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源氏物語』の「宿木」で、八月十六日の夜、匂宮は二条院の中の君に「一人で月を見ちゃいけないよ」と言い置いて、六条院に出かける。中の君は夜更けまで月をながめ、老女房が「月見るは忌み侍るものを」と嘆く。みたいなところがあると思われるのですが、平安時代は月を見るのがあまり良いとされなかったんですか?そして、もしそうなら、それっていつからの風習(?)なんでしょう?わかる方、教えてください。

A 回答 (5件)

やはり「白氏文集」が影響しているのではないでしょうか。


白氏文集は唐の白楽天の漢詩集ですが、平安時代にはなかば常識とさえ言えるほど貴族の間で流行して、単に「文集(もんじゅう)」と言えばこれを指したとされます。

その文集の巻十四に、「莫対月明思往事 損君顔色減君年」という一節があります。「月の明かきに対して往事を思うなかれ。君が顔を損じ、君が年を減ぜん」ということで、月明かりの中でのもの思いを戒めるような内容になっています。
恐らく、当時の貴族の間でよく知られていたこの部分を下敷きにして、「月を避けなさい」と女房に言わせたのでしょう。文学的素養をベースにした一種の洒落、エスプリ的なニュアンスが多分に込められているように思えます。

紫式部は幼くして父の為時も驚くような漢籍の吸収ぶりを見せたエピソードが知られています。当然この文集を始め古今の漢籍に通じていたはずですし、特に、同じ白楽天の長恨歌は源氏物語の素材としてよく指摘されるぐらいですから、白氏文集の内容が引用されたとしても全く不思議はありません。
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございました!「白氏文集」、当時そんなに流行したものなのですね。平安文学を多少やっているならば当然知っていないといけないのでしょうが、初耳でした(^^; 紫式部は確かに漢籍に通じていた人として有名ですから、この解釈はかなり有力ですね。ここの部分に限らず、「源氏物語」を読む際にはもっと漢の書ともからめて考えていく必要がありそうですね。どうもありがとうございました。

お礼日時:2003/02/16 14:03

参考文献をそのまま引用して回答するのが、正確、かつ良心的でしょうが、引用はまずいでしょうから情報提供だけでとどめます。


(旧)日本古典文学大系「竹取物語」(岩波書店)P76補注五三
(旧)日本古典文学大系「源氏物語 五」(岩波書店)P444補注七六
をご覧下さい。
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この回答へのお礼

詳しいご回答ありがとうございました!参考文献、具体的に頁まで指定してくださって、非常にたすかります。旧版の方の日本古典文学大系ですね。図書館にあったと思うので探してみます。どうもありがとうございました。

それから、この場を借りて…
●ご回答下さった皆様へ●
たった1日の間にこれだけの回答をいただけるとは思いませんでした。
ポイントは、私の初耳だった情報を下さったお二人に付けさせていただきますが、どのご回答も興味深く、とても励みになりました。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2003/02/16 14:11

平安時代においては月を見ることを忌む風習があったようです。

ただ、それがいつからのものか、何を根拠としているのか、現在のところはっきりした答えは出ていないようです。
みなさんのお答えにあるように中国文学・文化からの影響はおそらくあると思いますが、日本文学の中で最初に月を忌むような記述が表われるのは『竹取物語』です。今手元にないので正確な内容は書き込めないのですが、かぐや姫が月に帰る前にそれを嘆く場面に、月を見ることを忌むような記述が見えます。
ただ、『竹取物語』自体が中国文学・文化の影響が強いものですから、もとをたどればやはりみなさんのおっしゃるようなところに行き着くのかも知れません
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この回答へのお礼

丁寧なご回答ありがとうございました!やはり問題は中国文化の影響にあるのですね。同じように月を見ることを忌む記述として『竹取物語』を挙げてくださったのが参考になりました。持っているので読み直してみようと思います。どうもありがとうございました。

お礼日時:2003/02/16 14:05

文学は専門外なので,知識は乏しいのですが…


どうなのでしょうか…
平安時代初期には中国から月見の習慣が伝わり,貴族の間では河に浮かべた酒月に映る月を愛でたり,歌を作って酒を飲むという楽しみ方をしていたはずなのですが。
「鈴虫」でも冷泉院の招きによって光源氏がみんなを引き連れて訪ね,月見の宴を開くというのがありますよネ。
「宿木」での老女房のセリフは…
月見が宴となる以前の世代は,太陽と月,生と死という観点からしか月を見ていなかったのかもしれませんネ。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

素早いご回答ありがとうございました!専門外の方からの考察も大歓迎です!太陽と月,生と死という観点から月を見ていたのではないか、という点が面白いと思いました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2003/02/16 13:58

 


「月見の宴」というのは中国から伝わったもので、平安時代には、月を眺めつつ、管弦の宴を催したり、うたを詠み合ったりと色々と月見の宴を行っていたようですから、月を見ることが、悪いことであるということはありません。また、日本古来の伝統でも、月見はありました。

ただ、考えられる、何時の夜のことか、という点で、参考URLにあるように、十三夜と十五夜の月は両方見なければならず、片方だけ見ることは、忌まれていたということがあるようです。

また、別の理由として、匂宮は、中の君が、月を見ているあいだに、他の男が、その姿を見るとか、中の君自身が気変りして自分から去ってしまうのではないか(中の君は、かなり窮屈な思いや、匂宮を信頼できないということを感じていましたから)という懸念があり、中の君の心が動揺したり、変化しないよう、月は見ないように、と言ったのかも知れません。

一緒に月を見れば、中の君も、自分といて安心だと感じるが、一人で中の君が月を見ていると、自分から去ってゆくような不安を覚え、匂宮は、月を見ないようにと言ったのかも知れないということです。

「片見月」(十五夜と十三夜の一方しか月を見ないこと)で、忌むべきためだったのか、匂宮の不安があったのか、少し分かりませんが、平安時代に月を見てはならないというような、習慣は、上の「片見月」以外には、ないはずです。

「片見月」を忌むというのは、十五夜の月見が中国から入ってきて定着して後ですから、平安時代中期以降でしょう。

>お月見
http://www.yamashiroya.co.jp/NewHP/info/shuka/tu …
 

参考URL:http://www.yamashiroya.co.jp/NewHP/info/shuka/tu …
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この回答へのお礼

詳しいご回答ありがとうございました!「片見月」と言う言葉や、それが忌まれていたというのは初めて知りました。「源氏物語」について調べているというより、「月」について知りたかったので、非常に興味深いお話でした。どうもありがとうございました。

お礼日時:2003/02/16 13:55

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