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 経験に依拠するべきだとする主張が経験主義Empirismusであるとすると、個的啓示体験(神の声を聴く)による主張も受け入れられるはずですが、そうはせずに、実情は、大多数の無啓示経験に限定することを前提にしているのでしょうか? そうでないとしたら、(啓示体験を下にしている主張を経験主義と呼んでいる)具体的な事例を教えてください。

A 回答 (3件)

 最初に仰られる経験主義は、たぶんマッハの実証主義的な意味合いでお書きだと思いますが、「個的啓示体験(神の声を聴く)」という部分は、些か取扱いが微妙です。


 例えば、ジョン・ロックは啓示をふたつに区分しました。ひとつが伝承的啓示と呼ばれるもので、かつてむかしの聖人が受けた啓示の話(具体的にはアウグスティヌス)を信じた信者たちが、自分もその啓示を信じると表明する場合の啓示のことです。
 もうひとつが本原的啓示と呼ばれるもので、嘘かまことか特異な体験をした、その当人が実際の経験談を語る場合に表明する啓示です。このふたつの啓示を区別したのがロックですが(彼も経験主義の一員でしょう?)、『キリスト教の合理性』を読まれるとわかると思います。
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この回答へのお礼

情報をありがとうございます。『キリスト教の合理性』を読んでみます。経験主義ロックからは、前者の信者たちの姿勢は非経験主義の合理性として批判されそうであり、後者に対してはどうしたのかが興味深いです。おそらく、ロックには啓示体験がないでしょうから、その自分の体験にのみ基づいて、他者の主張する啓示体験という経験を無視抑圧する経験主義なのか、それとも、自分は体験していない他者の主張する啓示体験を尊重するのか。前者でないと啓蒙運動は展開できませんから、前者でしょうね、きっと。

お礼日時:2009/05/10 23:09

 お礼をありがとうございます。

若干、補足させてください。

 >おそらく、ロックには啓示体験がないでしょうから

 どうでしょうか。これに関してピンポイントの議論としては、『人間知性論』のL57からが良いでしょう。ロックが神の存在証明をする部分です。政治や権力にはびこる伝承的啓示世界の坩堝から、ロックは初めて個人の経験を切り取った人物です。どうやったか。彼は神ではなく人間のその感覚を通じて神を証明し、自然法体系を築き上げました。
 どうも、こっちの冊子のほうが良さそうですよ。
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[実情は、大多数の無啓示経験に限定することを前提にしているのでしょうか? ]


この質問に対する回答は、一般論と特殊論で変わりますね。
科学技術、工学では無啓示経験に限定していますね。
ところが一般論ではそうでもないですね。実生活の上での経験主義は意味を追求しても答えのないものがたくさんありますね。
葬式での「お清めの塩」、実体があるのになぜかと問うと明確な回答はないですね。このように、昔からそうしているのだといって疑いもなく存在している経験が山ほどありますね。一定の疑問はありますが、いつの時代かに誰かが啓示体験をしたとも考えられますね。
この世に実体さえないのに処女生誕などということを信じる実体が存在するとか、たとえ、「経験に依拠するべきだとする主張」しても思考は一貫していない場合が多いですね。
つまり、言い切れば自らを責めることになりかねないジレンマがありますね。
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