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仏教に詳しい方、教えて下さい。

六波羅蜜寺の御本尊は空也上人が刻んだと伝わる十一面観音です。

しかし六波羅蜜寺に伝わる空也上人像は
口から六体の仏がほとばしり出ており、これは「南無阿弥陀仏」の六字をあらわしているといいます。

また年末に「隠れ念仏」が行われていますが
南無阿弥陀仏と唱えて踊躍念仏を行います。

(1)南無阿弥陀仏と唱えるのは阿弥陀仏に対する信仰なのではないでしょうか?

(2)十一面観音に対して南無阿弥陀仏と唱える例は他にもありますか?

(3)一般的に十一面観音に対してあげるお経は何ですか。

よろしくお願いします。

A 回答 (5件)

(1)南無阿弥陀仏と唱えるのは阿弥陀仏に対する信仰なのではないでしょうか?



親鸞は阿弥陀仏に対する純粋な他力信仰だと説きましたが、親鸞以前の仏教では精神力鍛錬を目的とした自力修行の手段でした。
http://kyoto.jr-central.co.jp/kyoto.nsf/doc/stor …
十一面観音を本尊としている理由ですが、十一面観音と阿弥陀仏を同一視して十一面観音に阿弥陀仏を見ていたのではないでしょうか。ではなぜストレートに阿弥陀を本尊にしなかったのか? それは信仰の目的に現世利益があったからではないかと思います。阿弥陀の守備範囲は来世であって現世まではカバーしていません、現世は観音が担当します。阿弥陀と観音は互いの守備範囲を補完する関係にあります。

(2)十一面観音に対して南無阿弥陀仏と唱える例は他にもありますか?

ご本尊が釈迦だろうが観音だろうがお稲荷さんだろうが気にせずに南無阿弥陀仏と唱えるこだわりのない人はよく見かけます。そういうこだわりのなさは、ある意味悟りの境地かもしれません。

(3)一般的に十一面観音に対してあげるお経は何ですか。

十一面観音専用は知りませんが、普通に観音菩薩だったら『観音経(法華経普門品第二十五)』か『延命十句観音経』です
http://www.osoushiki-plaza.com/library/kyouten/k …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%81%E5%8F%A5% …
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>ご本尊が釈迦だろうが観音だろうがお稲荷さんだろうが気にせずに南無阿弥陀仏と唱えるこだわりのない人はよく見かけます。

確かにそうですね。
しかし、それは一般人であって僧侶ではないと思うのですが
どうでしょう?

あ、でも空也は民間に南無阿弥陀仏と唱える念仏を広めたのに
阿弥陀仏を刻まず、十一面観音を刻んだのでしたね・・・。

観音経のリンクはってくださってありがとうございます。
お経の意味が書いてあるので役立ちます~

お礼日時:2009/01/26 15:07

お礼ありがとうございます。



修行としての念仏を否定し、現世利益を否定した親鸞は仏教の革命家です。

親鸞を境に浄土信仰はすっかり様変わりします。平安時代の浄土信仰を親鸞の色眼鏡で見ると、空也が見えなくなるのではないでしょうか。

平安時代には念仏も信仰というより修行の方便ですし、目的は現世利益でした。
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この回答へのお礼

>平安時代には念仏も信仰というより修行の方便ですし、目的は現世利益でした。

その通りと思います。

>平安時代の浄土信仰を親鸞の色眼鏡で見ると、空也が見えなくなるのではないでしょうか。

逆に歴史の常識が、空也を浄土信仰の色眼鏡で見ているため
観音信仰と阿弥陀信仰がごっちゃになっているという可能性もあるのでは。

ウィキペディアには「空也自身が踊念仏を修したという確証はない。」
と書かれています。
ウィキに書かれていることなど信用できないという意見もありますが。

いずれにせよ、十一面観音に対して南無阿弥陀仏と唱える例が他にもあるのでしたら
日本人は信仰にルーズだからと考えることができると思います。

ないのであれば六波羅蜜寺や空也はちょっと特別な事情があって
そうしていると考えるのが妥当だと思います。

ですので、十一面観音に対して南無阿弥陀仏と唱える例が他にないか
探してみることにします。

大変参考になる意見をいただきまして感謝しております。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/26 18:37

NO1です


回答の訂正です

あなたの疑問2
その寺の開祖が浄土教 浄土思想であれば念仏が基本ですので十一面観音に対して南無阿弥陀仏を唱えるでしょう、
具体的な寺名はわかりませんが、本尊が十一面観音で開祖は浄土宗
で現在でもその教えを守っている寺は候補になるでしょう
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この回答へのお礼

訂正を下さり、ありがとうございます。

>本尊が十一面観音で開祖は浄土宗で現在でもその教えを守っている寺は候補になるでしょう。

そういうお寺があるかどうか探してみることにします。

>「南無阿弥陀仏」という「念仏」を唱える
  この「念仏」は「阿弥陀仏」信仰とは直接関係はない。

南無阿弥陀仏とは「阿弥陀仏に帰依する」という意味なので関係なくは無いと思いますがどうでしょう?

>空也の後 天台 真言になり真言の本尊のひとつの観音を
  続いて本尊としているので、現在でも「念仏」をとなえている

空也の考え方は浄土教によるものと思いますが
浄土宗を開いたのは後の法然です。
空也は天台宗空也派の僧です。

お礼日時:2009/01/26 14:53

仏教のことはよく分かりませんが、趣味で石仏の写真を撮っています。


石仏では、はっきりしない部分を仏像の写真で調べています。

十一面観音菩薩像の頭部頂上部には如来面を置くのが一般的ですが、その面は「阿弥陀如来」が多いと思います。
六波羅蜜寺の国宝像もしかりです。
どの書物で見たのか不明ですが、六波羅蜜寺の像の説明をメモしています。

「天暦5年(951年)頃の制作。霊像として長い間秘仏として伝えられて
いたこともあって、比較的保存がよい。頭部に菩薩面三、瞋怒面三、
狗牙上出面三、大笑面一の小面を二段につけ、最上段に阿弥陀の仏面をつける。」

阿弥陀如来を頭頂部に置くことについては、次のURLを紹介します。

http://goryo4.hp.infoseek.co.jp/3-8-1.htm

http://www5a.biglobe.ne.jp/~houon/butu-bk02.htm
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
石仏の写真を撮っておられるとのこと、素敵な趣味ですね。
私も写真が趣味です。撮っているのは主に祭とか寺院などですが。
(あ、質問とぜんぜん関係ないですね!すいません。)

そういえば十一面観音は阿弥陀仏の化仏をつけておられましたね。
空也上人が刻んだと伝わる六波羅蜜寺の十一面観音は
辰年のみ公開されていますが、去年公開されたようです。
見逃してしまって悔しく思っています。
(これも質問とぜんぜん関係ないですね。汗)

頭に阿弥陀仏をつけておられることを考えれば
十一面観音に南無阿弥陀仏ということはそうおかしいことでは
ないのかもしれませんね。

お礼日時:2009/01/26 14:38

私個人の考えですが、まず観音を作った空也の根本思想からはいると


1 彼の思想は当時はやっていた「浄土教」の浄土思想である
2 浄土教 は必ず「南無阿弥陀仏」という「念仏」を唱える
  この「念仏」は「阿弥陀仏」信仰とは直接関係はない
3 本尊として「十一面観音」(菩薩)を作ったが、これはほかの   「仏」 でも良かった
4 空也の後 天台 真言になり真言の本尊のひとつの観音を
  続いて本尊としているので、現在でも「念仏」をとなえている

あなたの疑問
1 これは「念仏」であり阿弥陀佛にたいする信仰ではない
2 その寺の開祖が「浄土思想」の持ち主であれば「念仏」をとなえま  すが、浄土宗(法然 親鸞)の寺(平等院 鳳凰堂等)で「本尊」  が 「観音」であれば念仏を唱えることとなると思われます
3 十一面観音は真言宗の「本尊」のひとつですので「大日経」が
  一般的です

結論として「本尊」と「宗派」は切り離して考えたほうがよいと
思います

参考になれば幸いです
(参考サイト)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B8%8A%E5%BF%B5% …
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%84%E5%9C%9F% …

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E5%B0%8A
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>その寺の開祖が「浄土思想」の持ち主であれば「念仏」をとなえま  すが、浄土宗(法然 親鸞)の寺(平等院 鳳凰堂等)で「本尊」  が 「観音」であれば念仏を唱えることとなると思われます

申し訳ない、ちょっと意味がわからないのですが
これは平等院の本尊が観音ということですか?
平等院の本尊は阿弥陀如来ですが?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B9%B3%E7%AD%89% …

それとも違う意味でしょうか。

お礼日時:2009/01/25 14:44

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