死刑廃止だと思う人は、自分の家族が目の前で殺されても死刑廃止だと言えますか?
死刑存置だと思う人は、自分の家族が冤罪で死刑判決が出たとしても死刑存置だと言えますか?
とうぜん例え話なので、絶対そんなこと無いよーってのはナシでお願いします。
双方の意見を聞きたいです。

ちなみに僕は、家族が殺されたなら一刻も早く死刑にしてほしいと思うでしょう。この手で殺したいです。そして家族の死刑が確定したなら全力で死刑廃止を叫ぶでしょう。冤罪じゃなかったとしてもです。
僕はわがままで自己中心的な人間なので、自分にとって一番大切な人を守ろうとするでしょう。
どっちつかずじゃダメですか?

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A 回答 (15件中1~10件)

喩え目の前で愛する家族が惨殺されても、死刑廃止を唱えます



死刑を廃止すると殺人が減ります
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死刑存置の考えです。


ただし、これは冤罪の可能性がある事件の場合には死刑判決を出さないという前提です。

今ある事件で言えば和歌山毒物カレー事件のようなちゃんとした証拠もない、状況証拠だけで本人も否認している事件では絶対に死刑判決を出してはいけないでしょう。

秋葉原通り魔事件のように現行犯でこの人物が間違いなく犯人という事件なんかは、死刑判決を出しても問題ないです。

多くの物的証拠から犯人が見つかった事件の場合は取調べを完全録画して間然公開出来るようにして、おかしな取調べをしないようにするチェック態勢を整えていく必要があると思います。

なので家族が殺されて、状況証拠だけで容疑者にされていて、本人は否認している場合はもっと警察がしっかり捜査しろ!と警察に怒りが向かいますね。
容疑者と犯人は別ものだし、状況証拠だけで犯人とするのには、松本サリン事件のようなこともあり、恐ろしさがあります。
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>どっちつかずじゃダメですか?


あなたの個人的な感情としては どっちでもいいです。
がしかし国や法律としてはダメなのは言うまでも無いですよね?

「やるのかやらないのか」しかないですから。
(「やるなら どういう基準で」も当然の話)

個人的には現行の死刑のやり方を変えてもらいたいと思ってます。

「やったことと同じ事をされる」という死刑方法に変更して欲しいです。

自分勝手に人を殺しておいて自分が死刑になる時には絞首刑であっさりと?
ぬるいでしょう!

「名古屋の闇サイト事件」なんて 目隠しして金槌で殴打ですよ?
何の関係もない娘を。

僕が彼女の婚約者だったら裁判官に「こいつらに同じことをやらせてください」
って言いますね。
許可が下りないでしょうから独断でもやってやりたい気分です。
もう そこまでいったら禁固刑になろうが何だろうが どうでもいいですよね。
どうせ 今後 そのことを忘れて生きて行くことは出来ないんですから
後は野となれって感じでしょうか。

かなり脱線しましたが 絶対に死刑存続派だし 身内は そんなヤツ居ない
(「そんなヤツは身内と見なさない」と考える人も居るでしょう)
「やり方も変更して欲しい派」です!
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死刑存置派です。




>死刑存置だと思う人は、自分の家族が冤罪で死刑判決が
>出たとしても死刑存置だと言えますか?

当然死刑存置と言います。なぜならこのケースでは死刑は全く問題ではないからです。
ここでの問題は【冤罪】です。死刑廃止で懲役100年なら良かったという話ではありません。



>僕はわがままで自己中心的な人間なので、自分にとって一番
>大切な人を守ろうとするでしょう。
>どっちつかずじゃダメですか?

ダメです。これだと自分の大事な人が大量殺人をしたとしても、一切の刑罰からその人を守ろうとすると言うことですよね。
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> 死刑存置だと思う人は、自分の家族が冤罪で


> 死刑判決が出たとしても死刑存置だと言えますか?

 はい、言えます。死刑があるかどうかが問題ではなく、
冤罪で有罪にされたことが問題だからです。だから捜査した
警察を憎み、検挙した検察を憎み、判決をくだした裁判官を
憎むでしょう。そして隠れている真犯人を憎み、殺人者として
報道したマスコミを憎むでしょう。

 だから、「 真犯人を死刑にしろ! 」、「 こんな誤審を
下した裁判官こそ死刑にしろ! 」とか思うかもしれませんね。

> 家族の死刑が確定したなら全力で死刑廃止を叫ぶでしょう。

 死刑廃止を叫ぶ前に、警察や検察、裁判所を憎む気持ちで
いっぱいになると思いますよ。もし私がその立場になったとして、
「 死刑に反対しましょう 」なんて呼びかけるヤツが出てきたら、
「 オレの身内を、お前の下らん思想の道具にするつもりか!? 」と
その言いだしっぺをとことん憎むことでしょうね。
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もし自分の愛する者が理不尽な理由または理由無く殺されてしまったら、加害者を殺したいほど憎むと思います。

でも、死刑が執行されて憎む対象が無くなったら癒されるかと考えると決してそんな事はないと思います。私なら監獄の加害者に毎日面会に行って「なぜ殺したんだ」と加害者か私が死ぬまで問い続けたいです。
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自分が被害者側のときは死刑存置派、冤罪に巻き込まれた場合は死刑廃止派です。

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死刑存置派です。



家族が冤罪で死刑判決になったら死刑存置なんて言えません。
自分が当事者でないことが前提です。
「刑が重すぎて更生の妨げになってる、かわいそうだ」と思うよりも、
「刑が軽すぎる!許せない!」と怒りを覚えたり不安に感じるから死刑存置派なんです。

筋道を通していくと死刑廃止派になってしまいますが、
筋道だけの世界で生きているわけではありませんからね。

ちなみに質問者様は家族がどちらにも関係無かったとしてもどっちつかずですか?
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このような意見を書くと「何を言っているかわかりません」と書かれてしまうことが多々ありますが、私の考えを述べさせて頂きます。



このような人の生死に関わる問題を日本人は、自分や身近な人に置き換えて考えます。
考え方の1つとしてそれは悪くはないですが、それは感情論でしかありません。
ですから「どっちつかず」も別に「自己中心的な人間」とはなりません。

このような重大な問題を日本人は感情論でしか考えられないことがそもそもの不幸なのです。
(話を広げて申し訳ないですが(いつもこれで嫌われる))拉致問題も被害者家族の意見ばかりを取り入れているからいつまでも解決しないのです。
被害者の意見は感情論がほとんどで、その意志をくみ取ることは重要ですが、そのすべてを満たすのには問題があります。

本題に近いことで言えば、このように生死に関わることは本当は自分が実際にその立場になってみないと絶対にわかりません。
もし自分が今日死刑になることが告げられて「暴れ出すか」「諦めて黙るか」今、冷静に考えた通りになるかどうかは絶対に誰にもわかりません。

ですから「自分はそれでも○○と言えるから」「言えないから」などの論理で考えるべき問題ではないのです。

最後に死刑制度は、存続です。
(これは必要なければ、死刑にしなければいいだけなので誰も反対しないと思うのですが)
そして死刑にすべき人は、もっと減らしてもいいのかも知れませんが、たとえばあの「オウム事件」の首謀者が無期懲役では絶対に許されないでしょうし、これからもあのような、あるいはあれ以上の事件もあり得ますので、死刑廃止はあり得ないと思います。

※それに「えん罪」は、やろうと思ってやっているわけではないので、議論としては別に論じる必要があると思います。
つまり無期懲役だから「えん罪」が許されるわけではないからで、えん罪は絶対にあってはならないものなのです。
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はっきり言って、この手の議論の根本には、日本の司法制度の腐敗があります。


テレビ番組で、はっきり冤罪だと証拠立てて論証しているのに、裁判所はそれを認めません。
また、日本において、毎年千人を超える身元不明の遺体が警察に収容されている現実があります。
現実に、警察が病死と判断し、司法解剖等しないまま荼毘に付そうとしたところ、息子が自首してきたため、犯罪が発覚した例もあります。
また、時効成立後、犯人が出頭してきた例もあります。
甚だしくは、警察幹部が、息子の犯罪行為の通報を放置し、その間にその息子により、被害者がなぶり殺しにされた例もあります。
どっちつかずというのは、ダブルスタンダードです。
私は、個人的には人を殺してでも自分は助かりたいと願うほうなので、今の、司法制度が腐り続けている現実には、死刑制度には躊躇を覚えますが、それとは別に、死刑にするしかないやつも居ます。
死刑を選択せず、無期、長期服役で出所し、再犯で犠牲者を生んだ例もあります。
日本には、諸外国と違い、絶対に出所させないという懲役刑の制度はありません。
だとすれば、死刑は必然でしょう。
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