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カテゴリーが違うかもしれませんが、ヨーロッパ諸国は王室(国王)なのに、なんで日本は皇室(天皇)なのですか?キングとエンペラーの違いも教えて下さい。お願いします。

A 回答 (4件)

ヨーロッパのキングやエンペラーと漢字(アジア)で書く王、皇は成り立ちがまったく違います。



ヨーロッパの場合、古くから国を統治する権限をもった一家(一族)を王家と称し、世襲で国の統治権を保持していました。アジアでもそれは同じなのですが、「国を統治する権限」の成り立ちが違います。
王権の成り立ちというのは大体のところ、分割して領地を所有していた貴族たちの中で、特に力を発揮し、外国との戦いなどで勝利を導いたり、災害時に強力なリーダーシップをとれる指導者が、王権を取得するという過程を得ます。
ヨーロッパの場合は、宗教的な儀式と「神」の承認を得て、王としての統治を行うのです。逆にいうと担ぎ上げられた王権ですので、配下の貴族が統治方法に文句を言うこともあります。例を挙げればイギリスのマグナカルタなどが王の統治権に制限を加えています。
アジアの場合は、上記の過程とその国の「神」の承認にプラスして、中国に朝貢し、中国の皇帝から「王」のお墨付きをもらう必要があります。これが無いと、その地域には統治するほどの国がないと見なされて、中国軍が占領しても文句が言えないとされていたからです。このような関係を冊封関係をといいます。
例で言えば日本の古代王権も倭奴国王印という印を中国皇帝(当時は後漢の光武帝)から受けていますし、室町時代も政争の道具として、統治権を主張するために南朝が冊封を受けた記録があります。王のお墨付きをもらったほうが、正統性を主張しやすかったからです。

ですので、皇という漢字については、アジア地域に絶対的な権力を誇り、他国の王を決定する権限を有している中国皇帝のことを指します。
日本の天皇の皇は、時代が下がり、日本が中国の影響から抜け出した後、武家政権に統治権を与える役割と日本全体の神々の受諾者(キリスト教のローマ法王のようなもの)に天皇家が変化したために、統治権を与える者=皇、神々と対話できる能力を預けらた者=天を合わせて、天皇と称しています。今でも日本の天皇は新嘗蔡・大嘗祭など神々と対話する為の儀式を行い、日本の五穀豊穣を祈っています。
英語でいうエンペラーは大航海時代以降、中国の皇帝と日本の天皇を同列にエンペラーと翻訳したところからついており、中国や韓国などは、今でも天皇とは呼ばず、日王と表記するのが普通で、これは皇が着くのは中国皇帝ただひとりという、中華思想からきているものです。

ではヨーロッパのエンペラーについてですが、これは古代ローマのインペラトール(最高指揮官:将軍)に由来します。
古代ローマは、上記のような王制が続いたあとに、王族があまりにも暴虐だったため、王一族を追い出して、共和制としてスタートしました、紀元前509年といわれています。
このときは民主制(だから共和制)をしき、最高指導者として2人の執政官(首相ですね)と元老院、少し時代が下ってから平民会議などで構成され、当時のローマは多神教でしたので、やはり選挙で選ばれた宗教指導者(様々な宗教行事を行う責任者)を置いていました。これらはだいたい1年・2年程度の任期でした。
外国などと戦争をする場合には、執政官の内のどちらかが最高司令官(インペラトール)となって軍を指揮し、もう一人は国内に残って国内の政治と行政を行っていました。
しかし時代が下り、植民地や属国を持ち、地中海全体を支配するようになると、民主制には問題点が出るようになります。大きな問題点の内ひとつは、国防上の問題があったときに長い距離を移動する必要があるのに、民主的に合議をしていたのでは判断が間に合わないこと、もうひとつは、選挙権をもっている人(ローマ市民)が領土のあちこちにちらばっているため、選挙に参加できる人(ローマ近郊在住者)が限られ、本当に民意を汲み取ることがむずかしくなったことでした。

これらの問題が、ローマ全体の問題になってきたため、ユリウス・カエサルが行った改革がローマ皇帝につながります。
つまり、王とは違う形で一人の統治者を置き、判断を早く確実に行うのが目的でした。そのためカエサルはまず執政官の職を一生続けられるようにしました。つまり執政官は終身執政官のカエサルともう一人です。この終身執政官を実現する為に、軍を後ろ盾に終身最高指揮官にもなっています。さらに平民議会の議長(これは平民を守る為にもともと任期が長く、元老院などの圧力などに屈しない権限があった)と宗教指導者の地位も手にいれて、当時の法律ではだれもカエサルが得た地位を剥奪することができないようにしました。
その後カエサルは手腕を遺憾なく発揮し、ローマを滅亡の淵から救うのですが、暗殺されてしまいます。カエサルを暗殺した、元老院は合議に戻そうとするのですが、結局皇帝(帝国制)の利点を認めて、アウグストス(カエサルの養子)にカエサルと同じ権限を付与します。ここに皇帝という役職が始めて誕生し、その後ローマは帝国時代を迎えてますます発展します。この皇帝の呼び名がインペラトールつまりエンペラーであり、エンペラーはカエサルの名を継ぐ事になっていったのです。

古代ローマが崩壊したあと、地域の有力者が統治するようになり昔と同じ王制に戻っていきました。
しかし、カエサルの名はいき続け、ドイツ皇帝カイザーもロシア皇帝ツァーリも同じ語源であり、マキャベリが「君主論」のモデルにしたチェーザレ・ボルジアのチューザレもカエサルを意味する言葉です。統治権のお墨付きをローマの名残に求め、カエサルの名前を持ったものだから王として統治できると変化したのです。

キング(王権)とエンペラー(古代ローマの最高統治者)は本来待ったく別のもので、アジアの皇と王とも成り立ちが全然違うのです。
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この回答へのお礼

詳しく教えて頂いてありがとうございました。日本の場合、中国が関係してるんですね。お忙しいとこありがとうございました。

お礼日時:2009/02/19 11:27

一応。



皇帝の上に帝があります。始皇帝は、恐れ多いということで、人の世の最上位を「皇帝」としましたが、それ以降の中国の王朝では「帝」を名乗ることが多いです。

日本の場合は、大王(おおきみ)という名乗りの方が古いように思いますが、どうなんでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど参考になりました。お忙しいところありがとうございました。

お礼日時:2009/02/19 23:00

皇帝は、王の中の王といった意味合いがあります。

ローマ皇帝・ビザンツ皇帝・オスマン皇帝・ロシア皇帝・ドイツ皇帝・オーストリア皇帝から、始皇帝に始まる中国の皇帝などあります。

ヨーロッパの皇帝は、西ローマ帝国と東ローマ帝国の後継者(神聖ローマ帝国・プロイセン=西ローマ帝国 ロシア=東ローマ帝国)か、キリスト教ヨーロッパを武力で制覇した覇者(カール大帝・ナポレオン)を差します。

中国の皇帝は中原を統一し、周辺国の諸王を朝貢国として支配する存在です。天と地上の仲介者で、神にも等しい敬意を受けます。

帝国は王国よりも、はるかに広大な領土を有します。

日本は帝政ではないので(王政復古といいますね?)、天皇は中国やヨーロッパの皇帝とは違います。

また日本は、中国とは海を挟んで隔たっているので、中国の朝貢国ではありません。ちなみに、日本の天皇は、中華帝国の属国ではないと言う心意気で、向こうの皇帝/天子に対抗してつけられたもので、皇帝とイコールではありません。

天皇は例えてみればローマ法王に近い存在となります。
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この回答へのお礼

たいへん参考になりました。ありがとうございます。

お礼日時:2009/02/19 22:57

王と皇は違います


王は皇帝に使える者
皇帝の方が格が上なのです

皇の称号を獲ているのは世界で3種類、ローマ皇帝と中国の皇帝と日本の天皇これらがエンペラーですその下に居るのがキングです

皇帝が君臨した時代は王様と言っても皇帝の許しを得て行動をしていたのです(皇帝の許可が得られなければ王にもなれなかった)
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この回答へのお礼

なるほど。王よりも皇帝の方が上なんですね。江戸時代でいゆうと天皇に政権を任された徳川家みたいなものですね。たいへん良くわかりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/02/19 11:34

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