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 2千円札の紫式部は、お札では日本初の女性モデルだといわれていますが、あの肖像画は本当に紫式部を描いたものなのでしょうか。
 まあ、後の鎌倉時代の頼朝の肖像でも「ちがう」という説があるぐらいだから、本物かどうか疑い出したらきりがないのですが、そもそも作者の肖像画をのこしておくものなのかどうか。ひょっとして絵巻の中からだしてきて、これにしようと決めたとか。

 昔の女性は「○○の女(むすめ)」とかいう記録しか残っていないから、作者:紫式部、というのも疑問です。それに、「式部」とか「少納言」というのは役職じゃないですか?
 紫式部の女(1人とは限らないでしょうね)とか、清少納言の女とか、そんな記録しかのこっていない時代に肖像画だけ「紫式部」として残るものでしょうか。それとも、源氏物語の功績で式部の位をもらったのでしょうか。

 肖像画が似ているかどうかはあえて問題にしません。当時の流行で描いてあるんだろうから。

A 回答 (3件)

ご質問が多岐にわたっているので、整理しますが…



お察しの通り、あの肖像の出典は「紫式部日記絵詞」(五島美術館蔵本)から採られているものです。「紫式部日記絵詞」と称される絵巻は多数存在しますが、五島美術館本は中でも比較的新しく、嘉永元年(1848)成立とされています。
紫式部日記絵詞じたい、紫式部日記(これも完本の写本が伝来するわけではなく、さまざまな断簡を後世に寄せ集めたものです)を底本として描かれた「フィクション」ですから、「肖像」として紫式部を描いたものではもちろん、ありません。

源氏物語の作者が紫式部であるか、どうか? という疑問については、本人の日記をはじめ御堂関白記など当時の史料からほぼ間違いない、とされています。この真偽を問題にしようとすると、過去の無数の論文で取り上げられたあらゆる例証を検討しなければなりませんから、ここで言及することは勘弁してください。

「式部」や「少納言」が役職ではないか、という指摘はそのとおりですが、本人の行賞として叙爵されたというのは誤解です。当時の女房(宮廷女官)は基本的に父親や祖父などの官位で通称されるという習慣がありました。紫式部も例外ではなく、父・藤原為時が式部省の大丞をつとめたことに拠っています。今で言えば、「○○部長の娘さん」といった感覚ですね。ちなみに「紫~」の名が冠せられたのはもちろん源氏物語の紫の上に由来しますが、生前この名で呼ばれていたという事実はなく、没後、源氏物語の評価とともに名声が高まってから、この呼び名が定着したものと現在は考えられています。ちなみに、生前は藤式部と呼ばれていたらしいです。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 いろんな質問内容にことごとく答えていただいて感謝します。「紫」が登場人物から後世につけられていたとは、意外でした。さしずめ、今なら、さくらももこさんがまる子ちゃんになるような(敬称でもなんでもないか)ものでしょうか。

お礼日時:2001/03/05 17:09

文学の専門書に当たるまでもなく、広辞苑や日本人名辞典にも掲載されているように紫式部は庶民の娘ではありませんので、当時の女性としては資料が残っている方だと思います。

昔は日本に限らず、呪いや悪霊を避けるため女性の本名は肉親や夫以外には明かさなかったため系図では女としか記載されないのが普通だったようです。日本では明治時代までその習慣が見られ、アメリカインディアンは現在でも守っています。従って庶民は俗名(あだな)で呼ばれ身分ある人は親の役職名や住んでいる館の名前で呼ばれたようです。紫式部の確実な本名は不明のようです。

当時の支配階級の娘でかつ有名な女流文学者ともなれば、それらしき絵が伝わっていても不思議ではないでしょう。彼女より600-800年後の江戸時代の肖像画でも信憑性が云々されるのですから、2千円札の絵が例え本物でなくても専門家の人以外にはどうでも良いような気がします。世の中にはそういう事(当事者や専門家から見ておかしいこと)はざらにあります。知らないことは幸せということです。
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 お札では、日本初の女性モデルではありません。

明治16(1883)年発行の政府紙幣には神功皇后(じんぐうこうごう)がモデルになっています。

参考URL:http://www.imes.boj.or.jp/cm/htmls/history_22sub …
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