マンガでよめる痔のこと・薬のこと

「自分的には~」という若者が増えていますよね。「自分としては』、「自分の意見では」ということを言いたいのだろうと思うのですがそれは国語研究所などで認められているきちっとした日本語なのでしょうか?正直言って、とても耳障りなんですが、海外では若い日本語の教師も使っているようです。
それで思い出したのですが、「らぬき」というものがありますよね。『食べられる』を「食べれる」という、この「らぬき」言葉も正当な日本語なんでしょうか?海外の日本語の教科書にはこの『ら抜き』が紹介されています。

このQ&Aに関連する最新のQ&A

A 回答 (3件)

言葉は変化していくものなので(例えば「あたらしい」は元々「あらたしい」であった、等)、「正当な」というのは少し難しいと思います。


ただ、今の時点で正しい日本語かと聞かれたら、そうではないと思います。

私もそのような言葉遣いは不快ですし、仮にニュースキャスターや新聞記者などの「日本語を扱う職業の人」がそんな使い方をしようものなら、その会社の質を疑います。
もう何十年かしたら「食べれない」が正しい日本語となるのかもしれなですが、日本語はせっかくこんなに美しいのですから、崩れないでいて欲しいものですね。

回答になってなくてすみません。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございました。
共感してくださる方がいらっしゃって、嬉しいです。

お礼日時:2009/04/28 22:50

言葉の正否とは、ある組織の中で表現を統一するために、狭く定めた基準に照らして評価するものであって、一般人の場合は、その表現を使う人がかなりの多数になり、使わない人も含めて大部分の人に理解されるようになれば、市民権を得たものとされます。

ただし、上品な人は、一般に軽率に流行語を使わないものであり、言葉は、その人の品格を表します。

私個人としては、「自分的には」や「見れる」という人を心の中で軽蔑しております。私が教師や書物の監修者であれば、赤字を入れるでしょうが、上記の理由により、使っている人に向かって「お前の日本語は正しくない」とは言いません。

日本語の教科書には、それが正しいからではなく、日本で生活するときに理解できないと困るから載せてあるのでしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。またまた共感してくださる方がいらっしゃって、うれしいです。私がそういうことに関して繊細(?)すぎるのかと思っていましたが、そうでもないようですね。日本語の教師が「わたし的には~」なんていっているのをきくと、「世も末!」と耳ををふさぎたくなってしまうのです。(ちなみに、その教師は30代前半、私は40代です)
確かに言語は変化するものなんですが、明治、昭和初期の日本人はなんと立派な日本語を書いていたんだろう、、、と痛感する今日この頃です。

お礼日時:2009/04/30 08:55

やはり「正当な日本語」の基準を与えないと無意味でしょう.


特に「らぬき」言葉については
・確か「方言」として普通に用いる地域が存在する
・五段動詞に由来する可能動詞と対応させるとこちらの方が論理的に整合性がとれる (という説明を見た記憶がある: 海外の教科書で紹介されているとすれば, この理由が大きいと思われる)
などの点からデリケートな問題を孕んでいると思います.
    • good
    • 1
この回答へのお礼

五段動詞に由来する可能動詞と対応させるとこちらの方が論理的に整合性がとれる (という説明を見た記憶がある: 海外の教科書で紹介されているとすれば, この理由が大きいと思われる)
なるほど。鋭いご指摘ありがとうございます。あとで分析してみます。

お礼日時:2009/04/30 08:48

このQ&Aに関連する人気のQ&A

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

このQ&Aを見た人が検索しているワード

このQ&Aと関連する良く見られている質問

Q「充分」と「十分」の使い分け教えてください

題名のとおりですが、どう使い分けるのか知りたいです。

たとえば、「私はじゅうぶん満足した」のときは、十分でいいんですよね???

どちらをどう使い分けるのか教えてください。

Aベストアンサー

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
 ・漢字の学習の底が浅く安易になった、即ち本来の意味に注意を払わない。
☆この二つの文字の違いは何か?
【十】:1・2・・・・・・と来て数が満ちる。
  原意:古代に枝や縄の結節で数字を示した方法の延長が現在の字形。
     九が数の窮まった値として縁起よく、重視されてきた。
     更に9+1は十分大きい ⇒ 数が足りている状態。 
  ☆数詞、段階を踏むデジタルな思想です。
【充】:満ちる、満たす、余すところなく、担当する、埋める。
  原意:長い、高い から 成長した大人、肥満、肥大、振る舞う、 
     などを意味するようになり、現在に至っています ⇒ 充ちる(満ちる)。
  ☆基本は動詞、切れ目なく満ちる、満たす、果たす、アナログ的思想です。
【分】:実は、発音も意味も一意でないのです。
  【十分】の発音はshi2fen1   【分】fen1の意味は 部分、分割したもの など。
  【十分】の発音はchong1fen4 【分】fen4の意味は 成分、本分、職責 など。 

さて、お尋ねのこと「私はじゅうぶん満足した」はどう書くか。
 ・単純に量的に満たされたならば【十分】。
 ・心または腹が充足感を以って(徐々に内部から)満たされた場合は【充分】。
    としたいところです。
  
【充】については以下の用法で感覚をつかんで下さい。
 充電・充填・充足・充実・充溢・充血・充ちる(潮が、悪意に、月が、刑期がetc)
ついでに、
  「十分ご説明をいただいて、充分満足いたしました」のごとき用法も。

いまや、【十分】【充分】を使い分けるか否かは個人の好みです、読む人の感性に合わなければそれまでのこと、自己満足の域を出ません。いずれにせよ、公式文書や事務的文書では、好悪を捨てて、国語辞典を標準とするに越したことはありません。

そもそも【十分】と【充分】は別のことばです。

国語辞典では「十分」も「充分」も同じこと、を踏まえてのご質問と見うけます。
私は、事務的文書では「十分」に一本化していますが、私的文章では、両者を使い分けています。情緒的な差という人もいますが、語の本来の意味は異なります。
☆「十分」「充分」の意味が混同される原因は(推測です)、
 ・漢字本来の発音の違いが日本語では区別し難いため、便法で漢字音を決めた。
 ・旧かな遣いの時期は区別がし易かったが、新かな遣いになり混同を助長。
...続きを読む

Q拘らず・関わらず??

すみません。以前から気になっていたので正しい答えを教えていただけないでしょうか。

「かかわらず」という言葉の漢字変換なのですが,
例えば

 雨が降ったにも「かかわらず」,彼は傘を差さずにやってきた。

というような文の場合,正しいのは「関わらず」「拘らず」どちらでしょうか。

国語辞典で調べてみたのですが,よく分からなくて(+_+)
すみませんがよろしくお願いします。

Aベストアンサー

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められているのみです。それも「かかわる」でなく「かかる」です。「人命に係(かか)る問題」「係(かか)り結び」など。前者は、「人命にかかわる問題」のように表記されることもありますが、この場合(常用漢字の基準では)「係わる」でなく「かかわる」です。

結論としては、「それにもかかわらず」などにおける「かかわらず」は仮名書きが無難でしょう。漢字の場合は「拘わらず」が正しいといえます。ただし、パソコンでは「関わらず」と変換されることが多いようですネ。

漢字の場合、「関係」という言葉があるように、「関わる」と「係わる」の用法はほとんど区別がつきません。一般的に言えることは、「関わる」「係わる」は肯定的にも否定的(「関わらない」「係わらない」)にも使いますが、「拘わらず」は、肯定的に用いられる例が少ない、ということです。

ただし、肯定的な「拘わる」が誤りだと言っているのではありません。念のため。

「物書き」のひとりです。

まず、重要なことですが、「関・係・拘」のすべてが常用漢字ではありますが、その音訓表に「かか(わる)」がないことです。常用漢字は、「こうしなくてはいけない」といった性格のもではありませんが、一応、すべての文章を書き表す場合の指針ではあります。音訓表に無いものの代表的なもの(よく使われるもの)として「全(すべ)て」「画(えが)く」「〇〇に依(よ)れば/拠(よ)れば」などが思いつきます。

本件の「関・係・拘」に関して言えば、「係」に「かか」の読みが認められてい...続きを読む

Q「気をつかう」と「気遣う」

日常会話で「気をつかう」とよく耳にします。
掲示板では「気を使う」とよく目にします。
自分自身も今まで意識していませんでしたが使っていると思います。
それで本題ですが「気を使う」という言葉は正しいのでしょうか?
また、「気を使う(遣う)」と「気遣う」という言葉では意味の違いはありますか?

Aベストアンサー

No.1の方のおっしゃるとおり、二つとも日本語としてきちんと存在します。「正しい言葉」という表現事態に違和感を感じますが、まあ「正しい言葉」です。

例文挙げればなんとなくお分かりいただけるとおもうのですが。

<気を使う>

「お正月でお義母さんのところにも挨拶に行くんだけど、あそこに行くと、いつも気を使っちゃって疲れるのよね。」

(みんなといたが、みんなが退出して恋人と2人きりになったとき)「気を使ってくれたのかな?」
(この場合おそらく、気を利かせる、がより相応しいですが、気を使う、でもOKだと思います)


<気遣う>

(見舞いのお礼)「お気遣いありがとうございます。」
(「気を使っていただいてありがとうございます」って言ったらイヤミです。)

(父親が子供に)「静かになさい。お母さん疲れてるんだから、気遣ってあげなきゃ。」


基本的に、『気を使う』は「使う」ので、意図的であり、あれこれ考えて行動します。NO.2の方のおっしゃるとおり、疲れます。(笑)
『気遣う』は、自発的・内在的にある優しさがベースの概念だと思います。
『気を使う』ときは何らかのフィードバックを期待する策略を巡らせている場合もありえますが、『気遣う』のは無償のいたわりです。

No.1の方のおっしゃるとおり、二つとも日本語としてきちんと存在します。「正しい言葉」という表現事態に違和感を感じますが、まあ「正しい言葉」です。

例文挙げればなんとなくお分かりいただけるとおもうのですが。

<気を使う>

「お正月でお義母さんのところにも挨拶に行くんだけど、あそこに行くと、いつも気を使っちゃって疲れるのよね。」

(みんなといたが、みんなが退出して恋人と2人きりになったとき)「気を使ってくれたのかな?」
(この場合おそらく、気を利かせる、がより相応しいで...続きを読む

Q「~したい」「~したく」は目上の方に失礼な表現でしょうか?

私は入社2年目の駆け出しの会社員です。敬語の使い方について教えてください。
社内メールにて、自分が送信相手に何かを主張する時、「~したい」「~したく」という文を見受けられます。これは目上の方に失礼な表現でしょうか?
一方「~したいです」と使用すると、個人的にはやや幼稚な響きがあり、抵抗があります。
目上の方に対してはどのような表現が適切でしょうか?
また、他に何かいい表現があればご教授ください。

Aベストアンサー

こんにちは、No.4です。

「思う」「考える」という表現は政治家の選挙演説でも頻繁に使われますが、
自信が無いようには感じませんよね。
主張が一言だけで終わらないのは演説もビジネス文書も同じこと、
意志や主張の強さは文脈の前後で調整していけば良いと思います。

ケースバイケースですが、
自分が「こうだ!」と思っても相手はそう思わない場合もあるので
文をマイルドにしてくれるこういた柔らかい表現、私は重宝していますよ。
(一方的な主張に終始して失敗したこともありますので・・(^^ゞ)

堅めに書くなら他に
「~を検討しています」
「~の実施を検討しています」
などという表現も使えるかも知れませんね。

Q「ありますでしょうか」はアリなんでしょうか?

 最近、ネットやメールで「ありますでしょうか」という言い方をよく目にしますが、これは日本語として正しい形なのですか?

 「でしょうか」は「です」の疑問形と思っているので、「ありますでしょうか」は「ます」と「です」を二重に使っているように感じ、私にはどうもしっくり来ません。

 過去、ファミレスでよく聞く「よろしかったでしょうか」にも違和感を感じましたが、これが実は過去形の「た」ではなく、丁寧語の「た」であり、正しかったという経験以来、自信が揺らいでおります。

 どなたかすっきり説明して頂けないでしょうか?よろしくお願い致します。

Aベストアンサー

はじめまして。

「ありますでしょうか」は間違った日本語です。

正しい日本語文法では
「ありますか?」
「あるでしょうか?」
になります。

このどちらも、「ます」「です」といった丁寧語がそれぞれ使われており、敬語を少しでも使っているという点で常体ではなく、相手に失礼な表現にはなりません。

ご質問の例は、「でしょう」が常体だと勘違いしているところから起こった現象だと思われます。「でしょう」=「だ」の丁寧語「です」の未然形+婉曲表現を表す助動詞「う」の複合語だということを知らない人の誤用です。

「でしょう」は既に敬体なので、ます+でしょう=ますでしょうは、2重に丁寧語を遣い、おかしな表現になっているのです。どちらか一方の丁寧語で十分敬語になるのです。

ただ、「ありますでしょうか」が相手への敬意を増幅させるため、2重の丁寧語を使用した形、と言えば何も失礼なことはなく、迷惑のかかる表現でもないので、自然に定着の様相を見せているのでしょう。

これは「アリなんでしょうか」が通じる理由と同じです。この文は「アリ」を名詞化した表現です。分解すると

アリ:
「有る」の名詞化(口語)

なん:
断定の助動詞「だ」の連体形+助詞「の」+断定の助動詞「だ」の終止形=「だのだ」→「なのだ」→「なんだ」と転用したもので、2重に断定を遣っており強い断定になります。ここでは、語幹の「なん」の使用となります。「なの」に比べて「なん」はより口語的になります。

でしょう:
丁寧語「です」の未然形+婉曲の助動詞「う」

か:
疑問の終助詞

口語では、この語がまかり通るように、ご質問の「ありますでしょうか」もまかり通っているということです。ただし、文法的にはどちらも間違いですが、、、。

以上ご参考までに。

はじめまして。

「ありますでしょうか」は間違った日本語です。

正しい日本語文法では
「ありますか?」
「あるでしょうか?」
になります。

このどちらも、「ます」「です」といった丁寧語がそれぞれ使われており、敬語を少しでも使っているという点で常体ではなく、相手に失礼な表現にはなりません。

ご質問の例は、「でしょう」が常体だと勘違いしているところから起こった現象だと思われます。「でしょう」=「だ」の丁寧語「です」の未然形+婉曲表現を表す助動詞「う」の複合語だということ...続きを読む

Q「以降」ってその日も含めますか

10以上だったら10も含める。10未満だったら10は含めない。では10以降は10を含めるのでしょうか?含めないのでしょうか?例えば10日以降にお越しくださいという文があるとします。これは10日も含めるのか、もしくは11日目からのどちらをさしているんでしょうか?自分は10日も含めると思い、今までずっとそのような意味で使ってきましたが実際はどうなんでしょうか?辞書を引いてものってないので疑問に思ってしまいました。

Aベストアンサー

「以」がつけば、以上でも以降でもその時も含みます。

しかし!間違えている人もいるので、きちんと確認したほうがいいです。これって小学校の時に習い以後の教育で多々使われているんすが、小学校以後の勉強をちゃんとしていない人がそのまま勘違いしている場合があります。あ、今の「以後」も当然小学校の時のことも含まれています。

私もにた様な経験があります。美容師さんに「木曜以降でしたらいつでも」といわれたので、じゃあ木曜に。といったら「だから、木曜以降って!聞いてました?木曜は駄目なんですよぉ(怒)。と言われたことがあります。しつこく言いますが、念のため、確認したほうがいいですよ。

「以上以下」と「以外」の説明について他の方が質問していたので、ご覧ください。
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?qid=643134

Q「私としては」の使い方を教えていただけませんか

 日本語を勉強中の中国人です。文頭に置かれる「私としては」という言葉の使い方を教えていただけないでしょうか。ちなみに、この言葉は場合によって失礼になる可能性もあるでしょうか。もし思い浮かべられる失礼にあたる具体例がありましたら、それも挙げてくだされば幸いです。自粛いたします。

 また、質問文に不自然な表現がございましたら、それも教えていただければありがたく思います。よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

「私としては」は、「私の考えでは」「私の立場では」といった意味です。
「私としては~と思う」のような使い方が一般的ではないかと思います。
「以下に述べることは、間違いなく私自身の考え方(または、私自身の立場)に基づいたものです」といったニュアンスになります。
自分独自の考え(あるいは立場)である点を明確にしたい意図があります。
これと対照的な表現は「一般的には」でしょう。
「一般的には~」と言うのは、自分だけの考えではない、ということを言いたい場合です。

「私としては」は、発言に対する責任を明確にする意図があるので、むしろ、潔い(いさぎよい)表現と言うことができるでしょう。
ただし、【自分に決定権の無い事柄】についてこの表現を使うと、出しゃばりだと思われ、失礼な印象を与える場合もあります。
そのような場合には、「私としては~と思う」ではなく「私は~と思う」という表現をするほうが自然です。


>もし思い浮かべられる失礼にあたる具体例がありましたら、それも挙げてくだされば幸いです。自粛いたします。
→具体例がございましたら、それも挙げてくだされば幸いです。自粛の参考にさせていただきたいと思います。

「思い浮かべられる失礼にあたる具体例」でも間違いではありませんが、無いほうがすっきりした表現になります。
 

「私としては」は、「私の考えでは」「私の立場では」といった意味です。
「私としては~と思う」のような使い方が一般的ではないかと思います。
「以下に述べることは、間違いなく私自身の考え方(または、私自身の立場)に基づいたものです」といったニュアンスになります。
自分独自の考え(あるいは立場)である点を明確にしたい意図があります。
これと対照的な表現は「一般的には」でしょう。
「一般的には~」と言うのは、自分だけの考えではない、ということを言いたい場合です。

「私としては」は、発言...続きを読む

Q「いずれか」と「いづれか」どっちが正しい!?

教えて下さいっ!
”どちらか”と言う意味の「いずれか」のかな表記として
「いずれか」と「いづれか」のどちらが正しいのでしょう???

私は「いずれか」だと思うんですが、辞書に「いずれか・いづ--。」と書いてあり、???になってしまいました。
どちらでもいいってことでしょうか?

Aベストアンサー

「いずれか」が正しいです.
「いづれ」は「いずれ」の歴史的かな遣いですので,昔は「いづれ」が使われていましたが,現代では「いずれ」で統一することになっていますので,「いずれ」が正しいです.

Q「観点」と「視点」の使い分け

「観点」と「視点」は、どう使い分けたらいいでしょうか。用例なども含めて、教えてください。

Aベストアンサー

私の語感でお答えします。

私は、視点と観点の両方を用いますが、
視点の方は、「見る、目を向ける」という意味合いを
強く引っぱっているように思います。

視点を「考え方・見方」という意味で使う場合も、例えば、「視点をかえる」という場合、「こっちから見れば、こう考えられるが、発想を転換すると、異なる考え方もできる」という意味で用いる際、「表から見ていたものを、方向を変えて裏から見る」など、物事を見る場合の立ち位置――しかも矢印で表せそうな――見る際の方向を表すイメージがあります。

一方、「観点をかえる」といった場合、視点と同じ意味合いを持ちつつも、単なる方向だけではなく、「考える次元や、そもそもの思考の基盤をかえる」という意味が加わると思います。

したがって、私の語感では、例えば、「哲学とは無関係に思われた事柄を、そもそもの前提を見直して、哲学の立場から考察すると」という場合、「哲学的観点に立てば…」とは言いますが、「哲学的視点に立てば…」はやや表現の適切さに欠けるように思われます。
 ただし、「そもそもの前提を見直さないで、単に考えの方向を変えてみて」という意味でなら、「哲学的視点では」とも言えると思います。

視点と観点とは、totanさんが挙げた:
視る→まっすぐ目を向けてみる、一点を集中して見る。
観る→多くを並べてみくらべる、広く見渡す。
という漢字本来の意味内容をかなり正確に引き継いでいるのではないかと感じます。

以上、私の語感でした。

私の語感でお答えします。

私は、視点と観点の両方を用いますが、
視点の方は、「見る、目を向ける」という意味合いを
強く引っぱっているように思います。

視点を「考え方・見方」という意味で使う場合も、例えば、「視点をかえる」という場合、「こっちから見れば、こう考えられるが、発想を転換すると、異なる考え方もできる」という意味で用いる際、「表から見ていたものを、方向を変えて裏から見る」など、物事を見る場合の立ち位置――しかも矢印で表せそうな――見る際の方向を表すイメージがあります...続きを読む

Qうろ覚え?うる覚え?どちらでしょうか!?

私はずっと「うろ覚え」と使っていたのですが

最近ネット上で「うる覚え」という表現を見かけるようになり
どちらが正しいのかわからなくなってきましたぁ~!

どちらが正しいのでしょうか?

※ちなみにCD-ROMの辞典で調べると「うる」は出てこなかったんです・・・。

Aベストアンサー

うろ覚えが正解です。

過去にもありましたね、この質問。

参考URL:http://www.okweb.ne.jp/kotaeru.php3?q=167373


人気Q&Aランキング