出産前後の痔にはご注意!

坂本龍馬が高杉晋作から貰ったとされるS&Wモデル2アーミー 32口径を調べていてふと気になったのですが、この銃を貰うに至った小話などはあるのでしょうか?
さっと検索をかけてみても”貰った”と一言あるばかりで具体的なストーリーは見つけられず。
wiki以下にしか坂本龍馬の知識がない私にご存知の方いらっしゃったら是非教えて下さい。

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A 回答 (2件)

 高杉晋作が幕府遣欧使節団に同行してヨーロッパへ行くはずが、急遽清への視察へと変更され上海へ渡ったのが文久2年6月(1862)ですが、その2ヶ月の滞在中にオランダ商館で1挺、南京のアメリカ商店で佐賀藩の中牟田倉之助とともに1挺のピストルを買い求めています。


 
 銃はどちらもSWの32口径6連発と22口径の7連発で、坂本龍馬が所持していたピストルはそのうちの32口径6連発という事ですが、これは例の「池田屋事件」の13日後、そのピストルで危機を脱した顛末を盟友桂小五郎への書簡の中に、「幕吏の手をかの高杉より送られ候ピストルをもって打ち払い、これを撃ち…」などと書かれていることからも分かるかと思います。

 龍馬は高杉から贈られたこの銃をいたく気に入っていたようで、周りの者たちに「これは高杉の上海みやげだ」といって自慢していたようです。このピストルは「池田屋事件」の際紛失しています。切り合いの最中に全弾を撃ちつくした龍馬は、シリンダー(龍馬はこれをレンコンと呼んで、自身の書状の中にも絵入りで描いています)を外し、再装填しようとしたのですが、きりつけられた左指の血によって手元が滑り、シリンダーを取り落としたまま、本体も捨ててその場を逃げていますので現存していないのが残念です。

 また22口径ではなく32口径だったことも不幸中の幸いで、22口径のほうだったらその威力から考えても、幕府の捕り手から逃げられたかどうか怪しかったかもしれませんね。さらに龍馬は当時の不完全な銃の危うさをよく知っていたようで、安全のために常にシリンダーには撃鉄が当たるチャンバー内には実弾を装填しておらず、これは西部開拓時代のカウボーイ達とまったく同じ思考法を持っていたということになります。もっとも日本の警察も同じ事をやっていましたが、現代の銃に関しては無意味なことであるということは言うまでもないですよね。

 とはいえ、高杉と坂本の両名はそれほど親密な関係を持っていたとは言えず、今で言うビジネスライクな関係に終始していたような印象もありますので、それほどのエピソードが残っていないというのが個人的な感想です。
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この回答へのお礼

ご丁寧な回答ありがとうございます。しかも補足までして頂き、大変参考になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/07 22:12

回答します。



小説などにもないと思います。

坂本龍馬は、長崎にて亀山社中という日本で最初の商社を作った人物であるということは、ご存知かと思います。

さて、長崎にて三菱の創業者「岩崎弥太郎」と組んで、海外へ製品を輸出するという業務を始めようとしていました。軍事を増強して、攘夷を唱えており、軍事力を増強中であり、最初の軍資金を得ようとしていた、長州藩へ売り込みを行います。

長州藩では、生糸などの産品を輸出する代わりに、軍事的な物資の輸入を亀山社中に頼みます。そのときの契約のお礼に貰ったとされるのが、その銃だということです。

前に、確か2ch辺りで議論があったような気がします。

では。
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この回答へのお礼

お返事が遅くなってしまいすみません。素早い回答ありがとうございました!とても参考になりました。

お礼日時:2009/05/07 22:11

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Q坂本龍馬について。簡単に教えてください。

歴史がとっても苦手です。坂本龍馬がどんな人物で何をしたのか、小さな子ども(小学生前)に説明しなければならないのですが、説明できません。

小さな子どもにも分かるようにするには、どう話せば良いでしょうか?

子どもに説明するつもりで、私にも教えてください。
m(_ _)m

Aベストアンサー

http://www.bakusin.com/sakamoto.html
↑ご参考(坂本龍馬の基礎知識)

坂本龍馬は、土佐(高知県)の郷士(下級武士)に生まれ、子供の頃は差別されたりイジメられたりで泣き虫でした。
そんな泣き虫を見かねた姉は、龍馬を鍛えるために剣術を習わせました。
学問(勉強)が苦手だった龍馬も剣術では才能を発揮しました。
そして、本格的に剣術を習うために江戸(東京)の千葉道場で剣術の腕を磨きました。
江戸で、勝海舟と知り合って開国や海軍の必要性を知りました。
その後、大阪や長崎などで活動中に薩摩藩の西郷隆盛や長州藩の桂小五郎らと知り合いました。
薩摩藩と長州藩は仲が悪かったですが、龍馬が仲介して西郷隆盛と桂小五郎らを仲良くさせました。
このような活動が幕府側の反感をかい、京都の近江屋で京都見廻り組によって暗殺されました。
龍馬33歳の時でした。

まぁ、小さな子供さんに坂本龍馬を簡単に説明するなら、この程度で良いと思います。
特に、イジメられたり泣き虫だった龍馬が立派な大人に成長したことを教えて欲しいですね。

http://www.bakusin.com/sakamoto.html
↑ご参考(坂本龍馬の基礎知識)

坂本龍馬は、土佐(高知県)の郷士(下級武士)に生まれ、子供の頃は差別されたりイジメられたりで泣き虫でした。
そんな泣き虫を見かねた姉は、龍馬を鍛えるために剣術を習わせました。
学問(勉強)が苦手だった龍馬も剣術では才能を発揮しました。
そして、本格的に剣術を習うために江戸(東京)の千葉道場で剣術の腕を磨きました。
江戸で、勝海舟と知り合って開国や海軍の必要性を知りました。
その後、大阪や長崎などで活動中に薩摩藩の...続きを読む

Q太平洋戦争当時日本軍が三八式銃を使用していた理由は

三八式銃とは、明治38年 に発明された旧式の銃らしいですが、
これを太平洋戦争当時でも使用していたそうです。
戦争中の兵器の進歩は日進月歩なのが普通なので、
これは不思議なことです。
使用し続けた理由は何でしょうか?

大量に余っていたとしても新式に鋳直せばよいだけのことです。
現に戦闘機などはどんどん改良を重ねています。
なにか特別なことがあったのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られていますね。
新しいともいえませんが、それほど古いともいえません。つまり、ボルトアクション式では、すでに三八式は「決定版」ともいえる代物だったのです(No12の方が言っているように日本人にとって扱いやすいのも大きい)。
決定版なので、それ以上のものは戦術的転換がないかぎりは不要です。現在でもピストル、小銃などは50年以上前の設計の物だって十分現役で使っている国もあります。これらは現代の戦術では決定版足りえる代物だからです。

さて、先ほどから「戦術」という言葉を使っていますが、これが、三八式におきた一つ目の悲劇です。
時代は第1次大戦、火器は「小銃による打ち合い(砲は補助的)」から「重砲と機関銃(小銃は補助的)」による戦術に「転換」しました。

つまり三八式の作られた時代の戦術概念と第2次大戦では大きく様相が変わったのです。
基本的に新しく作られた戦術というのは、前に使われていた戦術よりも優れています(優れているから採用される)。
つまり、三八は世界的な戦術である、火砲、機関銃の大量使用による弾幕戦と戦うようには対応していません。
諸外国のようにそれらの「補助兵器」として使うならば十二分の性能だったでしょう。

当時の戦術において勝利を決めるのは火砲、機関銃、戦車といった兵器で、小銃はすでに勝利を左右する兵器ではなくなっていました。
しかし、日本軍にはそれらで力のある兵器はありません。

勝利を左右する兵器を持っていない軍隊と、勝利を左右する兵器を大量保有している国が戦えば・・・どうなるかはわかりますね?

日本軍が、(あくまでボルトアクションから進歩した存在であり、補助兵器の域を出ない自動小銃はともかくとして、です。諸外国がこれの更新を遅らせたのは、他に国力を注いでいたためです)火砲や機関銃の大量配備を嫌ったのは、塹壕戦による経験が薄かったために有効性を信用しきっていなかったのもありますが、最大の理由は、工業力がこれらの兵器を「全軍にいきわたらせて、かつ戦えるだけ」の力を持ち合わせていなかったことです。
国力と軍事力の兼ね合いが著しく悪いとも見れます。海軍でもいえますが、国力以上の軍事費は維持費や更新費用の面で国家を破綻させます。弾薬についてもそうです。自国の国力でまかなえる以上の弾薬を使う軍隊を持てば、補給にひずみが生じて、供給が追いつかなくなります。
かといって軍隊を減らすわけにもいかない状態ですし、そのおかげで更新(つまり戦術転換)に使う国力もない。新しい戦術では弾薬を多く使うので、転換したところで維持できるだけの国力もない(諸外国は生産量を増やしたのですが、日本ではそれができるだけの国力すら残っていなかった)。
日本軍が抱えていたひずみとかゆがみが、小銃にも現れているのです。

もう一つの悲劇が、1つ目の後半とかぶりますが日本の工業力の低さです。
当時、日本の技術力はとにかく欧米に追いつけということでタッチアップを図っていましたが、まだまだ追いついていません。
よく「日本の技術力は世界一だった。アメリカに物量で負けた」なんていう人がいますがこれは大間違いです(空技廠から上がってきた航空機の図面で、「この部分は鋳型をつかった鋳造で」となっていても金型が作れずに削り込み部品にしたというのはよく聞く話です。つまり当時の技術はその程度)。
中でも惨憺たる分野が重工業全般の中でも最重要分野の鉄鋼業でして、製鉄も自国では補完できない、鋳型技術も低い状態です。
さらには、精密機械技術が発展途上でして、とにかく精度が悪い(戦前の日本兵器において「統一規格」はありません。というより作れなかったのです。精度が維持できないのですね)。そのため小銃ですら調整しないと命中精度が維持できない上、部品の互換性がない。これは前線において問題です。
別々の箇所が壊れた銃をばらして一つの壊れていない銃にするというのは、軍隊ではある程度普通ですが、日本ではこれが出来ない。つまり不経済な状態です。
また、弾薬の製造精度も悪いため、弾詰まりが多い。これは自動小銃のほうで批判されますが、こちらについては「吐き出す量が多いためハズレに当たる確率が高い」だけなのです(まあ、自動小銃のほうが若干弾詰まりを起こしやすいというのはありますが・・・)。

ながくなりましたが、結局は日本と日本軍の構造上の問題なのです。
日本において三八式が評判が悪いのは、本来的に責任はない三八式に、日本の抱える問題を添付してしまっているからです。結局問題は日本自体にあるのです・・・
というわけで、三八自体の設計は優秀ですし、ボルトアクション式小銃の決定版でもあります。

銃は、航空機、戦車、潜水艦のいわゆる三大新兵器とは違う「熟練した兵器」ですので、寿命は桁外れに長いです。
ほかに寿命の長い兵器は、歴史的に見ると刀剣があります。日本刀は、太刀~打刀に変わったりと、若干の変更がありますがおおむね形は変わりません。これは刀は、熟練した兵器であり、戦術的な変革がなければ、仕様を変える必要がない代物だったといえるでしょう。

さて、三八式についてですが、これも似たようなものです。諸外国の兵器と比べた場合の旧式度合いについては、すでに前に語られてい...続きを読む

Qなぜ戦国時代に短銃は使用されなかったのですか

種子島は伝来しても、短銃は伝来しなかったのですか?
種子島銃の銃身を詰めれば、持ち運び簡単、接近戦に便利な短銃ができそうな気がしますが、そういう技術力や発想がなかったのですか? 根本的に火縄銃では、短銃は作成が難しいのですか?
銃を持つのは武士としてあるまじきこと、という精神論があったのですか?

江戸時代に入ってからも、短銃はあまりなかったのではないかと思いますがどうでしょう。時代劇の悪徳商人が隠し持っていたなんてのは、本当に時代劇の中だけの話なんでしょうね。
町方でも与力以上は護身用に所持していたとか、そんな感じであってもよかったような気がしますがどうでしょうね。
やっぱり資金、技術力、資源、精神論、の事情からでしょうかね?

Aベストアンサー

カリブの海賊みたいな海賊は腰に短銃をたばさんでいますよね。あの銃をよく見ると、先がラッパ型に開いています。いわゆる「ラッパ銃」ってやつですね。
なんであんな形になっているかというと、短銃だと弾と火薬を詰めるのが難しいからです。だから先をラッパ型に開いて弾を入れやすくしたのです。
もちろん、先が開くわけですから命中精度は極端に落ちます。だから短銃の活躍する場所といえば海賊のように狭い船内での斬った張ったのときくらいしかないわけです。日本の戦国時代ではヨーロッパの大航海時代のように船に乗り移ってチャンチャンバラバラというのがほとんどありませんでしたから、もちろん護身用にというニーズはあったにせよ、需要に対してまだテクノロジーが追いついていなかったのですね。まだ携帯電話が大型無線機みたいに大きかった時代に「なぜあの時代にスマホが作られなかったんでしょうか」っていうようなものです。
また海賊はあの短銃を何本も腰にたばさんでいますね。そう、撃ったら次、撃ったら次、というふうに(一発しか込められませんから)数を持たないといけません。この「使い捨てに近い感覚で道具を使う」というのは日本人のメンタリティには合わないというのもありますね。道具を非常に大切にする民族ですからね、我々日本人は。

また江戸時代の日本人が銃を持たなかった理由は、現代の日本人が銃を持たない理由と同じです。アメリカ人が銃を持つのは、実際に身の危険があるからです。日本人が銃を持たないのは、法律で禁止されているというのもありますが、銃を抜かなきゃいけないような危険な場面は、警察官でさえ一生に一度あるかないかという国内の治安状態が主な理由ですよね。

カリブの海賊みたいな海賊は腰に短銃をたばさんでいますよね。あの銃をよく見ると、先がラッパ型に開いています。いわゆる「ラッパ銃」ってやつですね。
なんであんな形になっているかというと、短銃だと弾と火薬を詰めるのが難しいからです。だから先をラッパ型に開いて弾を入れやすくしたのです。
もちろん、先が開くわけですから命中精度は極端に落ちます。だから短銃の活躍する場所といえば海賊のように狭い船内での斬った張ったのときくらいしかないわけです。日本の戦国時代ではヨーロッパの大航海時代のよ...続きを読む

Q女性看護師が患者の性処理してた

骨折で入院していたのですが、4人部屋でした。同じ部屋にやはり骨折で入院した高校生がいましたが、夜中に女性看護師が射精までの性処理をしてました。
夜、目が覚め特に何もせずにボーとしてましたら、看護師が見回りに来ましたので、目をつむり寝たフリをしていました。高校生の彼も寝られてなかったらしく、「寝ないと治るものも治らないぞ」言われてました。そこまでは何も無かったのですが
彼が小さい声でしたが「たまっちゃって寝られない」と。思わず拭き出しそうになるのをこらえていると、何と看護師が小声で
「手でしてあげようか」
その後の声、音からして射精させたのは間違いありませんし、翌日彼に聞きましたら、顔を赤くして射精した事を認めました。胸も触ったそうです。
うわさだけかと思ってましたが、実際に性処理する人いるんですね。

女性看護師さんに質問です。このような性処理(射精まで)することは結構あるのでしょうか?

Aベストアンサー

実は私も出してもらった経験1回あります。清拭の時に勃起してしまい、いちもつを手でしごいてもらい、射精しました。このような行為をする看護師はごく一部だとは思いますが、男と女ですので多いとは言えないが、確実にあるでしょうね。

Q岡田以蔵と武市半平太

以蔵は拷問に耐えられなくて武市の事を言ったんですか?


岡田以蔵は下級身分の家で育った為
塾や道場に通えず自己流で剣術をやっていたところ
武市半平太に拾われ以蔵は武市を尊敬していた
以蔵は武市の為に人を斬り「人斬りの以蔵」と呼ばれていた
以蔵が捕まった時以蔵は拷問に耐えたが
武市は自分の悪さをバラされると思い
毒入りのおにぎりを差し出したが以蔵は死なずに助かった
以蔵は武市が自分を殺そうとした為自白し死んだ


以上が私が聞いた以蔵と武市の話です

私はずっと以蔵は裏切られたから自白したのかと思っていました

Aベストアンサー

おはようございます。真実は下記の様です。

『岡田以蔵』は既に入牢していた同志らとは別に捕まり、拷問により暗殺に関与した仲間を自白、これが土佐勤王党崩壊の端緒となった訳です。同志が次々に入牢、また吉田東洋暗殺の背後には山内家保守派層の関与が公然の秘密であり、お家騒動への発展を恐れ以蔵毒殺計画が仲間内で相談されました。しかし強引な毒殺はいかんと『武市半平太』や島村寿之助らが止め、以蔵の弟である岡田啓吉に、以蔵の父から毒殺の許可、ないしは自害を求める手紙を寄越すよう獄外の同志に連絡を取らせます。これらの遣り取りの間に、武市半平太の弟・田内衛吉は拷問に耐え切れず兄に毒薬の手配を頼み自害、島村衛吉は拷問死。
『武市半平太と土佐勤王党』に依ると、結局以蔵に毒は送られることなく結審を迎えたようです。

創作にみられるエピソードによれば、この際、毒を送られた以蔵はそれを毒とは知らずに服んだが死なず拷問に屈して白状したとか、毒を見破って憤りのあまり自白に及んだなどと様々に推測されていますけれども、いずれも事実とは異なります。


箇条書きにしてまとめますと、より解り易いでしょう

・岡田以蔵は単に拷問に耐え切れずに屈服し、一連の暗殺に関与した仲間の名前を自白

・これにより同志が芋づる式に捕まる

・お家騒動を恐れた同志が「以蔵毒殺」を計画

・武市半平太らが「そんな強引な毒殺はだめだ」と一旦止めさせる

・以蔵の弟に以蔵の毒殺或いは自害の許可を以蔵の父に取らせる為に手紙を出す様、獄外の仲間に指示(律儀)

・しかし半平太の弟も拷問に耐え切れず、兄に毒薬手配を委託し自害

・結局、以蔵に毒は盛られなかった


歴史の真実はどこかで話が大きくなったり、実はこうだった、いや違う、といった論争は果てしが無いですが、この「以蔵の件」については信憑性はかなり高いです。

おはようございます。真実は下記の様です。

『岡田以蔵』は既に入牢していた同志らとは別に捕まり、拷問により暗殺に関与した仲間を自白、これが土佐勤王党崩壊の端緒となった訳です。同志が次々に入牢、また吉田東洋暗殺の背後には山内家保守派層の関与が公然の秘密であり、お家騒動への発展を恐れ以蔵毒殺計画が仲間内で相談されました。しかし強引な毒殺はいかんと『武市半平太』や島村寿之助らが止め、以蔵の弟である岡田啓吉に、以蔵の父から毒殺の許可、ないしは自害を求める手紙を寄越すよう獄外の同志に...続きを読む

Q坂本龍馬 今一度日本を洗濯致し候 

幕末に活躍した坂本龍馬の名言「今一度日本を洗濯致し候」
”今一度”ということは、以前に誰かが日本を洗濯したということですよね。
誰が、いつ洗濯したのですか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

定説は無いようですね。なかなか鋭い質問かも。

原文は以下のとおり。(長い手紙なので抜粋です。)
是皆姦吏の夷人と内通いたし候ものニて候。右の姦吏などハよほど勢もこれあり、大勢ニて候へども、龍馬二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本をたて、夫より江戸の同志はたもと大名其余段と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候。此思付を大藩にもすこむる同意して、使者を内内下サルル事両度。然ニ龍馬すこしもつかへをもとめず。実に天下に人ぶつのなき事これを以てしるべく、なげくべし。

これを読むと、「朝廷から日本を守ろうとの呼びかけを行ってもらい、異国と内通する堕落した幕府の官吏を打ち殺すこと」が「洗濯すること」のようです。あまり過去にこのような事例は無いと思うので、個人的な考えですが、「洗濯する」とは「洗濯して昔のきれいな状態に戻す」と言う意味で使われているのではないでしょうか。「昔洗濯したことがあった⇒また汚くなった⇒もう一度洗濯する」ではなく、「昔はきれいだった⇒洗濯する⇒もう一度きれいにする」と言う感じ。

訳としては、「日本を洗濯して、もう一度きれいな国に戻したい」と言うことになるのかと思います。

定説は無いようですね。なかなか鋭い質問かも。

原文は以下のとおり。(長い手紙なので抜粋です。)
是皆姦吏の夷人と内通いたし候ものニて候。右の姦吏などハよほど勢もこれあり、大勢ニて候へども、龍馬二三家の大名とやくそくをかたくし、同志をつのり、朝廷より先ヅ神州をたもつの大本をたて、夫より江戸の同志はたもと大名其余段と心を合セ、右申所の姦吏を一事に軍いたし打殺、日本を今一度せんたくいたし申候事ニいたすべくとの神願ニて候。此思付を大藩にもすこむる同意して、使者を内内下サルル事両度。...続きを読む

Q7Gを超え通信制限がかかったのに、サクサク動く

はじめまして。
以前から質問の閲覧はさせていただいていたのですが、自分が質問することは初めてなので失礼な振る舞いをしてしまったら申し訳ないです。

質問内容は、タイトルの通りです。
先日の12月18日に通信量が7GBを超えてしまい、翌日から通信制限がかかりました。
当然、Webページを開くにしてもアプリの動作にしても物凄く遅くなり、インターネットに繋がらない場合もありました。
不便だなーとは思いつつ、こんなことは自己責任なので1月まで我慢だと思っていたのですが…
なぜか今日の12時頃、突然サクサク動くようになり、通信制限が解けたのではないかと思えるほど快適になりました。

この事で困ってはいないのですが(むしろ嬉しいです笑)、なぜ急にこんなことになったのかが謎で質問させていただきました。
同じような体験をされた方がいたらぜひ御回答いただきたいです。宜しくお願い致します。

ちなみに、
*auのAndroid、機種はSONYのXPERIA夏モデル。
*データ使用周期は前月23日~当月22日。
*動画を見ることもないし、ゲームアプリもひとつやっているだけなのに、毎月通信制限がかかってしまう(これは無意識のうちに使いすぎているのでしょうね(;´∀`))。
*今日の朝方までは確かに規制がかかり、Google検索でさえ待ち時間があるような重さだった。


一体なにが起こっているのか、少し不安です。
勝手にauからお金を請求されたら…(;_;)
この快適さがいつまで続くのかは分かりませんが、原因が判明しないとモヤモヤします。
説明不足な点がありましたらすみません。

はじめまして。
以前から質問の閲覧はさせていただいていたのですが、自分が質問することは初めてなので失礼な振る舞いをしてしまったら申し訳ないです。

質問内容は、タイトルの通りです。
先日の12月18日に通信量が7GBを超えてしまい、翌日から通信制限がかかりました。
当然、Webページを開くにしてもアプリの動作にしても物凄く遅くなり、インターネットに繋がらない場合もありました。
不便だなーとは思いつつ、こんなことは自己責任なので1月まで我慢だと思っていたのですが…
なぜか今日の12時頃、突然サク...続きを読む

Aベストアンサー

通信制限云々よりも、動画見ないで毎月7G超えるのは不可能と思います。
個人情報勝手にバンバン送信するような変なソフトでもはいっているのでは?

Qオランダが鎖国中にも貿易ができた理由

鎖国中には清とオランダが出島に限って貿易を許されましたが(他に朝鮮通信使や琉球慶賀使などはありましたが…)オランダ船来航が禁止されなかったのはキリスト教布教に熱心ではなかったということを聞いたことがありますがこの理解で正しいでしょうか?

Aベストアンサー

キリスト教布教に熱心でなかった、なんてレベルじゃないです(^^;)。

キリスト教布教絶対絶対やりまっせん!!! 商売一筋!!!
だから我々オランダの船とだけ仲良くしてねっ♪♪♪

とゆー強烈アピールをしまくった結果です。
何しろ島原の乱の時、幕府に協力して、篭城中の日本人キリスト教徒たちに砲撃までしてますから。
(他の欧州キリスト教諸国からは「そこまでして金儲けしたいんか!?」と大顰蹙だったそうです)

当時のオランダにとって、対日本交易は結構な利益でした。
独占出来ればこんなにオイシイ話はないので、表から裏からアレコレと頑張っていたようです。
(以前NHKで見た歴史番組によれば、そもそも、ポルトガルとスペインは布教目的で来日するから追い出したほうがいい、と進言したのもオランダだった、という話です)

幕府としては、キリスト教に関係の無い国となら貿易しても構わなかったのですが、それぞれいろんな事情があって、「皆そろって長崎で交易」というわけではありませんでした。
逆に言えば、長崎を通して交易していなかったからと言って、日本と交流が全く無かったわけではない、ということです。
以下、知っている限りで並べておきます。

●朝鮮王国●琉球王国●アイヌ諸族●
>>>>>それぞれ対馬藩、薩摩藩、松前藩が専門に担当。
これらの藩は、江戸時代以前からの交易相手であり、財政も交易の上りで成り立っていました。
他藩に横入りされると死活問題なので、江戸幕府成立前後は硬軟様々な手段を講じ、「対XX交易のエキスパート」という地位を獲得しました。

これら3つについては、幕府直轄の長崎を通していなかった、というだけで、日本全体で見た場合は“交易があった”と言えます。
(通信使や慶賀使は国家同士の公式の使節のやりとり。
 商売はまた別に、各藩の港でやってます)

●明→清帝国●
正式の国交は無し。民間の貿易商のみ往来。

●東南アジア諸国●
実は江戸前期には数回来た記録が残っています。
しかし、遠い上に、対日交易を独占したいオランダが妨害工作することもあって、いつの間にか来なくなってしまいました。

東南アジア諸国の物産はオランダや清の民間商人が持ってきてくれるので、日本人は別に困ることもなく放っておいたと思われます。

キリスト教布教に熱心でなかった、なんてレベルじゃないです(^^;)。

キリスト教布教絶対絶対やりまっせん!!! 商売一筋!!!
だから我々オランダの船とだけ仲良くしてねっ♪♪♪

とゆー強烈アピールをしまくった結果です。
何しろ島原の乱の時、幕府に協力して、篭城中の日本人キリスト教徒たちに砲撃までしてますから。
(他の欧州キリスト教諸国からは「そこまでして金儲けしたいんか!?」と大顰蹙だったそうです)

当時のオランダにとって、対日本交易は結構な利益でした。
独占出来ればこん...続きを読む

Qのぞみ A席~E席のレイアウト

東海道新幹線のぞみの座席レイアウトについて
教えてください。

「普通指定席」車両の 2+3列シートの並び順は
どのようになっているのでしょうか。

【 例図 】


大阪

窓 □□□  □□ 窓

東京

Aベストアンサー

「のぞみ」500系 普通車 一号車


      ↑
     新大阪

    A B   D E
窓1  □□   □□  窓  700系は2+3列
窓2  □□   □□  窓 
窓3 □□□  □□ 窓
窓4 □□□  □□ 窓
窓5 □□□  □□ 窓
窓6 □□□  □□ 窓
窓7 □□□  □□ 窓
窓8 □□□  □□ 窓
窓9 □□□  □□ 窓
窓10 □□□  □□ 窓
窓11 □□□  □□ 窓 700系は13番 
   A B C  D E

       東京
       ↓

 

Q「他人のふんどしで相撲をとる」の意味

ことわざで「他人のふんどしで相撲をとる」とあったと思うのですが、どういう意味でどんな時に使うのですか?教えてください。

Aベストアンサー

こちらのページ
http://www.kotowaza-world.com/index.html

の「ことわざ 慣用句」の隣の空欄に「ふんどし」と入れて「全文検索」を押すと、意味がでます。


「自分よりも強い者(力士)のふんどしをしめて相撲をとる」ということで、相撲というのは自分の実力で相手に挑むものです。

自分は弱いのに、強い者のふんどしをしめて、さも自分が強くなったかのように思い(また、相手に思わせ)相手に挑むのです。
それによって自分が利益を得るわけですが、本当は自分はそのふんどしに見合う実力がないのです。
それを、他人は冷静に見抜いているのです。

だからこのことわざは、他人が誰かの振る舞いを見て、上記のように判断した時に使うものです。

「あいつ、自分の親が社長(校長)だからって、自分もこの会社内(学校内)で実力があると思ってるよな。
 他人のふんどしで相撲とってることにいいかげん気づけよ」

とか、こんな感じで使います。

けっして、他人のふんどし=汚い という意味はありません。

『虎の威を借る狐』と少し意味が似てると思うのですが、同じ意味のことわざではないようです。


でも、正確に知りたいのなら、ことわざ辞典を手に入れるのがいいですよ。

参考URL:http://www.kotowaza-world.com/index.html

こちらのページ
http://www.kotowaza-world.com/index.html

の「ことわざ 慣用句」の隣の空欄に「ふんどし」と入れて「全文検索」を押すと、意味がでます。


「自分よりも強い者(力士)のふんどしをしめて相撲をとる」ということで、相撲というのは自分の実力で相手に挑むものです。

自分は弱いのに、強い者のふんどしをしめて、さも自分が強くなったかのように思い(また、相手に思わせ)相手に挑むのです。
それによって自分が利益を得るわけですが、本当は自分はそのふんどしに見合う実力がないので...続きを読む


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