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中国は欧米列強に立ち向かう事も出来ず、ロシアの南下政策に対して対策もせず、結局日清戦争に負けた後は英仏露に領土を次々占領されてしまいました。

ですが、もし中国、もとい清が欧米列強に立ち向かい、ロシアの南下政策に対抗していたら、日本やアジアの近代史はどうなっていたのでしょうか?

そもそもなぜ中国は欧米やロシアの脅威に立ち向かわなかったのですか?
また、日本は日清戦争を起こす前に中国に警告したのでしょうか?

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A 回答 (5件)

補足すると、対外的には積極策に出ています。


名目上の上下関係であった冊封体制を、植民地的な実効支配に転換しようとしますが、ヴェトナムはフランスに取られ、朝鮮においては袁世凱の行動が日本を刺激し、日清戦争を招きます。(日清戦争はロシアに対抗するための戦争ではなく、かえって戦後、ロシアが朝鮮に影響力を強めます)
ロシアの南下については、林則徐のころから改革派は警戒しており、左宗棠の活躍によるイリ条約の締結は、清朝側の勝利と個人的には評価しています。
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この回答へのお礼

中国もやはりロシアの南下政策を警戒していたようですね。
これで日本と予め協力しておけば後の対立もなかったと思いますけどね。

お礼日時:2009/03/31 20:29

改革派は、それなりに現実的な外交をしていたのではないでしょうか。


洋務運動で対抗してましたが、守旧派からの嫌がらせ(予算を回さないなど)を受けたせいもあって日清戦争に敗北。
以後、李鴻章はイギリスに頭を下げることで、ロシアに対抗しようとしましたが、守旧派が北清事変(列強への宣戦布告)をやらかし、ロシアの南下を招きました。

日清戦争当時、事前の宣戦布告は国際条約の取り決めとなっていません。日本の宣戦布告は開戦7日後です。
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この回答へのお礼

当時の外交は今ほど単純なものじゃなかったという事でしょうか。
中国は中国なりにいろいろと頑張ってたようですが。

お礼日時:2009/03/31 20:28

清国にとっての一番の脅威は日本だった。


そのため、日本と敵対するロシアやアメリカとは、親交を持とうとしたのではないでしょうか。
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この回答へのお礼

日清戦争が起きた理由も自分の属国である朝鮮に一々干渉したからですしね・・・。
ですが、あの時日本と組んで欧米と立ち向かえば歴史はまた違った結果になったんじゃないでしょうかね?

お礼日時:2009/03/31 20:27

清国は欧米列強に度々立ち向かってますが・・・



アヘン戦争・アロー号事件・義和団事件など

この回答への補足

義和団事件は日本がロシアに対して警戒した日清戦争より後じゃないですかね?
そもそも何の抵抗もなく侵略されたというのもありえないわけですし、私が言いたいのは事前に対策をとるという意味で立ち向かうと聞いてるのですが。

ただ、アロー号事件というのは初めて知りました。
調べてみます。

補足日時:2009/03/25 05:05
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1.立ち向かえるだけの戦力が無かった


2.無警告だと思います
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この回答へのお礼

他の人の回答を見る限りでは、中国はすでに欧米諸国に脅かされていた状態だったそうですね。

お礼日時:2009/03/31 20:26

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