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先日友人と話をしている際、会話の中で私が「キミは強がって生きているように俺の目には映る。キミは本来は弱い人間だと思うよ。」と言ったのですが、友人はそれに対して「そう思われているとは心外だ。」と言ってきました。

私の考えは、人間はみな弱い生き物で、弱さをカバーする為に知識を得たり、嘘をついたり、他人を求めあったり・・・の行動をしていると思っていて、「弱い」という事は様々な事柄に負ける可能性が高いかもしれないけれど、必ずしも「悪い」という事とリンクしているとは思っていないのです。
少なくとも「弱い人間」=「ダメ人間」では無いと思っています。
更に若干論点がズレますが、弱いことによって負けてしまってもそれで全てが終わりだとは思っていません。
もちろん強いこと、勝つことの方が良いとは思いますが、負けは負け以外の何物でもなく、仮に負けてもその事実を受けとめられればそれでよいと思っています。
私の友人の解釈では「弱い」=「ダメ」ということらしく、弱い人間と称された事を、ダメの烙印を押されたように感じたらしいのです。

私はこの件で、人それぞれの感じ方の違いに改めて驚いたのですが、あるいは他の方々は「強い人間、弱い人間」という表現にどのような感覚を抱いているのか知りたくなりました。
簡単なイメージでも結構ですのでできるだけ多くの方の意見が集まれば嬉しく思います。

A 回答 (11件中1~10件)

一般的には、「強者=勝者」 「弱者=敗者」という認識では


ないでしょうか?
あるいは「力=正義」みたいな・・・
ただ、そこには永続性という観念があるように思います
「強者」が「勝者」であり続けることや「弱者」が「敗者」に
甘んじ続ける事が可能なのか・・・
難しいテーマのような気もするし単純なような気もします
いずれにしても、目的を持ちえた場合
「意志の強い人間」のほうが「意志の弱い人間」より
評価は高いんでしょう
意味不明な回答で恐縮です
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>一般的には、「強者=勝者」 「弱者=敗者」という認識ではないでしょうか?
やはりそうですか。ストレートに考えるとそうですよね。
そういった意味でストレートに考えると私はあまのじゃくかもしれません。
>「意志の強い人間」のほうが「意志の弱い人間」より評価は高いんでしょう
さすがにこれには全く異論ありません。さすがの私でもその様に評価するでしょう。

お礼日時:2003/02/25 00:44

やっとすっきりしました。


失礼ですが回答履歴を見てその中に
>エゴと言ってしまうと、他人の人生に対して意見や助言をする事全てがエゴです。その人の為といいつつも、同時に自分の「利」が絡んだり、自分の「快」が潜んでいたりするのです。
とありなぜこのように考えている人が冒頭に書いてあるようなことを友人に言ったのか
不可解でしょうがありませんでした。
しかし前後のやり取りをみてなるほどなと思いました。
私でも同じ事を言うと思いました。
果てしなくウェットな回答ですが
私はそういうことを言うにはよっぽどの覚悟がいると書きましたが
その友人はあなたを頼りにして弱さをさらけ出して頼ってきているのですから
このときに言わずにいつ言うのかという感じですね。
(君と名指しする事はきちんと意味があったわけですね)

しかし、ここまで理由をいう気はなかったといいますが
ここまでいわなければなぜ「強い」ことが一概にいいことであると言えないとは受け取れないと思います。

自分の身の丈にあった強さを探さなければいけないというのがあると思います。
質問者さんの友人が身の丈に合わない「強さ」を求めたためにそれは悪い事になりえたのではないでしょうか?
「強さ」は「優しさ」などと同じように手に入れたと思えば消えてしまうものだし
定型ではなくまた、過剰にそうなろうとするとどこかに弊害が生じるものだと思います。

弱い人間である事を正当化することは無理かもしれないけどこういう考えはどうでしょう。
虚勢を張っている状態は世間というものに対してノーガード戦法で戦っているのだと思います。
俺は平気だぞといって傷はたくさんもらうが気合で立ち続けるわけです。
こんなことしていたら強烈な一発をもらったらガードをしていないのですからダウンしてしまうでしょう。
ではどうするのか?
それはカメ戦法でしょう。
ガードを固めて必死に耐える。ノーガード戦法と違うのは自分の身を守る事だけに専念しているということです。
何も行動を起していないのですから世間から見れば弱いように見えるでしょう。
しかしガードの奥に勝ってやろうと燃えるような闘志を抱えるわけです。
これは本質的な意味で弱いとは言わないでしょう。耐える事だって強さだと思います。
正しくこれが当てはまるのではないでしょうか?
そしてこのカメ作戦を支えるのは質問者さんや友人達がセコンドに控えているのだと思います。
詭弁であるとは思わないのですが。

以上この上もなくウェットな回答でした。
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この回答へのお礼

解答ありがとうございました。
>やっとすっきりしました。
何度も貴重な時間を割いていただき申し訳なく思っております。


>ここまでいわなければなぜ「強い」ことが一概にいいことであると言えないとは受け取れないと思います。
そうですね。私も逆に他の方への解答で全貌が把握できないばかりに(質問者にとっては)論点の外れた解答をしてしまうことが確かにありました。
この点は質問側に立った場合、今後も注意したいと思います。

>自分の身の丈にあった強さを・・・・・どこかに弊害が生じるものだと思います。
この文を読んで、映画スパイダーマンで呪文のようによく出てきた言葉「大きな力を持つ者は大きな責任が伴う。」というのを思い出しました。
責任というものも自覚なので、自分を知ることができることがそれに応じた強さを得ることができるのでしょうね。

>弱い人間である事を正当化することは無理かも・・・以上この上もなくウェットな回答でした。
すみません。いろいろと考えていただいて。
その考え一応いただいておきます。ただ、その時は私も「キミは弱い人間」発言をしてしまいましたからそこまで頭がまわりませんでした。
口から吐いた言葉は戻せませんので、別な言う機会があれば使わせていただきます。

お礼日時:2003/02/27 20:09

ではなぜ本来弱い人間は強い人間になろうとするのでしょうか?


本来弱いのであるならばなぜ弱いままではいけないのでしょうか?
それは「弱い」=「駄目」というのが少なからずあるからでは?

>弱さをカバーする為に知識を得たり、嘘をついたり、他人を求めあったり・・・の行動
後の二つは確かに「弱い」と思うけど
最初のものは「弱い」のですか?
これをする人間が強いのではないですか?
前者(後の二つ)は良くない事です。(最後の方は微妙だが)
けれどもどこかにしょうがないというイメージがありますが
後者は自分を前進させる意志の力を感じ取る事ができます。
このことからも同列に並べる事に違和感を覚えます。

「負ける」とは抽象的なのでどのようなものを指すのでしょうか?
勝負?人生?
スポーツのように勝敗がはっきりするものでなければ
弱いから負けるのではないでしょうか。
言い換えれば勝敗を決めるのは自分でしかないわけです。
自分の弱さを感じ取ることによって「負ける」のが「弱さ」であり
それによって「負けない」のが「強さ」ではないでしょうか?
勝敗のないものには勝利というものもないと思います。
ただ負けないというだけだと思います。
もし「勝った」と思うならばそれは自らの「弱さ」によるのではないでしょうか?
これでもやっぱり「弱さ」は「駄目」ですね。

人間の性質として「弱い」のはしかたがないが
個人の性質として「弱い」のは駄目だと思うし思わないといけない(拒絶とは区別)それが向上心というものにつながると思います。
まぁ私見なので。
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この回答へのお礼

再回答ありがとうございました。

実を言うと、私はebinamoriさんのや他の「弱い=駄目」論者の方々の考えはよく分かっているのですよ。
私もよくよく考えるまではその考え方の人間でしたから。

私の質問の仕方が、あたかもその対局の立場からの発言のようになっているのは訳がありまして、それが例の友人の事になってしまうのですが、その友人というのは結構交友範囲が広く、それらほとんどの人に対しては好意的に接するため逆にとても好感を持たれ、人望も厚く、任せておけタイプのいわゆる強い人間と思われています。
本人もそうした人間関係をいやでやっている訳ではないのでここまでの内容なら何も問題ないのですが、ここ最近になってあまりにも複雑化してくる人間関係に精神と身体がついていけなくなってしまいました。
普通の人間ならここで、何かをセーブしたりと自己管理を考えるところですが、友人はどうしてもそれができません。いつも自分に負担をかける方向へ持っていきます。いわゆる不器用なのです。
ですが、このような支障があることをごく身近な人間にしか漏らしません。
(私はその中の一人です)

こんな友人を見ていると、あたかも周りから「強い人」と思われていて、それに応ええようと「強い人」を演じているだけのように思えたのです。
正直、友人はこのままでは自滅してしまいそうで、強い人を演じるのは無理がある、もう少し自分を見つめてみないか?と言いたかったのです。

つまりは、私は今まで「強い=良い」「弱い=悪い」の考えがあったものの、友人を見ている限り、これが当てはまらないと思えたのです。
ebinamoriさんは虚勢をはるなと他人に言うことは酷だと前回の意見でありましたが、私は逆にそういいたいのです。

私は友人に無理をして欲しくないために、虚勢をはるなといい、弱い自分を少しは認めさせるために、「弱い人間」を正当化させる理由が欲しかったのです。
本当は「弱い人間」を理論的に完全に正当化する事に無理がある事は知っています。ですから私も「弱い人間=良いイメージ」とは一言も言っていません。

そんな私の迷いから何らかのヒント、あるいは解答があればと、皆さんに定義を聞きたいと思ったのです。

ここまで理由を述べてしまうとカテ違いで「相談」になってしまいます。
あえて「哲学」にしたのもここまで私が話すつもりじゃなかったという事と、皆さんももっとドライに意見を下さると思ったからです。

お礼日時:2003/02/26 16:08

強い人間や弱い人間と他人に言う事は本来不可能です。


それはなぜかというと簡単な事です。
相手の精神的な事や肉体的な事全て分かる人間がいるでしょうか?
自分の尺度で相手を自分勝手に見てるに過ぎません。
つまり偏見なんです。
俺はこの言葉だけは断じて使いません。言われますけど…(苦笑)

ですがこれがいいか悪いかといわれると一概になんとも言えません。
これを全て否定すると人を形容する事全て否定する事になりかねますので、
コミュニケーションが成立しなくなるでしょう。
それに偏見は誰にでもある事です。
もちろん俺だっていくらでもあります。気づかないところで。

もしそれでも強弱で人を判断するのなら参考URLの考え方が好きです。

参考URL:http://www.alived.com/blue/seija/script.html
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>自分の尺度で相手を自分勝手に見てるに過ぎません。
つまり偏見なんです。

はい、極論にして正論だと思っています。
私もこれの良し悪しまでは判断できないと思っているので会話上、
「キミは強がって生きているように俺の目には映る。」と表現しました。あくまでも主観であるということわりとして。

お礼日時:2003/02/26 15:20

>強い人間、弱い人間」という表現にどのような感覚を抱いているのか


>簡単なイメージでも結構ですのでできるだけ

ということで、回答!
やっぱり、弱いより強い方がいいです。
もちろん、人間はみな弱い生き物云々・・・・・・
弱い人間=ダメ人間ってことじゃないのはわかりますが、
弱い人間~意志が弱い体が弱い逆境に弱いなどなど
マイナスイメージを強く感じてしまうからです。

あと、#4さんの
>弱さに甘んじている人間が駄目人間です。
自戒しようと思いました・・・。
開き直っちゃいけませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>弱い人間~意志が弱い体が弱い逆境に弱いなどなど
マイナスイメージを強く感じてしまうからです。

もちろんそうですね。
さすがの私も弱い人間を、
プラスイメージで考る程壊れてはいません。(笑)

お礼日時:2003/02/25 17:44

話のつじつまがあってないよ。



gekkouさんは結局友人に何を言いたかったのかがよく解らない。
>私の考えは、人間はみな弱い生き物で・・・・
そうおもうなら、
>キミは本来は弱い人間だと思うよ。
と、なぜ、わざわざ友人を主語に置いて、友人の弱さを攻める必要があったのか?
人間が弱い生き物だとおもうなら、
「人間は本来弱い生き物だとおもうよ」と
そのまま言えばなにも問題はおこらんかったでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
>話のつじつまがあってないよ。
あ、ナルホドこの文章だけ見るとヘンですね。
つじつまがあってないというよりは重複しているんですね。
前後の会話の流れを抜粋したり、会話文と説明文が前後したりしているので妙な繋がりになってしまいました。
いずれにしても分かりにくかったですね申し訳ありませんでした。
それから結局これも私の説明が下手なせいでしょうけれど、
他の方へのお礼の文にも書かせていただいたのですが、
今回の件で私と友人との間に特に問題は起きていません。
心外だという事で不快感は表したものの、私の見解を聞き、一定の理解を示してくれました。
そこで新たに生じた問題、「自分達以外の人達はどう考えているのだろう?」を質問したかっただけです。
あえて回答の再要求まではしませんが、もしbj_kaeruさん自身の「強い人間」「弱い人間」に対する定義などありましたら締切をもうしばらく待ちますので回答いただけたらとも思っております。

お礼日時:2003/02/25 02:10

私はgekkouさんの考え方と同じです。

強いことが必ずしも良いこととは思いません。
私は、本当の強さというのは、「弱い自分、情けない自分、醜い自分も居ることを認めること」だと思います。マイナスの自分に目を逸らしてプラスの自分しか見ないのは虚勢を張っていることなのではないかと思います。

また、それとは逆に「自分は弱くて、情けなくて、愚かだ」と必要以上に思うことは自分の「本当の強さを知らない」ことなのだと思います。

かくゆう私は、後者の人間です。

 弱さに負けても、それで全てが終わりではないという考え方も同感です。
負けてしまった後に、どうやって自分を立て直すか(良い方向へ持っていくか)ということの方がはるかに大事で難しいことだと思います。

「強さ」と「弱さ」というのは、「光」と「影」なのだと思います。(光が差せば、影も出来る)

「強い自分(プラスの自分)」も「弱い自分(マイナスの自分)」もありのままの自分を受け入れられたら、周囲の人にも寛大になれるのかな・・なんて思います。

勝ち続ける人生も良いけど、ある時、負けてしまった時が怖いですね。勝ち続けてきたという自信やプライドは一瞬にして崩れ去ってしまうんですからね・・・。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
>私はgekkouさんの考え方と同じです。
まあ、私の考えが当たっているとは言えませんが、少なくともそういってくださる方がいたことで少し安心できました。
といいますか、むしろkochankawaiiさんの説明の方が私の言いたかったことの確信を突いています。
私もその様にうまく説明できるようになりたいものです。

お礼日時:2003/02/25 01:50

そのむかし、「筋肉マン」という大胆な題のついた漫画があったのですが、そこで、マンモスマンという超人が出てきます。

そのマンモスマンが、パワーは強いが精神面で弱いと、正義超人ロビンマスクが気づき、その精神をつきます。それはこういう理由です(漫画の中の話です)。
「マンモスマン!お前の仲間は氷河期に皆死んだが、お前は生き残った。それはなぜか?強いマンモスは、その強さの象徴である自分の巨牙に突き刺されて死んでいったのだ。マンモスマンよ、お前の牙は、それほどに大きくなく、その結果、お前は生き延びた。そう、お前は弱いマンモス!ゆえに、生き残り、今私と戦っているのだ!!マンモスマンよ、お前は弱いマンモスだ!」と言い、マンモスマンは精神的にへこんでしまいます。とはいえ、マンモスマンの超人強度は6千5百万パワー、対するロビンは98万パワー。雲泥の差ですが、ロビンは、知能やら、不屈の精神やら、友情パワーやらの理由で、結局、勝ってしまうのです。
 
何が言いたかったわけでもないのですが、。思考が多岐にわたっているため、そのままばらばら回答を続けます。
 
強い人間でも弱い立場にいる場合もあり、弱い人間でも強い立場を得れば強くなれるわけです。弱い人間は、立場を守ろうとします。
これが、策略です。現在、人間は、強い立場にいると思っています。立場をわきまえて、行動する必要があるのです。強い者だけでは生きていけません
。シマウマがいなければ、ライオンは生きれないのです。弱肉強食です。
弱いものが、強いものを、生かしているのです。しかし、強い者が、弱いものの、バランスを保っています。
飛躍しました。
弱いはずが、強さを駆逐する。それがヴェトナム戦争、ゲリラ、テロです。
立場をわきまえない権力者は、こき降ろされます。アメリカはわかっているんでしょうか?アメリカは、強い立場を築いただけであり、アメリカが強いのではないのです。だから、テロ(立場を無視した無差別)に怯えるのです。弱いから、怯えるのです。アメリカは、無差別に弱いのです。アメリカの強さは、差別の上に成り立っているからです。
いいすぎかな(笑。
また、強さも目的を果たせばしおれてしまいます。男性器がいい例です。
 
強弱をつけるというのが、バランスのとれた姿勢ではないでしょうか?
強さ弱さとは総合的であり、また、一長一短でもあるわけです。強さと弱さは、二刀で一刀、諸刃の剣?

ばらばら回答ですみません。
少なくとも、マンモスマンは弱いゆえに生き残ったと言えます。そして、その弱さのコンプレックスゆえに、格下の超人に負けたのです。
しかし、実は、試合の後、マンモスマンは、弱さを認めることで、「自分を取り戻した」のです。
筋肉マン。あなどれません。
多くの意見を述べましたが、ランダムのままに提出します。
悪く思わないでください。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
いろいろと興味深いお話ありがとうございました。
>筋肉マン。あなどれません。
そうですね。私はあまり詳しくないのですが、熱血っぽいマンガって「くっだらねー」って読み流せばそれで終わりですが、結構人生を語っている事が多いような気がします。
私の会社の社長が以前息子さんのマンガを借りて「ジャングルの王者ターちゃん」は感動するよ!とかマジで言ってるのを思い出しました。
筋肉マンもそうですが、私はayamatiさん本人に興味がわいてしまいました。

お礼日時:2003/02/25 01:43

「人間は本来弱いものだ。

だけれどもそれでも君は強くあろうとあがなっているように見える。」
というのとは意味が違うのですか?
質問文にあるものは「君はどうせ弱い人間なのだから虚勢を張るな」と言われたとほとんどの人は思う気がするのですが。
虚勢を張らずにどう生きろというのでしょうか?

確かに弱い事を認めるのは大事な事だと思います。
また、それを指摘してあげる事も友情だと思います。
しかし質問文の冒頭に書いてあるものからそれを読み取るのは困難です。
(前後のやり取りを省略したものではあると思うのですが)

弱さに甘んじている人間が駄目人間です。(これに関しどのような非難も受ける)

私は質問者さんの言うような事を友人に言う事はできません。
親友がいないということでもありますが
他のどのような指摘とは比べほどにならないほどに責任が付きまとうと思いますし。
自殺をさせる可能性を持っている言葉だと思います。
自分が弱いと認めたくない人がそれこそ死ぬ物狂いで虚勢を張っていたら決してありえない話ではないでしょう。
つまりそれを乗り越えさせるほどに対話する事ができるかどうかが疑問だからです。

強い人間とは自分の弱さを知りそれをどのようにカバーするか知っている人間だと思います。
また、私は全世界の全ての人と接したわけではないので元から強い人間がいないともいえないですが。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
>弱さに甘んじている人間が駄目人間です。
あっ、これは私も最悪だと思います。

ebinamoriさんの回答もちろん全文拝見させてはいただいたのですが、他の方へのお礼文にも書かせていただいたことですが、今回私が皆さんにお聞きしたかった事は、私の友人に対する発言をどう思うかではないのです。
ebinamoriさんの文中にあるように、私は前後のやり取りを省略していますし、友人とどれ程の関係かも明記していません。特にこのことで友人とトラブルになっている訳でもなく、私の質問文にあるような、「弱い人間」についての私なりの解釈を説明したところ、友人との解釈に大きなギャップがあることがわかり、他の多くの人の「弱い人間」に対する解釈を聞いてみたいと思っただけなのです。
私の説明が中途半端なばかりに誤解を招かせてしまい申し訳なく思っております。
いくら私でも関係の薄い人物との間でこんなセリフは言いませんのでご心配なく。

お礼日時:2003/02/25 01:33

日本語って、言い方によってとらえられ方が違うんじゃないでしょうかね。

「キミは強がって生きているように俺の目には映る。キミは本来は弱い人間だと思うよ。」と言われれば、私でも「ムッ」とするかもしれません。しかし、例えば「君は強く生きたがっているように見える。多分君は自分で思っているほど強く生きてはいないんじゃないかな。」とか、まぁ、これは下手な例文ですが、これでも印象が違ってくるんじゃないでしょうか。

私の個人的な意見は、多分gekkouさんのお友達が「そう思われているとは心外だ。」といったのは、強者、弱者の印象よりも「お前弱い」と言われたことへの一次的な反発じゃないでしょうか。それではなぜ「お前弱い」と言われたとお友達が感じたのかといえば、そういう「言い方」だったからだと思いますよ。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
>日本語って、言い方によってとらえられ方が違うんじゃないでしょうかね。
それはとっても思います。日本語ってムズカシイとよく言うのはそのあたりですね。

>私の個人的な意見は・・・・・そういう「言い方」だったからだと思いますよ。
それは分かっているのですが、私が今回皆さんにお聞きしたかったのは「強い人間」「弱い人間」という言葉についての各個人の抱くイメージというか、定義のようなものだったのです。
どうして友人が不快感を示したかという事はその場の話でもう分かっているんで解決済みだったのです。私の説明が下手なばかりに他の方も誤解したようです。申し訳ありませんでした。

お礼日時:2003/02/25 01:16

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