三位一体の神が信じられない人は、どこの教会に行けばよいですか。

よかったら、教えてください。

よろしくお願いします。

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A 回答 (10件)

祈ったり崇拝する対象物、神さまではありません。


うん 祈る必要はないよ。いったいなぜそんなことにこだわってるのかなあ
排除することもできないと言うことも理解してるし、神様は信仰対象物
創造なる主 救い主たるキリスト 導き主聖霊を信じ この3つをまとめて神としての概念を持つ、またひとつひとつがパソナリとして働き 
これらを神として感謝する。ということだろう?

たぶんあなと同じだと思うけど。働きは神より下、上ともいえないし。
キリスト教の信仰は聖霊を認めないとかキリストを預言者として捕らえる団体もあるからそうではありませんよ。と言いたいために三位一体と言ってるんだけど

この回答への補足

>だから誰に対しても祈っても

これは、あなたが言った言葉です。よくご覧ください。

補足日時:2009/05/20 21:45
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この回答へのお礼

最後に、

>これらを神として

私は聖霊は神ではないと、言ってますが(笑

あなたがた三位一体論者は、神を、三位一体という概念で神を難しくし人々の救いを妨げているということです。

ありがとうございました。

お礼日時:2009/05/20 23:55

補足として黙示録の箇所にはもうキリストがこの地上に着てるので聖霊の力を見なくてもいいよね。

だから書いてないのは当然でしょうか?

この回答への補足

申しわけありませんが、あなたのおっしゃっていることがよくわかりせん。

補足日時:2009/05/20 20:06
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>唯一の真の神エホバと神の御子イエス・キリストのみです。


はい同じです。

普通の教会は聖霊についてはあまり話はしないよ。中には重視する教会もあるけど、しかし排除はできない。聖霊が下ってるからイエスは主であると告白できるんだよね、Iコリント12:3
だから聖霊が理解できなくてもいらっしゃるというのは理解してほしい。
聖霊についてのHPを見てください。
http://www31.ocn.ne.jp/~fellowship/holyspirit.htm
聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。(ルカ1・35)
助け主、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。」(ヨハネ14・26)
 「しかし、その方、すなわち真理の御霊が来ると、あなたがたをすべての真理に導き入れます。」(同16・13)

概念的に理解してほしい。ある方はキリストに求め、ある方は創造主に求め
ある方は聖霊に求めてる。

私も聖霊に関しては理解できなかった。そして祈った
あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ」(ヨハネ15:16
聖霊を信じる信じないは成長によって理解できると思います。
今理解できなくても・・・

この回答への補足

>しかし排除はできない

わたしは一言も聖霊を排除するとは言っていませんが。

聖霊は、神の霊、神より出づる霊であり、祈ったり崇拝する対象物、神さまではありません。


我らの受けし霊は世の霊にあらず、神より出づる霊なり、是われらに神の賜ひしものを知らんためなり
(コリント人への前の書2:12)

としるされています。

神の霊は、あくまで神から出た霊ということです。

神の子は神は真実ですが、神の霊は神ではありません。

だから、崇拝すべきお方は唯一の真の神エホバと神の御子イエス・キリストのみだと言ったのです。

難しいですか?

補足日時:2009/05/20 20:02
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唯一真の神(父なる神)はエホバ 


    神の子はイエス・キリスト
    聖霊は神(父なる神)の霊

まあ同じだよ。それぞれが独立して個性があるからね。
この3つを私たちの信じる信仰対象物ですよね?
働きは前にも書いたけど
創造主とキリストは同じでないよね。また別でしょう?
同じなら否定してるけど、簡単にいうと家族のような関係かな?
だから誰に対しても祈っても結果葉同じただキリストの言葉を信じる
救い主だよね。

この回答への補足

私は、あなたがた三位一体論者が言う聖霊なる神とか聖霊さまに向かって祈ったり崇拝したりはしません。

私が祈り崇拝しているお方は、唯一の真の神エホバと神の御子イエス・キリストのみです。


聖書に、こうしるされています。


我また天に、地に、地の下に、海にある萬(よろづ)の造られたる物、またすべてその中にある物のいへるを聞けり。曰(いは)く

『願はくは御座に坐し給ふものと羔羊(こひつじ)とに、讚美と尊崇(たふとき)と榮光と權力(ちから)と世々限りなくあらん事を』

四つの活物はアァメンと言ひ、長老たちは平伏して拜(はい)せり

(ヨハネの黙示録5:13~14)


ここのどこに、聖霊のことがしるされていますか。

補足日時:2009/05/20 15:31
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再度三位一体のどこがわからないでしょうか?


あなた自身
>我々と呼ぶからには神(唯一真の神の意ではない)は複数存在していると単純に考えればよろしいのではないでしょうか
>イエス・キリストは神の子であり
つまり神とキリストがいるということは理解してますよね。聖霊に関してはすごく難しいよ。頭で考えても理解できない。イエスと神は天に座している。それなら今ここで色んな奇跡を起こしてるのは誰ですか?ということになります。つまり聖書を否定していると言うことになりませんか?

理解できなくてもいいんです。はじめから理解してくださいなんていいません。
それでもいやだと言うならエホバにいくしかないですね。
しかしイエスは神の子と考えていないはず。
どこまでなら受け入れるのでしょうか?
もう一度あなたの聖書に関する考え方を教えてくれませんか?

この回答への補足

エホバの証人のことなら知っています。彼らは、イエスを神の子と信じていますよ。ただ、神の子は被造物、つまり創られたと教えていますが。

>再度三位一体のどこがわからないでしょうか?

わかるわからないという問題ではなく、私は三位一体を信じていないということです。

私は、イエス・キリストは神の子であり私の救い主であると信じています。

そして、唯一真の神(父なる神)はエホバ 
    神の子はイエス・キリスト
    聖霊は神(父なる神)の霊

ただ、それだけのことです。難しくともなんともありません。

あなたがた三位一体論者は、これらに人格があるとか同質であるなどと付け加えて新たに神を作り出し、人が人を支配して害を及ぼしてきたということです。

補足日時:2009/05/19 22:50
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>イエス・キリストは神の子であり、救い主であると信じてればOK


はいOKです。
まずこの世を創造した神様はキリストですか?
そして今キリストは地上にいますか?新聞も書いてないし盲目の人の目を開けたとも聞かないよね。それじゃイエスは今どこにいますか?
聖書には
主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ、神の右の座に着かれた。」(マルコによる福音書16章19節)
それではキリストもいない 神は天にいますよね。どうしていないキリストを信じることができるの?
ヨハネ14・15-16, 23b-26
15「あなたがたは、わたしを愛しているならば、わたしの掟を守る。16わたしは父にお願いしよう。父は別の弁護者を遣わして、永遠にあなたがたと一緒にいるようにしてくださる。
 23bわたしを愛する人は、わたしの言葉を守る。わたしの父はその人を愛され、父とわたしとはその人のところに行き、一緒に住む。24わたしを愛さない者は、わたしの言葉を守らない。あなたがたが聞いている言葉はわたしのものではなく、わたしをお遣わしになった父のものである。
 25わたしは、あなたがたといたときに、これらのことを話した。26しかし、弁護者、すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊が、あなたがたにすべてのことを教え、わたしが話したことをことごとく思い起こさせてくださる。
もし三位一体を否定したらこの文章が理解できなくなります。イエスと聖霊が同じなら父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊 なんていうのはおかしいね。

信仰は成長によって理解できますから理解できない言葉に関しては「イエス様私は理解できませんが導いてください」と祈ってください。
間違い正しいなんていいません。まだ生まれてのすぐの赤ちゃんクリスチャンがすべて正しく理解できるなんて無理です。少しずつ大人になっていきながらこんな勘違いをしたけど許してくれるイエス様を信じてよかったと言える様に祈ってます。

この回答への補足

あのう、申しわけありませんが、今一度私がしている質問をお読みくださいませんか?

私は、三位一体の神が信じられない人はどこの教会に行けばよいかと問うているのです。

三位一体の神について教えてほしいとか、信じられるにはどうしたらよいかと問うているのではありません。

もちろん、あなたがたの三位一体の神を尊重しはいたしますが、それは私が信仰しているものとはちがいます。

アドバイスありがとうございました。

補足日時:2009/05/19 12:50
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この回答へのお礼

ちなみに、あなたが引用した聖句は私の聖書ではこうしるされています。


汝らもし我を愛せば、我がいましめを守らん。

われ父に請はん、父は他に助主をあたへて、永遠に汝らとともに居らしめ給ふべし

これは真理の御霊なり

(ヨハネ14:15~17)


イエス答へて言ひ給ふ「人もし我を愛せば、わが言を守らん、わが父これを愛し、かつ我等そのもとに来りて住みかをこれとともにせん。

我を愛せぬ者は、わが言を守らず。汝らが聞くところの言は、わが言にあらず、我を遣し給ひし父の言なり。

これらのことは我なんぢらとともにありて語りしが、

助主すなはちわが名によりて父の遣したまふ聖霊は、汝らに萬(よろづ)の事ををしへ、又すべて我が汝らに言ひしことを思ひ出さしむべし

(ヨハネ14:23~26)

お礼日時:2009/05/19 15:14

そうです。

イエスは、旧約に出てくる神「ヤハウェ」です。
これは私が言ったことではありません。「神自身」がいったことです。

しかし、イエスは「天の父」に対して祈ったりもしているのです。
つまり、人間の目には「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」の三つの神がいるように見えてしまうのです。

これが「三位一体」です。
神はあくまで一つです。しかし、同時に、人間の目には「父なる神」「子なる神」「聖霊なる神」がいるように見えてしまうのです。
そのことは、人間が考えても説明できるものではありません。神は人知を超えているのです。

ちなみに、旧約聖書に出てくる「神」は「エロヒム」と言いますが、これは複数形だということを知っていますか?
ユダヤ人は、なぜか唯一神に複数形の名詞を用いてきたのです。
そして、そのことをなぜか説明できるユダヤ人もいないでしょう。
モーセが最初にこの複数形の名詞を使ってから、多くのユダヤ人はおかしいと思いながらも、それが神の啓示だということを認め、数千年も受け継いできたのです。

そして、そのことは「三位一体」という考えで説明できます。
三位一体は、旧約聖書の記述とも全く矛盾がありません。

この回答への補足

hhitujiさん

>イエスは、旧約に出てくる神「ヤハウェ」です。

失礼ですがhhitujiさんは、モルモン教の方ですか?たしか彼らも、旧約聖書の神(エホバ)=イエスだといっていたと思います。

>ちなみに、旧約聖書に出てくる「神」は「エロヒム」と言いますが、これは複数形だということを知っていますか?

知っています。しかし、これは三位一体の意味するところの複数形ではなく、「神々」の意味を表していると思います。

唯一真の神はただ一人、エホバだけれども、子なる神イエスもいる(複数の神々がいる)というふうにとるほうがより自然ではないでしょうか。

たとえば、これです。

そして神(エロヒム)は、「われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう」
(創世記1:26)

三位一体の神を信じている人は、この句を父と子と聖霊の本質の現れととるかもしれませんが、無理に三位一体の教理にはめ込まなくても我々と呼ぶからには神(唯一真の神の意ではない)は複数存在していると単純に考えればよろしいのではないでしょうか。

補足日時:2009/05/17 00:12
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#2の者です。



chiliastさん、イエスは自らを「ヤハウェ(=エホバ)」と言っているのですよ?

旧約聖書に出てくる神の名を覚えていますか?
出エジプト記でモーセに神が自分の名をあらわしたとき、「私はあってあるもの」と言いましたよね。これをユダヤの子音文字でいうと「YHWH」と表します。

この名前はユダヤ人の中で聖なる名前であり、一般の人たちが発音することが禁じられていました。唯一、その年の大祭司だけが、そのきめられた時だけ、神殿に入り、神の名を発音することが許されていました。ですから、いま、このYHWHがなんと発音されるのかは分からなくなってしまいました。おそらく「ヤハウェ」だと考えられるのですが、昔は「エホバ」と呼ぶ人も多かったです。

イエスは、この唱えることの許されなかった発音を、衆人環視の中で何回も自分の名として使っています。たとえば、ヨハネ8:57で、イエス「アブラハムが生まれる前から私はいるのです」と言っていますが、この「私はいる」というのを、ギリシア語の文法に照らして原語のアラム語に翻訳すると、聖なる名前「私はある=YHWH」になるのです。これは、ギリシア語の時制からこのように考えることができます。
その証拠に、この言葉を聞いたユダヤ人は激怒してイエスを殺そうとします。

もし、この言葉がそのような意味を持たなかったらユダヤ人はここまで激しく怒ることは考えられません。

そのほかにも、イエスが湖の上を歩いて弟子たちに近づくときも「恐れるな、私だ」と言っていますが、この言葉も、「私はある=YHWH」という意味を持ちます。
つまり、この言葉は実際には「恐れるな。私はある(私はヤハウェだ)」
と言っているのと全く変わりません。

三位一体は、人間が考えたものではありません。神自体が人間に自らの「ごくごく一部」を掲示したものです。

神はそれこそ人間の及びもつかないものです。三位一体が人間の頭で理解できないからと言って、それが真実でないと考えるのは間違っています。神こそはそれこそ人間の知恵を超える存在なのです。

この回答への補足

hhitujiさん

つまり、旧約聖書の神(エホバ)=イエス だったというわけですか?

補足日時:2009/05/16 17:48
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三位一体が信じられないならエホバしかありませんが。



だが、私は疑問なのですが、あなたはイエスが神の子であり、救い主だと信じているならば、旧約聖書に出てくる「私だけが神である」という言葉をどう論理的に整合させるのでしょうか?
もしあなたがイエスを本当に「神の子」と信じているならそれは三位一体と何ら矛盾しませんよ。

イエスが自らを定義した、「神の子」とは「神」のことです。
人間の子供は人間ですが、神の子供は「神」です。
それとも、神の子供=人間と解釈しているのですか?
それは間違いです。そんな意味でイエスが発言したならばユダヤ人があれほど怒ってイエスを殺そうとしたことの説明がつきません。当時のユダヤ人は、間違いなく、「私は神の子である」という表現を「自分は神である」という意味だと解釈していたのです。そして、それはイエスの真意と一致しています。
しかし、イエス自身は旧約聖書の権威を認めていて、神は一人しかいないことを認めているし、天の父に対して祈ったりしているのです。

だから、イエスの死後残された弟子たちは、「三位一体」という考えを持つようになったのです。これは、英語で「trinity」といいますが、もともとの意味は「tri unity」 つまり、三つの結びつきということです。

弟子たちは、イエスの神性を認めていたし、旧約聖書に出てくる「神は唯一」という個所も信じていました。だから、実は神は実体は一つだが三つの異なる「位格」があると考えたのです。
ちなみに、この「位格」とは造語で、言葉で説明することができません。
人間は人格を持ちますが、神は位格をもつのです。

これが三位一体です。
あなたがもし本気なら、三位一体というものをもう少しよく考えてみることをお勧めします。

この回答への補足

hhitujiさん、詳しく解説していただきありがとうございます。

>旧約聖書に出てくる「私だけが神である」という言葉をどう論理的に整合させるのでしょうか?

これは、唯一真の神は父なる神(エホバ)だけだという意味だと思いますが。

>イエスが自らを定義した、「神の子」とは「神」のことです。

猫の子は猫のように、神(エホバ)の子は神(イエス)であることはその通りだと思っています。

神の子イエスは被造物ではなく父なる神(エホバ)から生まれたひとり子ということですよね。

聖霊については、神(エホバ)の霊だと思っています。

私としては、人が畏れおおくも神に対して人格があるとか位格があると言うこと自体、不敬虔極まりないと思っているのです。

いつから人は、神のすべてがわかったかのようになったのでしょう。

それは、三位一体の神を人が作り出し、人が人を支配するためではありませんか。

補足日時:2009/05/15 23:05
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キリスト教以外の教会じゃないでしょうか?

この回答への補足

イエス・キリストは神の子であり、救い主であると信じてればOKという教会はないですかね。

補足日時:2009/05/14 21:25
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