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チェチェン問題の事でロシアの事を責める人が多くいます。ロシアはチェチェンを侵略し、独立しようとするものをチェチェン紛争の際に次々と虐殺したと。
ロシアにはグルジアに南オセチアの独立を求める資格などないとまで聞いたことがあります。中国によってチベットが支配され、チベット人が虐殺されたように、ロシアもチェチェンを支配してチェチェン人を虐殺しているという話もよく聞きます。

ですが、私にはよくわからない事があります。
チェチェン紛争ってチェチェン人同士で独立賛成派と独立反対派が紛争を行ったものではないのですか?例え独立反対派のバックにロシアがいたとしても、チェチェン紛争をロシアがチェチェンを攻めたものとするのは間違いなのでは?

もう一つの疑問は、何故ロシアはバルト三国やベラルーシ、ウクライナの独立などの旧ソ連の国々の独立は認めたのにチェチェンの独立は認めないのですか?
OKWaveの他の質問では、チェチェンは周りの地域から嫌われていると聞きましたが、関係あるのでしょうか?

できれば私の疑問について詳しく説明してくれるサイトなどのソース込みで回答してくだされば幸いです。

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A 回答 (6件)

たびたび、すみません。

No.1です。
No.3の回答には一部誤りがありましたので、削除依頼を出します。

No.2の方が、私が困難だと判断した内容を要約していただいたので、そちらを参考にしてください。


>チェチェン問題を論じることは、コーカサスを舞台とした民族紛争、
>宗教紛争、さらにロシアとコーカサス諸国の関係を歴史を遡って
>すべて説明しなくてはならず、本一冊余裕で書ける内容です。

私がこう書いたのは、チェチェン問題について説明するにあたって、準備知識が必要だからです。

No.2の方の回答にあるように、ソ連崩壊後にチェチェンは第一次チェチェン紛争を起こしますが、ロシアとの停戦が成立し、ロシア軍が撤退することでチェチェンは独立に向けて大きな前進を果たしました。

しかし、それを破綻させたのが、シャミル・バサエフによるダゲスタン共和国への侵攻でした。
彼がなぜ隣国に攻撃したのか、真相は未だ不明ですが、彼がチェチェンを中心としたイスラム圏の拡大を目指したという指摘が一部であります。
そして、そのつながりでタリバンと連携したようです。

しかし、その大チェチェン構想ともいうべきものは、隣国から激しい反発を買っており、チェチェン独立紛争が今ひとつ周囲の国々から賛意を得られない理由の一つとなっています。


>ソ連崩壊以降チェチェンが独立できないでいるのはプーチンが大統領
>になる前からじゃないんですか?説明になっていません。

説明になっていないと感じるのは、あなたに準備知識が不足しているからです。
幸いなことに、No.2の方が第一次チェチェン紛争について解説されましたので、そちらを参考にしてください。

この回答への補足

うーん、No.2の方の回答を見ても何故エリツィンはチェチェンの独立を認めないのかがよくわかりません。
しつこいようですが、他の国の独立を認めたのならチェチェンの独立を認めてもいいのに。

確かに、私には準備知識が足りないようですね。wikipediaを見ても、チェチェンとロシアの紛争だったりチェチェン同士の紛争にロシアが加担していたりと一体どっちなのかわけがわかりません。

補足日時:2009/04/05 17:48
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この回答へのお礼

何度も説明してくださってありがとうございます。お手数掛けて申し訳ございません。

ああ、第二次は一部の過激派が勝手な行動を起こしたようなものなのですね。プーチンによるチェチェンの弾圧は確かに褒められたものではありませんが、一部の連中が勝手な事をしたせいで大人しくしている民衆がとばっちりを食ったという事を考えるとそういった連中の行動はほめられたものじゃありませんね。
ダゲスタンへのテロなどロシアとは関係のない所で、周辺の地域に対して尊大な行為を取って反発を買っていることからしても、チェチェンをロシアからの純粋な被害者と考えるのは間違いのようですね。本当に独立を求めるのなら周りから嫌われるようなことをするのは間違いなのに。

お礼日時:2009/04/05 17:55

>チェチェン紛争ってチェチェン人同士で独立賛成派と独立反対派が紛争を行ったものではないのですか?例え独立反対派のバックにロシアがいたとしても、チェチェン紛争をロシアがチェチェンを攻めたものとするのは間違いなのでは?



う~ん、この認識はどうでしょうかね。
確かに、チェチェン内にも独立派・親ロシア派が存在し激しく対立しているというのもあるとも言えます。
しかし、歴史を見ると「国内の紛争にロシアが介入」というよりも、「ロシアの侵攻とそれに抵抗するチェチェン人」と見るのが一般的だとおもいます。

実はチェチェンを巡る紛争というのは、ソ連が出来る以前よりも長く争われてきました。
チェチェンとロシアの対立史を以下に軽く述べてみます。

チェチェン人というのは、紀元前より北カフカスに住み続けてきた先住民族とされています。
イングーシ人やダゲスタン人とは同じカフカスの民族としての同朋意識が強くあります。(ロシア人は彼らを山岳民族として一等低く見ている)
チェチェンに出来た最初の国はトルコ系遊牧民のハザール帝国による支配(7世紀から10世紀後半まで)を受けてからとなります。
ハザール帝国滅亡後は、アラン国家が樹立されますが13世紀にはモンゴル帝国によって滅ぼされます。
この辺りから、チェチェン人とロシア人との歴史が始まります。

一方、ロシアは今のウクライナはキエフの辺りの先住民が「ルーシと呼ばれたヴァリャーグ人」に支配を頼んだという伝承(『過ぎし日々の物語(原初年代記)』)が起源となっています。
当時、その一帯は統一した国家が無くいくつもの部族が争う混沌とした世界でした。
そこで、部族の一派が海を越えて「ルーシと呼ばれたヴァリャーグ人」のもとへを訪れ、混乱を収めてくれるように頼みました。
その求めに応じたルーシーの首領リューリクが統一を果たし、ロシア王朝を開いたという物語です。


さて、モンゴル帝国の支配力が徐々に弱まるにつれて、チェチェン人たちは自分たちの土地を取り戻していきます。
また、当時すでに国家として成立していたロシアとは友好関係を結んでいきました。
しかし、16世紀末頃から徐々にロシア帝国の力が強まり出します。
そして、1712 年のピョートル1世時代に、ロシアはカフカスを支配しようと侵略し始めます。
チェチェン人をはじめとしたカフカスの山岳民の抵抗に遭い、敗退を余儀なくされます。
それでも、ロシアは諦めず、何度も支配と独立を巡る争いが繰り返されていきました。
この時から、「圧倒的な軍事力を使って弾圧するロシア」と「独立を確保するための戦うゲリラ」という構図が出来ていきます。

この支配と独立を巡る紛争は、ソ連が樹立されてからも続きます。
で、ソ連が崩壊する直前に『ソ連連邦離脱法』を根拠にチェチェンは独立を宣言します。
そもそも、ソ連樹立の時にその憲法にいつでもソ連から離脱出来る権利が明記されました。
しかし、それに基づく離脱の手続きを決める法律はありませんでした。
そこで、ミハエル・ゴルバチョフの時代に『ソ連連邦離脱法』という法律を定めました。
(日本国憲法に、憲法改正の手続きの明記はあるが、その「国民の承認」を得る為の国民投票法案がつい最近出来たのと似たような感じ)

しかし、その法律が定める手続きは極めて高いハードルを科していました。
そこで、バルト三国やチェチェンは「独立を認める」という部分のみを強調してロシアの了解なしに一方的に独立を宣言します。
当然、ロシアはそれを認められませんので反発します。
また、「ソ連を構成する共和国」と「ロシア連邦を構成する共和国」という二つの論理があり、『ソ連連邦離脱法』は前者の独立を認めたモノであり、「ロシア連邦」を構成するチェチェンの独立は認められないとしました。
そこで、当時のエルツィン大統領は「チェチェンの独立派は国内の不平分子である」として軍事侵攻します。
しかし、伝統のチェチェン人のゲリラ戦に戦局は泥沼化していきます。
そして、1996 年5 月27 日にはチェチェン人独立派のリーダーと休戦協定を結び1997年に完全に撤退します。(第一次チェチェン紛争)

この休戦協定では、チェチェン独立派もロシア側も決定的な勝利を得るには至りませんでした。
そして、その後もチェチェン独立派によるロシア国内でのテロが横行していくこととなります。
で、ついに5年間の休戦協定を破り1999年8月、シャミル・バサエフに率いられた1500名程度のチェチェン人武装勢力が隣国ダゲスタン共和国(ロシア連邦所属共和国)へ侵攻し、一部の村を占領します。
また、同時にモスクワでアパートが爆破されます。
これを受けてロシア政府はチェチェンへの軍派遣を決定、第二次チェチェン紛争がはじまり現在に至ります。


さて、このチェチェン紛争が起こる背景ですが、色々な要因があります。
一つは、上記に述べた約300年にも及ぶチェチェン人とロシア人との間の紛争があります。
実際、独立派チェチェン人は「我々は過去300年、ロシアと戦い続けているのだ」と語るそうです。
逆にロシア側は「ロシア帝国以来、ロシアを構成する地域の一つ」と主張しています。
この辺りは、「歴史認識問題」となり政治的・思想的立場に左右される話となりますね。(つまり議論は永遠に平行線)

もう一つは、宗教問題です。
チェチェン人にはスンナ派のイスラム教徒が大半を占めています。
ロシアはキリスト教「ロシア正教会派」となります。
よって、チェチェン人の過激派はイスラム教の過激派と強いパイプをもっています。
このことは、チェチェン紛争への介入に英・仏・伊・独・米などの西側諸国が消極的になっている理由となっています。

最後は、資源問題です。
とはいえ、チェチェン共和国内に石油などが大量に産出するわけではなく、お隣のアゼルバイジャンの油田が原因です。
この油田で産出する石油を、ヨーロッパに輸出して売るためのパイプラインを建造するルートにチェチェンがあるわけです。
同じロシア連邦内の国家であれば、「共有の財産」として安く石油を運べます。
しかし、独立国家ともなれば「関税」だとか色々と費用がかかってくることになります。
これは、なんとしても阻止したい事でもあります。
似た紛争としては、ウクライナの天然ガスパイプライン問題にも言えますね。

とまぁ、いろんな要因が重なり合ってなかなか解決しない紛争の一つとなっています。
参考URLにチェチェン側から見た纏めサイトを貼っておきます。

参考URL:http://chechennews.org/basic/whochechen.htm
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この回答へのお礼

日本に組み込まれた沖縄が独立のための紛争を図らないのとは違って、チェチェンが数百年以上もの間ロシアからの独立を図っているのは宗教的な問題もあるのでしょうね。
チベット問題とは違って数百年も経過したのだからいい加減その国に馴染めばいいのにというのはいかにも日本人的な考えと言えるのでしょうか。

おそらく独立派と反対派の争いというのは第二次だけなんでしょうね。ロシアとチェチェンの間にはそれ以前から問題が続いているそうですからね。

少なくとも今のチェチェン独立派がただのテロにまで堕ちたのは問題ですが、チェチェン問題を国内問題とするのは支配者側であるロシアの言うことではないですね。

お礼日時:2009/04/06 08:18

他の事は、既に回答され、また解釈の違いということになるので


・もう一つの疑問は、何故ロシアはバルト三国やベラルーシ、ウクライナの独立などの旧ソ連の国々の独立は認めたのにチェチェンの独立は認めないのですか?

について解答します

・バルト三国やベラルーシ、ウクライナの(ソ連邦から)の独立

は、しょせん、ロシアにとり他人事であり、「はい、おめでとう!よかったね、パチパチ」で、すむことですが、

・チェチェンの(ロシアからの)独立は

大規模組織暴力団の傘下組織が、勝手に離脱独立を謀るようなことで
「ちょっと待て!コラー(▼へ▼メ)オラオラ」
と成ることは、当然です。

 
 バルト三国やベラルーシ、ウクライナの(ソ連邦から)の離脱(独立)は、ソ連邦の支配から脱しようとし、そのためには最終的には同じ離脱(独立)も、ありとしていた当時のロシアのエリツィン政権には、歓迎すべきことであり、独立を支持、共闘したのは、当然です。現在では、世界史の教科書にも乗っている常識ですが、ソ連邦の解散終焉を決定的にしたのは、1991年12月8日のミンスク会談で表明されたロシア・ベラルーシ・ウクライナ三国共同のソ連邦からの離脱(独立)宣言でした。

 せっかく独立できたのに、身内と思っていた地域が、「うちら、今日から独立しますねん」と離れていったらイヤですね。日本でも、石原都知事や橋下大阪府知事が、独立など表明したら、自衛隊の戦車が都庁や大阪府庁襲撃して、内乱罪で知事を逮捕死刑にしますね、ロシアから見ればチェチェンのしていることは、そういうことです。ロシアだけでなく、アセルバイジャンはナゴルノカラバフやナビチェバンの独立認めないし、グルジアはアブバシアや南オセチアの独立認めたくなく、モルドバは、沿ドニエストルの独立認めません。(ちなみに、「沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国」当局は、独自に「ソ連邦」ルーブルを発行し、「国民」に「ソ連邦」パスポートを交付して、ソ連邦の一員であると主張している(^_^;、もちろん、「沿ドニエストル・ソビエト社会主義共和国」を独立国と承認している国は、ない(@^^)/~~~)

※連邦離脱法は、ソ連邦末期にゴルバチョフの命令で立案されましたが、加盟共和国の離脱阻止しようと、条件が厳しく、実際に発動されたことは、ありません。ソ連邦から見ると、バルト三国から、ロシア・ベラルーシ・ウクライナ三国共同表明にいたる離脱独立は、非合法行為です。ソ連邦解散と共に無効になった連邦離脱法を、なぜ、ドゥダエフ大統領が、ロシアからの独立宣言で論拠にしたのか不明ですが、厳密に見ると連邦離脱法の条件クリアしてないし・・・・

この回答への補足

つまり、チェチェンはソ連ができる以前からロシアに組み込まれているから、ソ連の崩壊時にソビエトに組み込んだ国が離れていくのとは次元が違うという事ですかね?

例えていうなら、敗戦時に朝鮮や台湾が日本から離れていくのはいいけど、沖縄が離れていくのは問題があるといった感じでしょうか?

補足日時:2009/04/06 08:09
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No.1,4です。



>そもそも、なぜチェチェンだけ他の国々が独立する際に一緒に独立で
>きず武力による制圧を受けたのか、その事に対する答えがでていない
>のですが。

法的な観点で言えば、No.2の方の回答にあるソ連連邦離脱法がその理由です。
旧ソ連のチェチェン共和国は、ソ連構成共和国の離脱を念頭に置いたものであり、当時ロシア共和国内の共和国であったチェチェンには適応されないのです。

しかし、歴史的にみればロシア民族の支配下になかったチェチェンは、ソ連崩壊をきっかけに独立に動き、法的にみてそれを認めることができないロシアが武力弾圧に踏み切ります。
それが、第一次チェチェン紛争です。

参考:ウィキペディア『第一次チェチェン紛争』
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%B8%80% …

どちらにしても、基礎知識の無い人にネットで教えるには、非常に骨が折れます。
図書館に行けとまではいいませんから、せめてネットで関連する知識の下調べはしてください。

参考:
・ウィキペディア『第二次チェチェン紛争』
・ウィキペディア『チェチェンの歴史』
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この回答へのお礼

いや、手間をかけさせてすみません。
先のお礼内容のように、ウィキペディアを見ても項目ごとに違った事が書いてあるようで、何が何だかよくわからなかったりするんですよね。

とりあえず、チェチェンの独立を認めるか認めないかの争点は、法律の解釈によるものと考えていいのですよね?
ソ連連邦離脱法というものがよくわからないのですが、もう少し調べてみます。

お礼日時:2009/04/05 17:59

1994年、チェチェンの独立を求める独立派と、それを阻止しようとするロシアの間で紛争が起きました。


これが第一次チェチェン紛争(1994年~1996年)です。

事の発端はソ連崩壊直前の1991年、チェチェン共和国の初代大統領ジョハル・ドゥダエフが連邦離脱法によってロシアからの独立を宣言したことに始まります。

これに反対したロシアのボリス・エリツィン大統領はチェチェン独立を阻止するために4万人の連邦軍を派遣しました。

結局、紛争は泥沼化し、最後には10万人以上の死者(ほとんどがチェチェン市民)を出す大惨事となったのです。(ロシア連邦軍からも2万の死者が出ました。)

1996年、エリツィン大統領とチェチェン独立派のリーダーとの間に停戦が合意され、1997年にはロシア軍の完全撤退が完了しました。

ところが1999年、シャミル・バサエフとその部下1500人がダゲスタン共和国へと侵攻し、一部の村を占領しました。

さらにモスクワではテロ(ロシア高層アパート連続爆破事件)によって300人もの市民が死亡しました。(この事件には謎が多く、実際に独立派が行ったテロではないとの主張もあります。)

これによってロシアの世論は反チェチェンへと傾いていき、同年に首相となったウラジーミル・プーチンはチェチェンに対して強硬な制圧路線を敷きました。

これが第二次チェチェン紛争です。(後にプーチンはこの強硬路線が支持されて大統領となります。)

この第二次紛争の最中にはロシア軍によって不当な拷問や強姦、虐待、略奪などが行われていたと言われています。

さらにロシア軍は現在では使用が全面禁止されているクラスター爆弾などの兵器を使用し、そのためにチェチェン市民からもおびただしい数の犠牲者が出ました。

こうして2002年には独立派の指導者アミール・ハッターブが死亡し、その跡をアミール・アブ・アルワリドが引き継ぎました。

こうしたプーチン大統領による対チェチェン強硬策には内外からの批判も数多くありましたが、結局のところ「対テロ戦争」という名目の下に容認すべきだという世論が多数派を占めました。

この紛争は現在もまだ継続しています。
それというのも、チェチェン独立派のムジャーヒディーンは小規模ながらも現在も活動し続けているからです。

さて、第二の質問ですが、ロシアが旧ソ連諸国の独立を認めたのは連邦離脱法という法律が成立したからです。
この法律の枠内には本来チェチェン共和国は入っていません。

さらに、ロシアにとってチェチェンは政治的にも重要な位置を占めています。

現在のロシア連邦は21の共和国によって構成されています。

もし西方のチェチェン共和国の独立を認めた場合、その近隣諸国(ダゲスタン、イングーシ、北オセチア、カルムィク)が次々と独立運動を展開してしまう可能性があり、それを阻止するためにチェチェンに対して断固とした強硬路線を展開したとの見方が一般的のようです。

この回答への補足

説明ありがとうございます。
しかし、今だよくわからない事がたくさんです。

第一次チェチェン紛争は独立しようとするチェチェンをエリツィン率いるロシアが弾圧したというものですよね?
しかし第二次はチェチェンの独立賛成派と独立反対派が行ったものだと聞いています。
ロシアではチェチェンの独立を支持するジャーナリストが暗殺されるという事がありましたが、その一方で第一次紛争終結後独立反対派となったカディロフ大統領が暗殺されるなど、どうも第二次は第一次と違ってチェチェン側は一枚岩ではないようなのですが、その事についての説明に欠けていてどうもよくわかりません。
これにプーチンはどう介入したのでしょうか?

中国やイスラエルはチベットやパレスチナの行いをテロだなどと言い訳じみた事を言いますが、それとは違ってチェチェンの独立派はアルカイダと組んでいたりと本当にテロのような気がしてなりません。
というより、チェチェン問題はチベット問題やパレスチナ問題と同列に見れるようなものなのでしょうか?チベットの場合はその民族のトップが自治権を求めている上に独立の賛否についてはほぼ一枚岩ですが、チェチェンの場合もそのトップが独立を求めているのでしょうか?それとも一部の人々が独立のための組織を結成して行動を起こしているのでしょうか?

あと、連邦離脱法というのもよくわかりません。
ウクライナやカザフスタンの独立は認めるのに、チェチェンの独立を認めたら近隣諸国が独立運動を起こすというのは何故でしょうか?

補足日時:2009/04/05 17:16
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簡単にまとめると、このOKWaveの限られた回答欄で、チェチェン問題すべてに回答することは不可能です。



チェチェン問題を論じることは、コーカサスを舞台とした民族紛争、宗教紛争、さらにロシアとコーカサス諸国の関係を歴史を遡ってすべて説明しなくてはならず、本一冊余裕で書ける内容です。
同様に、ここOKWaveで回答することが困難な質問に、パレスチナ問題があります。

それで、現在私がもっている見解についてのみ述べます。
ソースは自分で調べてください。
図書館と大きな書店に通って、関連する書籍を熟読すること、またネットのソースを調べまくればわかるはずです。


>例え独立反対派のバックにロシアがいたとしても、チェチェン紛争を
>ロシアがチェチェンを攻めたものとするのは間違いなのでは?

ベトナム戦争で、アメリカは南ベトナムを撤退するぎりぎりまで支援しましたが、アメリカはベトナム戦争の悪役として非難されています。
チェチェンにおけるロシアも同様です。ただし、プーチンが賢いので、ベトナム戦争におけるアメリカの二の舞は避けているようですが。


>何故ロシアはバルト三国やベラルーシ、ウクライナの独立などの
>旧ソ連の国々の独立は認めたのにチェチェンの独立は認めないのですか?

プーチンは、ロシアを標的としたチェチェンのテロと戦い続けることで、現在の確固たる政治的立場を確立しました。
プーチンが死去するか政治的に失脚し、彼への批判が公然と口にできるようになれば、チェチェン問題が独立の方向で解決するかもしれません。

この回答への補足

ソ連崩壊以降チェチェンが独立できないでいるのはプーチンが大統領になる前からじゃないんですか?説明になっていません。

補足日時:2009/04/05 17:10
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この回答へのお礼

ベトナム戦争はベトナム同士の国内紛争で、資本主義である南ベトナムにアメリカが加担したというのは知っています。それでアメリカがベトナムの侵略者扱いをされているというのも。
やはりロシアはチェチェンの独立反対派に加担しているのですね。

お礼日時:2009/04/05 17:15

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最近は女性までもがテロをするようになりとてもショックです。

さて根本的な質問なのですが、チェチェン共和国はなぜ国家として独立したいのでしょうか?
民族主義的なものが大きいのでしょうか?
それとも歴史的なものでしょうか?(過去に独立していたとか)
面積がとても小さく、一国家としてやってゆくには大変なように思えます。
それより大ロシアの一員たる方が政治的にも経済的にも有利なのではないでしょうか?

またそもそもソ連崩壊後に独立しようとしたとき、共和国の何パーセントくらいが賛成したのでしょう。
独立できなかったところをみると、過半数以下だったのではないでしょうか。
テロリストたちを応援する人たちも少ないように思えます。
そのあたりの事情に詳しい方がいらっしゃいましたら教えてください。
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

自主独立なんかよりもその日その日をのほほんと暮らせれば良いなんて考えを持てるのは、アメリカ様にお尻を拭いてもらいながらぬくぬくと暮らしている日本人ぐらいのものです。世界には自分の尻は自分で拭くというのが極一般的な価値観です。

経済的な問題で言えば
チェチェンには十分な油田がありますので自主独立も可能です。そもそもの紛争の原因の"1つ"は、この油田の利権をめぐる争いでもあります。

歴史的な経緯で言えば
チェチェンは元々、ロシア、トルコ、ペルシャ(イラン)に挟まれた小国でありましたが、厳しい地形のおかげで何度も支配を打ち返してきました。18世紀中頃からついにロシアに屈服する訳ですが、その際の征服戦争にも頑固に抵抗を続け、実に人口の2/3が死んだと言われています。
ロシア革命のおり彼らは当然独立を目指し、共産党側につくことで自治の約束をとりつけ、革命後はソ連に組み込まれましたが自治州となります。が、それは形だけのことで、連邦は厳しい宗教弾圧を加え、それでも抵抗を諦めない彼らを民族ごとカザフスタンに移住させるなど徹底的な民族解体を図りますが、そういった徹底的な弾圧は返って強固な団結を生むことになります。
ここまでされた彼らが、のほほんとロシア人の支配下に留まる訳も無く、91年ソ連崩壊後、92年のロシア連邦への参加の調印を拒むことになる訳です(ロシア内の21の共和国のうち拒んだのは2国だけです)。

ただこの辺の経緯は複雑で、91年当時の時点ではまだそれほど反ロシアではありません。国民投票でも70%以上がソ連邦存続に賛成しています。ペレストロイカ、ソ連邦の解体の混乱の折、それまで彼らの宗教(スーフィズムと言われるイスラム教と土着の宗教が合体したもの)は比較的穏やかだったのですが、場所によっては失業率が80%を越えるような経済状況で、イスラム原理主義が入り込み支持を受けるようになります。原理主義は強烈な「反ロ反欧」です。

で、それを懸念したロシアは94年についに武力侵攻を行い、あっけなく首都を落としましたが、ゲリラ戦に持ち込まれ壊滅します。この後も何度か侵攻を企てますがいずれも撃退され、96年には事実上の独立を果たし、97年には大統領選挙が行われ、独立派のマスハドフ氏が当選しています。
99年今度はチェチェン人が隣国のタゲスタンに侵入したことをきっかけに、ロシア軍が再び侵攻。以降凄惨な内戦となり「殺す・奪う・破壊する」(男は皆殺し、女は全員レイプ。ゲリラ兵に女性が多いのはそういう理由です。ところで女性がテロをするのがショックなのは、そこまで追い詰められているということに対してショックなんでしょうかね)。というような状況下で行われた2003年の選挙はロシア連邦の主導で行われ、当然独立派が参加しておらず、且つロシアのかいらいであるカディロフ氏の有力な対立候補に圧力をかけて出馬させないというむちゃくちゃな選挙です。

武力弾圧は激しくなれば、テロは先鋭化します。そしてテロリストというレッテルを貼られることで対外的な支持を失うと。この辺の事情はパレスティナ問題と一緒。そしてなぜなぜロシアが批判されないかというとこれもイスラエルと一緒。
ちなみに米上院議会ではこういう証言もされています。
『第一次チェチェン戦争は、エリツィン大統領再選のために必要であった。今回の戦争は、エリツィン大統領が自ら選んだ後継者として公に支持する、ウラジーミル・プーチン現首相が世論調査で順位を上げるために必要とされている』

自主独立なんかよりもその日その日をのほほんと暮らせれば良いなんて考えを持てるのは、アメリカ様にお尻を拭いてもらいながらぬくぬくと暮らしている日本人ぐらいのものです。世界には自分の尻は自分で拭くというのが極一般的な価値観です。

経済的な問題で言えば
チェチェンには十分な油田がありますので自主独立も可能です。そもそもの紛争の原因の"1つ"は、この油田の利権をめぐる争いでもあります。

歴史的な経緯で言えば
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