18世紀~19世紀のアメリカにおける黒人奴隷の生活実態に関する本を教えてください。
できれば日本語に翻訳されているものをお願いします。

A 回答 (1件)

古書しかないかもしれませんが、


アレックス・ヘイリー 著、安岡章太郎・松田銑 訳「ルーツ 上下巻」
をお勧めします。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Qアメリカの南北戦争って結局は黒人奴隷の取り合いだったの?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。  普通考えるとあり得ないですよね。  あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか?

結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカはもっているわけですよね。

そこでお聞きしたいのですが、有体にいってアメリカの南北戦争とは結局は 「黒人奴隷による安価な労働力」 を南北で取り合ったというのが正しい考え方でしょうか?

もしそうなら、リンカーン大統領はなぜ偉人というか歴史に残る大統領として今でも語り継がれるのでしょうか?

仮に 「たしかに労働力の取り合いだったとしても、結果的に奴隷制の廃止、またその後、黒人奴隷の人権も認められるキッカケになったじゃないか」 という意見があったとしても、実際にアメリカで黒人が白人同様の人権を認められるのに南北戦争後、約100年以上もの時間を要しているわけすよね?

つまり奴隷解放、人権回復というのは南北戦争がなくても20世紀に入ってからの時代の趨勢で実現されていたというか ・・・

それとなぜ英語では南北戦争ではなく、Civil War (市民戦争?) と表現されるのでしょうか?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、...続きを読む

Aベストアンサー

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
イギリスからの輸入品との競争に弱い北部工業地域は、保護貿易を主張します。
南北戦争とはこのような国内産業のあり方、対外政策のあり方をめぐっての戦争だったわけです。
だから南北戦争では北部は南部に打撃を与えるための戦術として奴隷解放を主張したと思われます。(現に「勝つためなら奴隷のことなんてどうでもいい」というような発言も残っています。)

そして北軍の勝利となり、国内産業保護的な政策をとることができるようになり、これを背景としてアメリカ国内における工業が飛躍的に発展するわけです。
これがいわばアメリカ版産業革命です。

Civi lWarと呼ばれるのは多分対外戦争ではないからでしょう。

リンカーンが語り継がれるのは別に奴隷解放を主張したからではなく「人民の、人民による、人民のための政府」という演説が有名になったためでしょう。
日本でのリンカーン人気は、有色人種差別に苦しんだ明治の頃の日本人が、「奴隷解放宣言」を真に受けて広く紹介したためと思われます。

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですか...続きを読む

Q世界史です。よろしくお願いします。 19世紀のアメリカは、主に奴隷反対の北部と奴隷賛成の南部に分断さ

世界史です。よろしくお願いします。

19世紀のアメリカは、主に奴隷反対の北部と奴隷賛成の南部に分断されていました。では、なぜ北部州は奴隷反対だったのでしょうか?奴隷がいる方が、製造活動にも使えると思うのですが…

それぞれ奴隷反対と賛成の理由について教えてください

Aベストアンサー

工業が発展した北部では、黒人を奴隷ではなく、有給の労働力とし、彼らが稼いだ金で自由に工業製品を消費することによって国内市場の拡大するとの考えのもと、黒人奴隷制には反対を主張した。 一方アメリカ南部の主要産物は英国向けの綿花であり、それを支えるために多くの黒人奴隷が必要となった。 北部と事情が異なり、黒人が綿花の消費者になることはありえないゆえ、奴隷制維持を主張した。

Q黒人奴隷についてです。

黒人奴隷についてです。

夏休みで、「映画を見て、自由や平等、平和の問題について自分なりに具体的なテーマを設定し作文を書く。」

という内容の課題が出ております。夏休みも終わりに迫り、かなりピンチですw。

そこで私は「アミスタッド」という黒人奴隷が取引される話(結局最後は無事アフリカへ戻れた)の映画を選びました。  <A Href="http://stagevu.com/video/bklubqnwmmzx"></A>(←一応視聴用リンク用意致しました。)

その課題は800字以内で。となっています。

自分なりに一応考えてはみたのですが・・思考力がないのかただ単にアホwなのかまったく思いつきません。

アミスタッドを見たことがある方、アフリカ奴隷について何か論じれる方は、何かキーワードや簡単な文をもし思いつきましたら、是非ご回答下さい。よろしくお願いします。

Aベストアンサー

それほど詳しくはありませんが・・そもそも人類の社会はつい最近まで「奴隷制度」でまかなわれてきたわけでありまして、よく言う「四大文明」なども奴隷の労働力で発展していくわけですね・・・極端な言い方をすれば、全ての資本主義の原型となるものが「奴隷制度」でして、この点でいえば、近年の「安い労働力」を背景にして発展してきた中国などもある意味で 奴隷制度の最後の名残かもしれません。古代においてはシステム化された「奴隷制度」は国家の繁栄にとって不可欠のものでありました。(現代社会においてロボットを大量に持つのと同じ考え方ですな)実際「奴隷」は優秀なモノ(使える人材という意味ですが)は大変高価で、非常に大切にされたようですし、長期間労働に従事することで、最後に「自分で自分を買い取って自由になる」という事も可能だったようです。 質問者さんの年齢がわからないのですが「ルーツ」はご覧になったことがありますでしょうか?おそらく「アミスタッド」よりも アフリカ系アメリカ黒人奴隷の流れはわかると思います。 15世紀あたりから始まったアメリカの奴隷制度は 当時後進国であったアメリカが 国力を上げるために、主に農業従事者をアフリカから強制的に連れてきたのが始まりです。当時のアングロサクソン系の移民が多いアメリカでは、広大なあの土地を、手っ取り早く開発するのに、地道で根気の必要な農作業に従事できる人間がとても少なかったんですね。大航海時代の輸送量の大幅な飛躍と、スペイン・ポルトガル・オランダに代表される貿易国が、「商業的」に「商品」として「奴隷貿易」をひとつの産業にしてしまった事で(この時代ヨーロッパには「輸出」できるような優れた商品がほとんどないんですね。ほとんどの場合、ヨソの国を侵略して略奪するのがお仕事でした。むしろアメリカの広大な自然が生み出す、動物の毛皮や、クジラの油などのほうがよほど魅力的だったはずです)アフリカ圏からの多くの「奴隷」がアメリカ大陸に移送され、結果的にそれまでの 古代ヨーロッパ的な「奴隷制度」とはだいぶ異なる(今ではむしろこっちのほうが奴隷のイメージを定着させてしまったようですが)「黒人奴隷は言葉を話せる牛や馬」的なアフリカ系奴隷を大量に生み出していくわけですが、古代から中世のヨーロッパでは、被征服者側が主に奴隷とされ場合によっては 同じ民族である場合もあったのに対して、アメリカの場合、まったく異なる黒人種を奴隷としたため「キリスト教」特有の異文化イジメとあいまって「人種差別」が加速していったようですね。中世ヨーロッパ全体が社会システムをしだいに「脱奴隷制度」へと移行していた時代に アメリカでは「ヨーロッパに追いつけ追い越せ」という流れの中で急速に「奴隷制」を進めていくのですね。以降、南北戦争で「表向き」奴隷制度が廃止されるまで、1000万とも2000万ともいわれるアフリカ系黒人奴隷がアメリカ大陸に運ばれていきます。

それほど詳しくはありませんが・・そもそも人類の社会はつい最近まで「奴隷制度」でまかなわれてきたわけでありまして、よく言う「四大文明」なども奴隷の労働力で発展していくわけですね・・・極端な言い方をすれば、全ての資本主義の原型となるものが「奴隷制度」でして、この点でいえば、近年の「安い労働力」を背景にして発展してきた中国などもある意味で 奴隷制度の最後の名残かもしれません。古代においてはシステム化された「奴隷制度」は国家の繁栄にとって不可欠のものでありました。(現代社会におい...続きを読む

Q18世紀、19世紀に大量の西洋人が新大陸に移住した理由

今の時代、海外に移民しようという人は多くないですが、人類史上最大の移民は18世紀、19世紀における西洋人の新大陸やオーストラリアへの大移民ではないかと思います。
その理由として何が考えられるでしょうか?ヨーロッパで人口増加が起きて食いつめた人が多かったようですが、新大陸に数千万人移住した後もヨーロッパで人口減少していないことから、物凄い人口爆発が起きたはずです。
冒険心、野心を持って移住した人もいるでしょうが、大半の人間にとって生活のため止むにやまれぬ理由だったと思います。
私は、当時の西洋人は不自由で貧しい祖国から自由を求めて移住したがる今の中国人、インド人と似ているのではないかと思っているのですが、どうでしょうか?

Aベストアンサー

まあ、質問者さんのおっしゃる「人口増加が起きて食いつめた人が多かった」ということでしょう。産業の発展や社会の安定、衛生・医療の向上などにより死亡率の低下、食糧の安定供給が可能になって、維持可能な人口が増えるのですが、富の配分の不均等・格差の拡大により、恩恵の少ない下層レベルが、外に活路を見出そうと移住するのでしょう。

 18世紀、19世紀の西洋に限らず、日本でも、明治以降ハワイやアメリカ本土に多数移民するとともに、20世紀初頭からブラジルのコーヒー農園に約13万人、さらに1930年代には満州国に多数移住しています。主に地方の小作農家の次男三男以下だったようです。
 西洋や中国、インドだけではなく、日本もかつてはそうだったのですよ。

 中国人にしても、最近ではなく、昔から世界各地に移住していて、各地に「チャイナ・タウン」「中華街」を作っていますね。東南アジアの「華僑」もそうです。
 日本人は、日本人どうして固まるよりは現地に溶け込もうとする傾向が強いようですが、それでも土地によっては「リトル・トウキョウ」がありますね。

Qニューヨーク市長が「黒人奴隷は必要だった」

「当時は、産業革命前だから、黒人奴隷は必要だった。そんなの誰が考えたって分かる」と、ニューヨーク市長が言ったとしたら、どうなるでしょうか?

Aベストアンサー

橋下大阪市長の『慰安婦発言』に照らし合わせての質問だとは思いますが…。

全く論点が違います。

慰安婦問題は、慰安婦そのものが、強制的に連行されて従事させられたのではなく、
本人が自発的に職業として選んだ…という事が各方面の検証で明らかになっています。
実際に当時としては破格の給料を手にしていました。

一方、黒人奴隷制度は、『職業として自発的に選んだ』と言うこととはほど遠く、肌の色だけで文字通り強制的に働かされた制度です。

黒人奴隷と従軍慰安婦を同列で比較すること自体が全くナンセンスな話です。

Qアメリカの奴隷制度の実態について

アメリカの奴隷制度の実態はどのようなものだったのか教えて下さい。

僕は歴史に全然詳しくないので、これは素人の質問であることをご了承ください。


アメリカで奴隷制度が廃止される前の黒人の生活実態はどのようなものだったのですか?

例えば奴隷制度といっても、実際には働いた分賃金をやり取りする雇用形態の形をとっていたのですか? それから黒人の労働市場は誰がどんな形で取り仕切っていたのですか?

それからもう1つ疑問なのが、現代日本の感覚で「奴隷」と言うと、完全に人権のない家畜のような扱いを受ける存在という意味で使われたりしますけど、本当にそんな扱いを受けていたのですか?

「風と共に去りぬ」とかを読むと、確かに当時は白人と黒人の身分が違う社会だということは明確に分かりますけど、案外、白人と対等に生活している黒人もいたりして、少なくとも今の日本人がイメージする「奴隷」というのとは大分違うのかなあと疑問を感じました。

Aベストアンサー

アメリカの奴隷制度を語るためには、古代からつづく地中海世界の奴隷制度を確認しておく必要があります。

紀元前の時代から「奴隷制度」というのはありふれた制度であったといえます。奴隷の多くは、アテネなどの都市国家から離れたアフリカ大陸や未開なゲルマン民族やスラブ民族であったものの、都市国家間で戦争がおき、負けたほうの市民が奴隷として売られることも多くありました。
また海賊などが船を襲ったときに、人質となった人々のうち金持ちは地元から身代金を持ってきてもらって引き換えに開放されたのですが、身代金を払えない人々は奴隷商人が買い取って、地中海から離れた中近東などに売っていたようです。

これらは1世紀ぐらいには、かなり高度に組織化されており、ローマ帝国の奴隷にはアフリカ出身の肉体労働者から、ギリシャ出身の教師の奴隷や医者の奴隷なども居たようです。また、奴隷には賃金がある程度払われており、それを元手に儲けあるいは宝くじを当てるなどして、主人にお金を払い奴隷身分から開放されたようです。
 
 またプランテーション的な農業が多かった地中海世界では、奴隷は労働力として必要だったものの、積極性は皆無だったため、馬牛などを使った場合の生産性と奴隷を使った場合の生産性について議論した同業経営書などもあったようです。

いずれにしても「奴隷」の地位は、主人の所有物であり、馬や牛などの家畜と変わらない存在でした。3世紀ぐらいの奴隷の価格は30万円前後であり、家畜を飼うほうがいいか奴隷を飼うほうがいいか、というものだったと思います。


時代が下がって中世のヨーロッパにも奴隷性が残っていました。この奴隷性の特徴はほぼ古代と変わらないのですが、供給先がアフリカとスラブ民族に変化していきます。また、当時のヨーロッパは相対的に貧しい地域でしたので、中近東などから宝飾類やスパイスなどの輸入に対して、奴隷を代金代わりに払っていたようです。
アラブ諸国では、白い肌が珍重されるために特に女性は高値で買われていたようですが、これは現代のニュースにも同じ側面が出ています。

わずかな金額で買われる少女予たち:http://japanese.ruvr.ru/2012_11_29/96332677/

アメリカ合衆国が独立すると、ほぼすぐに黒人奴隷が供給されるようなります。このときに供給したのはヨーロッパに存在する奴隷商人だったことでしょう。
アメリカは広大な土地があったため、労働力がいくらでも必要だったからです。

奴隷制度そのものもヨーロッパの制度とほぼ変わらなかったと思います。重要なのは
・奴隷は主人の所有物であること
・奴隷の子供も奴隷であること
・奴隷の生殺与奪権は主人にあること
です。

先ほど書いたように、奴隷の労働力を向上するためには多少の娯楽必要になりますので、小遣い程度の賃金を与え、日常的な楽しみは享受できた、という場合も多いようです。
しかし、アメリカ南部のなにもないプランテーションで働く奴隷には、娯楽もなにもなく掘っ立て小屋で寝起きをする暮らしの人々もいました。
 これらの処遇は、主人の資質によるところが大きく、それは古代から同じでした。

アメリカの奴隷制度を特長つけているのは、黒人法という法律でしょう。アメリカには独立当初からわずかですが自由人としての黒人がおり、また奴隷から解放された黒人もわずかながら増えていきました。
 ヨーロッパでは(実際に差別がなかったとはいえませんが)、肌の色で差別する法律は無かったのですが、アメリカには黒人法(black code)が制定されていました。

この法律が制定されたのは、皮肉なことに奴隷解放を是非とした南北戦争の後のことであり、憲法で奴隷制を廃止したのにも関わらず、黒人法で差別することになっていったのです。

つまり、私たちの知っている奴隷制というは、南北戦争までの「主人が所有する」という奴隷性と、戦後の黒人法による実質的な差別の二つに分かれます。

以後は黒人法による「実質的な奴隷制」の継続の根幹です。
黒人法は多岐にわたる法律の総称なのですが、その内容は
・選挙権の実質的な剥奪 投票税などで黒人の投票権を縛った
・異人種間の通婚の禁止 白人と黒人が結婚することを禁止した
・教育の分離      白人と黒人は教育する場所を厳密に分離された。
・公共施設の隔離    鉄道・バス・レストランなどの場所を分離した。
・武器の所持や夜間外出の禁止
・徒弟法        黒人が労働する際に、お礼奉公を義務つけるなど、実質的な職業の自由を奪った。

これにより、黒人は白人とは違った「2級市民」の扱いをうけ、特に南部の奴隷出身者は、実質的にそのまま主人の元で働くことを余儀なくされました。
また、黒人が自立して働き、個人の権利を確立することはかなり難しかったと思います。特に教育で差別され、賃金や選挙権で差別されているのですから、実質的に奴隷と同じだったといえます。
ただし、元々自由民だった黒人も少数ながらいましたし、北部では(黒人が元々少ないが)かなり自由に生活が出来ていたといえます。

これらの黒人法は1866年(南北戦争終戦の翌年)から数年で公布され、南部11州で常態化していきます。
これが解消されるのは1964年の公民権法が施行されてから、ということになり、この法律が施行されてからまだ50年たっていないことになります。

今でも黒人差別は南部が激しく、北部は比較的穏やかです。しかし、それ以外にも黄色人種差別やヒスパニック差別などもあり、白人優位主義が消えたわけではありません。
 

アメリカの奴隷制度を語るためには、古代からつづく地中海世界の奴隷制度を確認しておく必要があります。

紀元前の時代から「奴隷制度」というのはありふれた制度であったといえます。奴隷の多くは、アテネなどの都市国家から離れたアフリカ大陸や未開なゲルマン民族やスラブ民族であったものの、都市国家間で戦争がおき、負けたほうの市民が奴隷として売られることも多くありました。
また海賊などが船を襲ったときに、人質となった人々のうち金持ちは地元から身代金を持ってきてもらって引き換えに開放されたの...続きを読む

Q黒人奴隷制度が関係する作品を教えてください。

南北米大陸入植時から南北戦争時までに書かれたアメリカ文学に関連する作品をとりあげて、レポートを書かなければいけないのですが私は黒人奴隷制度について興味があるので、それが関係するこの頃に書かれた作品があれば教えて欲しいのです。また、現代に書かれた黒人奴隷問題について書かれた本も教えてください。

Aベストアンサー

アメリカの奴隷制度を扱った文学の代表作は『アンクル・トムの小屋』”Uncle Tom's Cabin by Harriet Elizabeth Stowe(1811-1896)です。

著者のストウ夫人がケンタッキ-州で実際に見聞きした奴隷達の生活と、人を差別するという行為を主人公のトムを通じて描いた傑作で全米でヒットし、後の奴隷制度廃止に大きな影響を与えたといわれます。たくさんの翻訳本が発行され子供向けもあります。

Qアメリカ19世紀以前の交通手段

こんにちはsometimespage1です。
今回学校の宿題でアメリカ19世紀以前の交通手段
についての作文を約10ページほど書かなければ
いけないのですが、まずどこをどう捜せばいいのか
さっぱり分かりません。日本語でも英語でも
それなりの情報があるサイトご存知でしょうか?
いまものすごく急いでいますのではやくお願いします。
(できれば英語のほうがいいです。)
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

19世紀と言えば車が実用化される前ですから。交通手段は馬、幌馬車、駅馬車が中心の時代ですね。海上輸送、内陸の河川輸送もありましたが、陸上に絞れば幌馬車、駅馬車の全盛時代です。しかし、これらの輸送手段も後に鉄道に取って代わられます。1869年には大陸横断鉄道が完成し幌馬車や駅馬車で旅行する時代は終わりましたが、地方レベルでは19世紀末まで利用されていたようです。

http://lcweb2.loc.gov/ammem/gmdhtml/rrhtml/rrintro.html

http://www.amtrakhistoricalsociety.com/bah.htm#history

http://www.donnellys.com/Stagecoach.htm

参考URL:http://dreamartists.com/wagontr1.htm

Q黒人奴隷について

黒人奴隷について疑問に思った事があります。
アメリカでは1863年に奴隷解放宣言を出しているにもかかわらず、その後100年以上も差別を受け続けていますが、具体的にどのような面で受けていたのですか?

また、奴隷の起源などもありましたら知りたいです。

Aベストアンサー

こんばんは
>具体的にどのような面で受けていたのですか?
南部の諸州では、州法によって黒人と白人とは違う場所を使うように義務づけられていました。バス、学校、レストランでは「白人専用」の場所や席は、黒人は使うことができませんでした。
バスでは、白人乗客が多いときは黒人は席を譲ることが義務づけられていましたが、1955年12月、アラバマ州モントゴメリーで、黒人女性ローザ・パークスは白人に席を譲ることを拒否し逮捕されます。これがきっかけとなって、拒否運動「バス・ボイコット運動」が始まります。

また、連邦法で認められていた選挙権も、ほとんどの南部諸州では州法によって「試験による登録」制を定め、識字率の低い黒人は実質的に選挙権を奪われていました。

こうした差別に対する抗議に対しては、容赦のない弾圧、リンチが加えられました。最も差別が激しかったといわれるアラバマ州バーミンガムの警察署長ブル(猛犬)コナーことユージン・コナーは、(女性・子どもを含む)デモ隊に対して、どう猛な警察犬をけしかけ、警棒で打ち据え、さらに消防隊員に命じて(実際は指揮権はないのですが)高圧放水による「鎮圧」を行います。これにより多数の女性・子供が負傷します。

1964年夏、ミシシッピー州での白人至上主義者による黒人公民権運動家への襲撃・リンチ事件では、30カ所をこえる黒人教会が放火され、7人がリンチによって命を落とします。この「ミシシッピーの暑い夏」は、のちに「ミシシッピー・バーニング」というタイトルで映画化されます。

>奴隷の起源などもありましたら知りたいです
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A5%B4%E9%9A%B7%E8%B2%BF%E6%98%93
アメリカ合衆国では、南部の綿花プランテーションでの労役、家内労働に使役する目的で、奴隷売買が行われます。このあたりのことは、映画「ルーツ」をご覧になるといいでしょう。

他、参考までに
公民権運動
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AC%E6%B0%91%E6%A8%A9%E9%81%8B%E5%8B%95
マーチン・ルーサー・キング牧師
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%B3%E3%82%B0
キング牧師の1963年「ワシントン大行進」でのスピーチ(ケネディの大統領就任演説と並んで、歴史に残る名演説、との評価が高い。是非お聴きあれ)
http://www.americanrhetoric.com/speeches/Ihaveadream.htm

こんばんは
>具体的にどのような面で受けていたのですか?
南部の諸州では、州法によって黒人と白人とは違う場所を使うように義務づけられていました。バス、学校、レストランでは「白人専用」の場所や席は、黒人は使うことができませんでした。
バスでは、白人乗客が多いときは黒人は席を譲ることが義務づけられていましたが、1955年12月、アラバマ州モントゴメリーで、黒人女性ローザ・パークスは白人に席を譲ることを拒否し逮捕されます。これがきっかけとなって、拒否運動「バス・ボイコット運動」が始ま...続きを読む

Qイギリス(19~20世紀初頭)の歴史本を教えて下さい

イギリス(19~20世紀初頭)の歴史本を何冊かお教え下さい。
各階級の生活様式等について書かれたものが特に読みたいのですが、内容にかかわらずお薦めのものがあれば是非お教え下さい。

Aベストアンサー

たくさんあるので、アマゾンで「ヴィクトリア」と入れ、本で検索すると、ご期待にそえるものがあるとおもいます。

あと、入手難ですが、筑摩書房版のシャーロック・ホームズ全集は、その注釈がすばらしくよくできていて、当時のロンドン人の暮らしはほぼフォローできる内容となっていました。図書館とかでご覧になってください。尋常じゃない量の注釈がついています。


人気Q&Aランキング

おすすめ情報