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『天皇独白録』(文春文庫)では(「西園寺公望と政局」)からの引用で
>昭和13年7月11日豆満江北岸の張鼓峰での日ソ両軍衝突の際、天皇は明確な統帥命令を下している。
「元来陸軍のやり方はけしからん。満州事変の柳条溝の場合といい、今回の最初の盧溝橋のやり方といい、中央の命令には全く服しないで、ただ出先の独断で、朕の軍隊としてあるまじき卑劣な方法を用いるようなこともしばしばある。まことにけしからん話であると思う。このたびはそんなようなことがあってはならんが・・・今後は朕の命令なくして一兵でも動かすことはならん」
 と書かれてあります。それのも関わらず、翌年満蒙国境で関東軍はノモンハン事件を半ば意図的に起こし、大敗を喫し、それを国民にはひたかくしに隠し、かつ上記の本でも天皇に正確な戦況報告を入れたとも思えません。
 司馬遼太郎氏もノモンハン事件が昭和の転換点と考えていますが、正直に大敗したことを国民に報道していたら、国民は開戦にOKを出したでしょうか?
 国民は情報操作で戦争やむなしと思ったようですが、戦前、戦中を通して嘘で固められたら国民は戦争責任のとりようがないように思っています。大日本憲法では国民主権が保証されていない以上、国民にも責任があるとは法的にも考えられません。国民に責任を押し付けるのは、やはり軍部の責任を軽減しようとする卑怯な考え方と思います。

A 回答 (12件中1~10件)

まず、日本人ならアメリカの言う「太平洋戦争」では無く、閣議決定された「大東亜戦争」と言いましょう。



私はこの戦争の全責任は「昭和天皇」にあると思っています。
日米開戦に物凄く興味を持っていたそうですから。

国民には責任はありません。
国民に責任を言うのであれば、戦争ばかりしていたヨーロッパ各国の国民はどうするのでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。国民に責任はないですね。
 日中戦争は始まっており、ハワイ真珠湾の戦いのはじめはアメリカに対してでした。戦争の動きもガダルカナル、ミッドウェー、硫黄島など
大東亜戦争は日本の思い込み、宣伝用のキャッチフレーズです。
 ロシア出兵したこともあり、ノモンハンで負けていなければロシアを攻め込みたかった関東軍の意図を考えれば余計に大東亜を目指すなどは見栄を張った嘘くさいネーミングです。
 開戦に興味をもっていたから責任がある?陸軍の統帥権を無視した態度に遺憾の意を表し続けた天皇に実質的責任を負わせるのは反対です。

お礼日時:2009/04/16 08:43

法的に言えば、国民に責任はありません。


それは、あの中国ですら認めています。
戦争は軍部の暴走によるものである。中国人民も、日本人民も同じ被害者というものです。
ただ、江沢民は、わざとをそれを伏せて、反日をあおったのです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 それにしても広田弘毅も責任をとらされたのはかわいそうでした。
江沢民の反日政策は国民の目を内から外に反らせる、国内問題なのですね。

お礼日時:2009/04/16 08:49

難しい問題ですね。


強制的なものがあるからそこに巻き込まれる人間はなにも責任がないと言えるのかどうかという質問に換えてもいいでしょうね。
戦争が始まり、情報も限られている中で、また、是非を言う権利がないのだから、その時点では責任がないでしょうね。

だが、戦争に巻き込まれる中で、何をしてきたかは検証すべきでしょうね。殺戮や強姦が戦争を理由に行われた時に、責任はなにもないと言えるのかどうか、

もっと単純に、会社でいじめがあった時に自分はそこに加わらずに冷静に判断し、それを止めさせることができるのか?派遣切りが行われるときに、それはおかしいだろうと言えるかどうか?

戦争中よりも自由な現代で、正当な権利を主張できるかどうか?
何でもない一人一人が自分の考えを持ち、主張できるかどうか?
戦争責任の問題は昔の問題ではないように思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 城山三郎『男子の本懐』(新潮文庫)をみると軍人以外の政治家は過剰な軍事費の出費に苦しみ、だれも戦争を好んでいません。
 軍部という猫にどうして鈴をつけようかといろいろ対策をねった政治家はテロに倒れて行きます。
 軍部+メディアに煽られて、次第に戦争へのめりこんで行くのです。

お礼日時:2009/04/16 08:56

質問者の方に一つのエピソードを紹介したいと思います。



東條英機が首相になった際、昭和天皇が彼に願っていたのは、陸軍の強硬派を抑えて、アメリカとの戦争を回避することでした。

天皇の意を受けた東條は開戦を回避すべく動いたのですが、当時の世論は開戦に向かって傾いており、和平を目指した東條は国民から弱腰だと非難されたのです。

『日本の戦争』(著者:田原総一郎)から引用。
<引用開始>
わたしはかつて東条(原文ママ)の用賀の家で、東条の娘光枝を取材したことがある。畳の部屋で行李一杯の手紙やはがきを見せられた。日本国中から寄せられた一般の国民からの郵便物だった。内容は二つに大別された。「米英撃滅」「鬼畜米英を倒せ」「猶予は亡国、即時立て」といった戦争を強く促す内容と、「何をぐずぐずしておる」「弱虫東条」「いくじなしはヤメロ」といった「ぐずぐずしている」東条批判である。東条が首相になってから開戦までの50日あまりに3000通以上来たということだ。
<引用終了>

昨年末に、ビートたけしが東條英機を演じたドラマを見た方も多いと思います。
どうもあれが、史実に近かったようです。

日本はヒトラーのドイツやスターリンのソ連と違い、開戦当時も議会制民主主義の国でした。
2.26事件以降、軍部の政治への介入が強まった結果、議会政治がきちんと機能しなくなったのですが、国民に責任がまったくないとは、とても言えないのです。

今もそういう雰囲気が一部にありますが、国民がマスメディアに煽られると、冷静かつ理論的な考えから逸脱する傾向にあります。
戦前の日本を開戦へと追いやった最後の一押しは、間違いなく世論の圧力でした。
そして、部数拡大のために開戦を煽った新聞各社、その新聞を盲信した当時の日本人すべてに責任があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 議会制民主主義が戦前まであったとのことですが、陸海軍が統帥権干犯の旗を振ったため、政治家が押さえ込まれてしまったんです。
 広田弘毅の後の林銑十郎内閣以降は露骨になっていきます。貧乏な日本にとっては過重な軍事費を国民は望んでいなかったとおもいます。

>戦前の日本を開戦へと追いやった最後の一押しは、間違いなく世論の圧力でした。
 もし、ノモンハン事件での大敗が国民に知らせたら、国民は開戦に同意しなかったのではないかと考えているのです。情報操作という近代戦争独特の手法が登場し、一元化され、操作された情報で責任を負えるかというのが論点です。

 「天皇独白録」(文春文庫)では
>戦時中国民を鼓舞激励するために詔書を出していただきたいといふことを、東条内閣の末期、小磯、鈴木と引き続き各内閣から要望があった。
が、出すとなると、速やかに平和に還れとも云われぬからどうしても、戦争を謳歌し、侵略に賛成する言葉しか使えない、そうなると皇室の伝統に反する事になるから断り続けた。
 この際私が17年12月10日伊勢神宮に参拝した時の気持ちを云って置きたい、あのときの告文を見ればわかるが、勝利を祈るよりも寧ろ速やかに平和の来る日を様にお祈りした次第である。
 
それをみても戦意高揚を煽っていたのは軍部で、国民は耐乏生活に疲労困憊していたことが窺える。

 

お礼日時:2009/04/16 09:31

ちょっと待ってくれ。

当時すでに普通選挙が実現していたのを忘れてもらっちゃ困る。国会が東條内閣に対し、「国民の総意」として全会一致で開戦を要求する決議案を叩きつけたのを質問者はご存じだろうか。議会の議員を選んだのは国民である。チャーチルはこう云ってるぞ、「戦争責任?そんなもの、戦争に予算をつけたやつにあるに決まってる」
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この回答へのお礼

>チャーチルはこう云ってるぞ、「戦争責任?そんなもの、戦争に予算をつけたやつにあるに決まってる」

 正直に情報を国民に流したく国では生きている科白です。ノモンハン事件の顛末をひたすら隠した経緯をみれば、陸軍が心配したのは戦意が下降することであったのです。戦時中国民の戦意を高揚させ、維持するためうその情報を流し続けたのです。陸軍の佐藤賢了などは国会で、軍部を批判するような演説があると「統帥権干犯!」と叫んだそうです。
その一方で、批判的政治家に対してはテロを含めた恐喝をしているんです。中野の反軍演説などありましたが、結局辞職に追い込まれ、残ったのは大政翼賛会でした。
 保坂正康『大本営発表という権力』(講談社文庫)
>私の見るところ、近代日本で昭和8年ごろから十五年ごろまでの“日本社会という空間”は正常な感覚を失った病的空間になっていたと思う。それが太平洋戦争を肯定する国民的心理に転化していったと断言していいであろう。国民をこのような酩酊状態に似た、つまり正常な感覚を失った状態にするには、四つの条件で縛り上げれば苦もない。
 その四つの条件とは、「教育の国家統制」「情報の一元化」「弾圧立法の適用」「暴力装置の発動」である。

お礼日時:2009/04/16 10:06

大日本(帝国)憲法では「天皇ハ神聖ニシテ犯スベカラズ」とあります。


人ではなくて神なのです。そして、「犯スベカラズ」なので、責任もとらせることができません。
開戦しましょう、と多数決で閣議決定をもちこんだ内閣、つまり「天皇を輔弼(ほひつ)する臣下」に責任があります。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 天皇を「玉」としてしか位置づけなかった関東軍は一番の責任があります。天皇の気持ちなど「どこ吹く風」でした。

お礼日時:2009/04/16 10:12

>国民は開戦にOKを出したでしょうか?


国民主権が保障されていないなら、NOも出せないでしょうね。

>国民に責任を押し付けるのは
いいえ。全部大本営と軍部に押し付けているだけですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 >いいえ。全部大本営と軍部に押し付けているだけですよ。
回答者の皮肉も感じられますが、そのまま受け取っておきます。
 「統帥権干犯」というアイディアを考案して、国事を壟断した罪は万死に値すると考えます。

お礼日時:2009/04/16 10:26

 「戦争責任」などという、曖昧模糊とした一体何なのか分からない、そもそもそんな概念が必要なのかどうかすら分からないものに、「国民」というこれまた抽象的な概念を組み合わせたら、はっきり言って殆ど言葉遊びの世界になるのではないでしょうか。

「軍部」ですら大ざっぱ過ぎると思います。議論の実益があるのは「天皇」だけではないかと。
 と、回答にもなってませんしこんなこと恐らく承知の上でのご質問だと思いますが。
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この回答へのお礼

沢山の国民が死んだことにどう「落とし前」をつけるのかといえば、戦争責任の言葉しかないでしょう。
言葉の遊びといっておられるのは、「戦争を知らない子供たち」になっておられるからだと思います。
 やはり「賢者は歴史に学ぶ。愚者は経験に学ぶ」を念頭におきたいものです。
「天皇独白録」などみると、現人神である天皇も情けない存在でしたね。

お礼日時:2009/04/16 10:19

ノモンハン事件ですが、これはソ連崩壊によって東側資料が公開され、多くのことがわかっています。



まずこれはどちらかがが一方的に仕掛けたものではありません。
系争地での遭遇戦闘がどんどん拡大していったものです。
軍として、撤退命令が中央からでない限り、領土保全のため戦うのは当たり前のことです。
そしてこれまで日本の大敗と思われていましたが、ソ連にとっても辛勝もいいところ、倍程度の戦力を繰り出しておきながら日本の倍近い損害を出しています。やられてもやられても次から次へと戦力をつぎ込むというソ連お得意の戦いでかろうじて勝ったに過ぎません。しかもそれで得たのはただの草原と砂漠です。
そしてこの戦争で軍部現場の問題と考えられるものは、許可無く相手の領土まで踏み込んで航空攻撃をしたことだけです。これも中央の指令で中止されています。

大本営発表のようなことが行われたのは事実ですが、軍の独断専行の例としては不適切です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。新しい資料の内容は知りませんが、司馬遼太郎対話選集6「戦争と国土」(文春文庫)で1990年ノモンハン事件を日本とソビエトの両資料をもとに調査研究してしたアルヴィン・D・クックスとの対談では、クックスは >ノモンハン事件のときのタンク(八九式中戦車)はジャンク、がらくただった。>日本は要するに肉弾攻撃。肉弾攻撃は安いからだったのでしょうか。
とのべ、司馬は>このノモンハンでもわかるように、日本軍がひどい条件下でなんとか持ちこたえたのは上等兵以下の力でしょう。威張っている偉い人は全部だめ。参謀肩章を釣った辻政信たちなど、全部だめでしょう。ノモンハンの状況では、普通の国の軍隊なら、ほとんど一日で崩壊しています。70%以上の死傷者を出しながらなんとか形をつけていったのは、小学生しか学歴のない兵士や下士官でした。
 と述べています
上記の「天皇独白録」の天皇の意向は無視されてもよかったのですか?
統帥権をあげる以上、天皇の意向を尊重すべきでした。
 天皇自身もノモンハンは明瞭でない国境線が原因であると認識され
>この事件に鑑み、その後命令を変更して国境の不明確なる地方および僻遠の地方の国境は厳守するに及ばずという事にした。
 とのことです。ただし、このときの日本側の被害が甚大であったことを報告されていたのかどうかは明記されていません。なお、天皇の分析した敗戦の原因は、以下のごとくで、正解と思います。やはり、陸軍の首脳部はいけなかったということです。
1)平方の研究が不十分であったこと。即孫子の、敵を知り、己を知らなば、百戦危うからずという根本原理を体得していなかったこと。2)余りに精神に重きを置き過ぎて科学の力を軽視した事。3)陸海軍の不一致。4)常識ある首脳者の存在しなかった事。
確かに日本兵が火炎瓶ーサイダービンに詰めたガソリンなど兵士が勝手に工夫した武器で被害を与えたのは事実ですが、あまりの被害の大きさに指揮官の更迭、責任をとっての自殺がありました。
 質問者の資料ではソ連の辛勝であったとしても、日本側の甚大な被害を国民に伝えなかったことは事実です。
 関東軍を抑制しようとした永田軍務司令官は、陸軍省内で白昼、皇軍派の将校に暗殺されています。中央の命令でとまるような戦争であったら「大東亜戦争」に発展しなかったでしょう。

お礼日時:2009/04/16 11:45

 歴史の責任ですから、不可抗力の責任ではありませんか。


 一定の思想などから、戦争に反対して方々もおりましたが、その特別な切断面での判断だったと存じます。
 まだinterコミュニズム思想と運動という事からの判断もありましたでしょう。

  今次、大東亜戦争はゲルマン移動や十字軍、そして大航海に引き続く西欧の東洋とアメリカ大陸の領土拡張と、食い物化に原因があり、その防衛の一環がわが国の政治の役目でありました。

 近隣の諸国も西欧の食い物にされないような状況であれば、わが国が西欧の侵攻に敢えて不安を持つことも無かった。
 そういう中でなお、一般国民として反省することを強いてあげれば、以下のとおりと存じます。

 しかし当時、このことを要求することは難しかろうし、具体的な方法や行動が考えられるとは思えません。
 西欧とその連合であるに過ぎない国際思潮はこのための行動や判断をとることを許すものではなかった。

  1)対外圧力に影響されて、対抗する思潮に乗っていったこと。
  2)ジャーナリズムの論調と報道に批判をする能力と情報、そしてそういう傾向を持ち得なかったこと。
  3)自国の存立を過大に偉大なこととした。そういう思潮への客観的視点を保持できなかったこと。

 以上のことが責任と存じます。
 戦争責任は欧米とその指導者の側のものと存じます。
 欧米からの歴史観では太平洋せんそうと呼称し、私もそういう教育をされてきました。
 西欧的民主主義とともに正しいとされてきましたが、このことこそ、あらためて振り返る必要のあることと存じます。
 軍国主義や、昔の天皇制の中の政治を懐古し、復古を願うものでは決して無いが。 
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
 敗戦で得た国民主権の民主主義であり、有り余るくらいの情報が得られるのに段々低下する選挙の投票率をみると、まだ民主主義の面倒くさいけど大切な一票の重みを理解していないのですね。
 こんど大事件があったら国民の責任は問われることでしょう。

お礼日時:2009/04/16 11:55

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