・。

参考URL:http://us.imdb.com/Title?0081568

Q日本で公開される洋画タイトル(日本公開タイトル)の変化について

 現在、日本で公開される洋画タイトル(日本公開タイトル)の変化について調査をしております。
 私が調査している段階では、1950年代の洋画タイトルは日本語で意訳されているものが大変多くありました。ですが、2000年以降の洋画タイトルを見てみますと、日本語で示されなくなり、原題をカタカナで表されるパターンが多くなってきています。そこでこの違いを調べるため、日本で公開される洋画タイトルは、どのように付けられるのかという経緯を調べています。
 どなたかご存知の方がいらっしゃれば、お教えいただけないでしょうか。簡単なもので結構ですので、お返事をいただければ幸いです。

Aベストアンサー

そのむかしはユナイト宣伝部の故淀川長治氏をはじめ、同じく配給会社の宣伝部だった水野晴男氏など、映画にとことん精通していた方たちが、邦題を練って付けていたそうです。

「駅馬車」「風と共に去りぬ」「第三の男」など和訳として映画の雰囲気にすごく合っているように思います。
「駅馬車」は当初「地獄馬車」だったそうで、淀川さんが辞書ににもない和訳を考えつき「駅馬車」となったという逸話があります。
「風と共に」は「風と共に飛び去った」だったそうです。


以前、最近の映画のタイトルに関して、評論家のお○ぎさんがTVで語っているのを見たのですが、配給会社の宣伝部員は日本語を知らないし、映画もろくに見ていない。だから英語をカタカナにしただけのあんなタイトルばかりになってしまう、と息巻いていました。
確かに配給会社の若い世代は驚くほど映画を見ていません。映画を専門に放送しているチャンネルの担当者も、唖然とするくらい映画の知識がありませんでした。それでいて「映画が大好きなんです」と来るので、驚くばかりですけど。



お○ぎさんの言うような理由もあるのでしょうけど、映画館へ足を運ぶ客の多くはOLだと思います。そこでちょっとファッショナブルなタイトル、となるとやっぱりカタカナってことになってしまうのではないでしょうか?
おしゃれ感というのか、これも時代にあったマーケティングなのだと思います。
またNO1の方が書いている通り、英語の浸透度というのもあったんでしょうね。
「ビッグカントリー」→「大いなる西部」の方がピント来ます。
「マグニフィセントメントセブン」→「荒野の7人」じゃないとなんだかわかりません。


宣伝部がタイトルを付ける会議をやっているのをTVで見たことがありますが、どうしてそんなタイトル名を考えつくんだろう? と首をかしげたくなる仮題が黒板に並んでいたのが印象的でした。
それが何の映画だったのか忘れちゃったんですけど。

あと惹句(いわゆる宣伝ようのキャッチコピー)、これもなんだかなぁというのが多くなっているように思います。

惹句師なんてもういないんでしょうねぇ。

そのむかしはユナイト宣伝部の故淀川長治氏をはじめ、同じく配給会社の宣伝部だった水野晴男氏など、映画にとことん精通していた方たちが、邦題を練って付けていたそうです。

「駅馬車」「風と共に去りぬ」「第三の男」など和訳として映画の雰囲気にすごく合っているように思います。
「駅馬車」は当初「地獄馬車」だったそうで、淀川さんが辞書ににもない和訳を考えつき「駅馬車」となったという逸話があります。
「風と共に」は「風と共に飛び去った」だったそうです。


以前、最近の映画のタイトルに...続きを読む

Q途中で速度が遅くなる(ゆえにすごくマヌケな)蒲田行進曲を聞き覚えのある

途中で速度が遅くなる(ゆえにすごくマヌケな)蒲田行進曲を聞き覚えのある人はいませんか? どこで聞いたのかが思い出せません。公共の場だったような気がするのですが。

ついでに、なんでそんな変なものを流しているのかも教えてもらえれば。

Aベストアンサー

昔(10年以上前)、そういうCMがあったと思います。
何のCMだっかか思い出せませんが。

Q1980年代の洋画だったと思います。(アメリカ?)  お父さんだったか

1980年代の洋画だったと思います。(アメリカ?)  お父さんだったか、お母さんだったかの所へやってきたその家族‐子供たちとその親―しかしその家には、ライオンが沢山居て、ドタバタと逃げ惑う。でも、そのライオンは人を襲わず、人に飼われているライオンで、最後は笑いで終わる。みたいな内容です。基本、ドタバタコメディみたいな映画です。今考えると、よくなれたライオンだったなあと・・・。映画のタイトル、どなたかご存じの方、宜しくお願いします。(..)

Aベストアンサー

おそらく「ロアーズ」(1981)だと思います。

参考URL:http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD9854/story.html

Q蒲田行進曲の2000年上演版

今はなき近鉄小劇場で上演した、草なぎ剛と小西真奈美バージョンの蒲田行進曲のビデオもしくはDVDは存在しますでしょうか?あればぜひ入手したいです。今までみた芝居の中で、あれが一番号泣しました。芝居に限らず、映画やドラマを含めても最高でした。

Aベストアンサー

私もできれば欲しいです。が、残念ながら映像化はされていません。
これに限らずつかこうへい氏の舞台は映像にはなっていないのではないかと思います。

「舞台は生で」が一番なのは分かりますが、
映像だろうがなんだろうが良いものは残してほしい気持ちは強いですよね。

Qタイトルが分かりせん

昔見た映画なんですけど、親を殺された戦士のような人が宗教集団に立ち向かうようなもので、その戦士の体つきがすごかった記憶があります。結構有名な人だと思うんですけど。
どうかこの映画のタイトルを教えて下さい。

Aベストアンサー

これはね、「コナン・ザ・グレ-ト」に間違いないです。古代マケドニアの時代、親を殺されたコナンが復讐に立ちあがり、元凶である蛇教と闘うというものです。主人公は何とア-ノルドシュワルツェネッガ-です。有名なのも無理はないです。


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