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日露戦争の日本勝利で収束したことの要因のひとつとして、日本が当時のロシア国内の反対勢力を煽ったからだと聞きましたが、どのように煽ったのでしょうか?
このことはいくつかの勝利の要因としては比率的には大きかったのでしょうか?

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A 回答 (2件)

明石工作は↓



http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E7%9F%B3% …

スウェーデンを拠点に、ロシアの反政府グループへ活動資金をばらまいたらしいですが、初めから秘密警察にマークされていましたから、破壊工作や武器の密輸など、ことごとく失敗したようです。
ただ、秘密警察からロシア皇帝へ、日本の工作員がいろいろやってる、との報告があったことは間違いないと思われますので、皇帝に和平を決断させる心理的圧力になった可能性はあると考えます。
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 「回答No.1」の回答が極めて妥当と考えていいと思います。

リンクされているウィキペディアの叙述も正確です。
 私は『坂の上の雲』や"自由主義史観"のこれに関する記述を読んだことがないですが、ウィキペディア中に引用されている「粗筋」の内容は歴史的事実に反する可能性が高い。
・「レーニンが率いる社会主義運動」とあるが、当時の社会民主党は分裂状態しており、レーニンはその少数派でした(自らは「多数派(ボリシェビキ)と名乗っていましたが。)。
・「レーニンは、当初これは祖国を裏切る行為であるといって拒否したが」とあるが、彼の考えは元から外国の力を借りようが何をしようがロマノフ王朝を打倒するというものであり(これは1917年の時にも一貫しています。)、別に説き伏せられるものではない。

 ちなみに私は、明石がレーニンに会ったことがある又はレーニンが明石に感謝していたという話を聞いたことがありません。プレーヴェ暗殺、血の日曜日事件、ポチョムキン反乱に日本の工作活動があったという話も聞いたことがありません。
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