出産前後の痔にはご注意!

前の大戦の敗戦で日本が分断国家にされなかったのは、世界的に見ても奇跡だったといえると思っているのですが、実のところ、なぜ分断されずに至ったのかを知らないのです。

どのような経緯から分断されずに済んだのでしょうか?

おしえてください。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (11件中1~10件)

>どのような経緯から分断されずに済んだのでしょうか?



ポツダム宣言では、戦勝国(米・英・ソ・中)で日本分割統治が決まっていました。

北海道・東北地区=ソビエト連邦
関東・甲信越・中部・北陸=アメリカ
四国=中華民国
中国・九州=イギリス
近畿=アメリカ+中華民国
東京=アメリカ・イギリス・ソビエト連邦・中華民国
沖縄・小笠原=アメリカ直接統治

日本の占領がアメリカによる事実上の単独占領として行われた結果,アメリカの対日方針が連合国の方針の名のもとに貫徹されることとなったのです。
GHQの直接統治は沖縄だけでしたが、沖縄を除く統治はGHQが日本政府を統治する間接統治を行ないました。
この結果、GHQの指示のもと形式上は分断統治が無かったのです。
アメリカとしては「対日戦争で中心的な役割を担ったのに、全く無関係の他国が統治に加わるのに反対」だったのが現実でしようね。
既に、米ソ冷戦が始まっていましたし・・・。

まぁ、敗戦後の早い段階で「米軍が日本に進行し、支配下に置いた」事ですね。
一日でも遅ければ、中国・ソ連が進行し分断国家が誕生していたでしよう。
中国。ソ連は「猛反発」しています。
北方4島は、占拠を続けていますし、「サンフランシスコ講和条約」に加盟していません。
実質的に中華民国と終戦になったのは、1952年の日華平和友好条約締結です。(中華人民共和国とは、1972年の日中平和友好条約締結です)
ソ連(現ロシア)とは、未だに平和条約はありません。

質問にある「日本の分断国家」という意味では、琉球政府(1945年から1972年)があった沖縄だけですね。
琉球政府は司法、立法、行政の三権が分立した、一国並の政府でした。
    • good
    • 8

そりゃ 太平洋戦線で戦ったのは


ほとんど アメリカ1国ですから

なんで ソ連に渡す必要があるのか
となるのは 当然かと
    • good
    • 1

ヤルタ会談の当事者であるルーズベルトが生きていれば、ソ連が攻めなくても分割統治されていたと思います。

ルーズベルトはソ連に武器も供与しています。なぜだかスターリンに甘いのです。
 反共的なトルーマン大統領になって、原爆は投下されたのは悲しいことでしたが、その上に本土が分裂されては悔しすぎですよ。
 北方四島はまだ帰ってきていませんが、ソ連に占領されたおかげで自然がよく保全されているのをテレビで見ると、自然保護派の私としてはちょっと複雑な心境です。
 日本にはやく帰ってきていたら、周辺は「生活のため」と大規模に自然が壊されていた可能性が高いです。
 
    • good
    • 3

スターリンは、


ポツダム会談のとき、
世界地図に
北海道の、留萌市と釧路市を結ぶ線を引き
これより東をソ連赤軍の占領地区とするよう
要求した。
(当時の地図見ると、うちと、向いの釧路駅の間が、境界線となる)


※これは、公にされてないが
アメリカの陸軍省・海軍省・国務省合同の
戦後構想委員会は
東京都は米英ソ中で分割し、
ソ連軍・・北海道・東北
米・中華民国陸軍・・・関東甲信越中部関西
中華民国軍・・・四国
英連邦軍・・中国九州
米海軍・・沖縄・小笠原
を担当としていた。

これは中国の蒋介石総統の
ソ連に日本本土占領の口実を
与えてはいけないという申し入れで
回避された。
参考文献
NHK「日本の戦後・取材記」
    • good
    • 5

分断されたではありませんか。

南北千島、樺太を取られました。ロシアは泥棒のようなものです。不戦条約を一方的に破ったのです。
    • good
    • 9

まあいろいろなところが分断されていますが、なぜに本土が分断されなかったかというと、ソ連軍を実力で撃退したからです。



朝鮮もドイツも、アメリカとソ連・中国の間で分断されたわけで、日本の場合ソ連の侵攻は千島・樺太までであったため、そこで分断されたわけです。
千島、樺太に残っていた守備軍が抵抗し、またソ連軍がまともな海軍を持っていなかったため北海道まで侵攻することができなかったわけです。
    • good
    • 0

 北海道をソ連が欲しがっていました。



 天皇が、日本本土の本州・北海道・九州・四国を日本自身が統治している段階で、ポツダム宣言受諾を指示したので分断されずに済みました。

 もし旧日本陸軍の主張していたように、本土決戦をしていれば、北海道にはソ連が侵攻し、本州・九州・四国にはアメリカが侵攻していたはずです。
 つまり、ドイツのように分断国家になっていたでしょう。

 また、東西ドイツは国境線が陸続きですから、再統一できましたが、津軽海峡が国境となっていれば、再統一は困難で、北海道にはロシア軍がいる状況が現在も続いていたでしょう。

 ロシア・ソ連は南下政策と言って、冬季には凍らず、外洋にすぐに出ることのできる良い「港」を戦略的に求め続けてきました。しかし、未だに手に入れることのできない宝物なのです。

 バルチック海
 サンクトペテルブルク(旧レニングラード)は、バルチック海の奥で、スウェーデン・デンマークの間の浅い海峡を通らないと、外洋に出られない。(確か、ソ連潜水艦が潜航したまま通過しようとして、スウェーデン海軍に追いかけまわされたことがあったはず。)

 黒海は、ソ連崩壊で良港のクリミア半島部分を失ってしまったし、黒海から外洋に出るには、ボスポラス海峡・ダーダネルス海峡・ジブラルタル海峡を通過しなければなならない。特にボスポラス海峡は幅800メートルしかなく、軍用艦船の通過は確実にチェックされてしまう。

 北海ー北極海
 ムルマンスク軍港があるが、北すぎて軍港を発展させるための産業立地をするには不便。

 日本海の奥
 ウラジオストック。日本海の出口は3つあるが、宗谷岬からオホーツク海を通って、千島列島の間を太平洋に出れば安全。
 首都から遠いが、一番軍用艦船の運用が容易で、アメリカにも近く、軍事的価値が高い。

 ロシアの核ミサイル搭載原子力潜水艦は、性能が悪く音が大きいのでアメリカの攻撃型原子力潜水艦にすぐに見つかってしまいます。
 そこで、周りを安全な陸地や島で囲われたオホーツク海に、ロシアの潜水艦は潜んでいて、ミサイルをアメリカに向けています。
 だからこそ、歯舞諸島・色丹島は返すと言うが、国後・択捉は返さない。国後・択捉を返すと、アメリカ軍の攻撃型原潜がオホーツク海に入ってくることができるようになります。

 そういう事情ですから、オホーツク海の完全支配+凍らない港の入手が実現する北海道は、喉から手が出るほど欲しかったのです。

 日本陸軍の亡国の行いを食い止めた昭和天皇の英断のおかげで、分断されなかったのです。感謝。 
    • good
    • 2

大日本帝国なら分断されてるのでは?



日本・台湾・大韓民国・朝鮮民主主義人民共和国・沖縄他(米国)・南樺太と北方四島(ソ連)
    • good
    • 4

簡単に言えば、日本占領連合軍(GHQ)をアメリカ指導で組織できたからでしょう。


ドイツの降伏後の戦後処理で、ソ連が譲歩しないことを学び、また戦後の勢力としてもソ連の危険性について、アメリカのトルーマン大統領とイギリスのチャーチル首相の意見の統一が図られていたからです。

そのため、日ソ中立宣言のために戦争に実質的に参加していないソ連は日本の占領政策に口出しできない立場に押しやられ、主戦国であったアメリカを中心にGHQが編成され、日本を占領したので分断されずにすんだのです。
    • good
    • 1

分断されましたところもありました。


沖縄、小笠原島は米国が、北方4島はソ連領になりました。
本土だけは、分断されなかたんですが、戦争責任者となった昭和天皇の力があったと聞いていますが。
    • good
    • 1

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q朝鮮半島が分断された理由をわかりやすく教えて下さい。

無知でものすごく恥ずかしいのですが、
小学生にでもわかるように、「朝鮮半島が分断されてしまった訳」を、私に教えて下さい。
自分で勉強すればいいのですが、根気が無く、資料をきちんと読み解けません。
また、わかりやすいサイトや文献がありましたら、
ぜひ教えて下さい。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

歴史的事項とは別に、地理的・地政学的視点から説明します。

世界の国々には、陸上に勢力を伸ばすランドパワーの国と海上に勢力を伸ばすシーパワーの国があります。
そして地政学の常識としまして、「いかなる大国も大陸軍と大海軍を併せ持つ事はできない」というものがあります。
そのランドパワーとシーパワーがぶつかり合うのが半島なのです。

半島は、大陸に近い部分ほどランドパワーの影響を受け、先端に近いところほどシーパワーの影響を受けます。

大陸国家は、大陸と陸地続きのところは全て勢力圏としたい一方、海上国家は、海上の安定化をはかるため、大陸側の先端に自勢力圏を設置したがるのです。

朝鮮半島も同じで、大陸国家であるソ連や中国がと海洋国家であるアメリカとの綱引きによってその勢力圏で分割されました。

小学生には難しいかと思いますが、「半島で陸地の勢力が強いところと海の勢力が強いところがあって、そのために二つに分かれた」と言ってあげてください。

Qなぜ日本は植民地にされなかったのですか?

19世紀、他のアジア諸国は欧米列強の植民地にされたのに
なぜ日本は植民地にされなかったのですか?
日本の教育水準が高かったからですか?
それとも単に運がよかったからですか?

Aベストアンサー

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。今もそう呼ばれてます。伊豆代官江川が引き継いで、青銅砲でない鋼鉄砲をつくる高熱の製鉄炉(反射炉)をつくろうとしたり(大砲、兵学などはなんとかヨーロッパの技術においつこうというカンジ)、日本人は形式・格式でガチガチのバカな武士社会の中でも一部の有能な、志ある人たちに助けられてなんとか西洋とわたりあえる学術・軍事・文化・行政制度をもっていたのです。
(ほとんどの藩はド貧乏、借金まみれ。一部の外様大名とかだけです。意識あったのは)

ペリーが来航した時も(一年前くるっていったのに来ないと思って内緒にしちゃったバカな幕府上層部のせいで大慌てしたが)、一年後返事をもらいにくる、といったあと年明け10ヶ月にきた時には、無防備だった江戸湾に砲台島を築かせて防衛体制つくった(江川が指揮)
これが砲台場、今の「お台場」です。
これにはペリーも驚いた。
あと吉田松陰みたいに単身(2人だったけど)黒船に乗り込んで
「我アメリカに行かんと欲す」と叫びまくって返ってきた若者とか。
こんな人他のアジアの国にはいなかった。

日本は天文、数学、測量でもヨーロッパの文献研究したり、和算でも微分積分できたらしい。水準高かったンですよ。富豪商人は学問する人たちが多いとか、そういうこともあったらしいし、町民文化も小説、演劇、レベル高かったです。

アメリカと国土交渉する際もペリーが小笠原はアメリカ人住んでる、国際的に通じる文書で証明しない限りアメリカ国土だ、といった時、フランス語版・林子平著三国通覧図説をだして、出版年からも日本領土だと証明。
松平定信が迫害した林子平の著作が、大黒屋光太夫一行のうちロシア日本語学校教師にのこった一人とドイツ人言語学者の手で訳されて、小笠原諸島をまもったわけですね^^

ま、そんなこんなで、日本は他のアジアの国より運がよかった。
・一応、統一国家でまとまってた。いくつか勢力が争ってるとかじゃなかった
・文化水準がヨーロッパと同程度だった(これは不思議なものである)
・一部の蘭学者のおかげで、外国の情勢なども在る程度はつかんでいた?!ジョン万次郎がいたといなかったじゃ、また違ったろうなぁ
江川さんがいなかったら大変だったと思うよ
・穏健バランス派の阿部が老中(筆頭?)だったのもよかった。水野忠邦だったらボロボロだったんじゃないかなぁ
最後は大分大胆に物事運んだけど。
・武士階級、常時帯刀武装してる階級が行政してる、というのはなかなかすごいかも^^
・シーボルトが日本の文化レベルを紹介する書物を発表してくれていた
(ペリーもちゃんと読んでた)→日本は交渉するレベルの国だと思ってもらえた。おそらく礼砲をちゃんと返せる国なんてアジアで日本ぐらいだったでしょう。

兵力でいえば、この前NHKでもやってましたが薩摩とイギリスの争い、中国のイギリス艦隊きた時は薩摩ボロ負けですよ。海戦は特に。
最初、不平等条約だったのもしゃーない。
しかし、交渉のテーブルがある、というのは在る程度、相手を認めてのことだし、全面開戦しなかった、というのはお互いのメリット、リスクも含めて必然だったのかも。
まぁ頑張りましたね、当時の日本^^

日本は鎖国していたとはいえ、オランダを通じて最新の科学、軍事技術もわづかに取り入れていました。
アヘン戦争の時、中国側の大砲は1600年代のヨーロッパ製だったという…
江戸幕府も同じなのですが。
ところが長崎に高島しゅうはん、という人が役人でいて、脇荷貿易の権限もっていて新式大砲を研究していました。それは出島にくるオランダ船が礼砲を撃つと威力、性能が進化しているのをしっていて、です。
幕府も国防上、江戸へ呼んで演習。一日でその平地は「高島平」(たかしまだいら)になりました。...続きを読む

Q日本を占領したのがアメリカだったのは何故?

太平洋戦争終結後日本を占領したのがイギリス、中国、ソ連ではなくアメリカだったのは何故でしょうか?
予定では日本は米英中ソに分割統治される予定でした
しかしアメリカが乗り込んできて早々と占領してしまいました

Aベストアンサー

>太平洋戦争終結後日本を占領したのがイギリス、中国、ソ連ではなくアメリカだったのは何故でしょうか?

戦後体制を考えた、アメリカ・イギリス・フランス政府の意向です。
自由主義国は、共産主義国家との対決(冷戦)を考えたのですね。
とすれば、日本列島は「中国・旧ソ連の共産勢力の防波堤」となります。
日本列島自体が、「浮沈空母」なんです。

>予定では日本は米英中ソに分割統治される予定でした

その通りですね。
北海道・東北は、旧ソ連。関東・甲信越・東海は、アメリカ。関西は、アメリカ+中国と共同。四国は、中国。中国・九州は、イギリスです。
結局、連合国(GHQ)という統一組織でアメリカが実質的に独占統治を行います。
※当時の中国は、中華民国(台湾)です。この時点では、中華人民共和国は存在しません。
これに異議を唱えた旧ソ連は、北方4島を占領。南朝鮮抗日団体も、竹島を占領します。
※南朝鮮(韓国)は、対馬割譲をGHQに要求。GHQは、却下。
※南朝鮮(韓国)は、壱岐割譲をGHQに要求。GHQは、却下。
※南朝鮮(韓国)は、竹島を軍事侵攻して現在に至ります。GHQは、認めていません。
※この客観的証拠が存在するので、南朝鮮(韓国)政府は国際司法裁判所での提訴を拒否。

>アメリカが乗り込んできて早々と占領してしまいました

捨てる脱脂粉乳を、日本に援助する事で「日本での乳製品需要」を増やしました。
パンを援助する事で、米食からパン食へ主食を変える事に成功。米国産小麦粉の輸出が増えます。
旧日本軍を解体する事で、日本防衛との錦の旗で「治外法権で日本国内で基地使用が可能:」となりました。
結果、「アメリカが風邪をひくと、日本がくしゃみをする」関係になったのです。
「米軍の交戦権は認めない」というアメリカ憲政史上最低のオバマ大統領(米国世論調査)誕生で、ヨーロッパはロシア。アジアは、中国の台等を許しましたよね。
南朝鮮(韓国)は、(告げ口小母さん政権で)1895年以前の政治体制に戻りました。(爆笑)
日本も、「自分の国は、自分で守る」事を本気で考え始めた様です。
良いのか悪いのかは別として、戦後体制が終わりに近づいている事は間違いありませんね。

>太平洋戦争終結後日本を占領したのがイギリス、中国、ソ連ではなくアメリカだったのは何故でしょうか?

戦後体制を考えた、アメリカ・イギリス・フランス政府の意向です。
自由主義国は、共産主義国家との対決(冷戦)を考えたのですね。
とすれば、日本列島は「中国・旧ソ連の共産勢力の防波堤」となります。
日本列島自体が、「浮沈空母」なんです。

>予定では日本は米英中ソに分割統治される予定でした

その通りですね。
北海道・東北は、旧ソ連。関東・甲信越・東海は、アメリカ。関西は、アメリカ+中...続きを読む

Qなぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのか?

題の通りなんですが、なぜ19世紀日本は植民地支配されなかったのでしょうか?

植民地支配されてもおかしくない状況であったのに欧米が進出してこなかったのにはどんな理由があるのでしょうか?

どんな意見でもかまいませんので回答していただけると光栄です。

Aベストアンサー

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかしかった。
仏教、神道がの生活の隅々まで行きわたる一方、当時の日本人は宗教の”まやかし”の部分もちゃんと理解していた。

当時、日本の文明のレベル(特に底辺のレベル)が高く、西欧文明を日本流に取り入れることに成功した。
実は、他の植民地となった国々はこれが出来ず、欧米人の思うようにコントロールされてしまっている。
例えば、日本人はヨーロッパ人以上の識字率を誇っていた。
一部のインテリが欧米を見て知識を得ると、すぐに翻訳したり本を書いたりして、
それを印刷(江戸時代からの木版印刷、貸本屋のインフラがあった)し、あっという間に全国民に広めた。
寺子屋の伝統があったので国民皆教育の立ち上げも早かった。
市場経済のインフラもすでにあったので、欧米の商人と対等に渡りあえた。

明治維新が驚異的に早く終結した。
たいていの国々は封建制→中央集権制の変換に100年はかかり、
この間に国土は荒れ、富も消耗し、人材は消失し、国民の間に憎悪だけが蓄積する。
この間に先進国にいろいろな利権を奪われる。
これが最小限で済んでしまった。
また、幕府側も新政府側もそのことを熟知しており、さっさと手締めした。

とにかくヨーロッパから遠かった。
欧州各国は手近な順でアメリカ→アフリカ→中近東→南アジア→東南アジアと植民地化してきたゆえに、極東の島国は一番最後になった。
19世紀前半から中盤は欧米でゴタゴタが多く、各国とも勢力拡大に力が入っていなかった。(南北戦争、ボーア戦争、クリミア戦争、フランス第2帝政...etc)
また、隣国に中国と言う”おいしい”土地があるので、あまり日本が目に入らなかった。

植民地化の取っ掛りには、キリスト教の布教が使われるが、日本では禁教されていたため侵入がむずかし...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q第二次世界大戦後に朝鮮半島は北朝鮮と韓国に分断されたわけですね?日本が

第二次世界大戦後に朝鮮半島は北朝鮮と韓国に分断されたわけですね?日本が何故2分割されなかったかその理由は、最後に日本に止めを刺したのは原爆投下2発はアメリカが行い、日本の戦後処理に発言力が
あったと習いました。しかし、なんで朝鮮半島が2分されたのですか?朝鮮は戦勝国ではないのですか?歴史の授業をまじめに受けていないので分からないのかも知れません。誰か教えて下さいませ。

Aベストアンサー

朝鮮半島というのは古代の時代からずーーーーー~~~~っと戦乱にあった国なんです。
百済、新羅、高句麗等聞いたことがあるでしょう。
日本の脅威や中国の脅威と戦いながら、
国内でも三国志のように民族紛争を行なっているのです。

さて平和の時代がやってきました。日本がやってきて統治したのです。(大変失礼な表現ですいません)
日本は強大な軍隊を持ち、インフラ、教育に力を入れてくれました。
さらに民族紛争は二の次にし、全て大東亜共栄圏の名の下、平和な朝鮮ができました。
当然逆らうこともできませんでしたが。

しかし、アメリカとの関係が悪化。
あらまぁ戦争になりました。
当然、朝鮮の人も戦いました。
そして戦争終了。
日本は敗戦。

朝鮮半島は、やっと開放され平和を勝ち取りました。というのは違います。
元々、日本を追い出すために、朝鮮半島が一致団結をして勝ち取った平和ではないんです。
突然日本が敗戦になり、気がついたら、無政府状態になっていたのです。

アメリカさんは、「いいよ、好きにして」と言ったから始末が悪い。
北のキムさんは「半島すべて俺の物」といい、
南のリーさんは「誰のものでもない」といい、
決着をつけるため、戦争をしたのです。

戦争はお金がかかります。
北のキムさんは中国にお願しました。
南のリーさんはアメリカにお願しました。
「手伝ってくれ」と。
それでせめぎ合い、お互いに消耗したので
妥協案を出しました。
「38度戦で停戦しよう」と
これが大まかな歴史です。

問題は今も戦争状態であって、たまたま「停戦中」なんです。


(ここからは関係ないです。)
もうばかげた戦争は韓国はできません。
当然勝っても負けても、大量の死人が出る。
戦争後、現在の水準まで生活を戻すのに、また数十年かかる。
現在韓国経済が良くない。
勝っても同胞なため、儲からない。(利益にならない)
占領しても意味がない。
東西ドイツのように、大量の北朝鮮の人間がソウルにやってきて、
韓国人の生活水準が悪くなる等問題だらけです。

一方北は
一部の官僚が甘い汁を吸えなくなる。
戦争すれば敗戦が濃厚なため、一部の官僚が戦犯で死刑になる。
核を使えば世界から見放される。
しかし、威勢は崩せない。
崩せば韓国に負ける。負ければ一部の官僚が死刑になるから。
よって北も戦争できません。

この駆け引きに勝った方が今回の勝者です。
ちなみにアメリカはクリントン時代に北に負けました。
アメリカは「経済制裁を行なう」
北朝鮮は「経済制裁は戦争と見なす」
と言ってアメさんは何も出来ませんでした。
だからクリントンは弱腰外交と罵られたのです。
(まぁホワイトハウスで秘書と楽しんでいた時点でダメだけどね。)

今回は韓国に同じようなことを言いましたよね。
見ものです。

戦争にはなってほしくないですが。

朝鮮半島というのは古代の時代からずーーーーー~~~~っと戦乱にあった国なんです。
百済、新羅、高句麗等聞いたことがあるでしょう。
日本の脅威や中国の脅威と戦いながら、
国内でも三国志のように民族紛争を行なっているのです。

さて平和の時代がやってきました。日本がやってきて統治したのです。(大変失礼な表現ですいません)
日本は強大な軍隊を持ち、インフラ、教育に力を入れてくれました。
さらに民族紛争は二の次にし、全て大東亜共栄圏の名の下、平和な朝鮮ができました。
当然逆らうこともでき...続きを読む

Qどうして朝鮮半島は南北に分断したのか。

あるH/Pに以下の文章があり、どうしてなのか疑問に思い、質問します。
第二次大戦後

ポツダム宣言が受諾され、日本が降伏すると、朝鮮はやっと独立を獲得しました。しかし、朝鮮半島は独立するとすぐに、南北に分断してしまいます。

Aベストアンサー

ソ連とアメリカという、共産主義と資本主義を代表する戦勝国それぞれの思惑のせいです。

以下のページが役に立つでしょう。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89

Q北朝鮮と韓国はなぜ仲が悪いの?

学校の授業ではよく分かりません。
北朝鮮と韓国は何故仲が悪いんですか?
北側を旧ソ連、南側をアメリカが占領した事から始まったと教わりましたが、それは旧ソ連とアメリカとの争いであって、占領された両朝鮮が仲悪くなる事はないと思うんですけど。
原因を教えて下さい。

Aベストアンサー

北朝鮮と韓国は、停戦中ということで、実はまだ戦争が終わっていないのです。

もともと第二次世界大戦終戦までは朝鮮半島は一つの国だったのです。でも戦後に日本の占領を離れて独立するということになり、ではどのような政治体制でゆくかを自国民で考えなくてはなりませんでした。

その時に、主張というか好みが真っ二つに分かれたのです。

一方はアメリカのような民主主義政策で行こうと考え、もう一方はソ連のように社会主義がいいのではないかと。

それをアメリカとソ連が後押しして、朝鮮半島では戦争になりました。米ソが自分の仲間を増やすために、朝鮮半島で戦争をさせたとも言えますが、戦争は終わっておらず、停戦中なのです。びっくりですね。

なので、決着がつかないまま、二つの国として独立した主権国家になりました。(アメリカは北朝鮮を主権国家とは認めておらず、最近やっと認めたらしいですよ。)

専門家ではありませんので、間違いがあったらお許しを。
ご自分でも図書館など本を色々と調べてるみるといいですよ。
考えが偏らないように、常に事実はどうなのか、見極める目をもつ姿勢は大切です。
様々な意見をくみ取って自分の頭で考えるということは、学生時代に身につけるべき大切なことですから。

北朝鮮と韓国は、停戦中ということで、実はまだ戦争が終わっていないのです。

もともと第二次世界大戦終戦までは朝鮮半島は一つの国だったのです。でも戦後に日本の占領を離れて独立するということになり、ではどのような政治体制でゆくかを自国民で考えなくてはなりませんでした。

その時に、主張というか好みが真っ二つに分かれたのです。

一方はアメリカのような民主主義政策で行こうと考え、もう一方はソ連のように社会主義がいいのではないかと。

それをアメリカとソ連が後押しして、朝鮮半島で...続きを読む

Q日本は何故植民地にされなかったのでしょう?

結構みんな疑問に思ってると思うんですけど、探したけど無かったので質問します。
アメリカ大陸やアフリカ大陸、アジアの他の国って、
国交樹立もクソもなく問答無用で植民地にされたと思うんですけど、
日本って、不平等ではあるけれど条約結んで、割と対等に近い関係で独立を保ちましたよね。
例えばイギリスは、鹿児島だけ攻撃とかまどろっこしいことをせずに、一気に日本全土制圧とか何故しなかったんでしょう?

Aベストアンサー

 基本的に、問答無用で植民地となるのは近代国際法において「無主の地」となる、いかなる形態の政府も存在しない土地に限られます。
 国としての実体がある土地は、アフリカであれ西アジア・南アジア・東南アジアであれ南太平洋の島々であれ、はたまた北米のインディアンの土地ですら問答無用で植民地、となってはおりません。
 多くの場合、インカ帝国・アステカ帝国を滅ぼした16~17世紀スペインのやり口を除き、国交樹立=条約締結(不平等条約であることはいうまでもない)→何らかの口実を設けて欧米諸国による政治介入(内政干渉)を制度化→保護国化、と手順を踏んで、最後に植民地化されています。

 ちなみにアフリカの場合、19世紀まで各地に現地人による国家が存在し、奴隷などの交易品(!)は現地王国を通じて欧米と取引されていました。現地王国が健在である間は、基本的に欧州諸国は港湾+周辺地域程度の植民地しか獲得していません。
 19世紀前期に新規の奴隷輸出が停止されるまでに2000万人以上の黒人が奴隷として輸出された結果、黒人社会が崩壊したことから、欧米による植民地化に抵抗できる勢力が衰退してしまったことが19世紀半ば以後植民地化をとめられなかった大きな原因です。
 なお、黒人諸王国の中の例外として、エチオピアはアドワの戦い(1896)でイタリア軍に大勝し、独立を維持しました。エチオピアの独立維持は、同国が高原地帯の国で侵攻しにくかったこと、聖書の時代以来の伝統あるキリスト教国家であったこと、金やダイヤモンドなどの欧米が欲しがる資源がなかったためイタリア以外の列強が食指を動かさなかったこと、なども幸いしたと思われます。

幕末期~明治初期に日本に大兵力が送られなかった理由は距離の問題がまず第一でしょう。それでもたとえば中国あたりで兵員を募ることで日本侵攻軍を編成できたと思われますが、英仏露米ともそこまでする予算も余裕もありませんでした。

 基本的に、問答無用で植民地となるのは近代国際法において「無主の地」となる、いかなる形態の政府も存在しない土地に限られます。
 国としての実体がある土地は、アフリカであれ西アジア・南アジア・東南アジアであれ南太平洋の島々であれ、はたまた北米のインディアンの土地ですら問答無用で植民地、となってはおりません。
 多くの場合、インカ帝国・アステカ帝国を滅ぼした16~17世紀スペインのやり口を除き、国交樹立=条約締結(不平等条約であることはいうまでもない)→何らかの口実を設けて欧米諸国...続きを読む

Q日本がハルノートをを受け入れ戦争しなかったら?

歴史で”たら、れば”は持ち出す事は駄目なんですが、もし、太平洋戦争に突入しなかったら日本はどうなっていたでしょう? 戦争で余りにも多くの方がなくなりましたが、戦争しなかった方が日本の将来は明るくなる事が期待できたのでしょうか?

Aベストアンサー

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の失業者が
街に溢れ、あちこちで暴動が発生していました。
ルーズベルトは、ニューデールなどの政策を打ちましたが効果は
さっぱりです。
それでどうしても戦争をやる必要があったのです。
戦争は最大の公共事業ですから。その証拠に戦後、米国
経済は見事な復活を遂げています。
その現れがハルノートです。

これは私の偏見ではありません。
米国歴史学の権威チャールズ・A・ビーアド元コロンビア大教授は
公文書を調べて、ルーズベルトが巧妙に日本を戦争に引きづり込んだ
過程を明らかにした本を出版しましたが、これは事実上の発禁処分
にされてしまいました。

31代米国大統領のフーバーが、ルーズベルトを、日本を無理矢理戦争に
引きづり込んだ狂気の男、と評した書見を残しています。
彼は、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、とも書き残しています。


米西戦争では、 1898年 2/15 ハバナ湾で、
米国戦艦メイン号が謎の爆発沈没しています。
これで米兵266名が死亡し、スペインの仕業だ、
ということになり戦争が始まっています。

ベトナム戦争では有名なトンキン湾事件が発生しています。
1964年8月、北ベトナムのトンキン湾で北ベトナム軍の
哨戒艇がアメリカ海軍の駆逐艦に2発の魚雷を発射した
とされる事件です。
これをきっかけにアメリカは本格的にベトナム戦争に介入しましたが、
その後、ニューヨークタイムズが、米国のやらせであることを暴露し
真実が明らかにされました。

湾岸戦争 1990年 では
アメリカの駐イラク特命全権大使のエイプリル・グラスピーが
イラクのクエート攻撃に対して
「介入するつもりはない」と発言しており
これを信じたフセインがクエートを侵略しましたが、
米国軍等により撃退されています。
米国は約束の存在を否定していますが、当の大使は、それ以後、公式の場には
一切姿を見せなくなりました。

その他にも怪しいのはいくらでもあります。
以上が、日本が戦争を拒んでも、ダメだったろうと思われる理由です。

戦争をしなかった、という選択肢は
無かったと思われます。
日本が例えハルノートを呑んでも、米国は
必ずや、日本を戦争に引きずり込んだと
思われます。
あのイラク戦争のようにです。
フセインは、米国相手に戦争などしても
勝てる道理がないことぐらい、百も承知していました。
それでも米国に無実の罪を着せられて戦争に
持ち込まれ、処刑されてしまいました。
米国とはああいう国なのです。

当時の米国は、1930年に続く大不況の真っ只中でした。
GDPは1/2に、株価は1/10に落ち、1200万の...続きを読む


人気Q&Aランキング