出産前後の痔にはご注意!

たしか日本(ヤマト?)は百済と同盟をむすんでいたはずですが、
則天武后(国号は周?)の軍と朝鮮半島で戦争したのでしょうか
よろしくお願いします。

A 回答 (2件)

則天武后は、病気がちな高宗に代わり垂簾政治を行った。

外交も積極的に行い、660年(顕慶5年)には新羅の要請を容れ百済討伐の軍を起こす。百済を滅ぼした後の、日本と百済の遺臣連合軍と唐・新羅連合軍の、朝鮮半島での白村江の戦い(中国の史書では白江之戦と表記される)にも勝利した。

※なお、則天武后が、聖神皇帝に即位し、国号を周としたのは690年。白村江の戦い の時は、まだ唐である。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。戦い当時、国号はまだ、唐だったのですね。

お礼日時:2009/04/14 08:26

663年の白村江の戦いで唐、新羅連合軍と闘い敗れています。

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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。唐、新羅連合軍との戦いとのこと、戦争したんですね・・。遣唐使が気になります。

お礼日時:2009/04/14 08:24

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Aベストアンサー

俗に「ゆかり発言」といわれるものですね。宮内庁ホームページに公開されています。

平成13年12月18日 天皇陛下の記者会見での宮内記者会代表質問

問3
世界的なイベントであるサッカーのワールドカップが来年,日本と韓国の共同開催で行われます。開催が近づくにつれ,両国の市民レベルの交流も活発化していますが,歴史的,地理的にも近い国である韓国に対し,陛下が持っておられる関心,思いなどをお聞かせください。

天皇陛下
私自身としては,桓武天皇の生母が百済の武寧王の子孫であると,続日本紀に記されていることに,韓国とのゆかりを感じています。

http://www.kunaicho.go.jp/okotoba/01/kaiken/kaiken-h13e.html


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Q天皇家・藤原氏・蘇我氏の出自について

私はよくインターネット等で天智天皇は百済の王子の翹岐王だったとか
蘇我氏は名前が渡来系っぽいから百済人や藤原鎌足は豊璋だとか言っている人を見ます
そこで疑問があります。

まず、いくら王子だからとはいえ日本の属国であった百済の人間が
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頑張ったとしても、朝献をする国の外国人が日本のトップである天皇や
その側近に成れるものなんでしょうか?
名前を隠して入れ替わろうにも周りも馬鹿じゃないんだからバレて入れ替われないでしょうし
普通は周りの人間が大反対してそんな地位にはなれないんじゃないでしょうか?

倭が391年以来、海を越えて襲来し、百済や新羅を破って服属させてしまった。 (広開土王碑)
新羅百済は倭を大国と崇めた (隋書81巻東夷倭国)
新羅の4代目国王の昔脱解は日本人 (三国史記 新羅本記)
百済の王が王子を人質として倭国に送る (三国史記 百済本紀)
新羅は倭国に奈勿王の子未斯欣王子を人質に送る。 (三国史記 新羅本紀)

Aベストアンサー

『日本後紀』延暦二十三年四月二十七日条の和朝臣家麻呂薨伝に、「蕃人入相府、自此始焉」(渡来系の人として公卿になったのは、家麻呂が最初である)とあります。
桓武天皇の母方のコネで、渡来系氏族からようやく中納言や大納言に昇ることができたわけです。

ましてや律令制以前の世襲的に職掌の継承が行われる時代であれば、渡来人は差別を受けて、高官に昇ることはほぼ無理です。マエツキミ(のちの参議にあたる議政官)クラスでも、秦河勝ら数例しかありません。彼らは、基本的には技術官僚として貴族層に搾取される側の人間でした。
外国人が天皇に成り代わるなんてのは不可能です。

インターネットでそういったトンデモ説をご覧になり、疑問を持たれたとのことですが、みんなが皆、疑いを持つとはかぎりません。高校の日本史ですらまともに勉強してこなかった人や、おもしろければなんでもいい人、思想的に偏っている人など、さまざまな人たちがいます。

そういった、インターネットで見かけただけで、あっさり洗脳されてしまいそうな人もいるのですから、教えて!gooのようにネット検索の上位にヒットする場でこのような質問をされるのは控えていただけないでしょうか。
知らずに一生を終えるであろう人にまで興味を持たれて、トンデモ説が広まってしまいます。
無視が一番です。

『日本後紀』延暦二十三年四月二十七日条の和朝臣家麻呂薨伝に、「蕃人入相府、自此始焉」(渡来系の人として公卿になったのは、家麻呂が最初である)とあります。
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ましてや律令制以前の世襲的に職掌の継承が行われる時代であれば、渡来人は差別を受けて、高官に昇ることはほぼ無理です。マエツキミ(のちの参議にあたる議政官)クラスでも、秦河勝ら数例しかありません。彼らは、基本的には技術官僚として貴族層に搾...続きを読む


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