なぜ人を殺してはいけないのですか

誤解の無いように言っておきますが、私も人を殺すのはいけないことだと思います。けど、本に載っている回答は、直接答えていなかったりして、少し物足りないので。
 私なりに還元すると、(1)人に迷惑をかけてはいけないと言う倫理の根拠は?もしくは(2)人権の根拠は?という質問の答えがそのまま答えになるような気がします。

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A 回答 (19件中11~19件)

 「なぜ人を殺してはいけないのか」という問いを、



 「なぜ人殺しが禁忌となったのか」という問いに置き換え考えてみると、答えは、
 
 「必要だったから」となるでしょうか。

何の必要があってかを考えたときぱっと、おもいつくのは、「社会秩序」のためとか「種の保全」のためとかなんですが、どうも自分で腑に落ちるという感じがしないんです。

「社会秩序」というもの自体が、ひとつの方便というか方策というものだろうし、ひとが、意識的にも無意識的にも、「種の保全」などという、だいそれたことを前提に行動する生き物ともおもえません。

この超時代的なテーマにたいして、「個人」とか「権利」「人権」とかの近代思想的用語で説明するには無理がありますし・・・・。

それでは、あらゆる時代や様々な文明を貫き、越えて、このタブーと共に生き残ってきたものとは何か?
やっぱり、

 「DNA」でしょうか?

人は(個体)は、DNAを将来に残そうとする。というか、DNAが人(個体)をそのように行動するよう仕向ける。
DNAをより安全に、高い率で残せるように、他の個体を積極的に攻撃するのではなく、積極的に協力し、消極的に攻撃する戦略をDNAが選んだ。

今日の人の個体数がその戦略の成功を物語っている。

以上のような答えはどうでしょうか?
主体を自意識からきりはなし,DNAに移してみると多少は、もやもやした感も薄らぎませんか?

でも何かつまらないし、物足りなくもありますね。

結局のところどんな答えも物足りないし、直截にこたえるのは、そもそも無理なのでは?

「生」や「死」については、それを客体化?して考えるには、無理があるということでしょうか?
それに立ち入って自ら意味付けするしかないのかも。

「なぜ人を殺してはいけないのか?」
という問いかけは、

「なぜ人(自分)は生まれてきたのか?」
「なぜ人(自分)は生きているのか?」
という「問い」が答えである「問い」なのでは?
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 ちょっと宗教的な視点から…


 まず前提として、人間は死んだら終わりではないということです。
もちろん肉体は120年前後で滅びますが、心のようなものは永遠性を持っていいるということです。
 で、次に今の生は、次の世界(霊界だのあの世だの言ってる世界)の準備のための期間だということです。その目的は愛の完成です。これには孫を見るまで。少なくとも80年は必要となります。
 その前提の上で、殺人というのは、まだ完成もしてないのに、発展途上の段階でその人の機会(愛の完成)を奪うと言うことになります。だから人は死にたくないと思うのです。(フツーの人は)
 また家系図の観点から言えば、殺人を犯せば、殺された人は何代か後に子孫に必ずそれは再現(殺人まで行かなくても、何回も手術したりする病気も含まれる)するということです。それは家系図を採ってもらえれば分かります。
 もっとも、前提を無視したり、否定したりする人には説得力はないですけど…
 参考になれば幸いです。
長々言うのは見にくいので端的に結論だけ述べています。
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社会というのは自分ひとりでは成り立ちませんよね。

大勢の構成員
によって、社会は成り立っています。では、なぜ人はわざわざ寄り
そって社会を構成するのでしょうか。それは社会が人びとののぞむ
公約数的な願いを実現してくれる保証のシステムであるからです。

では、なぜ殺人は許されないのでしょうか。それはひとえに、人が
生きたい(=殺されたくはない)という欲望をもっているところに
はじまります。社会における構成員は、一個の全体を構成する等価
の(平等という意味ではない)存在です。ここでは、他者はつねに
自己でもありうるわけです。したがって他者を傷つけることを許す
ということは自己を傷つけることを許すということに他なりません。

ある社会が殺人を許さないということは、その社会を構成する人々
が自身を傷つけたくないということの現れでもあるのです。
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私も通りすがりです。



「なぜ人を殺してはいけないのか」を考えるためには、「なぜ」の前に「人を殺してはいけないのか」を説明できなければならないでしょう。

「人を殺してはいけない」のであれば、人を殺すことが悪ということになります。ならば(限定的とはいえ)正当防衛・緊急避難が許されるのはなぜか、建前として正義であるばずの公権力が死刑という制度によって人を殺すのは何故か、を説明できるでしょうか。

「人を殺してはいけない」というのは社会を運営していくためのルールに過ぎないのです。

「なぜ人を殺してはいけないのか」の答えは「社会を運営する為にそういうルールにしているから」です。そして、正当防衛・緊急避難・死刑は社会を運営するためのルールとして人を殺すことを許しているのです。
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通りすがりのものです・・・(笑)



何故人を殺してはいけないか?
人には誰にでも生きる権利があります。そりゃあ産まれてきてるし、生きてるんだからありますよね。で、その生きる権利を侵してはいけないというのが理由ではないでしょうか。生きる権利は誰しも平等にある筈ですからね。
だから、自分の生きる権利が他人によって侵害されそうな時は、その侵害しようとする相手の生きる権利を脅かしてもやむを得ないという考え方があるのだと思います。(正当防衛)

って、こういう事を聞いているのではないのかな???(-_-;)
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『弁償できないから』と言うのはどうでしょう。

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確か、倫理学はそれに回答することができなかったと思います。

(大学で倫理学とったんですが)

で、私なりの回答ですが、背理法(?)で。

人を殺してもいいと仮定する。→ということは、自分も他の人に殺されてもいいということになる→困る→人を殺してはいけない
ということで矛盾することになるので、「人を殺してはいけない」ことにする。

どうでしょう(^^)
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考え過ぎという事もありますけど、


宗教が関連していると思います。

天地創造で、神が世界を創り、二人の人間を生み出した。
それがアダムとエバ(イブ)です・・。

これは彼らが禁断の果実を口にし、罰として苦しみやいずれ死ぬ事を与えられたと
言われており、子孫(カイン)がはじめて人殺しをしたというところから人殺しという概念が始まったとされています。

日本では悪い事をすると死んだ後、閻魔大王によって地獄に落とされ
未来永劫苦しみ続けるという恐れがずっと受け継がれてきました。
そして人殺しは最大の罪とされ、地獄で最も過酷な無限地獄に落とされるという
伝承があったのです。世界中にそういった思想があります。
それが色んな宗教に関連付けられて現在に至るのでしょう。

私の持論ですけど、人間は不死ではなく、必ず死にます。
世界で命あるもの必ず滅すのです。
そして我々人間は命あるものを殺さないと生きていけない罪深い生き物なのです。
それが我々が生まれ持った罪、「業」です。しかし、人間には心というものが
あります。それがあるから人を殺すのです。

心が無ければ感情もなく、失恋・嫉妬などもなく人を殺す理由もない。
よく、心がないから人を殺すと言いますけど逆です。
心があるから殺人や強盗を犯すのです。
人間だから殺人を犯すのです。

だから法律とうものがあり、人間が人間を裁くという社会が出てきたんですね。
ちょっと分かりにくい説明だったかな?
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「人は死んだら生き返ることができないから」


→殺されるということは、自分の意志に関係なく死ぬことなので。
だから人を殺してはいけない。のではないでしょうか?
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