No.6ベストアンサー
- 回答日時:
日本海軍の制式機名称については基本的に、大正の輸入機時代では、たとえば一〇年式(大正10年制式)というように採用した時点の大正年号をつけ、やがて昭和初期に国産機が採用となってからは、試作機の完成時あるいは採用時などによって制式名称がつけられていました。
例えば、八九式艦上攻撃機(B2M1~2)のばあい、昭和3年(皇紀2588年)設計開始、翌2589年末試作機完成。昭和7年(皇紀2592年)制式採用という経過になっています。
海軍機が制式採用時の紀元年号をつけることに統一したのは九八式以降からで、さらに二式からは固有名称(一般通称)を併用または専用する、とされました。
したがって、九〇式艦上戦闘機の名称が制式時と一致していないことは、不思議ではないこととなります。
なお、九〇式艦上戦闘機は、三式艦上戦闘機の後継として昭和4年(皇紀2589年)12月に三式艦上戦闘機性能向上型と称する飛行機一機を製作し、翌年(皇紀2590年)その第2号機(社内呼称NY)を製作、これを社内で九〇式艦上戦闘機あるいは主任技師の名にちなんで吉田ブルドックと呼んでいたのを更に改良を加えた機体が昭和7年4月にA2N1として制式採用されたものです。
資料:『航空ファン別冊 日本海軍機写真集』文林堂 79年
『写真集 日本の爆撃機』雑誌丸編集部編 73年
No.5
- 回答日時:
想像なんで根拠は全く無いんですが。
その当時は正式採用の年ではなく開発時の年としていたのではないでしょうか?
そう考えると、
三年式艦上戦闘機(昭和3年開発開始)
九〇式艦上戦闘機(2590年開発開始)
九二式艦上攻撃機(2592年開発開始)
などが当てはまります。
結構あっているっしょ?(ぉぃw
ただ陸軍にしろ海軍にしろ、どうも正式採用年(または開発開始年)が兵器の名前(年)になるとは限らないようだ、とは一応言っておきます。

No.3
- 回答日時:
No.2
- 回答日時:
一九三〇年(昭和五年)に、中島はイギリスのブリストル・ブルドックと、アメリカ製のボーイングP100のおいしいところをまとめてジュピターエンジン積んで、海軍にNY戦闘機として納入しますが、三式に大きくまさらず、とボツとなります(見た目はまんま、ボーイング戦闘機)。
その後、そのNYに国産の寿を搭載したNY改が三式をしのぐ性能良だったので、七年に採用となりました。九〇とはNYを納入したときの年号だと思います。三式にのっていたパイロットが、海軍の買ったボーイング戦闘機に乗ったら、翼がはえたみたいで、三式が貧乏くさくてイヤになった、と言っています。それを中華民国が使っているので、当局もヤバイと思ったのでしょう。しかしこの後の七試計画は全部ボツったので、九〇艦戦に光エンジンつけてパワーアップさせた九五艦戦をつなぎにだし、やがて九六、そして零戦となっていくのです。
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