Wikipedia に「価格革命(かかくかくめい、price revolution)とは、大航海時代以降の世界の一体化にともなって、16世紀半ば以降、メキシコ、ペルー、ボリビアなどアメリカ大陸(「新大陸」)から大量の貴金属(おもに銀)が流入して、全ヨーロッパの銀価が下落し、大幅な物価上昇がみられた現象をさす。」とあるのですが、なぜ、銀の価格が下落したことにより、大幅な物価の上昇が起こったのでしょうか?
とても、基本的な質問で申し訳ないのですが、どなたかお答えくださると、とても助かります。

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A 回答 (4件)

銀は銀貨として通貨として使用されていました。


銀が大量に産出されれば、銀の価値が他の商品と比べて相対的に下がります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
なるほど。銀の価値が下がったことで、他の商品の価値が上がってしまったのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/26 06:59

追記



銀貨は他の貨幣とも交換(両替)されていました。
例えば、金貨1枚と銀貨10枚を交換していました。(例えなのでレートは適当です。)

そのため銀貨の貨幣価値が下がると他の硬貨も連動して貨幣価値が下がってしまいます。
当時の交換レートが固定レートだったのか、変動レートだったのか知りませんが、
どっちにしろ銀貨につられて他の硬貨まで価値が下がります。

それで、ますます物価高になります。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
当時、銀貨は他の貨幣とも交換されていたのですか。
たしかに、これだと、ますます物価が上がってしまいますね。
なるほど。とても助かりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/26 07:10

銀貨1枚分の貨幣価値はそのまま、銀貨に使われている銀の価値です。


つまり硬貨として貨幣価値と、貴金属の銀のかたまりとしての値段が一緒という意味です。

例えば銀貨を100枚つぶして、のべ棒を作ったとしたら、のべ棒には銀貨100枚の値段がつきます。

そのため大量流入して銀の価格が下落したという事は、銀貨の貨幣価値が下がったという意味にもなります。
そして、お金の価値が下がるという事は物価が上がったという意味になります。
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男が10人 で 女が10人いました。


いい男もいれば、そうでない男もいる
いい女もいれば、そうでない女もいる

まぁそれなりに付き合っていた。

突如女が20人増えて
男が10人 で 女が30人になった。
男はみんなモテモテで、三人ずつの彼女を持ってしまった。

男の価値が上がって、女の価値が下がってしまったのです。

と、ここで女=新大陸からの銀、男=商品 と考えてください。

ちなみに、マルクスは、すべての商品はお金に恋するが、片思いだ。なんて事を言っていたような気がする。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。
確かに、10対10のところに、片方だけ、突如として人数が増えてしまったら、増えたほうの価値は下がるのにもかかわらず、もう一方のほうは、数は一緒なのに、価値は上がりますよね。
それにしても、マルクスは面白いことを言いますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2009/01/26 07:05

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Q江戸時代の藩の領地地図

江戸時代の全藩の領地地図を教えてください。
細かいのでお願いします。(飛び地など)
あと、天領も出していただけるとありがたいです。

Aベストアンサー

無理です
あなたが考えている以上に細かいので
一つの地域に
Aさんの田んぼはポコポコ藩領
Bさんの田んぼはニョロニョロ藩領
になている地域があります。

一石しか無い場所ってのがあるんですよ
今風でいう一坪地主
それを地図にしていくのは無理です
そもそも地図があった訳ではなく、言い伝えで私の家はXX藩領だったというレベルでしかないからです

Q革命(revolution)と謀反(rebellion)の違い

この違いがよくわかりません。

例えば19世紀から20世紀に中国で起こった様々な
反乱(太平天国とか)や共産党による運動(大躍進とか)を考慮して、
これらの持つ性質は革命的と言うのか、それとも謀反的と言うのか考えています。

どなたかご意見ください。

Aベストアンサー

 革命と、Revolution とは、同じ意味で使う人もいるのですが、そもそも違います。

 「革命」とは中華思想の産物で、「命を革(あらため)る」と読み下すように、命令を変更するという意味です。正式に言うと「易姓革命」という四文字になるのですが、天が地上を支配する一族を誰にするかという命令のことです。皇帝が政権を取る根拠として、「天の命令である」という立場を取るわけです。王権神授説のようなものです。
 つまり、皇帝の一族が代わることを指して、「革命」と呼ぶわけです。ここに、政体の変更という概念は、そもそもありません。始皇帝の時代から、今の共産党独裁体制まで、皮は多少変わっても、支配体制は同じです。

 Revolution の方は、政体の変更を伴う政権交代です。
 フランス革命のように、王制が倒されたケースですね。

 倒される政権の側から見たら、どちらも同じですが、政権が倒れた後の形態によって区別されます。もっとも、Revolution の訳語として同じ意味として「革命」が使われるケースも多いですけれどね。

 謀反は、これらを倒される政権の側から見た評価です。成功しようと、失敗しようと。

 従って、太平天国は革命でもあり、謀反でもあります。この場合の革命は易姓革命ですが。というのは、シナ民族は未だに皇帝制以外の政体を持ったことがありませんから、太平天国が成功したら、じきにオウウのようなプチ帝国になっていたでしょう。ここに政体の変更はありませんから。
 大躍進運動は、政策です。あれを「革命的」と評するケースがありますが、ここの革命は「共産主義革命」の略で、要するに共産主義が進むという意味であり、共産主義者特有の特殊用法です。

 なお、「革命的」という場合の「的」は、「~のような」という意味で、比喩であることを表す語です。そして、「革命」とは何ぞやという特徴の捉え方は何通りもありますから、どの特徴の類似性を見て「革命的」と評するかは、発言者の任意です。
 もっとも、一般的な用法を見ると、前述の共産主義者の特殊用法を除くと、「革命的」とは「大きな」という意味以上では無いケースがほとんどです。しかも実体はたいしたこと無いのに言葉だけ飾ろうという意図が見え隠れし、無知や粉飾を晒す恥ずかしい結果になりがちですね。

 革命と、Revolution とは、同じ意味で使う人もいるのですが、そもそも違います。

 「革命」とは中華思想の産物で、「命を革(あらため)る」と読み下すように、命令を変更するという意味です。正式に言うと「易姓革命」という四文字になるのですが、天が地上を支配する一族を誰にするかという命令のことです。皇帝が政権を取る根拠として、「天の命令である」という立場を取るわけです。王権神授説のようなものです。
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Q1日2食は太りますか?

よく、ダイエットするには、1日5食くらいにするなど、小分けにして食べたほうが太らないと言われます。
(空腹時間が長いと栄養の吸収が高まるって言われますよね。)
ただ、私は仕事の関係上、朝11時と夜7時頃にしかご飯を食べる時間がなく、どうしても一日2食になってしまいます。
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また、ダイエットの先生の中には、自分の体調にあっていれば1日2食でもいいって言われる人もいますよね。

そこで、1日2食は本当に太ってしまうのか教えてください。

Aベストアンサー

“一日に必要な総カロリーを小分けにして食べると太らない”というのは、小分けした方が血糖値を一定に保てる(インシュリンの分泌を安定させるので、脂肪の吸収を抑える事になります)、またタンバク質の消化吸収にもよいということで、ボディビルダーの基本ともされている食事法ですね。
ですから、omen_riderman さんのおっしゃるように、食事回数が少ない方が太りやすいとはいえるでしょう。
ただ、2食だろうが3食だろうが5食だろうが、一日に必要な総カロリーが消費するカロリーより低ければ体重は減り、高ければ増えます。

3食食べるのがきつくて、食事の回数が2回しかとれないのであれば、血糖値を安定させるのに飴をなめる等の方法もあります。市販のプロティンバー等でもいいでしょう。プロティン飴というのもあります。

まずは、自分が一日に必要なカロリーを計算し、そのカロリーに合ったバランスのよい食事を取られることが先決ではないかと思います。
ただ、3食食べて胃がもたれるというのであれば、胃が弱っているとか胃に負担がかかっているかもしれませんので、そちらを検査される必要もあるかもしれません。

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ですから、omen_riderman さんのおっしゃるように、食事回数が少ない方が太りやすいとはいえるでしょう。
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Q「市民革命」で言う「市民」の定義と市民革命の定義

高校生です。学校では「市民とは、都市(=壁、burg)に住むもの。つまり商工業者(ブルジョワジー)を指す。そいつらが財産権の保証やらを求めて絶対王政を打倒したのが市民革命だ」というようなことを習いました。
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・アメリカ独立革命の頃のイギリスは絶対王政でない
から上の定義には当てはまらない気がします。権力者ならばなんでもいいのでしょうか。
つまりある程度産業が発達している国での商工業者の利権が多少とも感じられる革命はみんな市民革命ですか?

Aベストアンサー

普通、市民革命というとブルジョワ革命のことです。
ここでいう市民はブルジョワ、能動的市民のことで、
受動的市民つまり労働者は含みません。
ブルジョワジーは、通常、市民階級と訳します。
市民というと、市内に住む人と思い勝ちですが、
歴史用語の市民、特にここでいう市民とは、
ブルジョワのこと、資本家をさしています。
ブルジョワ革命とは、単なる民主化ではなくて、
能動的市民と定義された、簡単に言えば、裕福な市民にだけ
権利を与えようという革命のことです。
アメリカでは財産制限はなかったものの、選挙登録が必要なため、
事実上は無学者・貧困者を遠ざける仕組みになってます。

絶対主義的とは、要するに適用者に異議を挟む権利がなく、
治世者には制限がないということです。
植民地が議会に代表を送ってもおらず、
イギリス本国で認められる権利章典の恩恵がえられない。
参政権と課税権が一体とされていたのでこれは大問題で、
植民地のおいては絶対王政の時代と変わらない統治がおこなわれていたことが
独立戦争が起こった原因です。
重商主義は通商政策に関する考え方で、絶対主義は国家主権に関する考え方です。
視点がイギリスからかアメリカからかで、変わってくるだけです。
イギリスの市民から考えれば、アメリカの市民の権利が認められないことが
場合によっては利益になるわけで、重商主義的なものの見方ができ、
アメリカの市民から考えれば、イギリスの国王の植民地支配は、
議会参加を認めらていないので、絶対主義的な典型的な支配体制であるといえます。
アメリカの植民地は、名目上、国王ジョージ3世の私有地であって、王の土地で、
独立前は王が君臨していました。
植民地では王権の強化が行われ、それが反発を生んだ。

普通、市民革命というとブルジョワ革命のことです。
ここでいう市民はブルジョワ、能動的市民のことで、
受動的市民つまり労働者は含みません。
ブルジョワジーは、通常、市民階級と訳します。
市民というと、市内に住む人と思い勝ちですが、
歴史用語の市民、特にここでいう市民とは、
ブルジョワのこと、資本家をさしています。
ブルジョワ革命とは、単なる民主化ではなくて、
能動的市民と定義された、簡単に言えば、裕福な市民にだけ
権利を与えようという革命のことです。
アメリカでは財産制限は...続きを読む

Q江戸時代の酒場

時代劇に登場する居酒屋は、現在の蕎麦屋にあるような木製のテーブルや腰掛が出てきますが、ああいうテーブルに腰掛けて食事をするというスタイルは、実際には大正時代のカフェという酒場が出来てからだそうですね。
また、酒樽に腰掛けてカウンターのような席の酒場も見たことがありますが、これも江戸時代には有り得ない光景だったようです。
江戸時代の実際の酒場は、ほとんどが今で言う座卓だったのでしょうか?
また、こうした時代劇の誤りを指摘した本などがあれば教えて頂けると幸いです。宜しくお願いします。

Aベストアンサー

酒を飲むお店はいろいろありますけど、酒屋が店先で酒を飲ませる形、屋台の店、そして居酒屋は「煮売り屋」からの発展系と思います。
この煮売り酒屋ですけど、

http://www.cleanup.co.jp/life/edo/03.shtml



http://homepage3.nifty.com/shokubun/izakaya1.html

を見ても、お盆の上の皿に料理を盛って畳に置いて食べていますから、座卓もなかったと思いますよ。

Qロシア革命(十月革命)について質問です。

ロシア革命(十月革命)について質問です。
「ソビエトは、ドイツと講和交渉を始め、戦争の早期終結のためにドイツの過大な条件をのんで、ブレストリトフスク条約を結び、連合国側から離脱した」と説明であるのですが、時代背景があまり理解できなく困っています。
連合国とはイギリス、フランスの三国協商のことでしょうか?
どなたか解説お願いします。

Aベストアンサー

WIKIPEDIA参照下さい。「ブレスト=リトフスク条約」
「1918年3月3日に結ばれた条約 - 中央同盟国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国)とロシア共和国およびウクライナ人民共和国のボリシェヴィキ政府(ソ連の前身)とが講和を結んだ。この条約により、ロシアが第一次世界大戦から離脱することとなった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%9D%A1%E7%B4%84

「第一次世界大戦」
「各国はドイツ・オーストリア・オスマン帝国・ブルガリアからなる中央同盟国(同盟国とも称する)と、三国協商を形成していたイギリス・フランス・ロシアを中心とする連合国(協商国とも称する)の2つの陣営に分かれ、日本、イタリア、アメリカ合衆国も後に連合国側に立ち参戦した。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6

注意すべき点は、この条約締結時点では「ソビエト(連邦)」は成立しておらず、「ロシア」と称するのが正しい。

WIKIPEDIA参照下さい。「ブレスト=リトフスク条約」
「1918年3月3日に結ばれた条約 - 中央同盟国(ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国、ブルガリア王国)とロシア共和国およびウクライナ人民共和国のボリシェヴィキ政府(ソ連の前身)とが講和を結んだ。この条約により、ロシアが第一次世界大戦から離脱することとなった。」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%96%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%88%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AF%E6%9D%A1%E7%B4%84

「第一次世界大戦」
「各...続きを読む

Q 江戸幕府五街道について

 江戸幕府五街道について
 http://kikitai.teacup.com/qa6236174.htmlにおきましては薩摩藩そして令制における薩摩の国の範域、そして五街道につき的確でご親切なご回答を有り難う御座いました。

 さて、http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%94%E8%A1%97%E9%81%93によりますと、五街道は日本橋を基点とする陸上の交通路の整備となっており、令制の“道”と国の所属ではないようです。
 
 質問:
 北海道はともかく、九州や四国は幕政でも大名を配したり、古来政治や文化でも関連があったと存じますが、海峡を挟んだところには五街道に類する“道”というものを構想することはなかったのでしょうか?必要性がなかったということでしょうか?

Aベストアンサー

toshinekoです。
そもそも五街道は、徳川家が軍事用道路として整備した街道です。

東海道・・・・・・江戸と京を結ぶ軍事用道路、対豊臣・西国の毛利氏や島津氏などへの備え。
中山道・・・・・・東海道のバイパス、また対前田氏への備え。
奥州街道・・・・・・江戸と奥州を結ぶ軍事用道路、対伊達氏、上杉氏への最前線向かう。
日光街道・・・・・・奥州街道の脇道、日光から会津地方へと抜けることができる。
甲州街道・・・・・・甲府は江戸が危うくなった場合、将軍が逃れる場所だったようです。

したがって、外様大名が多くいる九州や四国、中国地方へ立派な街道など設ける必要はありません。
地方から江戸や京などへ攻め上るのに遅くなってくれたほうが都合が良いのですから。

Qフランス革命の時、ナポレオンが総裁政府を打倒したことによってフランスが平和になったため、フランス革命

フランス革命の時、ナポレオンが総裁政府を打倒したことによってフランスが平和になったため、フランス革命の終結となっていますが、なぜ、総裁政府を倒すと平和になるのですか?

Aベストアンサー

他国とに戦争状態であるにもかかわらず、過激な政策や権力争いで内政は混乱、
ナポレオンとシエイエスはクーデターでそれにとどめを刺して、以後、統領政府を経て第一帝政になりました(内政は安定しました)という意味です。

Q江戸時代の庶民は歴史教育を受けていた?

「戦記物」と言えば、今も昔も人気のジャンルですが、定番の「太平記」「平家物語」
などが江戸時代から小説や演劇の分野で人気を博していたそうです。
「戦記物」というジャンルは、時代設定とか登場人物がある程度把握できて
いないと話が分かりにくいので楽しめないと思います。

江戸時代の庶民の学校での教育内容とは「読み書き・算盤」というイメージが
ありますが、実は高度な歴史教育が為されていたのではないかと推測できます。
江戸時代も我々現代人と同様に学校で歴史の教育を受けていたのでしょうか?

Aベストアンサー

結論を言うと武士や貴族は藩校(武士の学校)や個人的な塾や家庭教師という形で歴史教育というか教養として学ぶ機会がありました。
とは言え今の学校教育のようなイメージでは無く漢文を学ぶ為のテキストとしてたまたま中国の歴史書を使った為自然と覚えたという形です。ですから体系的なものではありませんでした。
それと江戸時代以前までで歴史というのは中国史であって日本史は国学が盛んになるまでは比較的マイナーな扱いだったりします。

一番有名なエピソードとしては鎖国政策が実は江戸幕府の政策だったのに古来(神武天皇とかの時代)からの法と思ってた人が結構多かった事があります。これには江戸時代の人で頼山陽という学者の書いた日本外史というテキストがベストセラーになりました。これは源平から徳川初期までが書かれていたのですが太平記等を下敷きにしたものでしたので文学とか小説みたいな感じです。今で言うならば司馬遼太郎の作品が似たような感じです。

なので肝心の学問的な価値は低い代物であった為重要な政策等が分かりづらい欠点があります。ありますがそれを差し引いても多くの人々に訴えかける「何か」があり後世の幕末に多大な影響力を行使したと言えます。私はその「何か」とは熱血とか燃えとかだと思いますけど。

少し脱線しましたが庶民はというと所謂琵琶法師や講談或いは芝居や歌舞伎といった形で軍記物等の歴史に接しました。今ならば映画や小説とかテレビの時代劇がそれにあたります。なので庶民が知る歴史とは現在ならば銭形平次や水戸黄門とかNHKの大河ドラマを見て歴史を語る様な物であったりします。

結論を言うと武士や貴族は藩校(武士の学校)や個人的な塾や家庭教師という形で歴史教育というか教養として学ぶ機会がありました。
とは言え今の学校教育のようなイメージでは無く漢文を学ぶ為のテキストとしてたまたま中国の歴史書を使った為自然と覚えたという形です。ですから体系的なものではありませんでした。
それと江戸時代以前までで歴史というのは中国史であって日本史は国学が盛んになるまでは比較的マイナーな扱いだったりします。

一番有名なエピソードとしては鎖国政策が実は江戸幕府の政策だ...続きを読む

Q政治学(体制論)における「革命」

こんにちは。

以下のような記述があるのですが、何か腑に落ちません。


「革命は,支配者が確固たる統制力をもっている間は起こらないものである。
また,革命の前に,支配者との妥協の上に立って革命が先行する場合も多く,
フランス革命でも支配者側によって改革が行われ,
ロシア改革でも議会の開設などの改革が行われた。」

と言うもので、フランス革命以前の改革に心当たりがありません。
三部会を何百年振りに開いたということでしょうか?

心当たりがない訳ではないですが、フランスに加えて、
ロシアについても言及して頂ければ嬉しいです。

それでは、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

フランス革命でも支配者側によって改革が行われ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A416%E4%B8%96_(%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%B9%E7%8E%8B)

政治改革の部分


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