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前の大戦の敗戦で日本が分断国家にされなかったのは、世界的に見ても奇跡だったといえると思っているのですが、実のところ、なぜ分断されずに至ったのかを知らないのです。

どのような経緯から分断されずに済んだのでしょうか?

おしえてください。

A 回答 (11件中1~10件)

>どのような経緯から分断されずに済んだのでしょうか?



ポツダム宣言では、戦勝国(米・英・ソ・中)で日本分割統治が決まっていました。

北海道・東北地区=ソビエト連邦
関東・甲信越・中部・北陸=アメリカ
四国=中華民国
中国・九州=イギリス
近畿=アメリカ+中華民国
東京=アメリカ・イギリス・ソビエト連邦・中華民国
沖縄・小笠原=アメリカ直接統治

日本の占領がアメリカによる事実上の単独占領として行われた結果,アメリカの対日方針が連合国の方針の名のもとに貫徹されることとなったのです。
GHQの直接統治は沖縄だけでしたが、沖縄を除く統治はGHQが日本政府を統治する間接統治を行ないました。
この結果、GHQの指示のもと形式上は分断統治が無かったのです。
アメリカとしては「対日戦争で中心的な役割を担ったのに、全く無関係の他国が統治に加わるのに反対」だったのが現実でしようね。
既に、米ソ冷戦が始まっていましたし・・・。

まぁ、敗戦後の早い段階で「米軍が日本に進行し、支配下に置いた」事ですね。
一日でも遅ければ、中国・ソ連が進行し分断国家が誕生していたでしよう。
中国。ソ連は「猛反発」しています。
北方4島は、占拠を続けていますし、「サンフランシスコ講和条約」に加盟していません。
実質的に中華民国と終戦になったのは、1952年の日華平和友好条約締結です。(中華人民共和国とは、1972年の日中平和友好条約締結です)
ソ連(現ロシア)とは、未だに平和条約はありません。

質問にある「日本の分断国家」という意味では、琉球政府(1945年から1972年)があった沖縄だけですね。
琉球政府は司法、立法、行政の三権が分立した、一国並の政府でした。
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そりゃ 太平洋戦線で戦ったのは


ほとんど アメリカ1国ですから

なんで ソ連に渡す必要があるのか
となるのは 当然かと
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ヤルタ会談の当事者であるルーズベルトが生きていれば、ソ連が攻めなくても分割統治されていたと思います。

ルーズベルトはソ連に武器も供与しています。なぜだかスターリンに甘いのです。
 反共的なトルーマン大統領になって、原爆は投下されたのは悲しいことでしたが、その上に本土が分裂されては悔しすぎですよ。
 北方四島はまだ帰ってきていませんが、ソ連に占領されたおかげで自然がよく保全されているのをテレビで見ると、自然保護派の私としてはちょっと複雑な心境です。
 日本にはやく帰ってきていたら、周辺は「生活のため」と大規模に自然が壊されていた可能性が高いです。
 
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スターリンは、


ポツダム会談のとき、
世界地図に
北海道の、留萌市と釧路市を結ぶ線を引き
これより東をソ連赤軍の占領地区とするよう
要求した。
(当時の地図見ると、うちと、向いの釧路駅の間が、境界線となる)


※これは、公にされてないが
アメリカの陸軍省・海軍省・国務省合同の
戦後構想委員会は
東京都は米英ソ中で分割し、
ソ連軍・・北海道・東北
米・中華民国陸軍・・・関東甲信越中部関西
中華民国軍・・・四国
英連邦軍・・中国九州
米海軍・・沖縄・小笠原
を担当としていた。

これは中国の蒋介石総統の
ソ連に日本本土占領の口実を
与えてはいけないという申し入れで
回避された。
参考文献
NHK「日本の戦後・取材記」
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分断されたではありませんか。

南北千島、樺太を取られました。ロシアは泥棒のようなものです。不戦条約を一方的に破ったのです。
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まあいろいろなところが分断されていますが、なぜに本土が分断されなかったかというと、ソ連軍を実力で撃退したからです。



朝鮮もドイツも、アメリカとソ連・中国の間で分断されたわけで、日本の場合ソ連の侵攻は千島・樺太までであったため、そこで分断されたわけです。
千島、樺太に残っていた守備軍が抵抗し、またソ連軍がまともな海軍を持っていなかったため北海道まで侵攻することができなかったわけです。
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 北海道をソ連が欲しがっていました。



 天皇が、日本本土の本州・北海道・九州・四国を日本自身が統治している段階で、ポツダム宣言受諾を指示したので分断されずに済みました。

 もし旧日本陸軍の主張していたように、本土決戦をしていれば、北海道にはソ連が侵攻し、本州・九州・四国にはアメリカが侵攻していたはずです。
 つまり、ドイツのように分断国家になっていたでしょう。

 また、東西ドイツは国境線が陸続きですから、再統一できましたが、津軽海峡が国境となっていれば、再統一は困難で、北海道にはロシア軍がいる状況が現在も続いていたでしょう。

 ロシア・ソ連は南下政策と言って、冬季には凍らず、外洋にすぐに出ることのできる良い「港」を戦略的に求め続けてきました。しかし、未だに手に入れることのできない宝物なのです。

 バルチック海
 サンクトペテルブルク(旧レニングラード)は、バルチック海の奥で、スウェーデン・デンマークの間の浅い海峡を通らないと、外洋に出られない。(確か、ソ連潜水艦が潜航したまま通過しようとして、スウェーデン海軍に追いかけまわされたことがあったはず。)

 黒海は、ソ連崩壊で良港のクリミア半島部分を失ってしまったし、黒海から外洋に出るには、ボスポラス海峡・ダーダネルス海峡・ジブラルタル海峡を通過しなければなならない。特にボスポラス海峡は幅800メートルしかなく、軍用艦船の通過は確実にチェックされてしまう。

 北海ー北極海
 ムルマンスク軍港があるが、北すぎて軍港を発展させるための産業立地をするには不便。

 日本海の奥
 ウラジオストック。日本海の出口は3つあるが、宗谷岬からオホーツク海を通って、千島列島の間を太平洋に出れば安全。
 首都から遠いが、一番軍用艦船の運用が容易で、アメリカにも近く、軍事的価値が高い。

 ロシアの核ミサイル搭載原子力潜水艦は、性能が悪く音が大きいのでアメリカの攻撃型原子力潜水艦にすぐに見つかってしまいます。
 そこで、周りを安全な陸地や島で囲われたオホーツク海に、ロシアの潜水艦は潜んでいて、ミサイルをアメリカに向けています。
 だからこそ、歯舞諸島・色丹島は返すと言うが、国後・択捉は返さない。国後・択捉を返すと、アメリカ軍の攻撃型原潜がオホーツク海に入ってくることができるようになります。

 そういう事情ですから、オホーツク海の完全支配+凍らない港の入手が実現する北海道は、喉から手が出るほど欲しかったのです。

 日本陸軍の亡国の行いを食い止めた昭和天皇の英断のおかげで、分断されなかったのです。感謝。 
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大日本帝国なら分断されてるのでは?



日本・台湾・大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国・沖縄他(米国)・南樺太と北方四島(ソ連)
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簡単に言えば、日本占領連合軍(GHQ)をアメリカ指導で組織できたからでしょう。


ドイツの降伏後の戦後処理で、ソ連が譲歩しないことを学び、また戦後の勢力としてもソ連の危険性について、アメリカのトルーマン大統領とイギリスのチャーチル首相の意見の統一が図られていたからです。

そのため、日ソ中立宣言のために戦争に実質的に参加していないソ連は日本の占領政策に口出しできない立場に押しやられ、主戦国であったアメリカを中心にGHQが編成され、日本を占領したので分断されずにすんだのです。
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分断されましたところもありました。


沖縄、小笠原島は米国が、北方4島はソ連領になりました。
本土だけは、分断されなかたんですが、戦争責任者となった昭和天皇の力があったと聞いていますが。
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