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靖国神社に祀られているA級戦犯がよく問題になると思います。
特に中国や韓国、日本国内でも分祀するべきだという意見がありますが、なぜ彼らはA級戦犯にこだわるのでしょうか?
戦犯は、A級「平和に対する罪」、B級「通例の戦争犯罪」、C級「人道に対する罪」とありますが、これはあくまで罪の種類であり罪の重さではないと私は思います。
中国や韓国から「A級戦犯を分祀すれば首相の参拝も認める」というような意見がありますが、B・C級戦犯はそのままで問題ないんでしょうか?
A級戦犯を認めないのであればB・C級戦犯も認めない、B・C級戦犯を認めるのであればA級戦犯も認めるのが普通だと思いますが・・・。
なぜA級戦犯だけにこだわるのか理解できません。
(もちろんB・C級戦犯も認めない、あるいは靖国神社そのものを認めないという意見もあるかもしれませんが・・・)
知ってる方ぜひ教えてください。よろしくお願いします。
ちなみに私は分祀の必要はないと思っています。首相の参拝にも賛成です。

A 回答 (10件)

>ちなみに私は分祀の必要はないと思っています。

首相の参拝にも賛成です。

そう思っているのならなぜ質問するのですか?
「自分の中では答えは出ているが他の人の意見も聞きたい」というのならアンケートカテでやってください。
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>戦犯は、A級「平和に対する罪」、B級「通例の戦争犯罪」、C級「人道に対する罪」とありますが、これはあくまで罪の種類であり罪の重さではないと私は思います



その通りで、罪の種類での分類です。
「A級戦犯」なる語が出来たのは、東京裁判について定めた『極東国際軍事裁判所条例 』の中に、それぞれ罪の種類が定められおり、その分類にA・B・Cとあったからです。(日本語訳文書の「イ・ロ・ハ」にあたる)

===以下引用===
『極東国際軍事裁判所条例 』

第五条 人並ニ犯罪ニ関スル管轄

本裁判所ハ、平和ニ対スル罪ヲ包含セル犯罪ニ付個人トシテ又ハ団体員トシテ訴追セラレタル極東戦争犯罪人ヲ審理シ処罰スルノ権限ヲ有ス。

左ニ掲グル一又ハ数個ノ行為ハ個人責任アルモノトシ本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪トス。

(イ)平和ニ対スル罪 即チ、宣戦ヲ布告セル又ハ布告セザル侵略戦争、若ハ国際法、条約、協定又ハ誓約ニ違反セル戦争ノ計画、準備、開始、又ハ遂行、若ハ右諸行為ノ何レカヲ達成スル為メノ共通ノ計画又ハ共同謀議ヘノ参加。

(ロ)通例ノ戦争犯罪 即チ、戦争ノ法規又ハ慣例ノ違反。

(ハ)人道ニ対スル罪 即チ、戦前又ハ戦時中為サレタル殺人、殲滅、奴隷的虐使、追放、其ノ他ノ非人道的行為、若ハ犯行地ノ国内法違反タルト否トヲ問ハズ、本裁判所ノ管轄ニ属スル犯罪ノ遂行トシテ又ハ之ニ関連シテ為サレタル政治的又ハ人種的理由ニ基ク迫害行為。

上記犯罪ノ何レカヲ犯サントスル共通ノ計画又ハ共同謀議ノ立案又ハ実行ニ参加セル指導者、組織者、教唆者及ビ共犯者ハ、斯カル計画ノ遂行上為サレタル一切ノ行為ニ付、其ノ何人ニ依リテ為サレタルトヲ問ハズ、責任ヲ有ス。

データベース『世界と日本』
東京大学東洋文化研究所 田中明彦研究室より
http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents …
===以上===

ただし、A級戦犯の「平和ニ対スル罪」が一番「重要視」された罪であることを考えると、(重要性という意味で)もっとも重い罪とも言えます。


>なぜA級戦犯だけにこだわるのか理解できません。

やはり、「もっとも重用視された罪」で裁かれたからでしょう。
言い換えれば、「日本の侵略戦争の象徴」という面があるからです。
因みに、中国や韓国が「首相の靖国参拝問題」を言い始めたのは、1985年移行の事です。
それ以前にも、現役の首相や昭和天皇も参拝しています。
ただ、「終戦記念日」という政治的に意味の大きい日に参拝したのは1975年の三木武夫首相(当時)からです。
その時、「終戦記念日」に参拝するのは「政治的意味が込められている」ので、憲法に定める「政教分離」に違反するとして野党が大反発しました。
三木首相は「私的参拝だから、違反しない」とし、その後の歴代首相も「終戦記念日」に参拝していました。(大平正芳首相を除く)
その度に、「公私問題」が慣例行事となってました。

そして、1985年に中曽根康弘首相(当時)が「靖国参拝は総理大臣の公的な行事」にしようと参拝しました。
当然、野党や世論から大批判が飛びました。
そして、何故か中国もこの批判合戦に参戦してきました。
そのため、中曽根首相は「公式参拝」では無かったとして釈明に追われました。
これ以降は、首相の「公式参拝」という形は取られておらず、全て「私的参拝」としています。

さて、何故中国が批判合戦に参戦したかですが、これには当時の社会状況などから幾つかの理由が考えられます。
一つめは、「歴史教科書問題」が日本で持ち上がっていたことが上げられます。
1982年6月に小学校向け歴史教科書を検定したとき、旧・文部省が幾つかの記述の変更を求めました。
このことを報じるときに、大手新聞社が「華北へ侵略」を「華北に進出」に変えさせたと報じました。
これに、野党・世論を巻き込む大論争となりました。
結果的には、幾つかの検定意見が付いたことは確かですが、「侵略」を「進出」に書き換えるようにとの意見は誤報でした。
しかし、問題は紛糾してマスコミで大きく取り上げられるようになっていました。
その時、中国が公式に抗議し外交問題にまで波及します。
結果として、宮澤喜一官房長官談話を出したり、鈴木善幸首相が訪中の際に陳謝するなど沈静化を図る対応に追われました。(つまり、外向的には中国の圧勝)
おそらく、この時に日本国内の歴史論争を利用した所謂「歴史問題カード」の旨みを知ったのではと推測できます。

もう一つは、1985年当時の中曽根首相は米国との関係を重視し、当時の大統領であるレーガンとの間に「ロン・ヤス関係」と言われるほどの蜜月関係を作り出していました。
当時は冷戦期でもあり、常に「東西陣営のぶつかり合う核戦争」というのが起こるかもしれないという緊張関係にありました。
その時に、中曽根首相の靖国公式参拝問題が持ち上がりました。
そんな社会情勢の中、日米関係への「牽制」の意味で「抗議」したのではと思われます。

もう一つは、中国国内の世論状況から引くに引けない状況になったからというのもあると思います。
1985年に「牽制」の意味で投げた「靖国カード」が、「北京大学の学生を中心とする反日運動」という思わぬ形で跳ね返ってきたワケです。
ここまで、反日運動が高まったのは、1985年というのが「対日戦争勝利40周年」というのも影響しているとおもわれます。
当時の中国は、日本との経済関係を強化しようという時期でしたので、ちょっとした「牽制」程度で終わるつもりが、国内世論に押され引くに引けない状況になり、結果として毎回の「靖国参拝反対キャンペーン」を行わざるを得なくなったわけです。

とまぁ、外交カードの一つに「歴史カード」が有効であると知った中国が、当時の世界情勢や国内のムードに押され「靖国問題」を切ったモノの、国内世論が予想以上に盛り上がり、結果として「弱腰」と国民に言われないようにとりあえず「抗議」せざるを得ない状況に陥ってるという感じでしょうか。

>「A級戦犯を分祀すれば首相の参拝も認める」

というのも、上記の状況を示していると思われます。
「侵略戦争の象徴」であるA級戦犯をスケープゴートに「靖国カード」を捨てたいのが本音なんでしょう。(だからB級・C級戦犯は問わない)
外交問題というよりも中国国内の問題の方が大きくなっている観がありますし。
つまり、経済的な意味からも日中関係は良好にしておきたいのだけど、日本の首相が靖国に参拝すると、中国国内で反日ムードが高まり、中国政府が何も言わないと、国内のムードの熱が自分たち(中国政府)に向くので、ガス抜きの為に言わざるを得ない。
しかし、あまりこの問題にこだわると経済問題にも波及しかねないから、出来れば避けたい。
日本も中国との関係悪化は経済的に避けたいから、「私的参拝」であることにこだわり、場合によっては終戦記念日を避けて配慮する。
と、こんな感じだとおもいます。

長文で失礼しました。
参考になれば幸いです。
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何か事件が有った時、最終的に責任を取る人が必要になります。


日本が潜像を起こし、沢山の人が死にました。
その事に関しての反省と責任をだれかがとる必要があります。
だれも責任をとらないという事は、現在の社保庁などの官僚組織のように、全く改善されない無責任体質が、依然と変わらない状態で続くことになります。
A級戦犯の人達は、その戦争の責任者として、国民の多くに、「死んで来い」と命令した人達です。
指揮官は、最終的な責任を取る事と引き換えに、部下に命令する権限が与えられています。
戦争で負けたことに対する責任は、国民に「死ね」と言った戦争指導者がとらねばなりません。
それが、A級戦犯です。
A級戦犯の人は、自分自身が戦犯となる事で、国民全ての責任を被ったともいえ、ある意味犠牲者でもあります。
しかし、彼らは、最終責任を取るという事で、日本の指導者になり、国民に戦争での死や犠牲を求めたのです。
ですから、戦犯としての責任を取るのは当然の事であり、彼らを無罪だとする事は、戦犯として刑に服した人達の行為を、責任をとったことを、無にする行為にしかなりません。
A級戦犯として死んでいった人達を、無実だと叫ぶ行為こそ、彼らの死を無駄死ににする行為であり、あまつさえ、英雄として祭る行為は、許されるものではありません。
感謝はしてもです。

靖国神社も同じです。
戦死した人達は、その身を犠牲にして、平和の尊さ、民主主義のすばらしさを教えてくれました。
しかし、彼らを死に追いやった靖国神社を参拝する事は、彼らのもたらした平和の尊さ、民主主義のすばらしさを否定する事になります。
神道の世界では、死者を祭るのは、祟り神としてです。
靖国神社が神道であるならば、戦死者を神として崇めているのは、「戦死者のみなさん、死ねと命令して、死んでしまいましたが、たたらないでくださいね」という理由からでしかありません。
これは、戦死者の尊い命を無駄死にとしている事でしかありません。
靖国神社参拝ではなく、千鳥が淵に参拝しましょう。
また、分祀は絶対にいけません。
分祀を行えば、増えてしまいます。
分祀とは、元のところにも残ったまま、別の所にも祭ることを言います。
靖国神社では、廃祀すべきです。
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一応は、A級が平和に対する罪だからという主張でしょう。

ヒトラー崇拝が禁止されているように、特別な犯罪だからというのは一応は筋は通っています。

B、Cは他の戦争でも普通にある犯罪で特別視しません。


なぜヨーロッパはヒトラーにこだわって、他の通例の戦争犯罪者や人道に対する罪を犯した犯罪者にはこだわらないのか?
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>なぜ彼らはA級戦犯にこだわるのでしょうか?



先ず、極東軍事裁判で裁かれた「A級・B級・C級」というランクは、戦争責任・罪の重さで区別しているのではありません。
また、極東軍事裁判は「戦争責任を裁いた裁判では無い」事は、当時の裁判記録を読めば理解出来ます。
事実、連合国(検察側)が「戦争責任は、陸海軍の統帥権を持つ天皇にある」という資料を作成した事を知った東條秀樹は「戦争責任は、自分にある」と裁判で述べています。
が、裁判所では「一切、この発言を却下」しています。
この裁判は、戦争責任を裁く裁判でなかったとの理由からです。

では、世界有数の反日国家である中国・南北朝鮮が「A級に拘るのか?」。
中国・南北朝鮮の「国定教科書で、A級戦犯に戦争責任がある」と教育しているからですね。
文化大革命で数千万の人民を殺害した当時の責任者は、毛沢東ですね。
直接殺害行為を行なった者は、名前が不明な者が多いです。
しかし、「文化大革命=毛沢東」という図式は確立しています。
同じ理由です。
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元々は、戦争に犯罪人なんてのがあるのかが疑問です。


戦争自体が国際法に則った公然たるもので、中には非戦闘員に対する卑劣な行為をした者も各国の部隊にはいたでしょう。
しかし、この軍法ものとは東京裁判は違いますよね。
この東京裁判自体が戦勝国の「報復」であって、時を同じくして異国にて裁かれた日本人もBもCもなく処刑されていたと聞きます。
よく私の祖父は帰ってこれたと思います。

罪の重さとは言いますが、A級とされた「笹川良一氏」など何人も処刑はされていませんよね。なぜでしょう。
GHQのさじ加減か合衆国の世論次第だったようにも思えます。
そもそも仕掛けたのは合衆国で、自らの行いを隠すために日本を犯罪者に仕立て上げただけでしょう。祖父母はそのように言っていました。

中・韓の両国は回答者No.2の方の言う通りで、特に中国は江沢民が国家主席になったあたりからです。
江沢民は、日本に対して「靖国、歴史問題・・」などを後世まで言い続けろとの申し送りまでしているそうですよね。
実際、分祀は両国にとっては、弱腰の日本にっての外交カードの一つになってしまっています。
例え、分祀が妥当となっても、次には他の要求をしてくると考えられます。

質問者さんの考えている通り、理解に苦しみますが、国内の不満を日本に向けさせるには都合のよいものと思います。
特に、中国は共産国です。宗教活動は統制には不要で、日本の神社などはテーマパークぐらいにしか思ってないのかもしれませんね。

A級、B級だ、分祀なんてのは言わせておけばよいと思います。
問題があるとは思えません。

合衆国は、A~Cのすべてに当てはまりますよね。
歴史上最悪の人道的な罪を広島と長崎にしちゃいました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
中国や韓国が国益や国策のために靖国を利用しているというのは何となく感じます。

お礼日時:2009/05/07 00:43

>これはあくまで罪の種類であり罪の重さではないと私は思います。


事実としてはその通りです。
(No.1の方の回答にある解釈ではありません)
一方で、Aというカテゴリーの罪に問われたのは、殆どが政府や軍部の指導的立場にあり、国家の運営に大きな責任を負っていたのも事実です。
ですから、A級戦犯は国家の指導者であるので、B、C級とは別だという理屈も成り立つかと考えます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
A級戦犯が政府や軍の関係者ばかりなので、A級が注目されてしまうわけですね。

お礼日時:2009/05/07 00:37

ドイツではA級、B級は殆ど問題にされずC級にあたる「ユダヤ人などへの迫害」が特別に問題視されます。


例えばヴァイツゼッカー大統領の父親エルンスト・フォン・ヴァイツゼッカーは「侵略戦争の指導(A級)」や「ユダヤ人迫害への荷担(C級)」などで戦犯として有罪になっています。
そしてヴァイツゼッカー回想録では父の罪状に関し、A級については「まったく馬鹿げた非難だった。真実をちょうど裏返しにした奇妙な話である」と全面的に否定し、戦犯裁判の不当性を非難しているのに対し、C級については不自然な事に一切言及がなく、父がユダヤ人迫害に関わった事を意図的に隠蔽しているとしか思えない記述になっています。
このような事を考えればA級、B級、C級などの枠組みにこだわるのは多分に政治的な意味合いが強いと思われます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはり、政治的な要素も考えられますね。

お礼日時:2009/05/07 00:31

自分としてはA級にこだわるのは単なるスケープゴートのような気がします。


 実際戦後、中国との国交正常化以降多くの首相・政治家が参拝してきましたが、中国はこれに反対の意思を示しませんでした。
 実際問題になったのは朝日新聞が騒ぎ立てた以降からです。

 又、当時の国際法において「平和に対する罪」なんてものはありませんからね。基本彼らは無罪です
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
東京裁判そのものに疑問を感じます。パール判事が正しいと信じたいものです。

お礼日時:2009/05/07 00:11

>これはあくまで罪の種類であり罪の重さではない・・・。


という考え方は一般的ではないでしょう。一般的にはA級戦犯とは「戦争指導者」であり、戦争を起こした張本人として、もっとも重い罪の者、と解釈されます。事実A級戦犯に無名の兵士などおらず、戦争開始時に重要な役割を演じた政治家等ばかりです。
B・C級戦犯は戦争を起こした張本人ではなく、起きてしまった戦争の中で、殺戮・虐待などの犯罪行為に及んでしまった者であり、これらの人々は考えようによっては戦争の犠牲者といえなくもありません。実際かなり下級の兵士がBC級戦犯に含まれています。
中国指導部の考え方も「太平洋戦争は日本の一部の戦争指導者(軍国主義者)が起こしたものであって、多くの一般日本人は戦争被害者である」というものです。ですからA・B・C戦犯をひとまとめに考えてはいないのです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、A級とB・C級は分けて考えなければいけないということですね。仮にB・C級戦犯が犠牲者であるとすれば戦犯として裁かれたこと自体が間違っていたとなりますか?

お礼日時:2009/05/06 23:50

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