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石川啄木の「悲しき玩具」におさめられている歌、

新しき明日の来るを信ずといふ
自分の言葉に
嘘はなけれど

の、訳を教えて頂きたいです。よろしくお願いします。

A 回答 (4件)

いい歌ですね。

でも大変、悲しい、重い歌ですね。

この歌集は石川啄木が死ぬ1週間前に土岐哀果を通じて東雲堂に
出版を依頼したもので、この時の原稿料は啄木の最後の薬代になりました。
生活が苦しく、肺結核で苦しんでいる啄木の気持ちが出ている歌ですね。

新しい未来がもうすぐやってくると、
私は信じてはいるが、本当に来るであろうか

こんな内容ですね。
この時の歌としてこんなのがあります。

「百姓の多くは酒をやめしといふ 
   もっと困らば 何をやめるらむ」

この頃は啄木自身がややニヒリズムになっていますね。
歌集の稿料が最後の薬代であったとは、涙が出ますね。

啄木はこの歌集を出して27歳でなくなりました。
啄木の無念な気持ちをゆっくり、味わってください。
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「短歌・和歌」は一応、それ単独で、意味を持つものが多いのですが、石川啄木の場合のこの歌は、日常語の表現に近すぎて、記されている通りの意味しか読みとれないようにも見えます。しかし、もちろん、書かれている言葉の調子や選び方から、作品のテーマを鑑賞することは可能です。

>新しき明日の来るを信ずといふ 自分の言葉に嘘はなけれど

>(訳)新しい明日が訪れると確信していると述べた、かつての自分の言葉は間違っていなかったはずであるが、しかし……

>新しい明日、――つまり、新しい社会や変革された時代、あるいは自分自身の人生の展望において、明るく可能性が開かれた未来――などが、必ず訪れる、実現すると、考え、確信している、そのように自分自身に言い聞かせ(また、他の人にも告げた)言葉に間違いや嘘はなかったと思う。しかし、新しい社会や、新しい自分の人生の未来などが開け、訪れるという、確かな予兆がないようにも思える(これはどういうことなのか、どうすればよいのであろうか)……

「新しい明日」について、色々と考え、その到来をかつて確信し、それを言葉でも述べた。その確信や考えは、いまでも間違っていなかったと思う。しかし、現実はどうなのだろうか、そういう新しい展望はどうなったのだろうか?

こういう意味の感じられるうたです。啄木は、大きな望みを持って、東京に出てきて、色々な意味で「未来を信じ」ましたが、夢破れというか、夢や展望の実現しないまま、不遇に倒れました。このうたは、自分が展望したように、現実は動かなかった、未来は開かれなかった、あるいは、自分の夢は実現せず、このままにわたしは倒れてしまうのだろうか……という不安や焦燥の思いが読みとれるように感じられます。
 
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こんばんは。



訳ではないですけど、↓は解説の様なHPです。

参考URL:http://www.echna.ne.jp/~archae/sakuin.html
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「新しい明日が来るのを信じるという自分の言葉に嘘はないけれど」


前後の文があるともう少し正確を期せるのですが。
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この回答へのお礼

非常に助かりました。どうもありがとうございました。

お礼日時:2003/02/19 22:28

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