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思えば、ずっと「ないもの」を求め続けている自分がいます。
どうしても現状に満足することができないようなのです。

ずっとずっと欲しかった物を手に入れたはずなのに、今度はその上の物が欲しくなっている…。
「ないもの」を欲しがっているだけだということは気付いています。
でも、その「ないもの」のせいで不完全だと思えてしょうがない…。
きっと次の「ないもの」を手に入れると、更に次の「ないもの」が欲しくなるに違いないのですが…。

この枯渇感は一体何なのでしょうか?
どうしたらいいのでしょうか?

自分では、人間関係に於いて手に入れ損ねたものがネックにあるとも思います。
人間関係には、いくら努力してもどうにもならない相手の感情というものがありますよね。
それを「モノ」で埋めようとしているのかも知れません。

あとは、自分の人生の不完全感と言うのでしょうか…。
自己実現をできなかった自分。
社会的にも、人間関係に於いても、自己実現できなかった敗北感。

でも…考えてみると、人間関係の充足によって枯渇感を埋めたいだけなのかも知れません。
それを「逃げ」と言うのかも知れないですね。
結局、モノも社会的実現も人間関係も、それらを求めるのは全て言い訳に過ぎない
逃げなのかも知れません…。

自分を振り返ると、見るからに「自分が見えてない」人間と言うほかないですね。
こんな私に何かアドバイスをお願いします。

gooドクター

A 回答 (6件)

どの程度の枯渇感なのかわかりませんが、友人に、安定した環境になればなるほど不満がつのり、妙な行動を起こして自分の生活を引っ掻き回す人がいます。


多少満たされない生活のほうが、充実して暮らせる人なのです。
だから、私から見ると、彼女が幸せな雰囲気になってくると同時に不安がよぎります。

そういった人の場合、たいていが、親との関係に原因があるように思えます。
人間は妻や親である前に「息子」や「娘」であることに安定するべきであって、それが安定していないと、物や環境に満足できない傾向にあるような気がするのです。
「自分がもともと巣立った場所」「帰る場所」(これは物理的な「実家」とかではないですよ)が無い、ということは、本人が思っている以上に空しく、不安定な状況なのでしょう。
子どもとして、親に対峙する時間を持つのも重要なことと言えます。

全然違ったらごめんなさい。
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この回答へのお礼

凄く的を得ていて、当たっていると思います。自分でも驚くほど…。
私もその御友人と似たようなところがあります。
何か目標を追い掛けている方が安定するのかも知れません。
満たされていると、足りないものを無理やり探そうとして…。

それに、私にも親との確執みたいなものが確かにあります。
それが自分の中の不安定さを招いているのも何となく分かります。
親という存在から切り離されてると、安定するところがないんですね…。

なんだか根元的なものが見えてきたような気がします。
この部分から、これからの方法を見つけていけるかも知れません。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/04 18:35

たしか、


真に社会を見る者は狂う。
とか、
誰だか言ってましたけど、
真に自分を見つめる者も同じ事が言えるかな?
もっと積極的に”逃げて”いいのではありませんか?

詳しくは主演フランキー堺の”幕末太陽傳”という昔の邦画をみてみてください。
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この回答へのお礼

なるほど、と思いました。確かにそのとおりだと思います。
積極的に逃げることも時に必要なんですね。
映画の方も参考にしてみたいと思います。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/04 18:38

相当の人があなたと同じじゃないでしょうかね、何に逃げるかは人それぞれだけど(私はお菓子、当然体脂肪率が高いです^^;)。

ここまで突き詰めて自分を見つめられるならもう一息ですよ。

私の好きな言葉に「いい加減」っていうのがあります。
「いい加減な人」って否定的な感じ方が主流ですが、曽根綾子さんは「君のいい加減なところが好きだ。」とご主人から言われてるそうです。「お風呂の加減はいかが?」「いい加減だよ!」って言うあのいい加減のほうです。

つまり物事は取りようなんですよ。
たぶんyoccieさんは高い希望を持って人生に望まれたのでしょう。それが実現できない自分に自信がもてないのでしょうが、でも生活にはご不自由なさっていないのでしょう?人間関係に於いて手に入れ損ねたものがある、でもその代償になにかを入手する力もあるのでしょう?
ならば少なくともリストラにあい、明日の生計にも苦慮する人達よりずっと幸せなんですよ。

なんでも入手できた恵まれた人なんて、少なくとも私の周りには一人もいません。
でも、ちょっと見方を変えれば、今ある状態の中で幸せなことは山のようにあります。
たとえば、晴れた夜寒さに震えながら帰宅しているときにふと見上げたら空には三日月がぽっかり「きれい!今夜はラッキー!!」馬鹿みたいと思うでしょう?でも、そう感じられる心が持てたら幸せじゃないですか?私はそんな時本気で幸せを感じます。「あぁ~平和な国に生まれ育ってよかったなぁ、お月様まで応援してくれてる。」って。晴れた夜は寒いけど、だから月がくっきり見えるんです。

ささやかな幸せ探しを意識してやっている内に、少しずつ心が広くなって現状への不満も肯定的に捉えられるようになってきます。ダメなことばかり考えていたら本当にダメな人間になってしまいます。不満ばかり抱えてる人は魅力的ではないもの。

私の好きな言葉に「時間薬」ってのもあります。
yoccieさんへの処方箋は、ささやかな幸せに目を向けること。
そして焦らないで、心の病気を時間が解決してくれるのを待つことです。
初めに求めていたものとは形は変わっても、かならずyoccieさんを満足させてくれる大きな幸せにも巡り会えるようになりますよ。
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この回答へのお礼

私の母にも同じようなことを言われたことがあります。
「いい加減」にしたらいいって。これは、根を詰めなくてもいいっていう「いい加減」も含めて。

苦労した時期を考えたら、今はすごく恵まれて、幸せであることはよく分かっていると思うのです。
でも、今の自分はぬるま湯に浸かりすぎて、幸せに対する感覚が鈍っているんですよね…。

幸せなはずなのに、ダメなことばかり考えてるからダメなんですよね。
足りないモノばかり考えて、足りてるモノに対する考えが及ばなくなっていますよね。
向上心なんかを掲げて、魅力的でありたいと思うくせに、
ついつい不満にばかり目を向けてつまらない人間になってしまってますね…。
いつも足元にある大事なことを見過ごしてしまってました。

「時間薬」って即効性がないから焦るんですよね…。(苦笑)
私もいつも時間の流れを待つしかないのだと分かっていても、どうしても今すぐ答えを求めてしまって…。
無理やり前に進もうとするより、今を生きなければいけませんよね。
ゆっくり時間を待てるようにしたいと思いました。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/04 18:06

yoccieさんの質問を読んで、とても共感しました。



私の場合、モノへの欲求というのはないのですが、いつもふがいない自分の存在を感じ続けています。と書くとなんだか大げさですが、3ヶ月に1度くらいの割合で、「なにかしなきゃダメ!」という焦燥感にかられます。

OL時代はものすごく忙しくて、毎日覚える&考えることに追われていたので(プログラマSEをしていたので、とにかく頭を使ってたのです)あまり感じなかったのですが、結婚して自分の時間が持てるようになると、いつもいつも、なにかしなきゃと思ってしまうんです。

OL時代、やりたくてもなかなかできなかった勉強を始めたのですが、上を見るとすごい人がいるので、なかなか満足できないんですよ。がんばってがんばってがんばって、上を見るともっとすごい人がいる。これは自分のがんばりが足りないんだと思ってしまうんです。

そんな風に悩みながら、日々を暮らしています。

yoccieさんはおいくつでしょうか。私は30を過ぎてから、周りのことや自分のことがよく見えてきて、いっそう悩みが深まりました(笑) これを人に話すと、「成長したんだよ」と言われます。今では、不惑の年になったら悩まなくなるかな~と思うようにしています。

たいしたアドバイスになっていませんが、他にも悩んでいる者がいるということをお伝えしたくて、投稿させていただきました。
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この回答へのお礼

そう、「焦燥感」なんですよね。
不意に「何かしなきゃ」という思いに駆られることが今までもありました。
だから忙しくて時間に追われた生活をしていたら、それを感じずに済むのではないかという憧れさえあります。
結局、自分と時間を持て余しているのでしょうね…。
今はその焦燥感が欲しかったモノを手に入れたことで安泰するかと思えば、
上を見たら上がある…というように、まだダメだ、もっと上を手に入れなければ
という焦燥感に取って代わってしまって…。
今の自分に劣等感さえ感じて、また変えようとしてみたり…。
でも、突き詰めると、誰でもが同じような思いをして、悩みながら生きているんですよね。
私は20代後半に差しかかったので、余計、色んな焦りが出てくる歳なんだと思いますよ。

共感していただける方がいて、ちょっとホッとしました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/04 17:50

ここまで自己分析されたご質問を立ち上げておられるのですから,「自分が見えていない」人間であるはずはないですヨ。


十分に反省すべきところは反省し,冷静に突き放してご自分を観察されておられるように見受けます。

「モノ」で埋め合わせする。
これは一つの欲求の転換という形式であり,不自然なことではありません。
買い物依存症のように病的なものになっていない限り,不満・不平・欲求の転換先として確保されておいてもよいと思います。
モノを得ようとするという行動まで封印してしまうと,発散の場はなくなってしまうでしょう。
別の発散の場が見つかるまでは現状維持でよいのではないかと思います。

自己実現ができなかった敗北感という表現をされていますが,短い質問文では書ききれない物語があることと思います。
でも,この世の中に自分の夢を完全に実現させ,人間関係においても完璧な人ってどれくらいいるのでしょうか?
ある程度のレベルで妥協せざるを得ないというのが大多数なのではないかと思います。

きっとyoccieさんは,かなりの完璧主義者なのかもしれませんネ。
自己啓発などは,あまりお勧めしません。
知っている人でセミナーに参加し,人格が変わってしまい,最終的にどこかに消え去った(本当に行方知れずなんです)のがいますので,よい印象は持っていません。

もし,抵抗がないのであれば,カウンセリングを受けられてもよいでしょう。
別に治療ということではなく,さらに自分の過去から現在に至る全てを総括するために。
以上kawakawaでした
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この回答へのお礼

なるほど、発散の場としては必要なんですね。
どうしても欲求というのは負のイメージで否定すべきものだと考えてしまいますが。

確かに、ありもしない完璧を求めているんだと思います。
心に開いた穴を埋めるにはそれしかないような気がしているんだと思うのです。

結局、自分の中で消化しきれない部分があるのだと思いますね。
それは誰かに聞いてもらうことで少しは変わっていくのかも知れません。
過去から現在に至るまで、本当のことを話せずに苦しんだのも確かですし。
誰かに聞いてもらうことって大事ですよね。
今の私に本当に必要なのはそれかも知れないと思います。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/04 17:36

向上心のある方なんですね


自分に何が欠けているのかを一所懸命に
考えておられるなんて・・

私などは専業主婦でほとんどウチに独りでいますし
うまく人と付き合えるタイプでもないですし
社会的にも人間関係的にもダメダメですね
自己実現という言葉から一番遠いところにいると自慢できます

でもどんな自分でも自分であることに
代わりはないですよね
ご両親や恋人や友人・・数は少なくともあなたを
大切に思ってくれる人はいるでしょう?
その人たちには今のあなたがあなたなんだと思いますよ

そもそも完全な自分ってどんな自分ですか?
例えば考え付く限り完璧な誰かと一緒にいて楽しいと思います?
笑いがなさそうだしリラックスできそうにないし
面白くなさそうだと思うのですが?

何だか馬鹿みたいなことばっかり書いてしまいました
決して茶化したりしているわけではないのです

最近は自己実現が流行っているようですが
私は皆が皆ダイヤやルビーになるまで
自分磨きをしなくてもいいと思うんです
宝石が普通にゴロゴロしてたら
かえって石ころが珍しいかもしれないでしょう?
それにきれいな石も磨きすぎると小さくなってしまいますよね
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この回答へのお礼

多分、向上心や目標がないと生きていけないタイプなんだと思います。
でも、現実の自分は大義名分を掲げて逃げているだけなんです。
周りの人にも私のそういう姿は見え見えで、きっとハラハラしながら半ば呆れて見ているんだと思うんですよね。
きっと劣等感が私を完璧になろうとして駆り立てるのでしょうけど…。
つまり、完璧そうに見える人たちに対する意地なのかも知れないですね。
そういう形でしか自分を保持できないのかも…。
きっと石ころである自分がイヤでたまらないだけなんですね。
宝石の中で見劣りする自分であることがイヤで…。
自分に自信がなくて、踊らされてるだけですよね。
これじゃあ本当に磨きすぎて小さくなってしまいそうですね。
もう少し楽に考えたいと思いました。回答ありがとうございました。

お礼日時:2003/03/04 17:15

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