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家庭内で本来あってはならないとされる近親相姦(および未遂、類似行為)が発生するに当たってのその背景や因子についてご意見を頂きたいと思います。
継父と娘のような非血縁のみならず、実父と娘や実母と息子の近親相姦も世の中にあるようですが、今回お聞きしたいのは、兄弟間に発生したものです。
別スレで相談をしておりましたが、こういう事件の背景にあるものについて、別にお聞きしたく思います。
できましたら、そちらのスレを参照いただきますよう、ご理解がえやすいかと思います。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4827605.html

簡単に事件の内容を記します、
・兄から末の妹への性行為及び類似行為の強要
  →寝込みを襲われる。気づいたときはすでに着衣を脱がされており、恐怖か金縛りか体が動かず抵抗できず、兄は勃起せず→フェラの強要、拒否。多分、数度あったように記憶。ある時、入室時に気づきやっと大声を上げる事が出来る。以後なし。
・姉からの妹への同性愛行為の強要
  →姉が親しみを装って布団の中に招く。ハグ等。手を持って下腹部へ(この頃、妹は年齢の割りに性知識に無知。あれ、お姉ちゃんおしっこしてはる、おかしいなと思ったくらい)以後ははっきりした記憶がないが、状況的に指と口による愛撫の哀願かつ命令があったと思われる。私が現在思い出した事は、「やれやれこれでもう、お姉ちゃんにはいじめられなくて済む」という記憶。→数度あったのではないか。もう嫌といったことは思い出す。

さて、こういうことが発生したわけですが、私は当時のことを色々思い出し、起こるべくして起こった部分もかなりあるという気になりました。そこで、こういう事件が起こるにはそれを引き起こす環境、因子がやはりあるのではないか。現在以下のものに気づきました。

1)父母の夫婦の関係:私の両親はちょっと異常な関係でして、表「女王とそれを支える、女王にベタボレの夫」裏「DV夫と依存妻}の関係であった。通常の家庭より子供に対する干渉や取り込みが多く、子供を道具にする親であった。
2)兄弟の力関係:その影響を受けてか、家庭内に力関係が存在した。子供にあっては、一番が長男で二番が長女で末娘は最下層であった。これは親の優先順でそれが子供間にもしっかり影響を与え、末娘は当時執拗ないじめに合っていた。
3)行灯部屋という魔物:事件がおきた部屋は、納戸を改造したと思しき行灯部屋である。兄の事件時末娘の部屋、姉との事件時は姉の部屋であった。
4)引き金になるものの存在:これは推察中なのですが、兄の場合受験のプレッシャー、姉の場合、姉の優位性(学業、容姿、その他の社会的一般的評価)が脅かされてつつあったことかなと考察中。
5)被虐待児自身の問題:本人の性格的なもの。いじめを誘発しやすい性格。

思春期において、このような事が起きる因子、誘因など、何か決定的なものがあるのでしょうか?
また、何か考察に欠けている視点などありますでしょうか。
絡み合っているとは思いつつ、どれが一番影響力のある因子なのでしょうか。

印象でも、感想でも構いません。似たような例でのお話でも構いません。ご意見お願いします。

A 回答 (4件)

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E9%87%8D% …
記憶の欠落や自己に内包したことが驚きである衝動の類は、メカニズム的にこのような症状と同一なのかもしれません。でもこの病気ではないですね。私は心理の研究で、自らが特定の状態で、人格交代する経験をしていますから(一言で言って霊媒師を科学的に究明しようとする試み)このような傷が病気に進展したらどうなるか経験的に判ります。

質問者様は子供時代の記憶が整理しきれないために、大人として自立し切れていないと言うことなのでしょうが、程度はともかく誰にでもありえます。
特に性の問題で子供時代に外部から不本意に強要された経験があるため、自らが性に対して積極的になれないのでしょうが、女性にはありがちな事故です。

この回答への補足

primeape様 回答ありがとうございます。
解離というもの、本当に良くわからないものです。私の場合の記憶の欠落にも普段の自分でない人格が出てきてしまってます。ただ二重人格かと言うと、そうさせない進行がありました。欠落部分以外の周辺があたかも曇りガラスのようにぼんやりと映し出されていく事。そしていやな事に欠落の部分が徐々に減り、自分に気づかせていくという事になりました。要するに自分にいい加減気づけよと言わんばかりだったのです。
こういう記憶の追憶は実は本筋ではないのかもしれませんが、考えたい道筋にあるので、このことから話します。

最初は本当に微塵も記憶がありません。何故なら、その相手の人が帰ったからです。当時住んでいたマンションの人です。ほとんど付き合いはありませんでしたが、お世話になった事があり、たまたまその日、私の部屋でお礼を兼ねて飲食をした、それしか覚えていない。朝、私はコタツで目覚め、布団がかかっていたから、酔って寝てしまった私をベッドまで抱える事は出来ないから、その人が掛けてくれた、それしか思いません。彼女は、私がなにかやらかしたらしい事を言外に示唆して、それからしばらく無言になり、ため息をつきつつ「忘れてあげる」更に「あなたって、あ・ん・な趣味があったのね」
私は酒癖はそんなに悪い方ではありません。友人には泣き上戸や脱ぎ魔もいます。普段より少しハイになり、飲みすぎて二日酔いになる程度で、飲酒トラブルはありません。微妙な対応で何かしたのだと思いつつ信じられませんでした。
二度目は、朝、目が覚めると知らない女が裸でベットの中にいました。何かしたようです。恐る恐る探りを入れる。何処で会ったのか、何をしたのだろう、少し靄がかかった記憶が残ってます。胸に触っていたようです。覚えてないの?という言葉に曖昧に返事した私に抱きついてきます、とっても良かったと。何となく悟ります。快を与える行為をしたのだろうと。
その次の人だったかその次だったか、途中かすかな記憶があります。「Rじゃない、私はAよ」「ごめん」そういう会話があったような、何かをしているような、でも夢の中のような。夢かと思ったら、朝目覚めたら、やはり知らない裸の女がいました。Rが好きだと言いつつHをしていたようです。2度も3度も間違えたといいます。うーん、です。他の記憶がないのもいつもどおりですが、記憶のないところは曖昧にごまかして、Rという子に振られて、よく似たAを誘ったという話を作り上げてしまいました。
その子が帰った後、相当落ち込みました。これは確実だということとRを好きだといいつつ行為をしていたという事が一番のショックでした。Rは大学時代の依存対象だったその人の名前です。そして勿論というか、Aは似ても似つかぬ人でした。自分はRにそういうことをしたいという気持ちを自分の中に隠し持っていたのか?どうしても信じられません。自分はどうなっているのだろう?

多分ですが、プラトニックに好きな対象と性的に向かえる対象と分かれているみたいです。それしか考えられません。
私の心象風景の中の女性像は、「自分を受け入れてほしい、多分、性を持たない女マドンナ」と「性を持ついやらしい女」に二分されていたように思います。マドンナしか好きになれません。でもいやらしい女には手が出てしまうようです。好きとは思えなくてもそういう行為をしてしまうのならそちらを選ぶべきなのでしょうか。実はこれは結論が出てしまうのです。
それまでの人は1回きりです。とても自分が誘う気持ちになれず、相手が来なかったからです。が、Aは度々来るようになります。一緒に楽しく話をしている分には構いません。ただ、鬼門のHがあるのです。それさえ超えたら、柔らかい胸が朝まで傍にいてくれます。その魅力に抗えません。でもとても正気では出来ません。出来るだけ早く酔っ払ってしまって理性を飛ばさないと出来ないのです。ただ、私が出来上がるまで中々待ってくれません。私が考案した方法は、Aがシャワーを浴びている間に大急ぎでワンカップを2本飲み干して、マンションの周りを2周走ってくるのです。これは効きます。酔いがまわるのが早いです。ただ、段々その手も効かなくなります。Hが出来なくなった私の元からAが彼氏が出来たといって去っていくのは自明ですよね。引き止める気にはなりません、Hをしなくてはという悩みから解消されほっとしました。
私は女性に強いこだわりがある事、女性が好きなことは自覚があります。でも自分は同性愛者ではないと思ってました。欲望を振り向けれないマドンナ、手は出せるけど続ける事が苦痛のいやらしい女。自覚のない始まりでなく、きちんと求愛できる人なら、上手く行くのだろうか?そういう考えに行き着くのにそう時間はかかりません。
(お礼に続く 4/10)

補足日時:2009/04/10 23:06
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この回答へのお礼

(補足から続く)
当時、実は気になる人がいました。知り合ってから1年くらいたってます。一目ぼれです。会ったその日にダイレクトに心に飛び込んできたそういう人です。もの凄い美人です。ミス○○大学とミス△△(特定されやすいので伏せます)のダブルミス。スタイルも抜群。誰だって好きになるのではないでしょうか。性格もいいです。余り高ぶってない人です。ある集まりのメンバーです。正直に言うとその人に会ったからメンバーになってます。大体週に1回は会ってます、たまに皆と食事に行ったり飲みをしたり、但し二人きりで会ったことはありません。
ある日、別の集まりでばったり会います。その後、二人で食事して、飲み直そうよ、家においでとの誘いを受け、楽しい飲み会となり、遅くなったので泊まっていけばいい、予備の布団を用意する彼女に思い切って告白しました。やっぱり!と、私が思っているのは気づいていたようです。返事はOKです。勿論プラトニックなど子供な考えではありません。ベットで抱いていいよと彼女は自ら着衣を脱ぎ明かりを小さくします。本当に美しい体です。なにも文句の付け所はありません。やっと自分にも彼女が出来そう、、、何も迷いはなかったです。
でも、、、、出来ないのです。Hがどうしても出来ないのです。アルコールは充分入ってます。羞恥心はないはずです。胸には触れます。でもそれから先を進もうとすると段々気持ちが盛り下がってきます。欲望がどうしても出てこないのです。彼女に恥をかかせないように無難に終らせるためには相当苦労しました。

私は好きな人にはどうも欲望がもてない、或いはどこかに隠してしまって出してくるには何かの仕掛けが必要のようです。
欲望をもてない同性愛者っているのでしょうか?でもしてしまった事があるのも確かです。わかりません。新宿2丁目に行けば自分に合った人がいて何とかなるのでしょうか。でも、どうしても行く気がしません。
女性を好きなことは確かなのに、分離してしまって統合できません。運命の人に出会うと違うのでしょうか。判りません。

このことに関しては現在放置してます。

お礼日時:2009/04/10 23:23

物事に対処するときのポイントは、出来るだけ、ナチュラルにシンプルにすることです。

人は、迷っているときは、必ず、複雑な方向に意識を持って行き、それで頭がパンクします。そのときは、もう既に精神疾患の入り口です。真実は、いつでもナチュラルでシンプルです。迷ったら、必ず、シンプルな方を選択してください。シンプルだと、軌道修正が出来るからです。

nayami1980さんは、もう迷路に片足を突っ込んでいますが、まだ、軌道修正が可能だと判断しています。ですから、しばらくは、肩の力を抜きましょう。今のnayami1980さんに必要なものは、心を休める時間です。心の安静、ゆとりです。ですから、もう、これ以上、悩まないでください。しばらく、ほかっておくと意外なときに、「あっ、そうか!そうだったんだ!」と気付くときが必ずきます。それまで悩まないでください。
(この書き込みにレスは不要です。)

この回答への補足

今晩は。
確かに考えても分らない事をこれ以上考えても仕方がないのかもしれません。
とりあえず、頂いたご回答を振り返ってみると、家族の背景や誘因など考えるのは、特別有効でも価値もない、というふうにも受け取れます。そうなんでしょうね。なにも解決に繋がらないのでしょうね。
ただ、現実には、その家族には会うのであり、干渉もしてくるのですよね。今の自分には何も関係ない。多分そう言い聞かせばいいのかもしれません。それも自分を騙す事?ふと思ったりします。

完全に過去になれない家族というものは厄介なものだと今思ってます。
例えば、中々結婚しない、出来ない、兄に会ったりすると、ふっと
「僕はホントはNみたいなのがいいんだ」なんて言いはじめます。贖罪なのかシスコンなのか。確かに母の言うこと、その理由は違うにしても私が結婚しないと兄はしないような気がします。兄が私を見ている眼は多分、普通の兄の妹を見る眼と違うように感じます。「お兄ちゃんみたいなタイプとするわけないじゃない、そんなしっかりしない男パス」とか言って強い拒絶軽蔑を出しておかないと、何を告白し始めるか分らない情けない兄です。
姉にしたところで、あまり会いたくないのですが、結婚して義兄からたまにはいらっしゃいといわれると数度に1回くらいは行くのが無難かなと思ってしまいます。行けば行ったで、相変わらず、試してくれます。
義兄の前で「中学の時、○○賞を取った」とか、実際は私が貰ったのであり、姉はそうではなかったのに。そういう謎かけで、真実を主張する事は、姉の虚言癖をその配偶者に示唆する事になるのかと気を使います。「そうだったけ、忘れちゃった、ごめん」ですますと「あなたは小さい時から記憶力が悪い」とか、しっかりポイントを取る人です。
一筋縄ではいかないのですよ。さすがに思ったとおりの答えを出さないからって、昔みたいにいきなりぶたれることはありませんけど、テーブルの下で蹴りくらいは来ますよ(笑)。
そんなに簡単な家族ではないのですよ。まぁいいです。誰にいっても分って貰えないから、一人で抱えて生きてきました。多分これからもそうするしかないのでしょう。誰も助けてくれないのは知っています。

ところで、
>当時のあなたのお母さんは、「社会的にステータスの高そうな人とか同性にも異性にも素敵と見られている」ような感じの方ではありませんでしたか?

この問いかけはどんな意味があったのでしょうか?
最初の質問の私の文章から取っておられる事は、分っています。
関係あるのでしょうか。どう繋がるのか説明が頂ければ幸いです。
なければ、自分で抱えていきます。

ありがとうございました。

補足日時:2009/04/14 00:30
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認知療法と精神分析療法を勉強している者です。


もう、あなたは理解されていらっしゃるようですので、要点を少し。

>思春期において、このような事が起きる因子、誘因など、何か決定的なものがあるのでしょうか?
実は、偶然、あなたのこの投稿を読んでいました。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4827605.html

そして、私なりに推測した結論は、今回の投稿を読んで、「あーやっぱりそうか」というのが正直な感想です。ちなみに、こちらの質問投稿に目を通してください。そして、回答NO6(私です)を読んでください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4850074.html

その中で、こんなことを書きました。「このうつ様の症状をあなたの代で断ち切ってください。この嫌な感情を持ち続けると、あなたのお子さんにも同様の症状が出てきます。一般に遺伝だといわれますが、環境がなす遺伝(環境遺伝)です。環境を解消すれば、絶対に遺伝しません。そして、愛情いっぱいに育て上げてください。」と。

幼少期にいざこざ(程度にもよります)を抱えて育った方は、ある程度、成長してから何がしかの問題が出てくる方が多いようです。(当然ながら、「自分は、そうなりたくない」から、「親を超えてみせる」等の強い決心をお持ちの方は例外です。)あなたを始めあなたのご兄弟は、そのご両親の環境から生じた余波をもろに被ったものと思われるのです。現代科学を持ってしても解明不可能な潜在意識は、我々の想像以上の未知のパワーを秘めているようです。

いい子ぶっていたことも、先の方と同様です。自分の感情を押し殺して(この潜在意識下に抑圧された自覚のない感情が、後々、様々な問題を引き起こすようです)までそうせざるを得なかった環境が、背景にあったのでしょう。他の方もいわれていましたが、絶対的な背景に「ご両親の愛情不足」があるのでしょうね。

実は、私も家庭不和があり、親の愛情を余り知らずに育ちました。幼児のときの記憶がほとんどないのは、潜在意識下に抑圧されていたからです。そこにあった感情を押し殺して潜在意識下に抑圧するから、顕在意識化(具現化)が難しいのです。前回の下記の書き込みがそう物語っています。

>「甘えれる胸をなくしました。もう二度と帰ってきません。そして、それから私は泣かない子になりTねえちゃんと過ごした日々を記憶の一番下に追いやり忘れることにしたのでしょう。」
「記憶の一番下に追いやり忘れることにした」記憶が、何かをきっかけにして頭をもたげてくるのです。それが、顕在意識が朦朧としたときに、このT姉ちゃんの想いが具現化して、行動を起こしてしまうようです。潜在意識は、顕在意識がはっきりしているときには、表に出てきません。

これも前回の投稿からの抜粋です。
>「子供のとき、ほとんど感情を出さない子でした。いまでも素直な感情の出し方に苦手意識があるのですが、振る舞いとしては身に付いてます。」
これも、自分の感情を押し殺したがために生じた結果です。幼少期に必要な心の満足感が得られなかったのでしょう。心の不安定から生じる感覚なのでしょう。

>『恋愛感情は実は女性にも勿論ですが、異性にもなかなか持てません。「愛されて育ってない子は愛するということが出来ない」という説を見て、納得してしまってます。愛されるということも実はよくわからない、得体が知れなくて怖いという気持ちがどこかにあります。』
この感情は、その典型的な例でしょう。愛という感情をどう受け止めていいか、どう処理したらいいかが分からないからです。

ひとつだけ聞かせてください。
当時のあなたのお母さんは、「社会的にステータスの高そうな人とか同性にも異性にも素敵と見られている」ような感じの方ではありませんでしたか?

この回答への補足

am2007様 回答ありがとうございます。
先にam2007様の回答の中の話をして、#2の話の続きをさせていただきます。

欝の女性のこと。私から見れば羨ましいです。例え道具にされたのであっても期待されるという事。私の欲しかったものです。私の場合は逆でした。勉強すると叱られました。
ここで回答が遅れていた理由を記しておきます。苦しかったのです。中高生のときの母から受けた仕打ち。私はそこのトラウマを解消できていないのが一番の原因なのだと理解しました。
反抗期の問題がありましたが、私にとっての反抗期がなんだったのかが今まで理解できていませんでした。今やっとわかりました。私の理解していた反抗期は、子供が親を試すものです。それまで親から受けた価値観を一旦捨てて拾い直す。やはり親の価値観ではなく自分のものだと。だから親に突っかかるのだと。
第一反抗期も逆だったら、やはり第二反抗期も逆になるものなのでしょうか?それは自明のものなのでしょうか?ここから先はちょっと苦しいので内容は言えません。ただ母が執拗に私を試すものであったという事だけにしておきます。とても苦しかった、多分殺してやりたいくらい私は恨んでいたはずです。思春期の親殺し事件の意味がやっと私にも理解できます。結局、母が押し付ける価値観だけを拾い集めて命をつないだのが私の思春期だったという事です。

お尋ねの母のこと。
母を一言で言えば綺麗な人です。華やかな人です。周り中を魅了します。女王様です。誰もが初対面で素敵なお母様ですねと口々に褒めます。ただ、魅了すると同時に仕掛ける人でもあります。
「この人は特別」を認めるかどうかです。少々無理を言っても間違った事を望んでも、あの人のためなら、あの人が言うのならと思わせる力があるのは確かにたいしたものです。男性にはなんともいえないお色気だったのでしょう。母に熱を上げて交際を望む人が出てきてもその寸前で気を持たせつつ身をかわすのは天性のものかもしれません。たまに本気になる人が出てきて悶着もありました。
母は、女性にもそのお色気を使っていたように見えます。まるっきり惚れ込んでいる状態の取り巻きがいました。
母はブランド志向です。貧乏人、無教養な人は相手にしません。お尋ねのように社会的地位の高い人を好み、その人たちにも受けがいいです。
ただ、どこかにも書きましたがあの人は演技性人格障害です。自分の作っている劇場がうまく行かなくなると病気に逃げ込む人でもあります。不定愁訴、めまい、自称心臓病、あらゆる症状を訴えます。そして、特徴は選択的に記憶がないか、過去にさかのぼって記憶の書き換えが出来ることです。病的な人です。
今思うのは、どうしてあの母親が病的な性格だという事がわからなかったのだろうということです。わからなかったです。ただ、自分の都合の良いように嘘をつくこと、でもその母の我侭は許されるものであったこと。育ちのいい人特有の傲慢とも言える我侭、そういう感じだったのは確かです。お嬢様育ちだから仕方がない。そして、母にはそれなりの神話?があります。ここでは病気だけにしておきますが、母は体が弱い事になっていた。でも良く考えてみれば結構元気だった気がします。でもそういえば、ヒステリー発作のようなものを起こしていました。そして永く寝込んでいました。労わらなければいけない、責めてはいけない、そういうものがあったことも確かです。

#2の続き、中高生の頃の話をします。
学校から帰って友達がいないのは私が校区の学校ではなく付属に行っていた、その影響か幼友達がいません。兄と姉は校区の学校です。割りと孤独な子供時代をすごしてます。学力その他は相変わらず良好です。上の二人は受験のたびに塾の家庭教師のと大騒ぎでしたけど、私は大学受験も塾等一切行ってません。2つ目の愛の対象は、周りの少女の中から捜すことになります。そして、3つ目のストーリー作り。覚えていませんが、多分たくさんしていたと思います。結局残ったのは、マドンナ信仰と自分の自殺ストーリーつくりです。
あの頃、私は誰か自分を受け入れてくれる人はないかときっと次々気持ちを寄せたり相手の気持ちを図ったりしていたのではなかったか、特別思い入れの人はなかったような、あったような。お気に入りの友達はいました。恋愛感情だったかどうか、だったようにも思います。でも恋愛はしていません。何故、あの頃、自分はそんな事をしていたのか、今振り返れば、マドンナを求める気持ちで崩れそうな自分の気持ちを支えていたような気がします。
(4/10)

補足日時:2009/04/10 00:00
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この回答へのお礼

(補足から続く)
大学時代にほとんど恋愛だったのだという人に出会います。同級生です。どういうわけか、すごく気が合うというか。二人で本当によく一緒に過ごしました。私は中高生のとき、あの時期特有のカップルみたいな友達付き合いはしていません。例のおトイレまで一緒に手をつないでついていく擬似恋愛的なもの。それを大学生になってやっているといった感じです。ある時、自分はその人がものすごく好きなのだと気が付いてしまいました。恋愛感情ってこういうものなのだと。実際は依存を起こしていたようです。というのは、性的な連想が一つもないのです。ただ一緒にいたい、一番大切な人でいて欲しい自分もそうでありたい、そういうことです。キスがしたいとか、体が欲しいとかそういうことはまるっきり考えてません。実は私は性と言うものを自分は持ってないのではないかとほとんど確信していたということもあります。でも、やっとの思いで告白してから、微妙になっていきます。彼女は重いとだけ言った。勿論、恋人関係に入りたいわけではなかったから、表向き普通に友達でした。でも、自分は何が欲しいのだろうと随分考えた事は確かです。
彼氏が出来た。友達だと思っているから、喜んでくれると信じて彼女は告げました。会いました、どうにもいやなタイプです。その男に相当私は突っかかった事を覚えてます。他日、彼女と会った時、それで揉めます。あんな男とは別れて欲しいのです。拒否されました。私よりそちらのほうを取ることを意味してます。あの時、私は馬鹿なことをしました。何故そうしたかったのか良くわからないのですが、いきなり暴力で持って押さえつけてしまったのです。男だったらレイプをやらかしてしまうシーンでしょう。ただ、私は押さえつけたものの何がしたいのかわからなかった。怒りをもっていたことは確かです。彼女の顔を見たとき、何となく放したくないなら、キスでもするのかな、と思ったとたん、何を馬鹿なことをしているのだろうと脱力。絶交を言い渡されたのは当たり前です。(後に友達付き合いは復活しています)
マドンナを無くして壊してしまった事は確かです。それから私は次なるマドンナを探す事になるのですが、彼女ほど心を惹かれる人は出来ませんでした。その後、例の飲酒上の事件を起こすのです。

あの事件も中々象徴的です。解離の特有な現象があったのかもしれません。(#1へ続く予定)

お礼日時:2009/04/10 00:18

一般的な虐待の背景は、ご承知かとおもいますが、


未熟な親
親の成育歴上の問題
親の自信喪失
家族関係の不和
金銭的問題
ストレス
等です。

兄弟間であっても同様です。
根本的に家族が、家族としての機能(安心できる場・子育て機能・社会との繋がり等)を果たせていないために生じたのだと考えます。

という事で、質問者さんの自己分析の1)~4)についてはそうだろうと推測します。
5)についてですが、虐待を受けた者が陥りやすく最も重大な問題です。
被虐待児には責任も誘因も全くありません。

多くの性的被虐待児は5)を考えてしまい、精神が解離するか自信喪失してしまうことになります。

質問者さんの場合、今まさに解離から統合へ進まれている段階のように思います。
今後も一人で分析を続けていくのは、しんどさや危険が伴う事があります。
その時は速やかに精神療法の手を借りられる事をお勧めします。

この回答への補足

ayaayahana様 
回答ありがとうございます。いろいろ書きたいこともありますので、補足、お礼を通して使わせて頂きます。

>しんどさや危険が伴う事があります。
前回の経験がありましたのである程度は予想していました。こういう時の感情的な揺れはかなり大きなものです。
危険に関しては前回パニックを起こしたときは本当に大きな勘違いといいますか、自分を支えていた基盤のようなものを否定せざるを得ないような事実の錯誤でしたので、自我が脅かされ、人格が崩壊されそうな恐怖を味わいました。
今回はそこまでのものがありませんので、大丈夫です。前回はその認識の間違いもですが、自分が自分を騙すという事に非常にショックを受けてしまいました。騙すにはそれなりの訳があるので、本当に人間というものは必要は発明の母、なければ自分を騙してでも必要なものは作り出すようです。その読み解きも含めてかなりの時間を要しました。
私自身の経験では記憶の欠落に関しては生々しい事件を起こしたときの恐怖もありましたしで、以外と自己崩壊の危険性はないものだ、認識の間違いのほうが怖いという印象です。やはり自我を支える構造の中での位置(上部構造下部構造)というものが大きいようです。
でもやはり自虐的になりますし、他罰を必死に探してしまいます。ところが私は、その事実を当時取引に使っているのです。

兄とのことは簡単明瞭です。その前から、着替えを覗くとかの性的な嫌がらせが続いていました。が、私の育った家の親の考えや家の雰囲気もかなり影響してるのですが、そういうことに無頓着なのです。風呂やトイレを急に開けたりとか、そういうことを訴えても危機感を持たない親だったのです。変な親でして家庭内に鍵がかかるのはおかしいとの主義で、トイレも更衣室も鍵がないのです。家族なのだからスリッパやノックなどで充分対応できるという考えなのですが、音を忍ばせて急に明けられるとどうにもなりません。親に訴えても「構ってるだけだ」で済ますのですからやめてくれません。でもそれ以来、その手のことが納まったので、親に言いつけない代わりに私としては最低限の実利を取ったということが出来ます。激しく親に叱責されその屈折が何に向かって爆発するかわからないのは色々な事件を考えると杞憂と言い切れないような気がします。

姉とのことを考えると、たくさんの確執があったような気がします。比較的年齢の近い同性という事もあったのかもしれません。
一例を挙げますと弁当の事。姉は高校生で弁当です。ある日、学食でランチを友と一緒したのか弁当を食べて欲しい。手つかずの弁当箱を母に戻せない。部活でお腹をすかせていた私は喜んで食べてしまいました。一度そういうことがあると次回から断れなくなってしまうのです。私はその手の失敗をたくさんしてしまってます。難しい親なので子供同士反目や分断もあるのですが、たまには助け合いもしてしまうのです。
夕食をお腹一杯食べてしまった後など、更に食べるのはさすがに苦しいから許しを請うのですが許されません、目の前で睨んでいます。やっとの事で空になり「おいしかったわぁ」と母への機嫌取りの声が上がるというわけです。ある時夏が近づいて腐りかかった弁当で私は泣いてしまった事があります。
普段から、アクセサリーや小物をくれたり、お好みやさんに連れて行ってくれたり。要らないといっても許しません。傍目には姉妹揃って仲良さそうでも内実は違うのです。子分になる事ですから、貰いすぎず、拒否も出来ない(飴と鞭といいますが、この人暴力がすごかったので)。様子を覗いながら控えめにプレゼントを受ける以外に選択肢はあったのだろうか。贈り物も暴力を内蔵するのですね。多分そういうもの込みで、奴隷根性というか、乞食根性というか、自己卑下に繋がってます。あの事件単独というよりも、奴隷にされているということのほうが大きいのかもしれません。そういう下地がなければ起こらなかったような気がします。5)をあげてしまうのはそういうことです。

ところで、こういう子供が(一般的な被虐待児でもいいですし私でもいいのですが)その先歩むとき、どういう自己形成を図るのが一般的なのでしょうか?時期としては思春期です、第二次反抗期です。その前の第一次反抗期で私は母と上手く出来ていなかったようです。この人が親で自分は捨てられないという確信が持ててません。受容が出来ていないわけです。そういう子はずっと学童期までその受容の獲得のために様々な試みをするようですね。ある子は非行や手の焼く子。そして、ある子はいい子を演じると。確かに、私にとって学童期はいい子を演じて、それで幸せになれるという幻想を持って必死になっていた時代です。でも年中裏切られてしまってます。


(4/6)

補足日時:2009/04/06 06:56
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この回答へのお礼

(補足から続く)
どうでしょう、いい子になって認めてもらおうという子は親からみたら計算ずくみたいで信用出来ない子なのでしょうか。子供というのは悪い子でも親が好きなものなのに、いい子して親の評価を取ろうというのは、確かに可愛げがない感じがします。実は、この時期私は母にあからさまな罠にたびたび掛けられてました。
わかりやすい例で、テーブルにお菓子があります。母は私にお食べといいます。でもそれは父の好物で父のためにあると察した私は辞退します。私が目をそらした隙に母はそれを食べてしまいます。ちらと見てしまった私に「あなたが食べたんだよね」否定も肯定も出来ない私は黙って去ります。父が帰ってきて、父のお菓子を用意してたけどあの子が食べたと母は告げるのです。子供心にこの人は嘘をつく人だ、信じられない、そう思いながらいい子を演じて好きな振りをしていた私は案外その頃から自分を騙し始めていたのかもしれません。母は私を試していたんだということは今よくわかります。

ただ、私にとって一番辛かった時期は案外この事件の起きた中学時代のような気がします。幻想は崩れる、自己確立の核となる確固とした自我は出来てないといいますか脆い自我しか持ってませんよね。
驚くような非行に走る子もやはり出るのでしょうか。いや、私から見たら非行が出来るだけうらやましいような気がします。非行すらできなかったのか、非行を押しとどめた自我があったと見るべきか?
結局、私は自分を支えるために色々作為的に自己形成をしていく事になるのですが、今気がつくことは、3つくらいです。一つは自分は賢いとか自分は他人とは違うとか、肥大した自己を自分に言い聞かせるようになる。2つ目は、母を諦めて、承認してくれる対象、受容してくれる対象、依存できる対象を探し始める。そして、それが困難なために様々なストーリーを組み立てるようになる。多分、私の中高校生時代はそういう感じだったような気がします。
1つ目は案外簡単なのです。学童期私はかなり学校でもいい子でした。学業以外にも体育にしろ課外活動にしろかなり高い評価を貰ってましたし、先生のお気に入りで文部科学省お勧めもような少女でした。でも子供らしくないですよね。いじめにはあってませんが余り親しい友達はいなかったです。学校から帰っても友達はいませんでした。
(続きは#3へつける予定です)

お礼日時:2009/04/06 07:21

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