三位一体の神が信じられない人は、どこの教会に行けばよいですか。

よかったら、教えてください。

よろしくお願いします。

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A 回答 (10件)

祈ったり崇拝する対象物、神さまではありません。


うん 祈る必要はないよ。いったいなぜそんなことにこだわってるのかなあ
排除することもできないと言うことも理解してるし、神様は信仰対象物
創造なる主 救い主たるキリスト 導き主聖霊を信じ この3つをまとめて神としての概念を持つ、またひとつひとつがパソナリとして働き 
これらを神として感謝する。ということだろう?

たぶんあなと同じだと思うけど。働きは神より下、上ともいえないし。
キリスト教の信仰は聖霊を認めないとかキリストを預言者として捕らえる団体もあるからそうではありませんよ。と言いたいために三位一体と言ってるんだけど

この回答への補足

>だから誰に対しても祈っても

これは、あなたが言った言葉です。よくご覧ください。

補足日時:2009/05/20 21:45
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この回答へのお礼

最後に、

>これらを神として

私は聖霊は神ではないと、言ってますが(笑

あなたがた三位一体論者は、神を、三位一体という概念で神を難しくし人々の救いを妨げているということです。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/20 23:55

補足として黙示録の箇所にはもうキリストがこの地上に着てるので聖霊の力を見なくてもいいよね。

だから書いてないのは当然でしょうか?

この回答への補足

申しわけありませんが、あなたのおっしゃっていることがよくわかりせん。

補足日時:2009/05/20 20:06
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>唯一の真の神エホバと神の御子イエス・キリストのみです。


はい同じです。

普通の教会は聖霊についてはあまり話はしないよ。中には重視する教会もあるけど、しかし排除はできない。聖霊が下ってるからイエスは主であると告白できるんだよね、Iコリント12:3
だから聖霊が理解できなくてもいらっしゃるというのは理解してほしい。
聖霊についてのHPを見てください。
http://www31.ocn.ne.jp/~fellowship/holyspirit.htm
聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。(ルカ1・35)
助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14・26)
 「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」(同16・13)

概念的に理解してほしい。ある方はキリストに求め、ある方は創造主に求め
ある方は聖霊に求めてる。

私も聖霊に関しては理解できなかった。そして祈った
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16
聖霊を信じる信じないは成長によって理解できると思います。
今理解できなくても・・・

この回答への補足

>しかし排除はできない

わたしは一言も聖霊を排除するとは言っていませんが。

聖霊は、神の霊、神より出づる霊であり、祈ったり崇拝する対象物、神さまではありません。


我らの受けし霊は世の霊にあらず、神より出づる霊なり、是われらに神の賜ひしものを知らんためなり
(コリント人への前の書2:12)

としるされています。

神の霊は、あくまで神から出た霊ということです。

神の子は神は真実ですが、神の霊は神ではありません。

だから、崇拝すべきお方は唯一の真の神エホバと神の御子イエス・キリストのみだと言ったのです。

難しいですか?

補足日時:2009/05/20 20:02
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唯一真の神(父なる神)はエホバ 


    神の子はイエス・キリスト
    聖霊は神(父なる神)の霊

まあ同じだよ。それぞれが独立して個性があるからね。
この3つを私たちの信じる信仰対象物ですよね?
働きは前にも書いたけど
創造主とキリストは同じでないよね。また別でしょう?
同じなら否定してるけど、簡単にいうと家族のような関係かな?
だから誰に対しても祈っても結果葉同じただキリストの言葉を信じる
救い主だよね。

この回答への補足

私は、あなたがた三位一体論者が言う聖霊なる神とか聖霊さまに向かって祈ったり崇拝したりはしません。

私が祈り崇拝しているお方は、唯一の真の神エホバと神の御子イエス・キリストのみです。


聖書に、こうしるされています。


我また天に、地に、地の下に、海にある萬(よろづ)の造られたる物、またすべてその中にある物のいへるを聞けり。曰(いは)く

『願はくは御座に坐し給ふものと羔羊(こひつじ)とに、讚美と尊崇(たふとき)と榮光と權力(ちから)と世々限りなくあらん事を』

四つの活物はアァメンと言ひ、長老たちは平伏して拜(はい)せり

(ヨハネの黙示録5:13~14)


ここのどこに、聖霊のことがしるされていますか。

補足日時:2009/05/20 15:31
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再度三位一体のどこがわからないでしょうか?


あなた自身
>我々と呼ぶからには神(唯一真の神の意ではない)は複数存在していると単純に考えればよろしいのではないでしょうか
>イエス・キリストは神の子であり
つまり神とキリストがいるということは理解してますよね。聖霊に関してはすごく難しいよ。頭で考えても理解できない。イエスと神は天に座している。それなら今ここで色んな奇跡を起こしてるのは誰ですか?ということになります。つまり聖書を否定していると言うことになりませんか?

理解できなくてもいいんです。はじめから理解してくださいなんていいません。
それでもいやだと言うならエホバにいくしかないですね。
しかしイエスは神の子と考えていないはず。
どこまでなら受け入れるのでしょうか?
もう一度あなたの聖書に関する考え方を教えてくれませんか?

この回答への補足

エホバの証人のことなら知っています。彼らは、イエスを神の子と信じていますよ。ただ、神の子は被造物、つまり創られたと教えていますが。

>再度三位一体のどこがわからないでしょうか?

わかるわからないという問題ではなく、私は三位一体を信じていないということです。

私は、イエス・キリストは神の子であり私の救い主であると信じています。

そして、唯一真の神(父なる神)はエホバ 
    神の子はイエス・キリスト
    聖霊は神(父なる神)の霊

ただ、それだけのことです。難しくともなんともありません。

あなたがた三位一体論者は、これらに人格があるとか同質であるなどと付け加えて新たに神を作り出し、人が人を支配して害を及ぼしてきたということです。

補足日時:2009/05/19 22:50
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>イエス・キリストは神の子であり、救い主であると信じてればOK


はいOKです。
まずこの世を創造した神様はキリストですか?
そして今キリストは地上にいますか?新聞も書いてないし盲目の人の目を開けたとも聞かないよね。それじゃイエスは今どこにいますか?
聖書には
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。」(マルコによる福音書16章19節)
それではキリストもいない 神は天にいますよね。どうしていないキリストを信じることができるの?
ヨハネ14・15-16, 23b-26
15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
 23bわたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。24わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
 25わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。26しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
もし三位一体を否定したらこの文章が理解できなくなります。イエスと聖霊が同じなら父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊 なんていうのはおかしいね。

信仰は成長によって理解できますから理解できない言葉に関しては「イエス様私は理解できませんが導いてください」と祈ってください。
間違い正しいなんていいません。まだ生まれてのすぐの赤ちゃんクリスチャンがすべて正しく理解できるなんて無理です。少しずつ大人になっていきながらこんな勘違いをしたけど許してくれるイエス様を信じてよかったと言える様に祈ってます。

この回答への補足

あのう、申しわけありませんが、今一度私がしている質問をお読みくださいませんか?

私は、三位一体の神が信じられない人はどこの教会に行けばよいかと問うているのです。

三位一体の神について教えてほしいとか、信じられるにはどうしたらよいかと問うているのではありません。

もちろん、あなたがたの三位一体の神を尊重しはいたしますが、それは私が信仰しているものとはちがいます。

アドバイスありがとうございました。

補足日時:2009/05/19 12:50
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この回答へのお礼

ちなみに、あなたが引用した聖句は私の聖書ではこうしるされています。


汝らもし我を愛せば、我がいましめを守らん。

われ父に請はん、父は他に助主をあたへて、永遠に汝らとともに居らしめ給ふべし

これは真理の御霊なり

(ヨハネ14:15~17)


イエス答へて言ひ給ふ「人もし我を愛せば、わが言を守らん、わが父これを愛し、かつ我等そのもとに来りて住みかをこれとともにせん。

我を愛せぬ者は、わが言を守らず。汝らが聞くところの言は、わが言にあらず、我を遣し給ひし父の言なり。

これらのことは我なんぢらとともにありて語りしが、

助主すなはちわが名によりて父の遣したまふ聖霊は、汝らに萬(よろづ)の事ををしへ、又すべて我が汝らに言ひしことを思ひ出さしむべし

(ヨハネ14:23~26)

お礼日時:2009/05/19 15:14

そうです。

イエスは、旧約に出てくる神「ヤハウェ」です。
これは私が言ったことではありません。「神自身」がいったことです。

しかし、イエスは「天の父」に対して祈ったりもしているのです。
つまり、人間の目には「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」の三つの神がいるように見えてしまうのです。

これが「三位一体」です。
神はあくまで一つです。しかし、同時に、人間の目には「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」がいるように見えてしまうのです。
そのことは、人間が考えても説明できるものではありません。神は人知を超えているのです。

ちなみに、旧約聖書に出てくる「神」は「エロヒム」と言いますが、これは複数形だということを知っていますか?
ユダヤ人は、なぜか唯一神に複数形の名詞を用いてきたのです。
そして、そのことをなぜか説明できるユダヤ人もいないでしょう。
モーセが最初にこの複数形の名詞を使ってから、多くのユダヤ人はおかしいと思いながらも、それが神の啓示だということを認め、数千年も受け継いできたのです。

そして、そのことは「三位一体」という考えで説明できます。
三位一体は、旧約聖書の記述とも全く矛盾がありません。

この回答への補足

hhitujiさん

>イエスは、旧約に出てくる神「ヤハウェ」です。

失礼ですがhhitujiさんは、モルモン教の方ですか?たしか彼らも、旧約聖書の神(エホバ)=イエスだといっていたと思います。

>ちなみに、旧約聖書に出てくる「神」は「エロヒム」と言いますが、これは複数形だということを知っていますか?

知っています。しかし、これは三位一体の意味するところの複数形ではなく、「神々」の意味を表していると思います。

唯一真の神はただ一人、エホバだけれども、子なる神イエスもいる(複数の神々がいる)というふうにとるほうがより自然ではないでしょうか。

たとえば、これです。

そして神(エロヒム)は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」
(創世記1:26)

三位一体の神を信じている人は、この句を父と子と聖霊の本質の現れととるかもしれませんが、無理に三位一体の教理にはめ込まなくても我々と呼ぶからには神(唯一真の神の意ではない)は複数存在していると単純に考えればよろしいのではないでしょうか。

補足日時:2009/05/17 00:12
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#2の者です。



chiliastさん、イエスは自らを「ヤハウェ(=エホバ)」と言っているのですよ?

旧約聖書に出てくる神の名を覚えていますか?
出エジプト記でモーセに神が自分の名をあらわしたとき、「私はあってあるもの」と言いましたよね。これをユダヤの子音文字でいうと「YHWH」と表します。

この名前はユダヤ人の中で聖なる名前であり、一般の人たちが発音することが禁じられていました。唯一、その年の大祭司だけが、そのきめられた時だけ、神殿に入り、神の名を発音することが許されていました。ですから、いま、このYHWHがなんと発音されるのかは分からなくなってしまいました。おそらく「ヤハウェ」だと考えられるのですが、昔は「エホバ」と呼ぶ人も多かったです。

イエスは、この唱えることの許されなかった発音を、衆人環視の中で何回も自分の名として使っています。たとえば、ヨハネ8:57で、イエス「アブラハムが生まれる前から私はいるのです」と言っていますが、この「私はいる」というのを、ギリシア語の文法に照らして原語のアラム語に翻訳すると、聖なる名前「私はある=YHWH」になるのです。これは、ギリシア語の時制からこのように考えることができます。
その証拠に、この言葉を聞いたユダヤ人は激怒してイエスを殺そうとします。

もし、この言葉がそのような意味を持たなかったらユダヤ人はここまで激しく怒ることは考えられません。

そのほかにも、イエスが湖の上を歩いて弟子たちに近づくときも「恐れるな、私だ」と言っていますが、この言葉も、「私はある=YHWH」という意味を持ちます。
つまり、この言葉は実際には「恐れるな。私はある(私はヤハウェだ)」
と言っているのと全く変わりません。

三位一体は、人間が考えたものではありません。神自体が人間に自らの「ごくごく一部」を掲示したものです。

神はそれこそ人間の及びもつかないものです。三位一体が人間の頭で理解できないからと言って、それが真実でないと考えるのは間違っています。神こそはそれこそ人間の知恵を超える存在なのです。

この回答への補足

hhitujiさん

つまり、旧約聖書の神(エホバ)=イエス だったというわけですか?

補足日時:2009/05/16 17:48
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三位一体が信じられないならエホバしかありませんが。



だが、私は疑問なのですが、あなたはイエスが神の子であり、救い主だと信じているならば、旧約聖書に出てくる「私だけが神である」という言葉をどう論理的に整合させるのでしょうか?
もしあなたがイエスを本当に「神の子」と信じているならそれは三位一体と何ら矛盾しませんよ。

イエスが自らを定義した、「神の子」とは「神」のことです。
人間の子供は人間ですが、神の子供は「神」です。
それとも、神の子供=人間と解釈しているのですか?
それは間違いです。そんな意味でイエスが発言したならばユダヤ人があれほど怒ってイエスを殺そうとしたことの説明がつきません。当時のユダヤ人は、間違いなく、「私は神の子である」という表現を「自分は神である」という意味だと解釈していたのです。そして、それはイエスの真意と一致しています。
しかし、イエス自身は旧約聖書の権威を認めていて、神は一人しかいないことを認めているし、天の父に対して祈ったりしているのです。

だから、イエスの死後残された弟子たちは、「三位一体」という考えを持つようになったのです。これは、英語で「trinity」といいますが、もともとの意味は「tri unity」 つまり、三つの結びつきということです。

弟子たちは、イエスの神性を認めていたし、旧約聖書に出てくる「神は唯一」という個所も信じていました。だから、実は神は実体は一つだが三つの異なる「位格」があると考えたのです。
ちなみに、この「位格」とは造語で、言葉で説明することができません。
人間は人格を持ちますが、神は位格をもつのです。

これが三位一体です。
あなたがもし本気なら、三位一体というものをもう少しよく考えてみることをお勧めします。

この回答への補足

hhitujiさん、詳しく解説していただきありがとうございます。

>旧約聖書に出てくる「私だけが神である」という言葉をどう論理的に整合させるのでしょうか?

これは、唯一真の神は父なる神(エホバ)だけだという意味だと思いますが。

>イエスが自らを定義した、「神の子」とは「神」のことです。

猫の子は猫のように、神(エホバ)の子は神(イエス)であることはその通りだと思っています。

神の子イエスは被造物ではなく父なる神(エホバ)から生まれたひとり子ということですよね。

聖霊については、神(エホバ)の霊だと思っています。

私としては、人が畏れおおくも神に対して人格があるとか位格があると言うこと自体、不敬虔極まりないと思っているのです。

いつから人は、神のすべてがわかったかのようになったのでしょう。

それは、三位一体の神を人が作り出し、人が人を支配するためではありませんか。

補足日時:2009/05/15 23:05
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キリスト教以外の教会じゃないでしょうか?

この回答への補足

イエス・キリストは神の子であり、救い主であると信じてればOKという教会はないですかね。

補足日時:2009/05/14 21:25
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最近、新聞やニュースなどで三位一体改革が取り上げられてますが、三位一体改革とは何か、また三位一体改革のメリットとデメリットの部分がよくわからないので、もしよろしければ、教えてください。

Aベストアンサー

いい質問ですね。
三位一体改革っていうのは、誰だったか(小泉さん)が言い出した造語(宗教用語に改革をくっつけた)で、はっきりした定義ってないんじゃないかしらん。
でも、私の知っているところ。

国と地方の関係を見直すことが目的で、そのために行う3つの改革。その3つとは・・・

1.補助金削減
2.税源移譲
3.地方分権

と理解していたのですが、どうも3が違うようで、先日財政学のえらい先生の講義をきいたら、どうやら官僚は歳出削減だと捕らえているようです。

と、それはさておき、いま国と地方の関係はどうなっているかと言うと、私たちが納めている各種の税金は所得税などの国に納めるものと、住民税などすんでいる自治体に納めているものがあります。
大体、国と地方では6:4の割合で税金を集めています。
ところが、やっている仕事は外交や防衛など国の仕事と教育や福祉など地方の仕事の割合は4:6と言われています。

では、地方がどうやって教育や福祉に使うお金をやりくりするかというと、国に補助金としてもらうわけです。
例えば、学校の先生なら給料は国が半分補助金で都道府県にあげます。
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ところが、最近では30人学級がいいとか、土曜日も授業をしてほしいとか、地方によっていろんな需要があります。
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で、デメリットの部分については、地方を信じてもらうしかないし、知事や市長の方針が気に入らなければ選挙で他の人に変えればいいと思うのです。
問題は、国の権限が少なくなること。
なかなか三位一体の改革が進まないのは、補助金で地方をコントロールしたい官僚や一部の族議員が抵抗しているからです。

いい質問ですね。
三位一体改革っていうのは、誰だったか(小泉さん)が言い出した造語(宗教用語に改革をくっつけた)で、はっきりした定義ってないんじゃないかしらん。
でも、私の知っているところ。

国と地方の関係を見直すことが目的で、そのために行う3つの改革。その3つとは・・・

1.補助金削減
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3.地方分権

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先日、中学校のテストで「三位一体」の読みを書け。
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「連声」をキーワードにした回答がありましたが、
古くは「三」の字を「サム」と読んだ歴史があることも
付け加えなければならないと思いました。
「ム」の[m]の音が次の[i]の音と連声し、
「ミ」と発音されるということだと思います。
ちなみに、「サム」と発音されてたのは平安時代だったそうです。
おそらく「ム」とはっきり発音したのではなく、
[m]の音だけを発音したのではないかと推測します。
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たとえば「アンパンマン」の2番目と4番目の「ン」は[m]の発音です。

中学校のテストで、「さんみいったい」と「さんいいったい」の
どちらも正解になっていたということでしたが、
私が推測するに、常用漢字表やあるいは教育漢字に「位」の読み方として
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面倒なことが起こるのを恐れたのでしょう。

私は「さんいいったい」という読み方はないと考えています。

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「ミ」と発音されるということだと思います。
ちなみに、「サム」と発音されてたのは平安時代だったそうです。
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Q三位一体という中の、位という字(ことば)

 位階を表示する“位”という字(ことば)は、父と子と聖霊の三位一体というようにも使われます。

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 ○ どうして“三位一体位”を“三者一体”といわないのでしょうか?

Aベストアンサー

『広辞苑』
------------

(1) 人や物のおかれている場所。「位置・地位・方位」。霊のやどる所。「霊位・位牌(いはい)」▼人や霊を数える敬称としても使う。「各位・三位(さんみ)一体・霊百位」
(2) (宮中などの)席次。くらい。「位階・位記・官位・学位・名人位」。特に、天子のくらい。「即位・譲位」
(3) 等級。「下位・首位・第一位・品位」
(4) 基準。「百位の数」「単位・本位」
------------

だそうです。
三者一体と言わないのは、「父なる神・子なる神・聖霊なる神」を「者」とは呼べないからではないでしょうか。

ちなみに近年の三位一体はどれにもあてはまりません。
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東京の浅草神社が祀っている神は大黒様でインド人ですよね。

わざわざ日本に来て、何が悲しくてインドの神を拝みに浅草神社に行くのはなぜでしょう。

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何にでも手を合わせるのが日本人。外国の神様なら、なんだかもっとご利益がありそう。
亡くなった祖母は、教会だって何だって手を合わせていました。
口癖は「守ってくれよる。」でした。
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わざわざ日本に来たのなら、何にでも手を合わせてみてください。
それが、日本人の心です。
(おばあちゃん、めったに手を合わせに行かなくてごめんなさい。心の中で合わせてるからね~。合掌)

Q三位一体改革って

第3次小泉内閣がいよいよ発足しましたが、小泉首相がよく言われることで「三位一体改革」という言葉があります。行財政の見直しとかと言う意味みたいですが、具体的にはどういった改革なのでしょうか?「三位一体改革」の「三位」ってどのことを指すのでしょうか?教えてください。

Aベストアンサー

・国庫支出金の減額
・地方への税源移譲
・地方交付税の見直し
の三つを包括的に改革することを「三位一体の改革」といっています。

国庫支出金は補助金とも言って、国から使い道を指定されて地方に渡されるお金です。これは道路建設、これは福祉事業と指定されるので地方は自由な裁量でお金を使えません。これが中央(国)の権力の強さであり、ここを見直すと地方分権が進むわけです。

しかし、補助金がなくなったのでは地方は立ち行かなくなります。そこで、国税として国が集めていた税金を地方税にして、地方が直接その税金を利用するように改めるというのが税源移譲です。

一方、地方交付税は地方が自由に使えます。しかし、国税である消費税・たばこ税の一部は必ずこの地方交付税として地方に流れてしまうので、国が安定的に財政運営を行うことができなくなってしまうきらいがあります。そこで、税源移譲をした代わりに、国税の一部の自動交付化を改めようという動きが出てきます。

Q神とは一体何なんだろうか?

あなたは誰ですか?

世界が「無」から「有」に変わった。

だからここにあなたがいる。

では「無」を「有」に変えたのは誰?

「無」より前にいた「無を超えるもの」・・それが神ではないか?

神とは人間が思ったり、感じたりできるものではない。

なぜなら人間は「有」と「無」しか知らないから。

「無を超えるもの」というものを考えるとき・・

神を具現化し、神に祈りを捧げる宗教こそ無意味に思えてこないか?

神とは一体何なんだろうか?

Aベストアンサー

そういった存在があるという考え方はわかりやすいですね。
ただ、それを人の持つ神という概念で捉えることが、すでに偏っています。

何かを始めた人が、最後まで面倒を見ているということは案外ありません。
人間にとっての国家の始まりとか、人種としての人の始まりとか
とっくに始まった時の存在は、今ここで関与していないでしょ。

そういう意味では、始まりの存在が
今もあるとして考えることにも無理があります。
実際、原始宗教では、始まりの存在の死から世界が始まるものも多い。


人の歴史の上で、神は大きな意味を持つ存在でした
仏教美術やキリスト教美術を見るだけでも
人の才能と意欲に、とてつもない大きな影響を与えたと言えます。

神は、現在の一般的な神の概念をもって
崇拝する対象として、現在なお意味を持っていると言えます。
しかし、神の本質や、世界が始まる前の存在を解き明かすことは
実質的に不可能であると同時に、ほとんど意味が無いと思います。

現在では、神の存在が証明できないがために
神の存在の否定や、宗教の否定も普通のことになっています。
でも、ほんとうは自分が頑張るために、自分が正しい生き方を考えるために
すがることのできる存在として、神が大きな意味を持っていると思います。
Cthulhuやサージャリムにさえ意味があると考えています。

でも、"世界が始まる前にあったはずの存在"を追求しても
それが、自分がより良くあるための存在にはならないと思います。
そういう意味で、無意味なことだと思います。

そういった存在があるという考え方はわかりやすいですね。
ただ、それを人の持つ神という概念で捉えることが、すでに偏っています。

何かを始めた人が、最後まで面倒を見ているということは案外ありません。
人間にとっての国家の始まりとか、人種としての人の始まりとか
とっくに始まった時の存在は、今ここで関与していないでしょ。

そういう意味では、始まりの存在が
今もあるとして考えることにも無理があります。
実際、原始宗教では、始まりの存在の死から世界が始まるものも多い。


人の歴...続きを読む

Q新プラトン主義が三位一体論の形成に与えた影響について

キリスト教の三位一体論は新プラトン主義の強い影響の下に
形成された教義だという言及をよく目にします。
こういった言及はよく見るのでおそらく正しいのでしょうが、
【どのようなプロセスを経て】新プラトン主義が三位一体論の形成に影響を与えたのかがわかりません。
一者(ト・ヘン)、精神(ヌース)、霊魂(プシュケー)という新プラトン主義における三位一体が、
キリスト教における三位一体論に影響を与えた、らしいですが・・・。これは本当なのでしょうか?
できることなら、どなたか、信頼できるソースを教えてください。
そんなにむずかしいものでなければ、書籍でもかまいません。
よろしくお願いいたします。

参考として:こんなサイトにもいろいろ書いてあったのですが・・・。
http://www.geocities.jp/ch1kv/catholic.htm

Aベストアンサー

調べてみました。まったく、私の推測です。

325年・ニケア公会議で、アタナシウスの三位一体説が正統とされ、
451年・カルケドン公会議が、こう宣言しました。「神の第二位階・ロゴスが人になり、キリストになった」

『御言(ロゴス)は人となりき』(新約ヨハネ福音書1章14)に由来するのですが、これはまた、
新プラトン主義による、9層に重なる宇宙像
1神、2知性、3霊魂、4第一質量、5第二質量、6秩序世界、7天圏、8月下界、9鉱物・植物・動物
の、第2層:知性であって、第3層が聖霊。だと考えられます。

新プラトン主義vs三位一体説は、ここを基点として、
トマス・アキィナスが出るまで、すっかり神学・哲学が廃れていた西欧ではなくて、
ギリシア哲学を継承したイスラムと、東方キリスト教世界で、深く議論されて教義を確立したのでは?と考えます。

8~9世紀に、こんな↓論争があったそうです。
リンク貼りますが、読みにくいので、一部を抜粋しておきます。

>ネストリオス派、単性論派、皇帝派一カルケドン派一問のキリストをめぐる論争が、シリア教会のアブー・ラーイタの短篇の中に遺されている。

>ネストリオス派
>『私はキリストが二つの位格(shakhş)より成る〕と申します。〔すなわち、〕父とその性質(ţabī'ah)やあらゆる属性(şifah)において等しく、〔父から〕不断に生成され続けている位格と、様々な罪を除いてあらゆる人格を共有する、マリアから産み落とされた人間としての位格です。
>そしてキリストの名は、二つの位格のどちらかをおいて片方に帰属するものではなく、その両方に〔帰属する〕のです。ゆえに、キリストは神と人間という二つの性質を備えた二つの位格なのです。
>その証明は、〔このようです。〕我々は万物を見ますと、総じて必ず実体(jawhar)と偶有('arad)に分かたれますが、その分かたれたものは一般的('āmmī)なものか個別的(kh'āşş)なものかいずれかでなければなりません。既に我々はキリストが偶有ではないと合意していますから、〔キリストは〕すべからく実体であることになります。そして我々は、その実体が一般的か個別的かいずれかでなければならないと気付きます。
>もし仮に、神と人問とに別々に分かたれて〔その実体に〕付された名が一般的実体の仕方で付されたとしますと、キリストの名は父と子と聖霊を包含し、またすべての人間を包含しなければならないことになります。これがあり得ないことから、別々の名はそれぞれの位格そのものに付されたに過ぎないと証明されます。
>これは、〔キリストが〕神的実体と人的実体という二つの個別的な位格である実体〔から成ること〕を必然とするのです。』

>皇帝派
>『私はキリストが単一の位格であり、神性と人性の両性を〔有していると〕申します。ゆえに〔キリストは、〕神性において神であり、人性において人間であり、二つの異なる面から神と人問である単一の位格なのです。
>その証明は〔このようです。〕我々は既にキリストが唯一であり、ある性質において神、ある性質において人間であると合意しています。そして、ある性質において神である者は、ある性質において人間である者か、そうでないかのいずれかでなければなりません。
>もし仮に、〔その者が〕単一の位格であってその性質において神であり、その性質において人間でなければならない者ならば、これは我々の言説に〔他なりません。〕
>もし仮に、ある性質において神である者がある性質において人問である者ではなくかつある性質において神である者が無始の神の子であり、キリストはその性質において神であるならば、キリストは神の子ではなく、神の子はキリストではなくなります。
>これはキリスト教の立脚するところと矛盾します。』


ここ↑に出る『実体・偶有』とは、イブン・シーナ(アヴィケンナ)が受けつぎ、トマス・アクィナスに伝えた、ギリシア哲学です。
(井筒俊彦「イスラーム思想史」中公文庫1991、277頁)

結論として、451年・カルケドン信条から、三位一体説は新プラトン主義に拠っていたのだが、
それが、神学・哲学として深められたのは、8~9世紀ではないか?
(だから、5世紀までの歴史を見ても、新プラトン主義があまり出てこないのでは?)
と思うのです。

参考URL:http://www1.doshisha.ac.jp/~knakata/lecture1.html

調べてみました。まったく、私の推測です。

325年・ニケア公会議で、アタナシウスの三位一体説が正統とされ、
451年・カルケドン公会議が、こう宣言しました。「神の第二位階・ロゴスが人になり、キリストになった」

『御言(ロゴス)は人となりき』(新約ヨハネ福音書1章14)に由来するのですが、これはまた、
新プラトン主義による、9層に重なる宇宙像
1神、2知性、3霊魂、4第一質量、5第二質量、6秩序世界、7天圏、8月下界、9鉱物・植物・動物
の、第2層:知性であって、第3層...続きを読む

Q16世紀、ドイツの神学者ルターが起こした宗教改名は、カトリック教会が教会が教会修復のための資金を得る

16世紀、ドイツの神学者ルターが起こした宗教改名は、カトリック教会が教会が教会修復のための資金を得るために売り出したのが原因している。
そのものはなんですか?

Aベストアンサー

宗教改名→宗教改革ですよね?

贖宥状(免罪符、免償符、贖宥符)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B4%96%E5%AE%A5%E7%8A%B6

Q「三位一体」って何?

昨日、親戚の集まりがあり、叔母さんたち5人がなにやら「三位一体」の話題で盛り上がっていました。

でも、聞いていると最近ニュースで取り上げられている「三位一体」の話題ではないように感じました。
そこで、話に加わろうとしたのですが、叔母に
「若い子にわかる話じゃないわよ。あっちへ行った、行った。」
と、追いやられてしまいました。

この叔母さんたちが、何を話していたのかわかる方はいますでしょうか。
キーワードは、
バレーボール、三位一体、こずえ&みどり(検索したら「漫才師」とでました)です。

Aベストアンサー

紛れも無く『アタックNo.1』のことでしょう

鮎原こずえが主人公、早川みどりは親友なのは既出の通りです

三位一体攻撃とは、ライバル校である大阪・寺堂院高校の
八木沢三姉妹(香織・静香・桂)が繰り出す技の名前

三人が交差しながらネットの前をやたらと走り回り、そして同時にジャンプ
三人の内、誰がどこへスパイクを出すのか予測不能なため
こずえチームは散々てこずります

しかーし!姉妹の一人が試合中に捻挫したため足にサポーターを装着
すると三人が入り混じる際に、サポーター付きの足の動きを追えるようになり
それがキッカケで、こずえチームは三位一体攻撃を破ることが出来たのでした

・・・・・だ、だいたい、このようなコトだったかと

# >(検索したら「漫才師」とでました)
# すみません、↑の文で思いっきり笑わせていただきました

Q神様はいるのでしょうか? 信じていない人も多いと思いますし、突然なに言っているんだと思われるかもしれ

神様はいるのでしょうか?


信じていない人も多いと思いますし、突然なに言っているんだと思われるかもしれません。

彼氏が「今まで神様に助けられて、自分の実力なんてないのかもしれない」などと言っていてふと神様という存在が気になったんです。

神様はいるのか、教えてください

Aベストアンサー

居ると言えばいるし、居ないと言えばいない
解りやすいかどうか解りませんがキリストの復活って有るでしょ
アレはキリストが死んで信徒が逃げ去った後、生きる事に苦悩した時
キリストの言葉を思い出した。そして救われた=キリストの復活
ってメッセージです(断言はしませんがそういった側面もあります)

この世の不条理に絶望したとき、ふと、空を眺めると雲の隙間から
一筋の光が差していた。その瞬間、神に会い私は救われたってね
彼氏はそれなりに過去にそういった体験してるんでしょ

ま、現代ではナンセンスな発想です
とは言え。神的なモノを信じなくなった人、それは超越的存在に畏怖と畏敬の念
が必要でなくなったほど強く、次の段階へと至れた存在なのか?
と、疑問にも思いますな


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