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哲学はまったくの素人です。
薔薇の名前という小説を調べて普遍論争に興味を持ちました。Wikipediaで見ても専門用語が多くてよく分かりませんでしたが、私なりに以下のようなものではないかと思ったのですが、見当違いかもしれません。哲学を知らない人でも分かる言葉で説明していただけないでしょうか

唯名論:人間というのは田中さんや鈴木さんの集合体に付けられたラベルのようなもので人間という存在が入るわけではないという考え方
実在論:人間の特殊事例として田中さんや鈴木さんが存在しており、どこかに一般的な人間がいる(あるいは、かつてそういう存在があった)という考え方

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A 回答 (4件)

実在論とは存在するさまざまなものに共通なものの存在を認める立場であり、唯名論は認めない立場です。

といってしまうと説明にまるでなっていないので、例を挙げていきます。

「赤」という性質は存在するでしょうか。赤い花、赤い車、赤い看板等々の個別のもの以外に、それらに共通する「赤」という色そのものが存在することを認めるかどうか。これがいちばん素朴な形の実在論です。こう問題提起をすると、個別のものを超えて赤そのものが存在する、とはあまり思えない。しかし私たちは日常的に存外実在論に組しています。たとえば「この車は赤い」という発言を見ましょう。このとき私たちは「この車」について赤いという性質をくっつけています。ここで言及されているのは車です。しかし、次を考えよ。「赤色が好きだ」。この発言で言及されているのはなんでしょうか。ここで「いや、私は今便宜的に赤色といったが、あの車とあの花とあの看板に共通の色の性質を指したのだ」という人はいますまい。普通の人ならば、「赤色ということで私はまさに赤そのものを指した」と答えるでしょう。個々のものを超えた共通の性質として赤という語を使っている。これは明らかに実在論よりの考え方です。
よりいっそう問題が明らかになるのは数学の領域です。唯名論の立場では、存在するものは個々のものだけですので、例えば数1を表現するためには、1個のりんご、1台の車、1枚の紙等々、観察された事実から共通する数を取り出してくるといった作業が必要になります。しかし数777,864の数に対応する観察可能な事実とはなんでしょうか。「日本国の盲人の数」という表現を理解するために実際に日本の盲人を、頭の中ででも一列に並べてみる必要があるでしょうか。数0に対応する経験とはなんでしょうか。1000粒の小麦は蒔かれてしまうと1000粒の小麦であることをやめるでしょうか。しかし1000粒の小麦も蒔かれた後でも数えなおすことはできます。数は時間と空間を越えて、出来事がいつ起ころうが共通に存在するといいたくなる。数は存在するといいたくなる。
質問者様の例で言えば、唯名論の解釈はそれで正しいと思います。実在論に関して言えば、一般的な人間がいるというのは強すぎます。個々の人間の特殊事例としての田中さんや鈴木さんに、人間という性質が帰属している、というくらいの意味合いです(専門的には、普遍がなんらかの実在性の根拠ををものの中に有するとなります)。

もちろん実在論にも弱みはあります。先ほど私は「赤が好きだ」という例文をとり、このとき赤という語で赤色という性質一般を指しているのではないか、といいました。しかしこの、語が意味を持つのはなんらかの対象を指すという素朴な意味の理論では扱えないものがあります。例えば丸い四角という矛盾した語が指すものとはいったいなんでしょうか。ペガサスは地球上に存在しませんが、それでもなんらかの想像上の生物を指す、といってよいのでしょうか。そうすると、存在するものが無限に肥大してしまわないでしょうか。
実在論の弱点は、個別のものを越えたものがあるとして、それらを私たちがどのように認識するかという点です。一般に存在論が肥大化すると認識論に負担をかけます(顕著な例がマイノングのウルトラ実在論、初期のラッセル、可能世界意味論等)。ですから普遍の問題は中世以降決定的な解決を見たわけではなく、現代まで強力な哲学的問題として受け継がれています。
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ぶしつけな、回答ではない文を書きます。



もう一つの可能性、「唯名論と実在論」といったものは、哲学を知らないものにはどうでもよい概念である、と言うのはありませんか。すなわち哲学上の問題としてある言葉なのだから、哲学を知らない人に語るべき言葉は無いと言うことです。哲学の専門家なら、原稿用紙で何枚分で書けと指定されたら、それに応じて、すらすら答えるべき初級の問いではあると思いますが。

質問者さんの「唯名論」理解ですが、言葉=ラベルと言うことですが、素人考えですが、魚屋で売っているからといってその商品はすべて「魚」である、とは言えませんね。まして「人間」などとなれば、そのラベルを貼るべき対象を「集合体」として捉えることは出来ますか。質問者さんの言われるようなパターンで、「唯名論とは、人間なるものは存在せず、存在するのはソクラテスとかプラトンなどの個々の人である、と言う論だ。」という言い方をする人が居ます。しかし、「ソクラテス」は人間でしょうか。中学校の何かの授業でそのような名前のギリシャ人がいたという話は聞かされました。でもそれは結局、伝聞に過ぎないでしょう。それはソクラテスという人間が居たという情報に過ぎない。すなわち、「人間」なるものが居るという前提の「論」です。「田中さんや鈴木さんの集合体」と言う表現が可能なのも、「田中」と名づけられた犬を除外し、「鈴木」と名づけられた猫を除外し、「人間」と呼ばれるもののみを「集合」させることによって成り立つのではないですか。すなわち「人間」というラベルは、人間にしか付けることが出来ない、となっていませんか。
 少なくとも、唯名「論」と言うためには、「人間」というラベルが如何なる対象に着けることが出来るのかを述べなければならないでしょう。それは同時に「人間」というラベルがどうして成立したかを教えるべきでしょう。
要するに、ラベルを付けるための規整、ラベル成立の機序を述べずに、「唯名論」が、「人間」と言うのは人間の集合につけたラベルにすぎない、と言う論であるなら、ほとんど、どうでもよい話であると思うのです。

「実在論」の方は、日常語としての「実在」と、哲学史上のそれとは厳密に区別するべきでしょう。そのためには、翻訳語の「実在」と原語のドイツ語・フランス語・英語・イタリア語の元となったラテン語の意味の変遷を辿る、など、それだけで頭が痛くなる。
日常語の「実在」で行きますと、神を実在すると主張する人々にあっても、「人間」なるものが実在すると主張する人は居ないでしょう。そんなものが「実在」すると主張すると、「イス」なるもの、「ソファー」なるもの、「籐イス」なるもの、等々、言葉の数だけ何とかなるものが「実在」すると言わなければならない。そうするとまだ名づけられていないものは実在しないのか、等、問題が噴出してしまいます。すなわち、普通名詞で呼ばれるものを「実在」すると主張する「論」が、「実在論」と呼ばれるものではないはずです。歴史上こういった話を論議するようになった初期には、そんな主張もあったかもしれませんけどね。古代ローマ帝国の辺境の野蛮人であったとはいえ、帝国衰退の後の中世のキリスト教の僧院でそんなレベルの低い論議がなされたのか、疑問でしょう。

要する、中世ヨーロッパの暗い僧院で論議された話など、専門家以外にとって頭が痛くなるだけの話ではないのか。薔薇論争のうち、通俗的に理解出来る範囲で楽しむのよいとして、哲学上の問題として考えない方が...。
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この回答へのお礼

レスありがとうございます。
しかし、私は専門的なことだから一般人は知る必要がないという意見には賛同できません。
一般人でも知ったところで実社会で何の役にも立たないことであっても知ろうとするのはむしろ推奨されるべき事だと考えています。

一般人が興味を抱いた場合、自らが専門家になって理解を深めるというのはひとつの手ですが、もうひとつ、専門家から平易な説明を受けるという手もあると思います。
私はこの件に関して、自ら専門家になってまで知りたいと思うほど知りたいわけではありません。しかし、まったく気にならないほど関心がないわけでもありません。ですので、平易に説明できる方からの回答をお願いしているわけです。

自分がその知識を自分のものとして身に付けていれば、例えば私が調べたwikipediaの記事のように専門用語を並べ立てなくても理解できるように説明できるはずです。
私はそういった見せ掛けでない真の専門家が説明してくださるのを気長に待ちます。

お礼日時:2009/04/11 14:28

神は実在、つまり実際あるのか、というのと、人間が心の中で勝手に創造して、名前をつけたものなのかというのではないでしょうか。


普遍というのはいわゆる、イデアというものであり、イデアはあるのか、つまりイスをイスたらしめている実在なるものはあるのか、それともイスはイスであるというのは、観察者が認めたから存在しているのかとか、目に映ったものをイスと認識しているが対象が実在している以上、観念は単なる名前にすぎないということであり、ようはイデアがあるのかないのか、それともあったとしても学問の対象とすべきでないのかどうかとかいうことではないかと。
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私は、このように理解しました。



唯名論は、個別具体的な存在を肯定する。しかし、それらの集合体としての概念は肯定しない。

実在論は、あらゆる事物・概念・観念には、プロトタイプ的イメージが存在することを肯定している。当然、個別具体例の存在は否定しない。
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