60年近く前に四大文明を教わりました。
最近の考古学の進歩から見て、今、四大文明を選んでもやはり60年前と変わらないでしょうか。
5大文明や六大文明とする方が適切でしょうか。
黄河・長江文明は、都市の規模や建造物の大きさの面で他の文明と比べると少し見劣りがするように思うのでこんな質問をしました。
素人がふと思った疑問ですから、文明の定義や王権の定義をどうするのかといった、難しい話は避けて回答をお願いします。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

」に関するQ&A: 大腸炎かと不安すぎます

A 回答 (3件)

特に変化なしでいいと思います。


というのもまだ発掘物が4大文明に比べて少なすぎるのが現状です。

アフリカから発生した人類が最後に到達したとされるのが南アメリカです。
現在確認されているインカ文明などは鎌倉時代くらいのものです。
そこで紀元前数千年の時点での古代文明は形成できないだろうと思われていましたが、
南アメリカからBC2500年ぐらい昔の遺跡が見つかって物議をよんでいます。

黄河は小さいと言われていますが、神農氏の伝説はそれを補ってもあまりあるものです。
気の経絡とか現在科学でも十分解明できていない文明が誕生したのは奇跡といってもいいです。
その後の中国文明の発展やルネサンスの3大発明といわれた羅針盤、火薬、活版印刷が
全て中国から出た点を考慮しても四大文明の一角に相応しいと思われます。

文明は大きな川の側にできるものですから、今後はミシシッピやアマゾン、
そしてナイル側中流でも文化圏の発見が期待されています。
いずれも発掘調査待ちでまだまだ時間がかかりそうです。

現在、私が注目しているのはハザール汗国です。
8世紀頃なので古代文明というわけではありませんが、世界史でも重要視されていない国です。
ところが最近になってハザールがイスラム勢力の防御壁になっていたと研究されています。

もし、ハザールが滅ぼされていたら東欧はイスラム勢力に落ち、
そこからゲルマン民族がたどったコースで現在の北欧からフランス、英国を攻め、
現在のキリスト教圏はガラッと様変わりしていただろうと言われています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。
文明を建造物の大きさで比較するという発想自体がナンセンスでした。
「神農氏の伝説はそれを補ってもあまりあるものです」とのご回答に納得しました。

お礼日時:2009/04/23 10:52

wikiを見たとのことですが、そこには四大文明は古い歴史観で


文明の数は現在では定説が無いとなっております。
wikiの世界四大文明の項では、「四大文明という概念自体が知識が乏しかった過去のものといえる」となっています。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

そうですね。
先にWikiを読んでおけば違った角度から質問できたと思うのですが、後から読んで、四大文明が清末民初の中国人が唱えた説と知ってびっくりした次第です。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2009/04/29 08:56

規模ではなく文明の古さが問題ですね


人類学の面から見てもアメリカ大陸はかなり新しいようですね
アフリカの熱帯雨林では食料生産の必要が無かったので文明はそれほど発達しなかったでしょう
食料の生産性は高いが季節による変動が大きい場所、現在主流となっている4大文明が妥当ではないでしょうか
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
質問してから調べて、知ったことですが、Wikiによれば四大文明の考えは百年も前に中国(清)で発表されていました。
日本の学校教育の「歴史」という科目は、西洋の歴史学を基本にしているという先入観があったので驚いています。
やはり四大文明でよさそうですね。

お礼日時:2009/04/27 13:44

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q古代世界の四大文明を今、選ぶと。

60年近く前に四大文明を教わりました。
最近の考古学の進歩から見て、今、四大文明を選んでもやはり60年前と変わらないでしょうか。
5大文明や六大文明とする方が適切でしょうか。
黄河・長江文明は、都市の規模や建造物の大きさの面で他の文明と比べると少し見劣りがするように思うのでこんな質問をしました。
素人がふと思った疑問ですから、文明の定義や王権の定義をどうするのかといった、難しい話は避けて回答をお願いします。

Aベストアンサー

特に変化なしでいいと思います。
というのもまだ発掘物が4大文明に比べて少なすぎるのが現状です。

アフリカから発生した人類が最後に到達したとされるのが南アメリカです。
現在確認されているインカ文明などは鎌倉時代くらいのものです。
そこで紀元前数千年の時点での古代文明は形成できないだろうと思われていましたが、
南アメリカからBC2500年ぐらい昔の遺跡が見つかって物議をよんでいます。

黄河は小さいと言われていますが、神農氏の伝説はそれを補ってもあまりあるものです。
気の経絡とか現在科学でも十分解明できていない文明が誕生したのは奇跡といってもいいです。
その後の中国文明の発展やルネサンスの3大発明といわれた羅針盤、火薬、活版印刷が
全て中国から出た点を考慮しても四大文明の一角に相応しいと思われます。

文明は大きな川の側にできるものですから、今後はミシシッピやアマゾン、
そしてナイル側中流でも文化圏の発見が期待されています。
いずれも発掘調査待ちでまだまだ時間がかかりそうです。

現在、私が注目しているのはハザール汗国です。
8世紀頃なので古代文明というわけではありませんが、世界史でも重要視されていない国です。
ところが最近になってハザールがイスラム勢力の防御壁になっていたと研究されています。

もし、ハザールが滅ぼされていたら東欧はイスラム勢力に落ち、
そこからゲルマン民族がたどったコースで現在の北欧からフランス、英国を攻め、
現在のキリスト教圏はガラッと様変わりしていただろうと言われています。

特に変化なしでいいと思います。
というのもまだ発掘物が4大文明に比べて少なすぎるのが現状です。

アフリカから発生した人類が最後に到達したとされるのが南アメリカです。
現在確認されているインカ文明などは鎌倉時代くらいのものです。
そこで紀元前数千年の時点での古代文明は形成できないだろうと思われていましたが、
南アメリカからBC2500年ぐらい昔の遺跡が見つかって物議をよんでいます。

黄河は小さいと言われていますが、神農氏の伝説はそれを補ってもあまりあるものです。
気の経絡とか...続きを読む

Q中国史(黄河、長江文明)に詳しい方!!お助け下さい!!m(_ _)m

はじめまして!!!
今、僕は中国文明について勉強しているのですが、
中国文明の形成と変動について詳しい方、
簡単でいいので、教えていただけると嬉しいです。
また参考になるサイトなども教えていただけるとありがたいです。
よろしくお願いします!!m(_ _)m

Aベストアンサー

あまりに広範囲ですが、厚い本を読む前にこのURLの各項目を読んでみてはいかがでしょう。

[文明のフロンティア]
http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/


●甦る長江文明-稲作と操船の民
 長江文明の挑戦-春秋戦国期の波頭
 長江文明と古代日本-黒潮をめぐる舟の文化
 長江文明の跳躍-環シナ海圏の形成

参考URL:http://www2.ocn.ne.jp/~bunmei54/

Q世界四大文明当時の日本について

世界四大文明当時の日本について教えてください。

当時の日本には文明らしきものはなかったと思っていますが、

だとすれば、いつごろから文明は始まったのでしょうか?

Aベストアンサー

その頃の日本は縄文時代の後半です。
文明の定義にもよりますが、都市の成立をもって文明の始まりとするのが一般的です。
この「都市」の定義も様々ですが、日本で確実に都市と呼べるのは7世紀の飛鳥地域からなのですが、この時期だと「文明」というくくりはあまり合いません。
学術的には日本には「文明」に区分されるようなものはありません。

Q【古代史・考古学・エジプトの謎】「古代エジプト文明の時代に奴隷は食べ物と塩が支給されていた。奴隷はお

【古代史・考古学・エジプトの謎】「古代エジプト文明の時代に奴隷は食べ物と塩が支給されていた。奴隷はお金を貰えないと言うのは誤りで塩を売ればお金に換金できた」

ここで不思議なのは「塩」が通貨だったこと。

塩って海水を撒いて、天日干しで乾けばアホでも塩は取れたわけですよね?

ということは、塩の作り方さえ知っていれば、アホなエジプト人を雇って重労働させて、ほら、塩が給料だ。と言えば喜んで働いた。

なぜエジプト人はバカで塩は誰でも作れたのに過酷なピラミッド建設にお父ちゃんが出稼ぎに出て汗水垂らして働いて疲れて塩を舐めたら給料が飛ぶような働けど働けど楽にはならないことをしたのでしょう。

ピラミッド建設に参加せずに、近くの海で海水を木で樽を作って汲んで蒔けば、自分は国王になれたのに。

なぜ当時のエジプト人は塩の作り方を知らなかったのでしょう?

国王はタダで手に入る塩で金を採掘させたり、重い石を持たせたりして黄金とピラミッドを手に入れた。

どんだけ当時のエジプト人はバカだったんだろう。

塩作りなんかエジプトの国王が密かに自分で作ってたわけじゃなかろうに、奴隷に海水を汲ませて撒かせていたはずなので奴隷は塩の作り方を盗めたはず。

奴隷村に戻って、今日、俺、塩作ったんだぜ!!

俺、塩の作り方知ってるんだぜ!!

と言えば、奴隷村を出て、自分たちで塩田を作れば、お金を作れたってことですよね。

不思議でならないエジプトの謎だわ。

【古代史・考古学・エジプトの謎】「古代エジプト文明の時代に奴隷は食べ物と塩が支給されていた。奴隷はお金を貰えないと言うのは誤りで塩を売ればお金に換金できた」

ここで不思議なのは「塩」が通貨だったこと。

塩って海水を撒いて、天日干しで乾けばアホでも塩は取れたわけですよね?

ということは、塩の作り方さえ知っていれば、アホなエジプト人を雇って重労働させて、ほら、塩が給料だ。と言えば喜んで働いた。

なぜエジプト人はバカで塩は誰でも作れたのに過酷なピラミッド建設にお父ちゃんが出稼ぎ...続きを読む

Aベストアンサー

「サラリーマン」の「サラリー」と食べる「サラダ」が同源なのはご存知?

そして, そんなに簡単に「塩」ってできるものなの?

Q四大文明説はもう古い?

私が学校で習った四大文明説と最新の文明の起源に対する見方は変わってきていると人からききました。新しい発掘も進んでいるとのことで。
最新の古代文明の起源についての有力な説を知るのに良いサイトがあれば教えて下さい。

Aベストアンサー

日本の古古代の話ですが

日本の各地に黒曜石が出ます。伊豆の天城にも出ますが、「もっと南の島に出るらしい」ということで神津島まで出かけていって黒曜石を採取します。神津島までいくのに丸太船を使い、ほぼ日中いっぱいかかって着きます。神津島とは言っても、島の内部ではなく、付近の海の中に中にあるので、船を縛っていなければなりません。当然縄などもいる訳です。船はどうやって作ったのでしょう?。これは、弥生時代の話でも縄文時代でもなく、ほぼ2万年前の事だと判っています。日本の黒曜石は、日本海の向こうの朝鮮半島やロシアなどでも見つかるそうです。つまり、そういう交流がなされていたという事です。その後日本の歴史は縄文時代になりますが、それと平行する世界の歴史は旧石器の時代です。発掘からみる日本の歴史は、とてつもなく古く北は北海道から南の沖縄に至るまで至る所で、遺物や遺跡が出てきます。こういうところは世界中さがしても日本にしか無いそうです。例えば、6000年前のものと言われる漆の漆器にはエゴマの油が配合されているらしく、現在にも繋がっています。もし、四大文明前を調べたいのであれば、とりあえず日本の縄文とそれ以前を一度調べられる事をお勧めします。

日本の古古代の話ですが

日本の各地に黒曜石が出ます。伊豆の天城にも出ますが、「もっと南の島に出るらしい」ということで神津島まで出かけていって黒曜石を採取します。神津島までいくのに丸太船を使い、ほぼ日中いっぱいかかって着きます。神津島とは言っても、島の内部ではなく、付近の海の中に中にあるので、船を縛っていなければなりません。当然縄などもいる訳です。船はどうやって作ったのでしょう?。これは、弥生時代の話でも縄文時代でもなく、ほぼ2万年前の事だと判っています。日本の黒曜石は、...続きを読む

Q考古学の定義・目的について教えてください。

考古学の定義・目的とはなんでしょうか?
定義・目的をもちいて、今現在を見つめなおす上でどのような効果が考えられるでしょうか?あとひとつ、考古学の魅力について何かお聞かせいただけませんでしょうか?よろしくお願いします。

     「古きをしり、新しきをしる」この言葉がすきなんです。

Aベストアンサー

 
  これは、あくまでわたしの考えで、専門家が見れば、違っているということになるのかも知れませんが、その場合は、訂正を願いたく思います。ただ、考古学の定義などは、専門家でも意見が分かれているのではないかと思います。考古学自身の扱う範囲が広くなって、細分化も起こっているからです。
 
  端的に言いますと、考古学は、広い意味の「歴史学」の補助学、または広い意味の歴史学の代表的一分野・領域だということになります。
 
  それでは、歴史学とは何かです。歴史学とは、端的に、過去を知ろうという学問ですが、過去にどんな事件があったとか、戦争や政治や昔の人などについて知るだけでなく、過去の社会の制度や文化、現代とは異なる構造や文化を持っていた過去の社会の内部で、またそのような複数社会のあいだで、どういう進展や変化があって、その結果としてか、それに随伴してか、何が起こったか、を解明し解釈する学問です。
 
  このようにして解釈され、再現された過去の社会の制度や文化や事象・事件・人物などの経緯を、現代の社会の制度や文化や倫理や思想に対比させて、現代を相対化させる、人間の営みを、過去の社会から現代の社会への、飛躍しつつの連続体であると考え、現代だけで見ていたり、考えたりしていては分からない、「現代の特徴・特性・構造」を理解し研究するの参照するための「過去研究・解釈・再現」の学問が歴史学です。
 
  歴史学では、過去を知り、解釈し、理解し、再現を試みるために、まず、「基本資料」が必要になります。「資料」の年代や信憑性などを吟味する必要もあります。この基本資料を元に、例えば、どこでは、何年に戦争が起こったとか、どこの誰が、ある国で、政治の主導権を握っていたかとか、フランスの人口は、10世紀頃は何人いたのかとか、どういう成文法があったか、またその成文法からすると、当時、どういう犯罪があったか、社会問題があったか、権利について、どういう風に考えていたかなどが、推測されるのです。
 
  基本資料から、何年にこういう戦争が起こった、何年に、誰がフランスの王位についた、8世紀には、ドイツには、どういう国があって、どういう国境があったか、……こういうような、歴史において、ここで何があった、この時はこうであった、という、特定の時間点、空間点における、参照「事実」というものが出てきます。また、社会がどういう姿であったのか、「枠」についての色々な情報ができます。
 
  話を飛ばしますが、基本資料を基にして、色々な事件や歴史の枠についての図式ができても、そこで生きていた人々は、どういう風に色々なできごとや社会の文化やありようを捉えていたのか、よく分からないのが普通です。また、資料では、どうしても分からないことが一般出てきます。歴史学では、ここで「歴史学者の想像力・経験的了解力」というものが問題になって来ます。昔の人が、どういう風に感じ考えていたのかは、現在とは異なるのですが、しかし、人間の行為ですから、現代人との共通性もあるはずです。歴史の資料のあいだから、分からない隙間を、解釈・想像で埋め、全体としての生き生きした「過去の像」を築くことが歴史学者の役割になります。
 
  現在では、多面的に歴史を眺めようとします。歴史の表面に現れる、戦争や政治的事件という、記録によく残っている出来事の記録という相と、当時の社会に属した人のエートスはどういうものであったか、文化はどうであったか、世界観や宗教や思想、人生の意味はどういうものを考えていたのか、こういう考察や解明も必要になります。技術の発展段階なども問題になり、経済的な構造から、歴史のできごとを解釈し、理解しようとする相もあります。
 
  歴史学は、最初は、「文字記録」を主要な「資料」とし、それに、遺跡であるとか、伝承されている物品とか、人間が意味を解釈しないと、それ自身では、人間の「言語」になっていない資料を組み合わせ、過去の再現を試みたのです。
 
  これに対し、文字を持っていない社会はどうするのか、文字記録があっても、失われた場合や、解読できない場合はどうするのか、また、もっと重要なのは、ずっと過去に遡ると、文字そのものが発明されていない時代に辿り着きます。この場合、文字記録は、どう捜しても最初からないのだということになります。こういう場合、「文字記録」を基本資料には使えないということになります。
 
  広い意味で、「文字記録」を資料として頼れない場合は、大きく分けて、「未開社会」と呼ばれる社会の場合と、時代が非常に古いので、そもそも文字が発明されていない、「原始(無文字)時代」と呼ばれる社会の場合があります。未開社会と原始社会は同じようなものですが、未開社会は、一世紀前には、まだ地球上にたくさん残っていたのです。こういう「未開社会」の社会構造や文化や人々の心理を調べ研究しようというのは、「文化人類学」へと分化というか、学問成立して行きます。
 
  他方、原始社会・無文字社会、それも、西欧などなら、西欧自身の無文字社会段階の歴史はどうなるのか、また、キリスト教で関係の深い、中近東などの無文字時代の歴史はどうなるのか、という問題で、「文字資料」以外の「遺跡」とか「遺物」とかを、研究する学問が分化成立します。これが「考古学」の出発だとも云えます。この場合、歴史学の補助学であったのです。考古学が収集し、それなりに整理して枠を造った、遺跡・遺物資料の解釈を使って、過去の歴史を再現するのが歴史学になるからです。
 
  考古学者は、「発掘屋」になった訳で、研究室で、資料を基に、立体的に歴史を分析し総合する作業をするのが歴史学者で、考古学者は、遺跡を掘ったり、遺物を捜し、番号を振って、どの遺跡はどうなてちて、何時頃の時代には、こんな石器が出てくるなどの分類作業を行うのだとなります。極端には、考古学者は、掘り出して来ればよいので、分類作業は、歴史学者が行うということにもなります。
 
  また飛ばしますが、しかし、「考古学」の方法や技術は、どんどん進展した訳で、遺跡の発掘や、遺物の収集、発掘にも、歴史学者と同様のシステム的な情報処理と「想像力」がないと、よい発掘や遺物の発見や定置分類もできないのは明白で、そのことが段々と認識されてきます。
 
  更に、文字記録が残っている時代でも、考古学の方法は有効で、文字記録では分からない色々なことが、文字社会においても、考古学の方法や技術を使うと、新しい資料が得られるということが分かってきます。現代の科学的考古学になると、花粉分析とか、土壌のなかの成分原子の量から、そこにはいまは形が崩れているが、何があったかが分かるなど、「文字記録」以上に多様な情報が、無文字時代も、文字時代も含めて得られるようになっています。
 
  こうして、考古学の扱う範囲は文字時代の歴史学と同じで、基本資料として、広義の遺物を使用するのが考古学で、それでは、歴史学はどうなったかというと、考古学の資料を基に、より精緻に歴史を研究し、その範囲は、無文字時代までも広がっているということになると、考古学が扱っていた範囲を歴史学も扱うことになり、考古学も、文字資料も参照して歴史の再現ということになると、文字記録が、遺物記録か、どちらに主発点でウェイトに違いがあったかで、考古学も歴史学と同じであることになります。
 
  しかし、そういうことを言うと、「考古学」とは何か分からなくなるので、とりあえずは、文字記録以外の資料(主に発掘などで得られる)を収集し、分析し、分類し、解釈し、これらの資料を主に、他の文字記録や、歴史学の成果を取り入れつつ、過去の社会を解釈・想像で描こうとする学問だということになります。「想像」は重要で、文字記録でも、書かれていることの行間を読むとか、他の文字資料との関係を考え、そこから、立体的なイメージを築く能力が必要になるのです。例えば、昔の人は、どうやって石器を造っていたのかは、実験で造って見るのですが、どんな技術を使っていたのか分からないものが多く、石を割ったりこすったりしていると、目的の石器がが再現できることもありますが、あれこれ想像して、こういう方法ではないかと、補助道具とか、力の入れ方とか想像して試すと、そういう石器ができることがあり、石器作製技術を、再現したというか、「再発明」したことになります。
 
  どうやって造ったのか分からない遺物は色々あり、有名なのは、殷の青銅器で、普通は、技術などは、後の時代の方が進んでいるのですが、殷の後の周の青銅器は、かなりお粗末なもので、確か、現代の科学分析で、殷の青銅器を調べても、どうやってああいうものを造ったのか、分からないというのがあります。今の技術で、青銅器を造っても、殷の青銅器のような高度に精緻なものは造れないのです。
 
  あるいは、昔の人はどういう衣服を着ていたのかは、衣服をまとった石像が残っている場合など、その石像に掘られている襞の流れなどを研究し、どういう布を、どういう風に身体に巻き付けると、石像にあるような襞の流れや、衣装の形になるのか、ということを試験して着方などを見いだすのですが、これも想像力が必要になってきます。
 
  長い説明になっていますが、「定義」は、上で述べられていると思います。簡単には、「無文字時代の社会や生活などの歴史を、遺跡や遺物の資料を基に研究する学問」かも知れませんが、最初の「無文字時代」は外してもよいでしょう。また学問の「目的」は上の述べた通りで、歴史学と同じです。狭義の歴史学の補助学問ともなりますし、それ自身で独立して「考古学的方法での歴史学」ともなります。人類の時間を通じてのありようを知り、未来や現在の生活や文化、価値観などに役立てるため、過去の再現を試みるのが歴史学で、その補助学問として考古学があるとも、考古学という特別の方法を持った歴史学があるとも云えます。
 
  >定義・目的をもちいて、今現在を見つめなおす上でどのような効果が考えられるでしょう
 
  人間の「普遍的側面」が明らかになるということでしょう。人間がいかに愚かであったか、歴史の教訓が教えてくれますし、教訓が役に立たないという教訓もあります。また、文字や現代の科学技術に依拠した生活をしている人々に、無文字時代の人々でも、高い文化や、倫理基準を持っていたことを教えることで、現代が、「もっとも進んでいる」という傲慢や独善をたしなめる効果があるでしょう(現代人に、人力で、ピラミッドを造ることなどできないのです。クレーンとかを使えば、造れるかも知れませんが、しかし、石を切り出す技術が、いかに精巧で、また辛抱強さが必要な技術か分かるでしょう。……分かる人にはですが。分からない人は、別に考古学でなくとも、何であっても、自己の認識を高め反省する材料にはならないでしょう)。また、知識や技術の蓄積が、いかに現代人を、物質的精神的にも豊かにしているかが分かるでしょう。
 
  考古学の魅力は、やはり「未知への扉」をいつでも開いてくれる可能性があるということでしょう。常識を覆すことが出てくるので、魅力があると云えるでしょう。トゥタンカーメンの墓の発見にしても、彼の墓は、副葬品などが、当時の歴代ファラオの墓に較べると格段に少なく(誰かが、副葬品を半分以上、横領したという説があります)、墓の規模も、もっとも小さいのですが、それでも、あそこまで豪華であったとは、発見するまで誰も想像していなかったのです。
 
  殷の地下墳墓の発見は、千人規模の完全武装し、馬に乗った司令官や、戦車や、軍装をした兵士など、一部隊がまるまる埋められていたことが分かって、どういう目的で、こんなことをしたのか、それまで先例のないことで、今でも、よく分からないはずです。チンギス・ハーンの墓もどこか分かりませんし、殷の墓は、地下に造り、地上には何の目印もおかず、しかも、殷は、何度も都を移動しているので、多数の殷の墓が未発見で土の下に埋もれているのですが、これはどうなるのか、という好奇心があります。
 
  その他、何が過去にあったか、発見されないと分からない多数のことがあるはずで、何が出てくるか分からないということで、興味が尽きないでしょう(日本人の起源なども、最新の考古学の示すところでは、従来想像していなかったようなことがあります。大規模ビルなどを建築する際、整地段階で発掘を行うと、発掘と研究技術が進んだので、従来は見逃されていた事実が色々明らかになり、この発見は今後も続くでしょう)。
  

 
  これは、あくまでわたしの考えで、専門家が見れば、違っているということになるのかも知れませんが、その場合は、訂正を願いたく思います。ただ、考古学の定義などは、専門家でも意見が分かれているのではないかと思います。考古学自身の扱う範囲が広くなって、細分化も起こっているからです。
 
  端的に言いますと、考古学は、広い意味の「歴史学」の補助学、または広い意味の歴史学の代表的一分野・領域だということになります。
 
  それでは、歴史学とは何かです。歴史学とは、端的に、過...続きを読む

Q四大文明以前について何でも構いませんので教えて下さい

今、とても歴史にはまっていまして、最初は中国の三国志あたりだったんです
どんどん古い歴史に興味がでてきてしまい、困ったことについに四大文明以前が知りたくなってしまいました。
ところが四大文明以前ともなると、さすがにそのような本やサイトが
少ないみたいなのです。
今は・・・コーカソイドやモンゴロイドといったキーワードに敏感に反応したりしてまして・・。
すごく広範囲で曖昧な質問になってしまうのですが、どのようなことでも全くの推測で構いませんので何か知っていることがあれば教えていただきたいのですが。。
ちなみに今はヨーロッパ人が歩んできた道のりのなるべく古い歴史を知りたいと思っています。
でも古いことならなんでも知りたい気分です。
類人猿でも構わないくらい。。
もしかしたら文化人類学や歴史のカテゴリになるのかもしれませんので
カテゴリが違いましたらすみません。
このような失礼な質問で申し訳ありませんが、楽しみにお待ちしております。

Aベストアンサー

No.2のmartinbuhoです。

昔読んだ本を紹介します。図書館にあるかも・・

白水社クセジュ文庫 「アッチラとフン族」ルイ・アンビス 安藤和雄訳

ハンガリア人の祖先と言われるフン族をヨーロッパ人が研究・解説した本です。

Qエジプト考古学と考古学者について

エジプト考古学に興味があります。大学で考古学を学ぼうか迷っています。そこでいくつか質問なのですが、

1、早稲田大学では、実際にエジプトで発掘調査にかかわる様な事ことができるとgooの質問に書いてあったのですが本当なのでしょうか?また本当だとしたらどのようにすれば行けるのでしょうか?

2、実際に大学ではエジプトの考古学はどのようなことを教えているのでしょうか?

3、海外(たとえばイギリスなど)の大学に留学することはどのようなメリットがあるのでしょうか?

4、将来的にエジプトなど、現地で発掘にかかわることができるようになったり、学者になるのは実際どうすればいいのでしょうか。それはたとえば、早稲田大学→大学院絵と進み、さらに海外の大学に留学するなどしてもほとんど不可能なことなのでしょうか?

いくつもあってすみません・・・ どれか一つでも、どんなことでもいいので教えていただければ助かります! 

Aベストアンサー

「考古学者になる」という夢は大切にしてほしいところですが、きれいごとだけではすまないかと思いますので、実態を書かせていただきます。
少し覚悟して読んでください。




かつては「留学するだけ」でも「箔付け」にはなりましたが、昨今留学など普通のことになってしまっていますので「留学して何を学んだか」そして「留学経験を同学術研究に生かせるか」が重要になるでしょう。
もしかすると留学で一番のメリットは「海外の研究者との交流」かもしれません。

「考古学者」になるのはさほど難しくはありません。
民間企業に就職しても休日に現地調査に出かけたり、論文を学術雑誌に投稿することはできます。
けれど「考古学者を職業にする」のは相当難しいです。
大学院を卒業しても役所に就職して開発などで破壊される遺跡の調査や保護に携わる人がほとんどで、大学教員になれるのはごくわずかです。
ましてエジプト考古学になると日本国内では限られてしまいますので相当な研究実績を積むか、人脈を構築しないと厳しいです。

Qマイクラwindows10版 (PE) 地図の拡張のされ方

マイクラをしているのですが毎回地図の拡張される方向が同じで困ってます
写真の左の地図が本命 上の地図の左下と 下の地図の左上が中心(地図作成した場所)
なので残りの左上と左下の部分の地図がほしいのに
右にある中途半端な地図があるように自分のほしい方向に拡張してくれません
地図の拡張の仕組みを教えてください

Aベストアンサー

地図の範囲外で地図を作成しないと、新しい範囲の地図はできませんよ?

Q4大文明ってどうやって決められたの?

4大文明ってどうやって決められたのでしょう?

なんか他にもいくつかあったというお話も聞いたことがありますが、、、

それとも他にもいくつもあったけれど、代表的な四つに絞って『4大文明』として世間では話されているのでしょうか?

なんだか、変な質問でごめんなさい

Aベストアンサー

 
  四大文明というのは、黄河流域の中国文明、インダス川流域のインダス文明、ティグリス・ユーフラテス河流域のオリエント文明、ナイル川流域のエジプト文明とします。(確か、この四つを指していたはずです)。
 
  すると、これらの文明は、古くから西欧によく知られていたという事実がまずあります。ティグリス・ユーフラテス文明やエジプト文明は、キリスト教との関係で、『聖書』には必ず出てくるので、昔から、古代の大文明として考えられていたのです。西欧は、その後、中国を大文明国家・世界と認めます。17世紀とか、それ以前の話です。マルコ・ポーロの報告も、アジアの東端にある偉大な文明について述べていますし、更に、モンゴル帝国は東欧を席巻し、西欧も危機に陥りました。
 
  もっと古く、ローマ帝国の時代から東西通商があり、五賢帝の最後の一人、マルクス・アウレーリウスと、中国の後漢王朝が、書翰を交わしたという記録もありますし、原始キリスト教段階で、異端とされたネストリウス派が、中国まで到達し、「景教」の名で伝道されていたというのもあります。
 
  そこで、古代の大文明というと、古いものは、みな、大河川の流域に発達し、「灌漑農業」を営み、高い文化水準を持っていたという認識になります。それ以外にも、中国では、揚子江流域にも長江の文化圏があり、インドにも、豊かな文化圏がありましたし、アフリカにも文化圏がありました。しかし、大河川の流域で古代に行われた灌漑農業を主とする高度文化と考えると、とりあえず、三つが挙げられたのです。
 
  ところが、19世紀末頃だったと思うのですが、インダス河流域に、幾つかの都市遺跡が発見され、それらの都市が、インダス川の水を利用して、高度な灌漑農業を営み、また整備された都市を持っていたことが分かり、更に、古代オリエントとも通商関係を持っていたことが明らかになると、「大河川+灌漑農業+高度文化+都市文化+通商」という条件を満たすので、インダス文明を、第四の世界文明に数えたのだと思います。
 
  この分け方はかなり乱暴ですが、大河川+灌漑農業+高度都市建築など、考古学的に確認できる要素で定義できるので、それなりに有効であったのです。現在は、色々な文化が地域ごとにあったことが知られていますが、それでも、大河川流域の灌漑農業文明というと、この四つ、そして長江流域が、数えられるのではないでしょうか(長江流域の文化もまとめて中国文明に入っていたような気もします)。
 

 
  四大文明というのは、黄河流域の中国文明、インダス川流域のインダス文明、ティグリス・ユーフラテス河流域のオリエント文明、ナイル川流域のエジプト文明とします。(確か、この四つを指していたはずです)。
 
  すると、これらの文明は、古くから西欧によく知られていたという事実がまずあります。ティグリス・ユーフラテス文明やエジプト文明は、キリスト教との関係で、『聖書』には必ず出てくるので、昔から、古代の大文明として考えられていたのです。西欧は、その後、中国を大文明国家・世界...続きを読む


人気Q&Aランキング