福沢諭吉の『学問のすすめ』に出てくる一節です。
「云へり」の解釈でお尋ねします。

「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と古来から(あるいは西洋では)そう言っている。
つまり、そのような意味の言葉(あるいは思想)があることを福沢諭吉は知っていたので、著書で紹介した。

そうであると仮定しての質問です。
「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」の思想は、どこから(例えば佛教から)来ているのですか。
教えてください。

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A 回答 (3件)

 出典ですが


>最も有力なのは高木八尺、木村毅の両氏をはじめ多くの人々によって指摘されているようにトーマス・ジェファーソンによって起草されたといわれるアメリカの独立宣言の一節を意訳したという説である。
   http://www.keio.ac.jp/ja/contents/mamehyakka/22. … (慶応義塾より)

 まあ、ご本人は人間同士に平等など無いと思っていたみたいですが…。
 (万人が平等でないのは学問の差である。よって学問を修めようと言うのが「学問のすすめ」の本意)
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この回答へのお礼

すっきりしました。
早々のご回答感謝します。

お礼日時:2009/03/26 09:23

天を宇宙にすればなんとなーくわかるかもよ?


それに明治時代に宇宙って単語はまだ認知されてなかったと思うし。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/03/26 09:28

イギリスの17世紀の詩人、ジョン・ミルトンが書いた叙事詩『失楽園』に「 Man Over Men, He Made Not Lord 」とあります。



この”He”は”GOD”を意味し、和訳は「神は人の上に人を君主として作らなかった」です。しかし福澤諭吉が『失楽園』を読んでいたかどうかは明らかではありません。
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この回答へのお礼

すっきりしました。
早々のご回答感謝します。

お礼日時:2009/03/26 09:26

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Q福沢諭吉の思想形成について

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日本史を勉強していて、福沢諭吉の思想が変わっていくことをしり、ふと疑問に思いました。
答えて頂けるとありがたいです。

Aベストアンサー

 ご指摘の通り、福沢諭吉の思想が変わったのは事実ですが、問題は貴方の場合はどのように認識していらっしゃるかです。
 
 政治学的意味で言えば、民権論者であったと見なされていましたが、時事新報以後は民権論を批判するようになります。政治は状況的にクルクルと動いていくのですから、彼の発言が変化するのも当然です。丸山眞男が「政論」というのは一過性のものだと述べていたと記憶がありますが。
 福沢に関しては、18年3月16日「脱亜論」が有名ですが、福沢が金玉均という人物を支援しお金まであげていることなどもあり、本当の意味での「脱亜論」の人だったかは疑問が残ります。この周辺の歴史は『福沢諭吉の真実』(平山洋)が詳しいです。
 このあたりの先行研究を踏まえると福沢も楽しくなります。
 
 本で言えばその名もずばり『福沢諭吉の思想形成』(今永清二)があります。福沢の郷里大分県出身の大学教授が書いたものです。かなり古く余り参考にならないと思ったら、平山さんの『福沢諭吉』ミネルバをお勧めします。私とは福沢の捉え方が違いますが。
 福沢が漢学を積み洋学に移行したという事実が重く、伊藤東涯に傾倒した父百助と、白石照山の影響は並々ならぬものがあります。最も、父は幼少の時に没しているので、殆ど彼の記憶にはありませんが。

 また何かあったらお答え申し上げます。

 ご指摘の通り、福沢諭吉の思想が変わったのは事実ですが、問題は貴方の場合はどのように認識していらっしゃるかです。
 
 政治学的意味で言えば、民権論者であったと見なされていましたが、時事新報以後は民権論を批判するようになります。政治は状況的にクルクルと動いていくのですから、彼の発言が変化するのも当然です。丸山眞男が「政論」というのは一過性のものだと述べていたと記憶がありますが。
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Q福沢諭吉はどうして勝海舟と

外国に行った際、不仲だったのでしょうか?
ぜひお教えくださいませ。

Aベストアンサー

当時の日本は制度が不備だったので咸臨丸の船長(司令官か)は勝でなく木村という人(福沢はこちらの子分)。
年齢的に13歳年長の勝は具合が悪くて寝っころがっていて福沢はフテ寝と受け取ったようです。乗組員もダメで本来は付き添いのはずの外国人技官やジョン万次郎がいて台風乗り切ったといいます。
http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/kanrin.html
福沢は大金持ちだった父(祖父だったか)が武士(旗本株)の権利買った下級、なりあがり者だから幕府高官の勝と気あうわけもないが。
http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Sumire/6663/m_rkouza/html/c_kanrinkobore.html
福沢は身分差別感じたから幕府延命には手を貸さなかった。では勝がだめかというと帰国したときしつこく米国事情聞かれ「上に立つものは日本より賢い」と発言します。困った木村は勝は気が触れたようだと書きます(非難したともいえますが、かばったせいです)

勝と福沢不仲というのは10年余りのちです。福沢は勝に政府に誘われたが断り、大隈(早稲田)とともに学校(慶応)作ります(同時期、新島も京都に学校(同志社))

当時の日本は制度が不備だったので咸臨丸の船長(司令官か)は勝でなく木村という人(福沢はこちらの子分)。
年齢的に13歳年長の勝は具合が悪くて寝っころがっていて福沢はフテ寝と受け取ったようです。乗組員もダメで本来は付き添いのはずの外国人技官やジョン万次郎がいて台風乗り切ったといいます。
http://likeachild94568.hp.infoseek.co.jp/kanrin.html
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Q剣豪で一番、頭が良かったのは誰か? それはやはり、福沢諭吉や宮本武蔵が断トツですか?

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何に対しての頭の良さでしょうか?
武蔵と諭吉では求めるモノが全く違います。
諭吉には雇用アピールの為に門前で延々と演武する発想も必要もなかったでしょう。
ただ、武蔵をけなすわけではありませんが、そもそも雇い主の細川家はその存在は天皇を動かすほどハイクラスの文武両道でしたし…。

細川家関係でいえば加藤清正も勤勉でしたが、勤勉になったのは朝鮮出兵後のある程度安定した頃です。
それでも細川家とも武蔵とも求めるモノは全く違いますしね。

Q福沢諭吉の言葉

福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」という言葉があります。
ずっと、人類平等を意味する言葉だと勘違いしていたのですが、最近になってその続きがある事を知りました。

続きを交えて極端に要約すると
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って意味でいいんでしょうか?

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「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」というのは元々「生まれたときは平等だ」「チャンスは誰にでも平等にある」ということでしかなく、努力(=福沢さんは「学問」だとおっしゃっていますが)次第で最終的な結果に差が出ることを否定していないと思います。

だから「人間社会はそんなものじゃないよ」と言うのは、少し違うような気がします。

福沢さんの時代は、今の時代と全然違います。
福沢さんが子供のころは、殿様の子は殿様、家老の子は家老、足軽の子は足軽、百姓の子は百姓…どんなに頭が良くても、勉強しても、そこのところは変わらない・・・という社会でした。

それが、明治維新でガラッと変わって、まがいなりにも「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず」と言える世の中になったわけです。

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福沢諭吉が渡欧した際の、イギリス人、フランス人、ドイツ人、ロシア人の印象というのをご存知の方いらっしゃいませんか。できれば細かく知りたいのですが。

Aベストアンサー

諭吉は非常に博識・饒舌なので、とても一言では言い尽くせません。

慶應義塾大学出版会発行の「福沢諭吉著作集第1巻」の「西洋事情」、同第2巻の「世界国尽(せかいくにづくし)」を一読することをお勧めします。後者は学のない婦女子向けなのでわかりやすく、七五調で読みやすい著作です。ただ、用語の古さはつらいところです。
地元の図書館にあるかもしれません。アマゾンでも買えます。


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