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ダキニ天の修法とは具体的にどういうことをするのですか?

またそのほかにもダキニ天についてご存知のことがあれば
教えてください。

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A 回答 (4件)

 以前に私も類似の質問をして、お回答を得ました。

修法については暗黒のものがどうもあるようで、アクセスしましたが、どうも削除してしまったようです。
 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa3278754.html
 ここで豊川稲荷が出てきますが、
 http://homepage3.nifty.com/yahoyorodu/index.html (やほよろずさん)が訪問したり、解説しているのもあります。
 豊川稲荷ということばではたくさんのページが出てきますが、(やほよろずさん)は出てきませんので、ご紹介します。
 この方は心理学の大学の先生です。私と違うことは、知的探求の一環として、深くご精進の方のようです。
 私は知的探求を邪魔にして、捨てております。単に求道でしかありません。

 シャクティやらいろいろなことがありますが、関連するかも知れませんので、一応ご参考に、以下に貼り付けます。
 ◎ 元はヒンヅー教の女神で、元々は農業神であった。
しかし後に、民俗的に性や愛欲を司る神とされ、さらには人肉、もしくは生きた人間の心臓を食らう夜叉神とされるように変形してきている。
この神が仏教に取り入れられ、大日如来が化身した大黒天によって調伏されて、死者の心臓であれば食べることを許可されたとされた。

◎ 日本では『古今著聞集』に霊狐信仰とのかかわりが記されている。
この霊狐信仰とのつながりから、後代では稲荷信仰とも習合するようになる。

◎ また天皇の即位灌頂儀礼においてダキニ天を祀っていたという記録も存在する。
その半面、外法として忌まれる信仰でもあった。
◎ なお、狐(野干)に乗るダキニ天は、中世の日本で生み出された像であって、胎蔵曼荼羅や正当な密教経典・儀記には記されない姿である。
○日本では福徳神とされ、白狐に乗ることからその本体は狐だといわれている。
しかし、本来は狐ではなく野干の眷属である。
○稲荷大明神、飯綱権現などと同一視される。
○タントラ密教の本尊でもある。一種のタントリック修法でしょうか。道教的には茶枳尼修法《参考━殷最後の王の妃(妲己)》

○秘法とされる茶枳尼天の「性陀羅尼」は山野に蠢く全ての死霊を成仏させて祈願の障害を除くものであるが、これを授かるために片目をえぐって捧げる習慣もあったという。
○真言は「オン キリ カク ソワカ」

【射干/野干】
(1)中国で、悪獣の名。狐に似た外見で、木登りがうまく、オオカミに似た鳴き方をするという。
(2)Dakiniが乗るジャッカルが中国や日本にいないので、類似の射干/野干を宛てた。
(3)狐の別称。野狐。「―となてはしりうせけるぞおそろしき/平家 2」
(4) 能楽の面の一。「小鍛冶(こかじ)」「殺生石」などで狐の役に用いる。
(5)植物ヒオウギの別名。

 なお、ご研究の端でも、補足かどこかに、ご披瀝賜れば幸甚です。

この回答への補足

>なお、ご研究の端でも、補足かどこかに、ご披瀝賜れば幸甚です。

質問から察していただいていると思いますが
ダキニ天についてはまだまだ勉強不足でして・・・・

ダキニ天について知りたいと思ったのは
平清盛がダキニ天を信仰していたということを知ったからです。

京都の六波羅と呼ばれるあたりはかつて平家の邸宅が建ち並んでいたところですが
六波羅という地名は髑髏原が訛ったものだともいわれ
かつては鳥辺野と呼ばれる風葬の地であり
おびただしい人骨が出土したこともあるそうです。

どうして清盛はこのような土地を本拠地としていたのか。

また真言立川流ではダキニ天を祀り、髑髏本尊を作って崇拝するそうです。

真言立川流の成立は鎌倉時代で、清盛の時代には成立していませんが
髑髏を使って呪詛したという話は奈良時代よりあり

平清盛も髑髏による呪詛をしていたのではないかなあ
などと考えています。

解答欄に書きました空也は
六波羅にある六波羅蜜寺の開基です。

お粗末な話で失礼いたしました!

補足日時:2009/02/27 21:05
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この回答へのお礼

丁寧な回答をありがとうございます!

ダキニ天は狐ですか。

平安時代に空也という僧が神泉苑で病気の老婆に会い
生臭いものを与えているうちに元気になり
空也に肉体関係を迫った、というようなけったいな話があります。
空也がそれを了承すると、老婆は狐となり
「あなたは本当の聖人」だと言ったそうです。
もしかすると、老婆はダキニ天だったのかもしれないですね。

片目をえぐって捧げる・・・
日本神話では片目の神は製鉄の神ですね。
何か関係があるのかなあ、と思えて興味深いです。

お礼日時:2009/02/27 21:05

平清盛がダキニ天を信仰していた話が載っているのは源平盛衰記ですね。



ダキニ天を祀る修法である頓成悉地法では式盤を用います。式盤とは元々 陰陽道で使用される道具ですが、それが密教に取り入れられました。式盤を使用する修法は、ダキニ天以外に 聖天を祀る修法などにも取り入れられていますが、まともな修法と認識されていなかったのか、まとまった経典としては残っていません。

しかし最近、金沢文庫でまとまった資料が発見されました。「陰陽道×密教」という展覧会図録に、まとまった翻刻資料が収録されているので、これを読み解けばダキニ天の修法の概略はわかると思います。ダキニ天の信仰についてはわかっていないことが多く、今まさに研究段階のため、原文資料にあたって読み解く必要があるでしょう。

中世、天皇即位の際に行われた「輪王灌頂」でもダキニ天が祀られました。摂関家の長者が新天皇に秘印と真言を授け、国土全体の支配を固める秘儀です。なぜダキニ天がそのような重要な役割を与えられるようになったのかも、まだ未解明の領域ですが、朝廷と関係の深い東寺が地主神である伏見稲荷の信仰を取り入れる中で、稲荷にダキニ天を結びつけて、重要な役割を与えるようになったという流れが考えられるそうです。

まずは「源平盛衰記」、その後に「陰陽道×密教」の展覧会図録を読んでみてはいかがでしょうか? 図録の巻末には参考文献も載っていますよ。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%8F%E7%9B%A4
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
式盤を用いるのですか。
どうも日本の神道や仏教は陰陽道の影響が色濃いですね。
経典として残っていないということは口伝で伝えられたのかも。

源平盛衰記、読んでみることにします。
「陰陽道×密教」の展覧会図録もぜひ読みたいですが
図録って本屋では売ってませんよね~
金沢文庫に行けばいいんでしょうけど、
うち大阪なのでちょっと遠いんですよね・・・
金沢文庫に頼めば送ってくれるかもしれないですね。

お礼日時:2009/03/04 14:06

 回答番号:No.2


 拙い投稿をお読みいただき恐縮に存じます。
 1. force(勢力、力)です。
  宇宙創造からの、原初的力でして不可視ではりますが、一切を現出し、引っ張るものであります。
 元はヒンドゥの思想言語からの英訳ですが、誰のことばにしろ、言い換えたり、自分のうちの言い方にすることで、理解・把握したというのは、非常に不遜で、思い違いをしがちであり、そういうプロセスと結果では第一にそこにおけるパワーごずり落ちてしまっております。
 ことばは本当に難しいですね。
2. ギータ:
   バガヴァッド・ギータのことです。マハバーラタ物語の中の、神、魂、人間の会話の部分です。バガヴァン・クリシュナとアルジュナ、そしてドルヨダナとサンジャヤの会話です。ヒンドゥの最大最高の聖典です。
3. 立川流については、私も現在の詳細は存じません。
   日本でも壊滅ということではないと存じます。
  痕跡だけでないものがあることを仄聞したことがあります。
むしろ、欧米などにタントラの一派としてやられているようです。
たいへん危険のあるものと、注意されております。
  不十分な補足ではありますが、お許しください。
  何かまとまりましたら、私にもそのご一端をご教示賜れますように。
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この回答へのお礼

丁寧な解説をありがとうございます!
どんな宗教でもそうなのでしょうが
ダキニ天に対する信仰というのも奥が深いものなのですね。
立川流は欧米で信仰が続いている・・・
それもありがちなことですね。

>何かまとまりましたら、私にもそのご一端をご教示賜れますように。

先達に対して私が教示するなどとんでもないことです。
また大変奥の深いもののようなので
まとめるなどとてもとても!

それに私がやってるのは「とんでも説」的なものでして
お気に召すか、どうか。

ただ
空也または空也に対する信仰が
ダキニ天と関係があるのではないか、と考えたりしています。

空也僧といわれた人々は瓢箪などたたいて遊行していたために
「鉢たたき」と言われていたそうです。
なんで「鉢たたき」?と思ったのですが
京都の空也堂というところに平貞盛焼き捨ての兜というのがあり
もともとは瓢箪ではなく兜をたたいていたようなのです。
兜の頭を覆う部分のことを鉢というそうです。
また頭そのもののことも鉢といいます。
髑髏に対する信仰だったのか?

立川流の経典は理趣経で、荼枳尼天(だきにてん)を拝するそうですので・・・。

くだらない話で失礼しました。
今後もよろしくお願いします。

お礼日時:2009/03/04 11:27

 回答番号:No.1


 いろいろお書き込みのとおりと存じます。
 ダキニはヒンドゥの存在当為、フォースに起源しているようです。
 この世、権力、富、栄華、性などをもたらす、フォースとして、一定の儀式があるそうですが、性の儀式のようです。
 日本の稲荷に習合して、この辺は変わったのでしょうが、立川流では今も同じだと存じます。江戸の昔、一時はやったそうです。
 私はヒンドゥの教えをやっていますが、以下のように注意されています。
《シヴァ神による結合修法、グルジは次のようにいわれたことはある:
 それらもそれの純粋なる霊的形体を正しく理解して行うなら、基本的にはある種のいいものもある:
 しかし今日の行われ方はたいていがよくないものである。
 普通の人に適したものではなく、非常に空想的な手段が宣伝されている。
 霊的なマントラを知っていれば、それにより神位の姿をみるように意識を調整することもできる。
 それで終局的に神とコミューンすることもできる。
 そういう場合は非常にいいものである。しかし性や酒、その他邪悪なことに気を奪われている場合はいいことはない。
 多くの人はここに本能と欲望に走っていく。セルフコントロールはここでは利かない。ギータが唱導する至福なる神に、内的捨身と科学的瞑想でコンタクトしようとする道は、こういうものではない。》と。
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この回答へのお礼

何度もありがとうござます。
フォースとかギータって何のことでしょうか。
よろしければ教えて下さい。

>立川流では今も同じだと存じます。
立川流は弾圧を受けてなくなったと説明されていますが
今もあるのでしょうか。
ときどき死体を生き返ると主張する死体遺棄事件が報じられ
そのたびに立川流を思い出してしまいます~(笑)

シヴァ神による結合修法・・・
難しそうですね・・・

お礼日時:2009/03/02 17:22

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朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
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古来からの日本人家系なら苗字漢字に制限なく明治時代からの苗字漢字を継続できます。
在日朝鮮人の帰化が昭和27年に始まり、名前の漢字制限(上記)は昭和23年に始まってますから、朝鮮籍、韓国籍から日本に帰化した者は旧字体漢字で帰化するチャンスがなかったんです。

簡単な調べ方としては『住民票』での苗字名前漢字が旧字体で表記されてるなら明治時代からの日本人家系。
新字体ならば、
「戦前の家系状況が分かる戸籍みせて」と役所に言ってみること。
戦前の家系状況が記されていて朝鮮人を思わせる記述がなければ日本人。
戦前の家系状況が分かる戸籍を見せてくれない場合や戦前の戸籍が日本以外にある場合は帰化人だと判断できます。

戸籍取得方法は先に回答されてる方法をやるといいでしょう。

ただ、例え純粋な日本人でなかったとしても質問者さんが日本が大好きで在日の方々のように反日感情を露わにされるのが不快に感じるなら、心はちゃんと日本人ですよ。

…私も可能性はあるかもしれないんで経済的に余裕が出来れば戸籍を追ってみたいです。


以上、参考程度に

・コリア系の帰化人には
『沢=澤・浜=濱・斎、斉=齋、齊・辺=邊、邉・薮=籔、藪・塩=[旧字、パソコンでは出てこない…]など』の旧字体漢字が使用できません。
『渕、蔦 、[旧字体](高)など』も使用できません。
※ただし、在日外国人なら、日本の戸籍規則に縛られないので通名としてなら上記の漢字は使用できます。


朝鮮人の方々が日本に渡って来だしたのは明治43年頃の韓国併合のときから(鎖国解除後の42年までの間はせいぜい年に0~20人程度)。
明治43年から太平洋戦争が終わるまで...続きを読む

Q豊川稲荷はお寺?

名古屋に転勤してきた、名古屋素人です。
嫁さんと休日ごとに、名古屋巡りをしており、「名古屋は、たしかに日本ではなく名古屋独立国」と日々驚いています。
さて、先日豊川稲荷を訪れました。伏見稲荷等から稲荷=神社とばかり思っていましたら、どうも豊川稲荷はお寺のようです。境内のあちこちでお経の声を聞き、まさに驚愕、手をたたく必要がないとは・・・。
でも、あちこちの狐、鳥居どうなっているのでしょうか。もともと稲荷信仰という民間信仰が神様と仏様に日本国内で自然と分離して、現状併存しているのでしょうか。それでもお寺に鳥居?。豊川稲荷以外にお寺さんのお稲荷はまだ存在するのでしょうか(東京、赤坂見附の豊川稲荷は名古屋の豊川稲荷の別院ということは昔から知っていましたが、東京も当然神社と思っていました。)
やっぱり名古屋は違う・・・・。

Aベストアンサー

元々は曹洞宗の寺で、豊川閣妙厳寺と称します。
http://www.pst.ne.jp/~tte/pdf/inari2.pdf

大きなお寺ですので、数々の仏がそれぞれのお堂に祀られています。
その一つが、狐にまたがったダキニ天で、元は神様だということ、それから日本の神道で白狐が神の使いだったということが混じり合って、神社のように祀られてきたんでしょうか。

別説として、日本では神仏融合がごく自然に行われていて、お寺に神社があっても不思議ではなかったのです。
豊川閣の境内にひっそりと祀られていた農業・商業神、お稲荷さんが信仰を集めていたが、明治期になり神仏分離政策のもとで無理矢理お寺だ仏だと言い張ったのかも。
戦後はやっぱりまたいい加減に戻ってしまったんでしょう。(一般人は。登録等は厳密に分けられてますけど)
霊験あらたかなら何でもいいや!って感じです。
今、参道にある鳥居は、信者による寄進物ですね。

豊川稲荷の狐塚のあたりは、一昔前までは本当に狐がよく出没し、お供えの油揚げを食べていたそうです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E5%B7%9D%E7%A8%B2%E8%8D%B7

元々は曹洞宗の寺で、豊川閣妙厳寺と称します。
http://www.pst.ne.jp/~tte/pdf/inari2.pdf

大きなお寺ですので、数々の仏がそれぞれのお堂に祀られています。
その一つが、狐にまたがったダキニ天で、元は神様だということ、それから日本の神道で白狐が神の使いだったということが混じり合って、神社のように祀られてきたんでしょうか。

別説として、日本では神仏融合がごく自然に行われていて、お寺に神社があっても不思議ではなかったのです。
豊川閣の境内にひっそりと祀られていた農業・商業神、お...続きを読む

Q質問です 先日お寺からお不動さんのお札を頂いたのですが 奉り方が分から

質問です 先日お寺からお不動さんのお札を頂いたのですが 奉り方が分からずお寺に聞くと
神棚に奉っても良いといわれたのですがどうもしっくりきません。神仏は区別したほうがいいと思うのですがいかがなものでしょう。ご意見アドバイスを宜しくおねがいします
ちなみに我が家は神棚は有りますが仏壇はありません。また奉る時の注意点など教えていただければ
幸いです。

Aベストアンサー

お寺に聞くのが間違いなくて一番の方法です。
時に指示がなければ下記を基本としてください。

ご本尊でないお札は、神道のお守り札と同じ。
ご本尊でないので家の仏壇には入れません。(大きな仏壇のある家では一緒に祀っちゃう人も居ますが)
お札用の箱が売っていますが、毎年頂くものであればそのまま、ずっと祀るものであれば白い封筒か半紙に包んで、頭より高い位置に祀ればよいです。
特に水など入りませんが、寂しければ水だけで充分。方位などは関係ありません・

ご本尊であれば仏壇の中央ですが、仏壇がなければ、祀る高さは正座して札が正面に来るのが最低ラインと考えていいと思います。
上記のように専用の箱を見つけるか、その代用品を探すといいです。コチラは出来れば箱に収めましょう。
最低限。水は供えます。出来ればご飯を一盛り。小皿でいいので炊いたときに供えましょう。
方位は西側に東を向けてが基本です。
あとは西方面という事で南西から北西の範囲で充分。

Q神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願いごとは、上記の神拝詞(となえことば)を唱えたあとに、お願いすればいいのでしょうか?

それとも、個人的なお願いごとをする場合は、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなくてもよいのでしょうか。よく、神社やパワースポット関係の本には、参拝作法に、上記の神拝詞(となえことば)を唱えなさいと書かれていないと思います。

ただ、時々、神社に行ったとき、拝殿の御賽銭箱の近辺に、上記の神拝詞(となえことば)のうち、
「祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)」と書かれた表示物を見たことがあります。

そもそも、参拝の際に、神前での願い方について、何を唱えればいいか、何が正しいかわかりません。

よろしくお願いします。

神社参拝の際、「祓い給い 清め給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?

以下のホームページを見ると、次のような神拝詞(となえことば)があるようです。
http://allabout.co.jp/gm/gc/4971/2/

<神拝詞(となえことば)>
祓い給い 清め給え(はらいたまい きよめたまえ)
神ながら(かむながら)
奇しみたま(くしみたま)
幸え給え(さきわえたまえ)

そこで、質問です。

神社参拝の際、上記の「祓い給い 清め給え・・・(中略)・・・幸え給え」と唱えたほうがいいのでしょうか?
また、個人的なお願...続きを読む

Aベストアンサー

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありません。

昨年でしたか、大相撲の朝青龍が、手刀を切り、懸賞金を左手で受け取り、大ひんしゅくをかいました。相撲というのも、神の御前でする神事ですが、形から入り、心が入り、そして、そこに美と調和が生まれるわけです。これを「様式美」と言い、ただ、勝てばそれで良いというわけではない、という端的な例を表しています。

神社では、鳥居の前で脱帽し、礼をし、二礼二拍手一礼のマナーというものがあります。また、手水舎(てみずや)で片方ずつ手を清め、口をすすぐというのは常識ですが、直接、ヒシャクに口をつけてはいけません。今は、常識が常識でなくなってきているようです。確かに、出雲大社などでは違う作法があるところもありますが、それは注意書きが入っていたはずですし、こういう作法は、混沌としているということでもありません。明治以降、二礼二拍手一礼(二拝二拍手一拝)を一般としてしてきているわけですから、それに従えば済むことです。知らなければ、覚えれば済む話です。この作法は、明治時代に作られた「神社祭式」を根拠としています。

また、女性は、柏手(かしわで)を鳴らさないというのは、占い師の細木数子氏が言ったそうです。しかし、女性は鳴らさないというようなことはありません。柏手は、神様を呼び出すという意味を持っているのですから、死者の前(葬式やお墓)では鳴らさない時(しのび手)があるという常識さえ知っていればよいことです。また、お寺では、二礼二拍手一礼はしないということも心がけてほしいものです。

それが、いつの時代に作られたものであれ、統一されたものなら、それに従わないということはありません。マナーのひとつとして、ぜひ、守って欲しいものです。それを守らなかったら、どうにかなるということではありません。日本的な表現ですが、「美しくない」ということです。

それから、祝詞というのは、簡単にいうと、「かむながら」という言葉がある通り、「神の御心のままで」という意味ですから、もともとは、「神の言葉として上から下に申し伝える言葉」だったわけです。唱え詞(となえことば)で一般的に知られているものは、

「祓い給へ 清め給へ 守り給へ、幸(さきは)え給へ」
というものです。私は、特に参拝客が声を上げて唱えるという話は聞いたことがありませんが、神社に詣でたときに、どこかに書かれていたら、黙読し、心の中で、「清い心で、神様の御心のままに、みなを守り、みなが幸せになれますように」と祈ればよいと考えています。

なお、浄土真宗の話に触れておきます。
日本の宗教の中で、戦前戦後、妥協を許さなかった宗教であり、西洋哲学でいうなら、日蓮宗が日本型の強者の理屈を持つ宗教なら、(浄土)真宗は、それに対抗する弱者の宗教です。

浄土真宗は、現代まで靖国神社を反対している唯一の仏教団体です。ここでは、日蓮系の新宗教団体は除きます。明治政府は、事実上、仏教と神道を分離しました。祝詞を唱えると願いが叶うという発想は、空海の真言密教を起源とする両部神道であるかもしれませんが、仏教色が残るものとして、これ自体も廃仏毀釈運動によって排斥されました。

浄土真宗の「南無阿弥陀仏」と唱えることは、日蓮宗のように題目を唱え利益(りやく)が得られるというような意味合いを持ちません。念仏は念仏を唱えること自体に意味を持ちません。それは、信仰そのものの現れだと考えています。

真宗大谷派大阪教区『銀杏通信』靖国神社に対する考え方。
http://www.icho.gr.jp/faq/q_a_042.htm

明治の初期、森有礼の建白書や浄土真宗の島地黙雷僧侶が、明治政府に信仰の自由を訴えましたが、逆に神道側は、その体制を整えることになりました。

明治憲法が発布されたとき(明治23年)に、神道とは国家神道として、別格な地位を得て、「国民の道徳」としました。断じて、浄土真宗が、神道に影響されたり、政府に擦り寄り、神道に影響を与えたなどということはありません。

また、見えない霊自体を肯定するかどうかは別としても、霊体が危害を加えようとするという、オカルティズムは、私たちの一般社会には馴染まない考えだと思います。

参考:国家神道

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93#cite_note-6

私は、宗教が神道ではない者として、口を挟むつもりはありませんでしたが、書かざるをえない気がしました。出来れば、新興宗教の方は、その身分を明らかにしてほしいものです。知っている人には分かります。教義に書かれていた内容は、必ずしも一般的な情報とは違いますから、読み手は間違った認識を持ってしまいます。私自身は宗教団体には関係してませんが、生まれながら、仏教と神道の狭間で、相矛盾した中で割り切れない問題を背負って育ってきましたが、ある意味で時代に翻弄された一人だというしかありませ...続きを読む


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