ローマ帝国についてお詳しいかたにお願いします、是非ご教示ください。

こちらではないQ&Aサイトでこんな文面を読みました。<引用>
>古代の人は考えて、それを民主主義というシステムとして採用して自分たちの集団に繁栄させた。
>それがローマ帝国。
>皇帝いましたけど、絶対的な権力者ではなく、民衆からリコールされることもあった。<引用終わり>
注)引用部中の繁栄はおそらく反映の誤記です。

お聞きしたいのは以下の点です。
1)ローマ帝国に元老院があった事は存じておりますが、民主主義と呼べる政治形態だったのか?
2)歴代ローマ皇帝に、引用部にあるような民衆からリコールされた皇帝がいたのか?実在したのなら、名前と在位をお教えください。

塩野七生さんのローマ人の物語を読んで古代ローマに興味を持っています。それだけに気になったのですが。。。

お暇なときで結構です。是非お教えください。

A 回答 (6件)

>民衆からリコール


というよりは「元老院から」ですね。

元老院が処刑の決議をしたという知らせを聞いてまもなく自殺したネロ(AD 37-68)、皇帝の地位をお金で買おうとしたが支払いが滞り、ブリタンニアあたりの軍隊の反乱もあって元老院に見限られたディディウス・ユリアヌス(AD193)

ほかにコンモドゥス、ドミティアヌスあたりも暗殺された後、元老院有力者の意向に沿った皇帝が即位しています。何らかの工作があったと考えた方が自然です。他にも暗殺、反乱軍に殺害、戦死などとされている皇帝のなかにも元老院有力者が裏で手回ししたと考えられる例は多数あります。

塩野さんの著書はおもしろいものも多くありますが、固有名詞の書き方が独特なこともあり、他の資料とつき合わせるのが面倒なことがあります。その点は認識しておいた方がよいでしょう。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

元老院に嫌われて失脚した皇帝なら、理解できます。
よくよく考えてみれば、民主主義だったのなら「帝政ローマ時代」とは書かれないで「民主制ローマ」と書かれるはずですものね(帝政の前は共和制ローマ、と言われていたのですから)

やはり、私が目にした記述(質問の引用部分)は誤りですね。

>固有名詞の書き方が独特
確かに、世界史の教科書にあった人名と一部異なった部分がありました。

お礼日時:2009/05/13 20:00

>porepore47さまも、この引用に違和感を感じたからご回答下さったのですよね?


もし、そうなら塩野さんの(そして一般的な常識)が正しく、引用にあったような解釈は間違いだと思って良いのだと安心いたします。

記録に残った”事実”から、解釈する”真実”は幾様もありうるので、塩野”史観”が正しいか、あるいは、質問者が目にされた"史観=解釈”が正しいか、絶対的な判定は出来ないと思います。私は塩野さんの”史観”に賛同しますが。
いずれにせよ、異なる史観を知った上で、自分の史観を築き上げればよいことで、あれが間違っているかどうか、他人に聞くでも無いことだと思いますが。
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この回答へのお礼

うーん、史観などと大げさな話をするつもりは無かったのです。
史実として、ローマ皇帝に民衆からリコールされた者がいたのか、を知りたかったのです。

どうやら、(軍人や元老院によるリコールという名の殺害を除けば)いなかったようだ、との考えを固めました。
誤解されるといけないので申し上げますが、私は質問文にあった引用部の史観には大いに疑問を持っているから質問したのです。
porepore47を含め多くの方の多角的なご意見から、どうやら私が読んだQ&Aサイトの記述はデタラメであったのだろうと考えます。

お礼日時:2009/05/14 19:19

ローマの最初に皇帝になったといわれる


オクタビアヌスは、元老院の推挙で
「尊厳者」=アウグストウスという今までに
なかった地位の座になった、後世、その
「尊厳者」のことを皇帝といっている
つまり、オクタビアヌスは元老院からの支持を
背景に、その地位になったわけで、これは
民主主義とは違うが、地位の高い階層からの
代表者たちで運営の議会のような元老院の
支持なくしては「尊厳者」たりえなかった
オクタビアヌスのあとの歴代皇帝たちも
元老院の推挙を得て、その地位につき
必ずしも世襲による座ではなかった。
しかし、元老院も尊厳者も両者、無限の
権限があったわけではなく、お互いが
協力し合ってローマの統治をやっていったが
歴代皇帝たちには元老院と上手くやった者も
元老院と政争をした皇帝もいた、
とくに元老院と抗争が激しかったのは
コンモドゥス帝で、彼は何度も暗殺未遂に遭って
疑り深くなり元老院のメンバーを多く抹殺して
元老院は壊滅寸前になったという。
帝政以前はスパルタクスの反乱のような
大きな内乱があったが
帝政ローマ時代では同じローマ人の民衆が
帝国を脅かすほどの大きな反乱を起こしたのは
少なかったと聞いていますが
しいてあげるなら、キリスト教がローマ圏内で
普及が広がり、皇帝がキリスト教を容認する人も
弾圧するひともサマザマで、キリスト教を迫害して
統治に大きな支障が出た皇帝は何人かいたみたいです。
民衆というのとは違うが、ローマ軍は、帝政時代
反乱が多いかったです、皇帝は軍人出身でなくても
よかったが皇帝の座では軍の最高司令官で
軍の機嫌を損なうと皇帝といえども身に危険が
「皇帝親衛隊」という集団は、名のとおりの群れで
軍の精鋭部隊だったが、その権限を濫用するあまり
自分たちに都合がよい皇帝を推挙したり
親衛隊を粗略に扱う皇帝を暗殺したりすることが
何度かあり、そうなっては親衛の意は吹っ飛んで
ますが
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この回答へのお礼

長文の回答ありがとうございます。

全体として私が知りたかった点として、
1)民主主義ではなかった
2)民衆にリコールされた、ではなく軍人によってリコールはあった
事が分かりました。

お礼日時:2009/05/14 19:14

私も今読んでいますが、「ローマ人の物語」を読まれているなら、すべて答えは書かれていると思います。

塩野さんの解釈と異なる答えを求められているのでしょうか?
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この回答へのお礼

>異なる答えを求められているのでしょうか?
いえいえ、全く逆です。
塩野さんの本と自分の過去学んだ世界史の記憶と、相容れない書き込みを見たので、ここで質問をさせていただきました。

porepore47さまも、この引用に違和感を感じたからご回答下さったのですよね?
もし、そうなら塩野さんの(そして一般的な常識)が正しく、引用にあったような解釈は間違いだと思って良いのだと安心いたします。

お礼日時:2009/05/13 19:56

私も塩野さんの本を読んだ上での解釈となります。



1)塩野さんは元老院を「指導者層の人材バンク」みたいな表現をしていたと思います。
ローマ帝国がパックスロマーナの時代は、人材供給ができたが、後になると人材補給されなくなった。
「名前からすれば、カエサルやオクタビアヌスらによって、蛮族から元老院入りしたものの子孫」が活躍していたが、(確か)塩野さんがローマ人ならざるローマ人とか表現していたスティリコなどは、優秀であるにもかかわらず元老院のメンバーになれず、軍人で終わっている。
これが、人材バンクが機能しなくなった例だ、なんてことが書いてあったような。

2)民衆のリコールと言うより、軍団(後期には親衛隊)による殺害ですね。原理的には市民の同意で皇帝になるわけで、軍人=市民という原則あるので、そのようになったかと。

そもそも民主主義というのをどう定義するか問題があるわけで、それを無視して「民主主義が」なんていうのは、大雑把すぎるような気がする。

元首=指導者の選択における民衆の参加。
というのを形式的に民主主義の成立とすると、形式的には民主主義がローマ帝国には貫徹されている。
塩野さんの他のところでの発言ですが、「なぜ、キリスト教を受け入れたか?」という疑問に対して、氏はこう述べていた。
「人間によって皇帝が決められると、世襲制はしづらい。ところが人間でない神が皇帝を決めるなら、世襲制がしやすい。なぜって、神の代理人である宗教的指導者は、現皇帝によって地位に就いているのだから」
なるほど、キリスト教の受容とはこういうことかと思いましたです。
これによって、民衆による皇帝決定という制度は終わった。
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この回答へのお礼

回答かりがとうございます。

確かに、民主主義の定義もなく引用にあったような決め付けは大雑把というか、かなり乱暴な論だと思いました。

元老院議員や軍人が=市民だから民主主義と言えるなら、某半島の北側の国家だって民主主義と言えるくらい大雑把だと思いました。

塩野さんの説は、分かりやすいので良いですよね。

お礼日時:2009/05/13 19:52

民主主義といっても今のような民主主義ではありません。

専制政治にならないように見張る機関が元老院でした。
実際のところは元老院が、大きく権限を持っていた時代もあります。

リコールは大体において皇帝を殺す事を言いました。
失脚させるリコールではありません。
民衆のリコールは競技場のコロッセオでブーイングと共に始められました。
名前は忘れましたが元老院からリコールされながら、再度皇帝の選挙に出馬した元皇帝が、選挙運動中に元老院によって鈍器で頭を割られて川に捨てられて死んでいます。


ローマ史は読み応え十分です。
相当はまりますのでお気をつけ下さい。

この回答への補足

浅学な者なので、理解できていない点についてはご容赦ください。
私の古代ローマに対する知識は、ほぼ「ローマ人の物語」と高校の世界史レベルなので、t87300さまがお書きになった語の意味を勘違いしているかも知れないのです。

>ローマ史は読み応え十分です。
本当にそう思います。

補足日時:2009/05/12 12:08
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この回答へのお礼

早速のご回答ありがとうございます。

>元老院が、大きく権限を持っていた時代
おそらく共和制ローマの時期を指しておられると拝察します。
帝政ローマでも元老院は専制政治にならないよう見張っていたのですか?

>再度皇帝の選挙に出馬した元皇帝
皇帝は終身制だと思っていたのですが違うのですね?だからリコール=殺害だと思っておりました。
もしかして、私の言葉の使い方がおかしかったのかも知れませんが、
「ローマ帝国」の事について質問しております。
t87300さまがお書きの「皇帝」とは軍の指揮官を意味するいるのでしょうか?(あ、でも軍の指揮官は元老院が指名するんでしたね)

是非、名前を忘れたなどと言わず、元皇帝のお名前をお教えください。

お礼日時:2009/05/12 11:32

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ハプスブルク家の領土(オーストリア家)
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ウェストファリア条約によるスウェーデンの領土

があります

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しかも、神聖ローマ帝国=ドイツですよね
「ドイツ国内は大小の領邦が分立」と書いてあり、さらに混乱状態です…(-_-#)

さらにさらに、「神聖ローマ帝国カルロス1世が退位した後ハプスブルク家は、スペイン系とオーストリア系に分かれた」とあり、それでも神聖ローマ帝国は分裂せず存在しているのが、矛盾している気がしてしまいます


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1648年の前は、原理的には、世界はすべて神のもの=聖なる所有者はイエスで、その代理人がローマ法王。そして、そのローマ法王に現世の統治を任されているのが、神聖ローマ帝国ということになります。
世界はすべて神聖ローマ帝国のものなのです。
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1648年の国境とは

本来ローマ帝国としては国境が無いが、ここからここまでは、独立の国家として切り分けちゃいますよ。という残り物が、神聖ローマということになります。フランスだとかオランダだとか、ガッチリ国家となっていたところがローマ帝国から正式に切り出されて、ふにゃぁっとした場所が「領邦」として、国家でもないしなぁという感じで残ったわけです。

ハプスブルグ家と神聖ローマ帝国の関係も、結果として、ハプスブルグ家が神聖ローマ皇帝を世襲しただけであって、イギリス王家やフランス王家とは違います。
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なので、フランス王が神聖ローマ帝国の選挙で勝てずに、皇帝になれなかったということもありました。


ハプスブルク家の領土(スペイン家)
ハプスブルク家の領土(オーストリア家)
ホーエンツォレルン家(ブランデンブルク)の領土
ウェストファリア条約によるスウェーデンの領土

それぞれの王家がそれぞれの土地を持って上でオーストリアのハプスブルグ家が皇帝になっているだけのはなし。

たとえ話で言えば、現在の各県知事のなかで選挙に勝ったやつが、総理大臣になる。けど東京都知事が一番力を持っているので、伝統的に東京都知事が首相になるというようなもの。
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しかも、神聖ローマ帝国=ドイツですよね

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「神聖ローマ帝国カルロス1世が退位した後ハプスブルク家は、スペイン系とオーストリア系に分かれた」

カルロス一世は、めちゃくちゃ称号を持っており、その中のひとつが、スペイン王だったり、ローマ皇帝だったりします。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB5%E4%B8%96_(%E7%A5%9E%E8%81%96%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E7%9A%87%E5%B8%9D)
いろんな親戚から受け継いだ称号=領土を弟と息子に整理して引き継がせたということになります

17世紀半ばの神聖ローマ帝国というときは、1648年にウェストファリア条約によって、近代的な国家観が西欧に成立したよ!ということが前提になっています。

1648年の前は、原理的には、世界はすべて神のもの=聖なる所有者はイエスで、その代理人がローマ法王。そして、そのローマ法王に現世の統治を任されているのが、神聖ローマ帝国ということになります。
世界はすべて神聖ローマ帝国のものなのです。
とはいえ、実際には、ドイツ+イタリアがローマ皇帝の実効的な支配地だったので、ローマ皇帝は、地理的に離...続きを読む

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最後にローマ帝国はなぜ分裂したのでしょうか?
質問攻めで申し訳ないです。答えられる箇所だけで結構です。
世界史の教科書を見ても理解できなかったので、すごく簡単な説明でお願いします。

Aベストアンサー

参考にさらに、大雑把な流れです。
荘園制については、nacamさんが既に的確な回答をされてるのでそちらを参考にしてください。

古代世界
・最初、地中海の東に文明の萌芽がうまれる。これがギリシア世界
このギリシアと入れ替わるようにローマが勢力を拡大。
古代末期には地中海世界はほぼローマの領土に。

中世
・ローマ帝国が衰え滅亡。
それと入れ替わるように、ゲルマン諸民族とローマ・カトリック教会を中心にしたキリスト教が隆盛を極める。
また、王様や貴族などの世俗権力とローマ教皇との間で権力の主導権争いの世紀でもある。
このとき、キリスト教的価値観により、古代ギリシア・ローマの哲学・文化・価値観などは失われる(暗黒時代と言われる所以)

近世
・いわゆる、ルネサンス時代。
このルネサンスがもたらした古代ローマ・ギリシアとイスラム教の価値観により、カトリック・キリスト教の価値観が揺らぐことに。
また、それにより技術力の向上へとつながり、大航海時代、産業革命を可能にした。

近代
・大航海時代。これによって、世界規模でヨーロッパ人が活躍。
また、富や経済力の強化によって、イギリスを中心に産業革命が起こる。
また、啓蒙思想により、人権思想や民主主義思想など現代でも重要な思想が形成される。

現代
・二つの世界大戦が戦争のあり方を大きく変え、またマスコミなどの発達によって、そのインパクトも強くなる。
これにより、軍縮の機運も高まるが、各国の思惑が絡んでなかなか進まず現在に至る。

とまぁこんな感じです。

>ヨーロッパ全体の流れをつかんだほうが良さそうですね??

はい。個人的意見ですが、上記のような大雑把な感じで大きな流れをつかんでおくと、個々の時代の詳しい解説を読むときに、前後関係がつかみやすくなります。
たとえば、近代の啓蒙思想の根底には古代ギリシア・ローマの哲学が流れていますし、ルネサンスなんかがその切っ掛けを作ったりしています。
まずは、大きな流れから、徐々に詳しく、というのが私の持論ですね。

>小学生やそれより下の子供がわかるくらい簡単に書かれている本(教科書でも解らないですね)を探しているのですが、何か呼んだほうが良い本か何かありますか?

やはり、学習漫画と呼ばれるものが良いかと思います。
http://www.amazon.co.jp/%E5%AD%A6%E7%BF%92%E6%BC%AB%E7%94%BB-%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2-%E5%85%A8%E9%9D%A2%E6%96%B0%E7%89%88-%E5%85%A820%E5%B7%BB-%E5%85%A8%E5%B7%BB%E3%82%BB%E3%83%83%E3%83%88/dp/4082499024/ref=sr_1_1/503-5913222-8747952?ie=UTF8&s=books&qid=1183703191&sr=8-1

上記のような漫画は、たいていの図書館には置いてあります。
漫画なので、文字数も少なく、絵や図を使ってわかりやすく解説されています。
このとき、あまり年号を覚えようとかせず、大きな流れをつかむように心がけてください。
試験を受けるのでもない限り、年号なんて必要なときに年表を見るようにすれば良いので。
「1500年代の出来事だ」とか、「14~15世紀はこんな時代だった」程度に掴めれば十分だと思います。

大きな流れをつかんだ後、自分がもっとも興味をもった時代・国を中心に学んでいけばいいかと思います。

>回答者さんはどのように日本史・世界史を勉強されたのでしょうか??

私自身は、教科書は殆ど読んでないかもしれません。(笑)
上記のような学習漫画を中学のころに何度も読み返していましたね。
一社だけじゃなく、幾つかの出版社の物をよみました。
お陰で、高校での世界史の授業はすんなり頭に入った感じです。
日本史のほうはてんで駄目なんで、目下学習漫画講読中です(笑)
今は世界史の方は、古代ローマ~イタリアル・ネサンス中心に学術書を読んでます。

なので、学習漫画>高校レベルの教科書>学術書とレベルを上げていくと良いと思います。
ただ、このときいくら簡単に読めるからといっていわゆる「教養本(「学校で教えない歴史」、とか「真相○○」といった感じで大衆受けするタイトルの本)」は避けた方が良いです。
これらの本は、読みやすい文体の反面、学会ですでに否定されたネタや事実の歪曲などあることが多く、信じ込むと痛い目にあいますので。
ある程度、知識が身についてから読むほうが良いです。(学術書よりもレベルは上と思ってください)
兎に角、今は基礎力をつけるために学習漫画をお勧めします。

参考にさらに、大雑把な流れです。
荘園制については、nacamさんが既に的確な回答をされてるのでそちらを参考にしてください。

古代世界
・最初、地中海の東に文明の萌芽がうまれる。これがギリシア世界
このギリシアと入れ替わるようにローマが勢力を拡大。
古代末期には地中海世界はほぼローマの領土に。

中世
・ローマ帝国が衰え滅亡。
それと入れ替わるように、ゲルマン諸民族とローマ・カトリック教会を中心にしたキリスト教が隆盛を極める。
また、王様や貴族などの世俗権力とローマ教皇との間...続きを読む

Qローマ帝国を滅ぼしたのはキリスト教なのでしょうか。

塩野七生の「ローマ人の物語」などを読んでいると,
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ただ,なぜキリスト教によってローマ帝国が滅んだといえるのか,という根拠は
必ずしもあきらかには言われていないようです。
(もっとも,ローマ帝国がなぜ滅んだのか,ということ自体,定説がありませんが)

なぜ,キリスト教によってローマ帝国が滅んだといわれているのでしょうか。

Aベストアンサー

ローマがなぜあの時代に広範囲な版図を維持できていたか、と言うことだと思います。

理由の一つは「多神教だったから」です。
これは日本の成り立ちとも共通するのですが、古代の多神教の時代はその部族や民族ごとに宗教や神を持っているのが普通で「民族が滅ぼされる」ということと「その神を信じるものが居なくなる」というのは同じことであったわけです。

ですから、ローマが小さな都市国家から周辺の近隣部族を合併して共和国になる過程においても、その後ゲルマン人の土地に進出していったときも、オリエントの王国と同盟を結ぶときも、すべて「あなたの神もローマも神殿にちゃんと祀りますから」と言って説得してローマという国家に合併させていったのです。この辺りは「ローマ人の物語」にも書いてあるはずです。

ローマは今でも紋章にSPQRと記載していますが、これはローマ国(共和政も帝政もすべて含む)の国家の基本としてラテン語で「Senatus Populusque Romanus:元老院とローマ市民」を意味しています。

アメリカ大統領は「神とアメリカに栄光を」といいますよね。それに比べると宗教色を排除し「ローマに参加すればみんな平等に市民だ」という意識がにじみ出ているように感じます。(近代民主主義は「個人の権利」を保障することで国家が安定します)

これを支えていたのが、カピトリーノの丘の神殿群を中心とした多神教の意識であり、新しくローマ市民に参加した人々がローマにやってくると自分たちの神が祀られていのられている、当時の人々にとってこれほどうれしいことはなかったでしょう。

という感覚をぶっ壊したのが「キリスト教」です。キリスト教はご存知の方が少ないですが、380年にローマ皇帝テオドシウス1世がキリスト教を国教化し、翌年381年にはコンスタンティノポリス公会議でカソリックが設立され、宗教としての取捨選択が行われました。実はそれ以前にもキリスト教はいくつもの分派に分かれており、のちに東ローマ帝国に分離するギリシャやトルコ周辺の人々にはすでに今でいう正教会が一般的になっていたのですが、カソリックはこれを認めず、これが東西ローマの直接的な分離につながっていきます。

キリスト教の内部でもそうなのです。国教化されたキリスト教からすればすべての多神教は邪教にすぎません。キリスト教に改宗したものはともかく、そうでない古来からのローマ人は自分たちの神と神殿が追いやられていくのと同時に自分たちも迫害されることを知っていたわけです。

こうなれば、ローマの求心力はもうありません。「いろんな民族の宗教を大切にする」という求心力が失った以上、ローマは崩壊するしかなかったのです。

また、なぜキリスト教がふえていったのでしょうか。それは最近のイスラム教を見ると答えが分かります。イスラム教は子だくさん、それに対して既得権をもつキリスト教は子供が少ない、のが今のEUの現実です。
このまま100年以上が過ぎ、イスラム教の人口が増えれば、ヨーロッパはイスラム教化するでしょう。実際に今ヨーロッパでは、このような議論が頻繁に行われています。

宗教というのは人々の心と心をむすびつけるセメントのようなものです。ローマ帝国という壮大な建築物は、心というレンガを結びつけるセメントがもろくなり、崩れて崩壊したのです。

翻って日本にも出雲の国譲りなどの神話があります。なぜ日本人が天皇を敬うのか、それは各地域が大切にしてきた神様を大切にし、忙しい民衆に変わって毎日祈りをささげてくれるからだ、という説があります。
 天皇は日本のすべての神に祈る神主だったからこそ、戦国時代も江戸時代も乗り越えて今に存続しているのです。日本人が一神教だらけになったら、天皇の役割は終わりでしょう。それは日本という国が終わるときで、その後にこの列島にできる国は、日本とは違う一神教の国である、といえます。

ローマがなぜあの時代に広範囲な版図を維持できていたか、と言うことだと思います。

理由の一つは「多神教だったから」です。
これは日本の成り立ちとも共通するのですが、古代の多神教の時代はその部族や民族ごとに宗教や神を持っているのが普通で「民族が滅ぼされる」ということと「その神を信じるものが居なくなる」というのは同じことであったわけです。

ですから、ローマが小さな都市国家から周辺の近隣部族を合併して共和国になる過程においても、その後ゲルマン人の土地に進出していったときも、オリエン...続きを読む

Q王政ローマと、共和政ローマと、ローマ帝国って違うの?

王政ローマと、共和政ローマと、ローマ帝国って違うの?

この3つは全部、違うの?

Aベストアンサー

古代ローマは王制からスタートしました。当時は今のローマ市内の7つの丘と周辺の湿地帯を中心とした本当に小さい都市で、王といっても周辺部族や城壁都市からのあぶれ者が参加した、半分暴力団みたいな集団のリーダーだったようです。それがローマを拠点して、周辺部族との戦争や和解などによって、徐々に力を蓄え、ひとつの国になっていきました。

すでに王制ローマ時代に7つの丘のひとつ、カピトリーノには神殿が作られ、パラティーノには王宮がたち政治の中心となっていました。

少し時代が下がり第七代王のタルクィニウス・スペルブスの時代になるまでにローマは近隣の中では目だって大きな国に成長していたのですが、内紛が絶えずまた政変が相次いだり王族の横暴などもあり、タルクィニウス・スペルブスを追放し王制を廃して共和制に移行することになりました。

これによりローマは王制から共和制になるのですが、その政治体系は執政官を2人選挙で選出し、毎年交代しながら首相のような役職を勤めました。
ちなみに、ローマには王制時代から民会があり、王であっても市民集会の投票を得ないでは王に選出されることはなく、戦争を行うにも(相手から攻めてきた時は別ですが)市民集会の議決が必要でした。またこれとは別に王制時代に元老院という助言機関があり、これもそのまま共和制ローマに残ります。この二つが共和制ローマの発展と、ローマ帝国への変貌のきっかけになっていきます。

これには少し説明が必要だと思います。
さきにローマの始まりは暴力団みたいなもの、と書きましたが、当時は自分の出身地を追放されたり、土地を借金などで失って食い詰める人々がたくさんいました。初代の王とされるロムルスとレムルスの兄弟は、もともと高貴な出てあったようで、このような者を引き連れてローマを建国しました。
その頃には先進国のギリシャが近隣にあり、民主的な政治体系があったため、かなり初期のころから市民集会の原型はあったようです。これは戦争になれば「死」を覚悟して戦う義務があるゆえに、権利として獲得したものでありました。

これが共和制になっても引き続き有効とされ、市民には市民集会のほかに護民官(按察官)という役職も与えられ、今でも「拒否権」と呼ばれるVETOを持つ強大な権力を有していました。これに対して貴族とか富裕者のサロンでもある元老院は、執政官を排出できる人材が集まる集団として隠然たる権力を保持していました。(執政官は戦争時に指揮官になるため、高度な教育を受けられる貴族などに限定されていたため)

この二つの勢力が、ローマ自体が段々強力になり勢力と国土を広げていく間に何度もぶつかり合います。理由のひとつとして、国土が広がるとその土地に住んでいる部族をローマ市民にするため、平民も増えること、もうひとつは国土が広がると富裕者はさらに富裕になることで、平民格差が広がったからです。富の再分配に対して国内紛争がなんども起きました。

これを最終的に解決する方法を考え出したのが、かの有名なユリウス・カエサル(ジュリアス・シーザー)です。彼は地中海全体に広がったローマ共和国の版図を統治するには元老院と市民集会の対立が邪魔になるとして、終身執政官+終身護民官+最高神祇官(これは元々終身)になる役職を考え出します。それも市民集会も元老院もどちらも賛成多数で、カエサルに与えるはずでした・・
と、ここで起こったのが元老院によるカエサル暗殺です。

これによりカエサルが筋道をつけた「皇帝(エンペラー)」にカエサルの養子であったアウグストスが着任することになります。
これにより内政問題がほぼ片付いたため、ローマは帝国としてますます発展するのですが、王とは成り立ちが違っても、所詮は独裁権力であることは同じであるため、代を重ねるごとに皇帝も腐敗し、ローマ帝国の滅亡に至るのです。

最後にエンペラーについて
もともとインペリアルと呼ばれたもので、軍の指揮権を意味します。つまり最高軍司令官です。
こうしてみると、皇帝とは、最高軍司令官・最高行政長官(内閣総理大臣みたいなもの)・護民官(拒否権を持つ平民の長)・元老院第一人者(結果として元老院の議長のようなものになる)・最高神祇官という大国ローマの最高の権力者であり、現在の世界情勢とローマの覇権・周辺国への影響を比較してみれば、アメリカ大統領とローマ法王と安全保障理事会をひとりで行っているようなものでしょう。

このようにして王制ローマからローマ帝国までは一連の流れがあるのです。

古代ローマは王制からスタートしました。当時は今のローマ市内の7つの丘と周辺の湿地帯を中心とした本当に小さい都市で、王といっても周辺部族や城壁都市からのあぶれ者が参加した、半分暴力団みたいな集団のリーダーだったようです。それがローマを拠点して、周辺部族との戦争や和解などによって、徐々に力を蓄え、ひとつの国になっていきました。

すでに王制ローマ時代に7つの丘のひとつ、カピトリーノには神殿が作られ、パラティーノには王宮がたち政治の中心となっていました。

少し時代が下がり第七代王...続きを読む

Q●東ローマ帝国の公用語は何?

 ローマ帝国の版図が、北はScotland、南はカルタゴ、東は東地中海まで広がり、「ラテン語」が軍事・行政用語として、各地で通用しました。
 東西分裂(AD395)以降の、東ローマ帝国(1453のオスマントルコ占領まで)の公用語についてお尋ねします。

 東ローマ帝国の最晩期(ビザンチン帝国)の領土は、{ギリシャ島嶼部・マケドニア・小アジア半島}でした。
Q1 東ローマ帝国は、ローマ(伊)の言語(ラテン語)を引き継いでいたのか?
Q2 東ローマ帝国は、その地勢上の理由から、(古典)ギリシャ語に回帰していたのか?
Q3 キリスト教のうち{ギリシャ正教}(東方教会?)をコンスタンチノープル市が主宰していたのですが、経典語は(ローマ)ラテン語? それとも何?
Q4 {ギリシャ正教}はその後、現在の{ロシア正教}に引き継がれますが、その教典が(ギリシャ語?)からキリル文字への移行があったのでしょうか?

Aベストアンサー

ローマ帝国の東西分裂時の東ローマ帝国の公用語は、ラテン語でした。
しかし、住民の間では、ギリシャ語が普通に話されていました。
しかし、ユスティヌス朝時代では、公式の公用語はラテン語でしたが、宮廷内での標準語は、ギリシャ語となっていました。
ユスティヌス朝の創始者であるユスティヌス1世(518~527)は、ラテン語の読み書きができず、甥のユスティニアヌス1世(527~565)を秘書として使い、後に後継者としました。
ユスティニアヌス1世は、ローマ法大全を編集しますが、これは公用語であるラテン語で書かれています。
つまり、この時期
公用語 = ラテン語
標準語 = ギリシャ語
となっていました。

ユスティヌス朝の後急速にギリシャ化がすすみます。
そのため、一般には、その後の東ローマ帝国を「ビザンツ帝国」と呼びます。
ヘラクレイオス朝(610~717)では、完全にギリシャ語に置き換わっています。

という事で、
1.東ローマ帝国に分裂時は、ライン語を引き継ぎました。
2.ギリシャ語に変化しました。
3.聖書は、そもそもがギリシャ語の文章をラテン語化したものです。
東ローマ帝国時代は、公式にはラテン語が使われていたのですが、その後ギリシャ語化します。
その時期は私は知りませんが、偶像崇拝問題などの時代にギリシャ語化したと思われます。
4.正教会は、国ごとの典礼を行う事が特徴です。
つまり、ロシアへの布教には、当初からロシア語が使われています。
これは、他の国(セルビア、ブルガリアなど)も同様です。

ローマ帝国の東西分裂時の東ローマ帝国の公用語は、ラテン語でした。
しかし、住民の間では、ギリシャ語が普通に話されていました。
しかし、ユスティヌス朝時代では、公式の公用語はラテン語でしたが、宮廷内での標準語は、ギリシャ語となっていました。
ユスティヌス朝の創始者であるユスティヌス1世(518~527)は、ラテン語の読み書きができず、甥のユスティニアヌス1世(527~565)を秘書として使い、後に後継者としました。
ユスティニアヌス1世は、ローマ法大全を編集しますが、これは公用語である...続きを読む

Q古代ローマ帝国と戦ったガリヤ人のその後

カエサルのガリヤ戦記に出てくるガリヤの人々の末裔は、現代も生き延びているのでしょうか。生き延びているとすれば現在はどこの国の人々なのでしょうか。歴史の表に出てきた民族がその後どうなっていったのか、大変興味があり知りたいと願っています。教えてください。

Aベストアンサー

ガリヤは元来は、北イタリアを指していましたが、
ローマ帝国は、イタリアの北端から現在のフランス、ベルギー、オランダ、ドイツの一部まで称するようになりました。
ケルト人の中でも、ローマ帝国のガリア管区の、先住民族だったのが、ガリア人です。
ガリア人はローマの文明を取り入れ、ゲルマン人とも交わり、フランク王国を築きました。
フランス人は、ガリアがを祖先であることを誇りとしています。


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