「邪馬台国推理行」(高木彬光著)、近年では「逆説の日本史」(井沢元彦著)などで、邪馬台国「宇佐説」が説かれています。私個人としては、とても興味深い説だと思うのですが、どう思われますか?

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A 回答 (10件)

禊(みそぎ)ってありますよね?


あれは、大別して海水で行う地方と真水で行う地方があるのですが、
そのどちらもを行う島があるのです。
それが福岡の朝鮮半島に面した島であるという講義を大学の時に受けました。
元はどちらも行うべきものが地方に伝わる時に別れたそうで、どちらもを
行うところが、古代日本の神事の中心だった時代があるのだろうというのが
教授の見解でした。

だから邪馬台国が九州であったことはまず間違いがないとわたしも思います。
第一魏志倭人伝にのるためには中国大陸とそんなに離れてないところじゃないと
古代むつかしかろうと単純に思いますしね。

宇佐はたしかに邪馬台国があった場所として有力です。
が、
どうも由緒ある宇佐神宮の存在が、むりやり古代ロマンとの結びつきを
つよめちゃいないか?という気がしないでもない。でも大分県人は
卑弥呼の里とかいわないですけどね。ほとんど。一万円札の里とはいいますけど。

宇佐は邪馬台国の勢力の及ぶ一地域ではあったはず。
卑弥呼が実在したのか?
したならば彼女はどこから国を治めていたのか?っていう卑弥呼の所在となると
まだまだ動かぬ証拠がでるまで怪しい気がします。

でも古事記が架空の書物といわれた時代があり、発見されたいきさつがあるので
卑弥呼の実在を知らせる遺産がでないかなあと夢見てしまいます。

この回答への補足

 海水と真水の両方で禊をする島があるのですね。何と言う島なのでしょうか。とても興味があります。教えてください。

補足日時:2001/03/07 14:09
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補足見ました。


宗像については憶測程度の知識しか持ち合わせていませんが、
ekuboさんの説は面白いと思います。
「宗像」という姓を名乗る一族と、「神人」というキーワードを
見たことがあります。
沖ノ島と「宗像」市にもなんらかの因果関係がありそうですね。

佐賀大学から返答が来ました。
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この回答へのお礼

 長々とほんとうにありがとうございました。
>「宗像」という姓を名乗る一族と、「神人」というキーワード
これは、宗像氏に「神人」と名乗る人たちがいたということなのでしょうか。
想像力が妙にかきたてられます。できれば、向こうのページで詳しく教えてください。お願いします。

お礼日時:2001/03/14 21:12

古田武彦氏の「邪馬台国」はなかった を読んでから、もう一度、「邪馬台国推理行」を読んでみては如何でしょうか?



内容はネタばれになるのでここでは触れません

ちなみに邪馬台国推理行が後に発行されています。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~yw8a-kndu/html/touse …
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こんにちは。


在学中の恩師からメールが届きました。実はekuboさんに間違ったことをおつたえしていました。お詫びいたします。下の恩師よりのコメントをご覧下さい。

>最初から君の記憶違いではないかと思っていましたが、やはりそのとおりのようで>す。つまり君たちの学年で、古典関係で九州大学名誉教授を講師に迎えたことはな>かったのです。私の推測で、その先生は、古典語か文学特殊講義かでしょう。も
>し古典語か方言学だと、愛宕先生になりますが、先生は長崎大学の名誉教授です。>また文学特殊講義だと、その年にだけ見えられた佐賀大学名誉教授の米倉利昭先生>ではないでしょうか?講義の内容と話されるスタイルから、米倉先生のような気が>されます。声もよく通るおもしろいお話をされます。もう一度記憶を丁寧にたどっ>てみて下さい。

とのことでした。恩師の指摘どおり、私が九州大学名誉教授と勘違いした方は、
佐賀大学名誉教授、米倉先生でいらっしゃいます。大変失礼致しました。

これで講義をなさった教授のお名前まではわかりました。
これを切り口に更に調べたほうが良いことがありましたらお知らせください。
今はこちらの教授あてにメールが送れるような方法を探しているところです。
佐賀大学のHPアドレスを載せておきます。

参考URL:http://www.saga-u.ac.jp/
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この回答へのお礼

 ほんとうにありがとうございました!!感激です!!!

>これを切り口に更に調べたほうが良いことがありましたらお知らせください。
 甘えついでにもう1つお願いしちゃいます。
 「宗像氏」
  ムナカタ→胸形→胸の形
            ↓
  ムネ→ウネ→ウネル→波→海→海人族→アマ→天⇒アマテラス、アメノ~(天孫族)
 ウサギは沖ノ島から九州へ渡って来た。天皇家は、半島から日本へ渡って来た。

 この推論は、成り立つでしょうか。強引でしょうか。どう思われますか。お聞かせください。

お礼日時:2001/03/12 15:06

こんにちは。

お待ちいただけるようで恐縮です。
現在大学に在籍していらっしゃる教授が調べてくれるとメールが来ました。
期待できそうです。
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> 因幡の白兎の童話は、海水の禊のあと、真水で体を洗うという古代の神事を表し>ているのだ、と何かで読んだように思います。

これが、海水・真水の両方の禊とも>考えられますよね。

ekuboさん、鋭い。
そのとおりです。ekuboさんの見解を見て講義の内容で教授がそうおっしゃったことをおもいだしました。
かなり私の記憶はうすれてます。申し訳ないです。
大学から問い合わせの結果が来ました。ここ1,2年、件の教授の講義はなかったらしく、大学職員の記憶に残ってないみたいです。かなり書類を遡らないとわからないといわれました。もともと客員教授だから仕方ないのかもしれないけれど・・・。
ごめんなさい、これ以上お時間もらってよいものか・・・と思いますので、ekuboさんが「もう、望み薄!」と思われたときは締め切られてくださいね。
一応同期が調べつづけてくれてはいますが・・・。

ekuboさんの見解は筋が通っていて大変興味深いです。一理ありと思います。
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この回答へのお礼

 ありがとうございます。
 件の教授がお書きになった論文、書籍など是非とも読んでみたくなりました。根気強く待ちます。お願いします。
 同時に、教えて!goo に教授のことを質問してみます。どこかでヒットするかも知れませんよね。
 ますます「邪馬台国・宇佐説」に興味が出てきました。

お礼日時:2001/03/11 22:56

大学からは音沙汰無しですが大学の同期が調べてくれています。


でも大学教授の名前がわかるていどのことしか分からないかもしれません。

この回答への補足

 ありがとうございます。
 因幡の白兎の童話は、ご存知ですよね。「ワニに酷い目に遭わされたウサギは、八十神の教えに従い、海水を浴び丘に上って風に吹かれた。しかし、いっそう傷が痛んだ。そこへやって来た大国主命に真水で体を洗い、ガマの穂を敷いて寝ているよう言われる。すると、たちまち傷が治った」といった話です。
 しかし、古事記には稲羽の「素菟」と書かれていて決して、「白兎」ではない。そして、「菟神」とも書かれている。また、ワニにかまれた傷に海水がしみて痛かったとは一言も書いておらず、あくまでウサギは海水を浴び、風に身をさらしたので体が痛んだ。
 宗像大社には沖ノ島から神を船で大島と田島に迎える「みあれ祭」があります。船のことを「ワニ」とも言うそうです。菟神をワニに乗せて海を渡る。まさしく、因幡の白兎のお話です。
 ウサギが住んでいたのが出雲の隠岐の島ではなく、玄界灘に浮かぶ孤島の沖ノ島であり、ウサギは丸裸になって、海の禊をした。強風が吹く丘に上る。風の冷たさが骨身にしみる。苦痛。その後、真水で体を洗う。何とも心地よい。
 因幡の白兎の童話は、海水の禊のあと、真水で体を洗うという古代の神事を表しているのだ、と何かで読んだように思います。これが、海水・真水の両方の禊とも考えられますよね。
 そして、「菟神」は、「宇佐の神」つまり、宇佐神宮と関係がある。日本書紀にも宗像三神は宇佐嶋に降りしたと書かれている。
 こう考えると、前回snowairさんがおっしゃっていた「海水と真水の両方の禊を行うところが、古代日本の神事の中心だった時代があるのだろう」とも関係するのではないかと思うのですが。強引でしょうか。いかがでしょう。

 

補足日時:2001/03/09 14:00
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沖ノ島だった気がします。


今大学に問い合わせ中です。
もう少しの間締め切らないで下さいね(^_^;)
自分も再勉強になってためになってます。
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補足見ました。



ごめんなさい、4年前の話なので細部まで覚えてないのです。
キーワードを提示しますので、参考にしてくださると助かります。

・講義は長崎県長崎市活水女子大学文学部日本文学科(本年度で廃止学科)でおこ
 なわれた
・講義を担当したのは客員教授、九州大学名誉教授だったが、申し訳ないことに
 お名前を覚えていない
 その名誉教授は
 「にきたつにふなのりせむとつきまてばしおもかなひぬいまはこぎいでな」
 と仮名のあてられる額田王のまちがいを指摘した有名な古典研究者
 (ちなみに正解は
 「にきたつにふなのりせむとつきまてばしおもかなひぬいまはこぎこな」)
・参考文献として名誉教授は岩波文庫の緑色の表紙の本を提示されていた
・たとえば因幡の白兎がだまされて海の水で体を洗う話があるが、あれが海水で
 禊をする風習を表すので九州を出ると海水の禊の地方と大別できる
・その島は女人禁制、名誉教授は島の社の主に許可を得て、船で渡った

ほんとにぼやけた部分しか覚えてないですね。ごめんなさい。以下に不真面目な学生であったか・・・。
かなりレベルが高く充実した講義をなさる教授でしたので、同期生で内容を良く覚えている友人がいるかもしれません。あたってみます。

この回答への補足

 「九州大学、因幡の白兎、女人禁制」から考えて、それは、もしかして、玄海灘の孤島「沖ノ島」ではないでしょうか?よろしくお願いします。

補足日時:2001/03/07 17:21
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邪馬台国じたいが、どこにあったか、ということは大きな問題ではないと思います。

たぶん、その時代には、邪馬台国と同じような国が九州にも近畿にも出雲にもあったのでしょう。(私個人は九州だろうと思いますが)
それで歴史が大きく変わるわけではないはずですが、(ご当地あらそいはそれとしておもしろいけど)
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この回答へのお礼

>邪馬台国じたいが、どこにあったか、ということは大きな問題ではないと思います。
 う~ん、そう言われてしまうと、見も蓋もないというか・・・(苦笑)。
 ただ、私にとっては、すこぶる興味・関心をそそられる内容なのです。 もちろん、nozomi500さんのお考えも1つの意見として聞かせていただきたいと思います。ありがとうございました。

お礼日時:2001/03/07 14:04

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Q逆説の日本史(井沢元彦)の天武天皇・持統天皇のあたりについて

逆説の日本史を2巻古代怨霊編までよみました。
なかなかおもしろい説だと思うのですが、聖徳太子のあたりは引っ張った割りに説明不足で消化不良気味です。

それ以上に、どうしてもおかしいと気になるのが、天武天皇が本当は皇位を継げる身分ではなかったので、持統天皇が自分の子孫が皇位を継ぐことに固執した、という点です。

その説でいくのなら、大田皇女の大津皇子を草壁皇子のために陥れて、草壁も急死してしまっても、持統天皇と同じく天智天皇の娘である新田部皇女に舎人皇子と大江皇女に長皇子と弓削皇子がいるので、皇統を守るなら彼らでも良かったのではないでしょうか?
(ということは、持統天皇が自分の子孫に継がせたかっただけ?)

天智の娘が4人嫁いだという割りに、舎人皇子、長皇子、弓削皇子が無視されていて、天武の父が新羅人だったと言う説を信憑付けるためにあえて無視しているのだろうか?とも思ってしまいます。

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あるいは、大田皇女・持統天皇と新田部皇女・大江皇女の身分は明らかに違うなど、井沢氏が全く触れないにも自明のわけがなにかあるのでしょうか?

小説だと割り切ればいいのでしょうが、他の部分はけっこう詳しく検討しているに、この点が流されているのがとても気になります。

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Aベストアンサー

補足ありがとうございました。

井沢氏の「天武が天智の異父兄で父は新羅人だった(皇極が舒明と結婚する前の子)」とする説は、『日本書紀』において、天武の生年が不明であることを一つの切り口にしているのだと思います。そして後世の記録である『一代要記』『本朝皇胤招運録』にしたがえば、天智より天武が年上とされているところから、異父兄としているのではないでしょうか?しかし『一代要記』などは、中世に成立したものなので、信憑性は非常に怪しいです。

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日本古代史の学界では・・・こんな話は聞きませんね・・・正直(苦笑)

補足ありがとうございました。

井沢氏の「天武が天智の異父兄で父は新羅人だった(皇極が舒明と結婚する前の子)」とする説は、『日本書紀』において、天武の生年が不明であることを一つの切り口にしているのだと思います。そして後世の記録である『一代要記』『本朝皇胤招運録』にしたがえば、天智より天武が年上とされているところから、異父兄としているのではないでしょうか?しかし『一代要記』などは、中世に成立したものなので、信憑性は非常に怪しいです。

また皇統意識という点では、すでに他の方...続きを読む

Q井沢元彦「逆説の日本史」はいつまで続く?

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%80%86%E8%AA%AC%E3%81%AE%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%8F%B2
井沢元彦「逆説の日本史」は、週刊ポストにて連載されている
超長期連載作です。
独自の視点からの新解釈が大変面白いです。
1992年より邪馬台国の話から始まって、17年経った今でもまだ
江戸時代をやってます。
この連載はいったいいつまで続くんでしょうか?

1~3巻 古代
4~8巻 中世
9~11巻 戦国
12~15巻 近世(江戸時代) ←ここまでが既刊
16~17巻 江戸時代の文化史中心
18~19巻 幕末
20巻 日清・日露戦争
21巻 第一次世界大戦・日中戦争
22~23巻 太平洋戦争
24巻 昭和の戦後
25巻 平成

と、私の予想では、全25巻ぐらいだと思います。
だとすると、連載はあと10年は続くんじゃないでしょうか?
(その頃にはもう平成が終わってるかも…)

皆さんの予想・ご意見をお聞かせ願います。

Aベストアンサー

>連載はあと10年は続くんじゃないでしょうか?

人気ありますからね、ひょっとしたらもっと続くかも知れませんよ。江戸時代も松平定信まできて次は文化、文政かと思ったら時代逆戻りして今江戸時代初期、中期の諸藩をやってます。特に近代になれば資料が豊富ですからちょっとした日記や新聞記事などの解釈でいくらでも延ばせます。井沢氏が老人になっても続いているんじゃないかな?

Q作家の井沢元彦氏の歴史学説は…。

 推理作家の井沢元彦氏が、ここ十数年の間、現在の歴史学の研究法が誤っている(文献偏重主義,怨霊信仰の無視,宗教的側面の軽視)として、さまざまな研究結果を発表しています。例えば
 ・天智天皇は天武天皇に暗殺された。
 ・天武天皇は天智天皇の弟ではなく、正当な後継者でもない。
 ・「仮名手本忠臣蔵」は将軍綱吉殺しを暗喩した芝居である。
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 等々です。これに対して、歴史学会からの反論をあまり聞かないのですが、どのようになっているのでしょうか。
 是非、専門家(でなくてもアマチュア歴史研究家でも)の方々から反論を伺いたいのですが。

Aベストアンサー

歴史の研究家でもなんでもなく、単なる歴史好きのアマチュアなのですが、
どちらかというと井沢元彦肯定派の人間です。

井沢氏の主張する全てを肯定するわけではないのですが、
氏の主張する「現在の歴史学の研究法の誤り」については、
共感する内容を覚えます。

井沢氏の著作はまだ一部しか読んでいないのですが、古代史について
の研究で画期的だと私が感じたのは「日本書紀の信憑性」について
メスを入れた点にあると思います。

聖徳太子怨霊説や天智天皇暗殺、天武天皇の正統性の疑問などの主張に
ついては、この「日本書紀の信憑性」を疑ったところから導き出された
結論かと思います。
正直いって、聖徳太子怨霊説や天智天皇暗殺説については、すべて井沢氏
の主張を受け入れているわけではないのですが、そういう見方もできる
という点については納得しています。

天武天皇の正統性の疑問については、ほぼ納得しています。
「日本書紀」という書物が、壬申の乱という内乱(クーデター)の勝者
である天武天皇の側が記した書物であり、壬申の乱前後の記述について
勝者の都合のよいように記述されたという井沢氏の主張については、
ほぼ同意しているからです。


一素人歴史ファンの意見ですが、井沢氏の著作を作家の「作品」として
読む分については、とても面白いし、興味深い内容が多くあります。
そういう意味では、「逆説の日本史」シリーズよりも「言霊」シリーズ
の方が、井沢氏の主張が出ていて面白い内容です。

「学問」としての評価については、残念ながら私の手に余りますので
こちらはプロの歴史研究家の評価を待ちたいところです。


#井沢氏の主張の是非はともかく、歴史作家の社会的影響はとても
#大きいと思います。
#私自身は、司馬遼太郎にハマッて歴史好きになった人間なのですが...

歴史の研究家でもなんでもなく、単なる歴史好きのアマチュアなのですが、
どちらかというと井沢元彦肯定派の人間です。

井沢氏の主張する全てを肯定するわけではないのですが、
氏の主張する「現在の歴史学の研究法の誤り」については、
共感する内容を覚えます。

井沢氏の著作はまだ一部しか読んでいないのですが、古代史について
の研究で画期的だと私が感じたのは「日本書紀の信憑性」について
メスを入れた点にあると思います。

聖徳太子怨霊説や天智天皇暗殺、天武天皇の正統性の疑問などの主...続きを読む

Q井沢元彦氏はNHK”その時歴史が動いた”に出演できない?

NHK”その時歴史が動いた”のゲストには 歴史学者?(推理作家)の井沢元彦氏はいちども出たことが有りません
昨日のその時歴史が動いたの番組 吉宗vs宗春ですが、吉宗の経済政策については氏はいいことを著作の逆説日本史シリーズで書いているので出演するかと思いましたが出ませんでした
たぶん 氏はいつも歴史学の研究法が誤っている(文献偏重主義,怨霊信仰の無視,宗教的側面の軽視)と言って歴史学会をきびしく批判して、嫌われているのでNHKも気を使っているのだとおもいます。この番組には 歴史学者でなくても出た人はいるのに不思議です。

Aベストアンサー

>では なぜ 井沢元彦氏は ”その時歴史は動いた”に一度も出演していないのでしょうか

#2です。そうですね,たしかにご質問に答えていませんでした。失礼しました。私のミスです。

理由はおそらく,「その時歴史は動いた」という番組のコンセプトと合致しないからです。この番組は,歴史的事実・学界の通説だけれどあまり一般には知られていないこと,を拾い上げて,誰もが知っている事件の背景を解説していく,というコンセプトで作られていると思います。何しろNHKですから。

伊沢氏の主張のような,「科学的でない異説」を取り上げる番組では無いということです。逆に,そのような異説を好んで取り上げる放送局・番組だって(埋蔵金伝説みたいに)ありますよね。

断っておきますが,私は氏の説を馬鹿にしているわけではありません。素人目で見ると,その主張はそれなりに「なるほどなぁ」と思うところもあるし,面白いなぁとも思っています。前に書いたように私は氏の「逆説の日本史」を含めた小説のファンですから。

ただし,研究者として見るなら,証明が不十分・手法がいい加減で,学問の主張にはなり得ないだろうということも分かります。学問の主張として成立しないものは,議論の対象としての「新説」にはなり得ません。

そうした説を紹介する番組ではないから,登場しなかったというだけのことだと思います。J-POPを紹介する番組に,演歌歌手が登場しないからといって不思議ではないでしょう?

>では なぜ 井沢元彦氏は ”その時歴史は動いた”に一度も出演していないのでしょうか

#2です。そうですね,たしかにご質問に答えていませんでした。失礼しました。私のミスです。

理由はおそらく,「その時歴史は動いた」という番組のコンセプトと合致しないからです。この番組は,歴史的事実・学界の通説だけれどあまり一般には知られていないこと,を拾い上げて,誰もが知っている事件の背景を解説していく,というコンセプトで作られていると思います。何しろNHKですから。

伊沢氏の主張のような,...続きを読む

Q関 裕二 と井沢元彦は、トンデモ系の人ですか??

歴史を勉強するのは好きですが、ロマンチック過ぎて嘘の多いような、きちんとした史料の裏づけのないような歴史本を読んでいる時間はありません(それはそれで面白いのはわかります)。
歴史学会で「正統」とされているものだけ、なるべくなら読みたいです。

本屋さんで歴史の棚に行くと、タイトルのお二人の本が数多く並べられていますが、タイトルが(かなり面白そうだけれども)ほんとかどうか疑わしい感じのものが多いのです(特に関氏)。
私は素人ですので、歴史学会でこの二人がどのような評価を受けているのかわかりません。
そもそも歴史は曖昧なものなのかもしれませんが、よろしくお願いします。

Aベストアンサー

お二人の評価については、ちょっと分からないので「正統説」を知る方法について回答してみたいとおもいます。

>歴史学会で「正統」とされているものだけ、なるべくなら読みたいです。

との事ですので、一つの方法として学会に入会してみてはいかがでしょうか?
中には、なんらかの資格(博士号とか修士号とか)が必要な学会もありますが、多くの学会は意外とオープンであり一般会員を受け付けているところも沢山あります。
日本史では、「日本歴史学会」と「歴史学会」が主流の二本柱であると言えるかと思います。


http://wwwsoc.nii.ac.jp/jhs/link.html
http://www.yoshikawa-k.co.jp/nihonrekisi.htm
http://wwwsoc.nii.ac.jp/rekigaku/index.html


本屋の棚には玉石混合であり、なかなか素人では「トンデモ本」であるかどうかを見分けるのは難しいです。
ですが、定期的に学会が発行する冊子や論文集などはその学会での「正統説や有力説」とみて間違いないと思います。
また、「一冊の本」よりも「5本の論文」の方が学術界では資料価値は高いです。
なので、歴史本をよむより学会発行の雑誌論文のほうが有益かもしれません。

また、学会発行の雑誌は図書館に縮尺版や纏められたモノがありますので、過去の論文ならタダ(他館から取り寄せや印刷を頼んだ場合は、印刷代や郵送料がかかる場合がある)で読めます。
また、大学図書館の中には一般会員を募集してるところも出始めているようです。
公共図書館・大学図書館等を活用すれば、資料収集の幅が大きく広がりますよ。
また、CiNiiで論文を探して、近くの図書館や国立国会図書館で複写を依頼することも出来ます。
また国立国会図書館では、ネット申し込みと郵送サービスがありますので、活用してみてください。

http://ge.nii.ac.jp/genii/jsp/index.jsp
http://www.ndl.go.jp/jp/information/guide.html

お二人の評価については、ちょっと分からないので「正統説」を知る方法について回答してみたいとおもいます。

>歴史学会で「正統」とされているものだけ、なるべくなら読みたいです。

との事ですので、一つの方法として学会に入会してみてはいかがでしょうか?
中には、なんらかの資格(博士号とか修士号とか)が必要な学会もありますが、多くの学会は意外とオープンであり一般会員を受け付けているところも沢山あります。
日本史では、「日本歴史学会」と「歴史学会」が主流の二本柱であると言えるかと思い...続きを読む


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