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先日『アイデンティティ』という言葉の意味と使い方について質問しました。
たくさんの回答をいただいて答えを読んで、わたしなりに理解したいと考え
アイデンティティという言葉にも、すこしは近くなったように思っていますが、
わたしの努力の足りなさもあって まだひとつの答えにはなっていません。

今回の質問は
「アイデンティティという言葉」についてどう思っているか
アイデンティティという言葉を使うのか?使わないのか
使う時は、どんな時にどんなことを表すために使うのか 
という質問です。

良く考えると前回の質問と同じことかもしれませんが…
アイデンティティについて をどう書いているのかを読みたい
という気持ちなのです。どうぞよろしくお願いいたします。

A 回答 (16件中1~10件)

 私もある先輩から同じ質問を受けて、1年近く考えてようやく先輩にも納得いただいたのは、「・・・らしさ」という日本語でした。

 日本人のアイデンテイテイは、「日本人らしさ」ということのようです。

 私のアイデンテイテイは私らしさであり、私のくせは「むきになる」
ことで、それが長所でもあり短所でもあります。 別の表現ではそれが私の個性だと言えるかもしれません。

 新書・丸善ライブラリーで「英語の誤訳」という本を出しましたが、英語和訳は難しく明治時代の誤訳が多くあります。 英語をカタカナで書かれると困るので、良い質問だと感じ拙答を書きました。
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この回答へのお礼

sonsinさん。
さっそく回答していただき ありがとうございました。
「・・・らしさ」という とてもわかりやすい例えを
教えていただいて とても安心しました。

アイデンティティという言葉は わたしが使うことはないと思いますが
○○…らしさ という言葉は、これからもいろいろな場面で使うと
思いますし 気持ちの中でも時々出てくる簡単な言葉のひとつでもあります。
貴重なご意見をありがとうございました。

お礼日時:2009/04/26 19:24

「アイデンティティ」とは、その言葉で表そうという意味を8文字も使ってやたらに長く場所をとる、だらしがなく締まりがない言葉です。

例えば「個性」や「自己」なら2文字、 「独自性」、「主体性」なら3文字、「自己自身」や「自己同定」で4文字、「 自分らしさ」、「その人自身」や「それその物」で5文字、「その人その物」でも6文字です。日本語には十分な語彙が存在します。「アイデンティティ」という多義的で曖昧で、だらしのないだらだらしてやたらに場所をとる言葉が使いたくなったら、その都度思索を深めて、その場に適切た締まりのある日本語が使えるように、普段から日本語の語彙を増やすように努力しましょう。

この回答への補足

はじめに質問した時
わたしの周りには この言葉を使う人がいなかったこと。
テレビの番組にでている識者が話されていたり、本の中でこの言葉を
見つけても いつも同じ意味で使われているようには感じられず
考えても意味が掴めなかった事。などがありました。
やはりわたしの中で この言葉に違和感があったのだと思います。
個性 自己 だけでも日本語として微妙に違うこと、ですね。
回答をありがとうございました。

補足日時:2009/04/27 21:29
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前回もお邪魔したものです。


言葉にはその言葉でしか表わせない意味というか、ニュアンスといったものがありますよね。今ニュアンスといいましたが、この言葉は既に日本語として通用していると思います。
アイデンティティという言葉も、もう既に日本語になっていて、英語の時の言葉の意味とは少し異なった使い方をされているのかもしれないとか想像しています。私は英語を自在に使う能力はありませんので辞書を見ながら勝手に想像するだけですが。
もちろん私達は日本人ですから、日本語だけで的確に表現できることがら(単語)をわざわざ英単語に置き換える必要はないわけです。
例文
「私は外国に棲んで、はじめて自分のアイデンティティについて真面目に考える機会が出来た。」
という文において、このカタカナ単語を別の日本語に置き直すことを考えてみています(例えば「日本人としての存在理由、あるいは他の外国人と比べて際立った自分の差異」 とか、かなり内面的な問題を考えているような気もしますが、外見的な差異に気付くことによって生じた違和感、自身の存在感というのも無視できないかもしれません)が、やはり、ここはこれで非常にぴったりしているという気がします。ある意味、かなりぼやけた、分かりにくい文かもしれませんが、これはこれで一種の雰囲気を出すのに成功しています。
何にしても、この文章では、カタカナ8文字以下の言葉に置き換えてここを同じような意味を表現するのは私には難しいような気がします。
英語のidentity は日本語で書くアイデンティティよりも、もっと多様な、単純な意味も含めて自由に使われているようですが(identity card などと)、日本人はこれをかなり絞られた内省的で複雑な、ある意味形而上の意味に使っているように思えます。
回答になりましたか?
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この回答へのお礼

amazo007さん。ありがとうございます。
昨日NHKの爆笑問題さんの番組で、久しぶりに
「・・アイデンティティ・・」と言っているのを聞きました。
いままではこの言葉が出てくると、その言葉だけが気にかかって
それまでの話の流れがわからなくなるほど 不安になっていました。

昨日は、突然出てきた言葉でしたが、回答をいただいたあとだったので
ここは「○○らしさ…」のように使っているな と思う余裕もあって
言葉のイメージがわかってきた…と、すこし大げさですが感じました。

ニュアンス という言葉の例えも、とても参考になりました。
ほんとうにそうですね。
「ニュアンス」は、英語としての意味も、言葉の意味も考えずに
自然なうちに使っています。
いつか「アイデンティティ」も「ニュアンス」ように自然に使われる
日が来るのかもしれません。 今回も回答をありがとうございました。

お礼日時:2009/04/29 21:44

No.3 です。


ちょっと言い足りなかったことがあッたように思いますので、補足します。
例文は、私がどこか著名な作者の紀行文の中で出会ったように記憶している文の一節ですが、記憶に誤りがあるかもしれません。ちょっと昨日からその心当たりを探しているのですが、見当たりません。
私が補足したかったのは、一般的にも言えることですが特にこのような微妙な言葉は、この文章の前後も読んで全体の文脈から考えなければ、より正確な意味の把握は出来ないだろうという事です。そのあたり、誤解を招かないようにお断りしておきます。
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#2です。

#3さんの言葉、
「私は外国に棲んで、はじめて自分のアイデンティティについて真面目に考える機会が出来た。」

でアイデンティティという言葉がぴったりしているとおっしゃっていられますが、他にも、

「私は外国に棲んで、はじめて自分とは何かについて真面目に考える機会が出来た。」

という表現でも、内面を表す適切な表現に成っていると思います。以下に、他の日本語の表現で、やはりぴったりしていると思える表現を幾つか挙げておきます。以下の表現のどれかを選択する事により、自分の言いたかった事をもっとて適切に表現できるのではないでしょうか。

自分のアイデンティティ
自分とは何か
日本人である自分
日本人としての自分
文化によって形作られた自分
日本人である事
自分を形作ってきた文化
自分を形成した文化
自分の因って来る文化
自分の埋め込まれている文化
自分の中に在る日本

一晩寝て考え抜くと言う辛抱があれば、もっと他にも適切な日本語が見付かるかもしれませんね。

要するに、「アイデンティティ」という言葉で、「日本人としての自分」を表したいのか、「日本の文化」に目覚めたと言うことを表したいのか、どちらとでもとれる曖昧さが残っているので、文章を極限まで追いつめたという緊張感に欠けた締まりのない文章に成っていると、私には見えてしまうのです。もちろん、文章には、わざと曖昧にしておくという高度な技巧もあり得ますから、それを狙ってわざとアイデンティティと言ったというのなら話は別ですが。
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この回答へのお礼

cyototuさん。回答をありがとうございました。

わたしは微妙な言い方で表すことができる日本語を使いたいと思います。
もちろんそれしか使えないのですが・・
日本語の意味をたくさん含んでいる「アイデンティティ」も
言葉を理解した人にとっては、この言葉以外には無い 自分の気持ちを
表すことができる、とても便利な言葉なのだとわかりました。

お礼日時:2009/04/29 22:30

こんばんはー。


その前回の質問を読んでないので、重複したら済みません。
下の他の方の返事とも重なります。

では、
僕は自己同一視、と同じと思ってます。
定義は、「ある対象に感情移入しつつ、同時に客観視している」と言ってます。
自分のアイデンティティーなら、自分、という人格に対して。
日本人のアイデンティティーなら、外国に行って当然の様に感情移入している日本を、外から客観的に眺める。~~つまり、自分の中にある、日本人、という人格を、外から把握する、ということですが。

こんな感じだと思ってます。
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この回答へのお礼

sheep67さん。
回答をありがとうございます。
ある対象に感情移入しつつ、同時に客観視している
という文章は 受け入れることができました。

辞書によくある「自己同一性」がわからなかったのですが
「自己同一視」という言葉も難しいです。
個性と言いきっても違うらしいので らしさ が良いのですが…
ここを読ませていただいて 少しでも答えに近くなっていきたいです。

お礼日時:2009/04/30 22:51

解答を示すのは無理ですが、思うところがあって再び参考意見として書きます。



アイデンティティはすでに書き込まれた方が挙げた例のように、個性、人格、その人らしさ、などによって置き換えられる意味を含んでいるので、そういった置き換えが可能な場合は多くあると思います。
ただしアイデンティティという言葉の意味をとらえるには、そういった個性や人格やその人らしさなどを自分自身で見いだし、確かめ、それらによって「自分自身を同一視する行為」が核心だろうと私は思います。
#6さんが簡潔に書かれているとおり自己同一視することです。
自己同一視する行為、つまり自分が自分であることをあらためて確信する行為があり、その行為によって見出されたものをアイデンティティという、そんなイメージです。
その当然の結果として、アイデンティティには個性や人格やその人らしさが含まれるといった感じです。

もし「その人らしさ」の中に「その人のその人自身の認識」まで含まれていれば、その人らしさとアイデンティティが指すものは一致するでしょう。
しかし「その人らしさ」には「その人のその人自身の認識」がなくてもいいのですが、アイデンティティはその人自身の認識そのものを指しているので、両者は違った概念だと思います。

さて「自分が自分であることをあらためて確信する」ということを上手く説明できるか自信がないのですが…これは「気づく」という言葉で前に書きました。どうやって気づくのか、何に気づくのか、私自身の言葉足らずを(自分のために)あらためて考えてみました。

自分は何者か?という問いに答えることを考えてみます。どのような答えが答えになるのか、の答えはさておき、自分自身に関するありとあらゆるものが答えになり得るとします。(関するの意味もさておきます。)
そしてその答えを「当てはめて」みます。すると確信や違和感に気づきませんか。
重要なのはそれを自分で確認する行為です。
アイデンティティがわかるいうことは、自分が自分であることを確かめられるということです。
また他人がその人自身を確かめていることがわかるということです。

もう少し例を。アイデンティティidentityの動詞はアイデンティファイidentifyです。
identifyはそれと確認すること、です。
例えば自転車を盗まれた場合を想定します。
自転車に名前と住所が書かれていれば、それが見つかったとき自分の自転車だと確かめられます。たとえどこにでもある量産品のひとつだとしても、ぺしゃんこに潰れて原形をとどめずに発見されたとしてもです。
「その自転車に名前と住所が書かれていること」によって、自分の自転車だとidentifyされます(=確認されます)。

自分自身をidentifyする場合もそうです。名前と住所は、自分が自分であることを確認する情報です。それに気づけばアイデンティティに含まれることがわかります。ですからIDカードはアイデンティティを示す具体的な例になります。
ただしそれに気づくことが重要です。IDカードは自分を他人にidentifyしてもらうためのものですから、IDカードを持っていてもアイデンティティに結びつかないことはありえます。迷子になった子供が自分の立場を理解できず、IDカード(名札)や服や鞄に書かれた名前などのおかげで他人の助けを得て親と再会できる場合、その子にはまだアイデンティティがないわけです。また上の例の自転車にもアイデンティティはありません。自転車には自転車自身を確認することはできないからです。確認するのは人間です。
繰り返します。
自分が自分自身であることをidentifyする(=確認する)ことができる情報がアイデンティティだと思います。その情報は気づかなければ手に入らないということです。
個性も自分が自分であることを確認する情報です。個性が他人と際立って異なっていればいるほど、自分が自分であることを確認できるので、アイデンティティに含めることができます。ただしそれに自分で気づかなければアイデンティティに結びつきません。
視点を変えて言うと、何かに気づくことによってアイデンティティについて再び考えるはめになるのは不思議なことではなく自然なことです。
そういった例を挙げればきりがないでしょう。
国籍、話せる言葉、生まれた場所、育った土地、誕生日、名前(戸籍上の名前、あだ名、ペンネーム)、筆跡、誰かの[親、子、兄弟、配偶者、親戚、友人、教師、弟子、相談役、上司、部下]であること、身長、体格、顔立ち、髪の毛、手足の大きさ、つめの形、指紋、走る速さ、血液型(性格判断ではなく輸血できる血液)、臓器(拒絶反応の有無)、[食べ物、飲み物、色、絵、香り、音楽、居住空間]の好き嫌い、喜怒哀楽とその表現の仕方、住んでいる家、持っている[土地、車、服、鞄、etc.]、財産、職業、遊び、会話、読書、スポーツ、旅行、観光、鑑賞、冗談、権力、闘争、正義感、地位、義務、権利、自由の確保、過去の思い出、将来の夢、希望、勇気、涙、文才、商才、芸術、知性、感情、理性、感覚、認識、憧れ、軽蔑、共感、美意識、何かを否定すること、肯定すること、考えること、…
以上は私自身に限らずアイデンティティを見出す判断基準のたとえとしてざっとよぎったものですが(重複もありますが)、そういった「自分が自分であることを確かめる判断基準そのもの」に気づくことも当てはまると思います。

「アイデンティティが形成される」というとおそらく、環境が決まり、個性や人格が形成され、そして後にそれに気づく、というイメージでしょうか。
「アイデンティティの喪失」ということも起こるでしょう。それまで自分自身を確かめさせてくれていた非常に大きな何かを失ったときです。例えば母国や母国語が消滅したとき、親しい人が亡くなったとき、本当の誕生日を知ったときなどが考えられます。
「アイデンティティの衝突」もあるはずです。ささいな喧嘩から中東戦争まで含んでいるような気がします。
「アイデンティティの回復」という言い方があってもいいでしょう。自分自身の認識を再構築する感じがします。
「アイデンティティの成熟」…智恵深い老人か、妄想する頑固者を想像します。

あっさりと個性や人格について話すときはアイデンティティなど面倒で仰々しい言葉は使わなくても済むことですし、普段使われない言葉なのはもっともなことだと思います。

長文失礼しました。
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この回答へのお礼

回答をありがとうございました。
わたしにもわかるように書いていただいたと思うのですが
一番大切な部分の「自分自身を同一視する行為」
「つまり自分が自分であることをあらためて確信する行為」
ここがわかりません。そんな場面ってあるだろうか?などと思って

たとえば誰かが「ロックだぜぃ」と叫ぶ時 ある一定のイメージはあるのに 日本語に翻訳したひとつの言葉はないですね。
それは叫ぶ人の気持ちしだいで 答えは何でもあり なのですが
それと「アイデンティティ」とが、同じでいいのなら楽なのにと思いました。
回答を読ませていただいてわかるのですが それはぜったいに違いますよね。

お礼日時:2009/05/03 12:39

こんばんはー。


NO6なんですが、
アイデンティティーでちょっと続きを。

アイデンティティー獲得、と言うとき、その本質は、納得や満足、満ち足りた、と言うような完全感です。完全で欠けたところがなく十分な感じかなと思います。
これは、広い意味でのアイデンティティーと思ってます。
厳密な意味でのアイデンティティーとは、つまり本質的な自分、自己同一性だと思うんですが、
そんな厳密に決めなくても、同じような心と認識の働きは、日常生活でいつも起きている、ということが言いたくって。


この完全な感じが達成されるときは、
先に書いた、感情移入(主観)と客観視、の2つのことがそろったときに起きる、と思うんですが、
2つある、ということは、時間的にはどちらかが先に来て、どちらかが後に来ます。

例をあげた方がいいんじゃないかなーと思ったので、上げます。

もし、感情移入が先に来て、客観視が後に来る場合
何かものすごく好きな人がいた、あるいは逆に、すごく嫌な出来事があった、などの時、感情移入が先にあります。
でも実は好きな人は(いいにつけ悪いにつけ)こんな人だった、と言う理解や、嫌な出来事の裏にはいろんな事情があったことを後から聞いて納得した、という風な経過を取ります。
ここで、2つがそろって、納得、完全性、十分で了解できた感じが起こります。

逆に客観視が先に来ている場合、
つまり、在る固定観念を押しつけられたとします。例えば昔のアメリカとかで、奴隷は奴隷であり、こき使えばいい、という習慣のなかで先天的に育った場合などです。一例ですが。
でもそののち、奴隷解放運動が起こって、奴隷も一人の人間であり、心を持っていたんだ、と分かることになります。後から感情移入がこの場合伴います。
これも、2つがそろったことによって、納得します。もう十分分かった、突っつく点も疑わしいところもない。という話です。

まとめていうと、問題対象が人間の場合は、
自分と同じだったんだ、そして、同じ人間だけどそれぞれ個性や個別の事情があったんだ、ということ、
つまり、1.同じ人間であり、
    2.同時に個性ある違う人間である、ということ

この2つがそろうことが、自他同一性、自己同一性などに表れる、心の大事なメカニズムの一つだと思ってます。

上の話はアイデンティティーの僕の勝手な拡大解釈です。
ただ本当の自分を見つける、あるいは、真に信じられる他人を見つけるだけが、アイデンティティーではないのじゃないか? 
いろんなレベルで、アイデンティティーと呼ばれるような自己と心の作用は起こってるんじゃないか?
と、心の仕組みを考えていると、思ったんです。
現在他人の同意を得ていないので、真偽は微妙で、また、raikodonさんの意見なども伺いたいです。
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この回答へのお礼

こんばんわ!
感情移入と客観性との例をあげて頂いてありがとうございました。
どちらかが先でも 最後に納得するというところがわかりません。

たぶんわたしに基礎的な知識がないために 書いてくださった文章を読んでも
どこかで大きな勘違いをして受け止めているのかもしれません。

いまでも人間について 同じとか違うとか 必要なことだろうか?
と思って・・まだ自分を見つけよう と思ったこともありません。

自分のことは自分で考えればわかることと思っているかもしれません。
いちばんの親友のことでも ある時は批判的な目で見たり
理解できない時があっても、そのままでいいと思っています。

>アイデンティティー獲得、と言うとき、その本質は、納得や満足、満ち足りた、と言うような完全感です。

音楽を聴いていて 好きな音楽のジャンルが似ていて この曲いいね~
と言うときが、友人のあいだでなんども続いたらうれしくて
狭い空間にいると(カラオケルームとか)一体感が生まれますが
いまおなじアンデンティティー をもって生きている とか
感じてもいいのかなぁ

お礼がまとまっていませんが・・
でもいままでよりも考えるようになりました。
回答にお礼をしたいと思って、そのことで回答を正しくうけとめることが
できていたか?(読めているのか?)を考えています。

お礼日時:2009/05/08 22:21

#7です。



>一番大切な部分の「自分自身を同一視する行為」
>「つまり自分が自分であることをあらためて確信する行為」
>ここがわかりません。
それが大切だと伝われば、私の意図はほぼ伝わっています。
もっと簡単に「自己認識」と言えば良かった、かもしれません。

>そんな場面ってあるだろうか?などと思って

ぎゃふん(o_o)


後に引けない感じですね。気を取り直します。
ここは哲学の分野なので気は引けますが…気にせず気楽にお尋ねしますね。
質問者さんは日本人ですか?

この回答への補足

すみません。どこで質問するのか迷ったのですが…
哲学とは離れていましたか。。
わたしの質問はふつうに「言葉の意味」でしたね。
日本語しか話せない日本人です。
でも難しい言い回しを読むと迷い、知らない単語も多いので
辞書を見て理解しています。

みなさんの回答を読ませていただいて アイデンティティの回りが
ぼんやりとわかったように感じたのですが 広い意味に使っていいのか
でも―たぶん間違っていないだろう―と思う使い方は想像できるようになりました。
でも どこからが間違った使い方になるのか?とか まだ疑問は多いです。
つまりまだわからないのですね。

補足日時:2009/05/07 23:03
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NO.3 です。


まだ出しておられるようなので、ご参考まで。
今読んでいる本に「アイデンティティ」の語がありましたので紹介しておきます。
「悩む力 カン・サン・ジュン著 集英社新書」の第一章「私」とは何者か の初めの34ページに出ています。
今売り出し中のベストセラーですから、本屋で立ち読みでもされてはどうでしょうか?
前回私が出した例と良く似ています。異国のなかのストレンジャーという設定ですね。カンさんはご存知のように在日です。
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この回答へのお礼

わたしとは何者か という疑問?をもつところが
とても不思議な心の動きだと思うのです。
それで その疑問を持ってどこに向おうとしているのか?
気にかかります。本を読んでみます。
ありがとうございました!

お礼日時:2009/05/08 22:35

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