19世紀後半から20世紀前半にかけて西洋の文化を取り入れた日本は成功したのに対して中国は成功しませんでした。それはなぜですか??

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A 回答 (4件)

中国は成功しなかったというより、西洋文化を取り入れようとしなかったのです。



中国の皇帝は、日本のような西洋文化を取りいれようとしましたが、女帝がこれを棄却します。

中国のような広大な国がいきなり西洋文化を取り入れると国がパニックになると女帝は考え恐れていました。
女帝は高齢で保守的な考えの人でした。

反対に皇帝は若く、中国を西洋化するように私財を投じて私設団を結成します。
日本の伊藤博文を中国に極秘に招きます。

皇帝は女帝の子供であり、ほとんど実権は女帝にあった。
これを知った女帝は激怒し、皇帝の私設団を反逆罪で皆殺しにします。

それ以後、中国の西洋化推進の活動家は女帝を恐れ、
急激な西洋化の革新をあきらめ、少しずつ西洋化していく道を一致団結して取り組むことになります。
皇帝が亡くなります。←毒殺の疑いあり

女帝は女帝の甥を皇帝にしました。
女帝が歳で死にます。

満州事変が起こります。

皇帝は満州国の皇帝になったはず。
アジア統一国家でアジアを1つの国にすると日本に中国が騙される。
このとき中国に皇帝はいなくなります。

戦争が終わり、満州国が消滅し、皇帝は中国の反逆者として消えたのか、戦争中になくなったか忘れました。

戦争前に少しずつ西洋化していく道を一致団結して取り組むことが決まっていたので、
戦争に生き残ったトップの人は、女帝の意思を守り、中国のトップは保守派なのです。

国土全土の足並みを揃えて西洋化していくのが中国の未来です。

外部からの甘い言葉は、1度騙されている中国には要らないのです。
自分たちは自分たちで歴史を歩むことを決めています。
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孫文が1925年(大正14)雑誌「改造」で以下のように述べています。


>日本民族はすでに欧米の覇道の文化に到達しましたが、アジア王道の本質をも有しています。今日以後、日本が世界文化の前途に対して西方覇道の猟犬となるか、あるいは東方王道の于城(楯と城)となるかは、あなたがた日本人が慎重に考慮して、その一つを選ぶべきです。

 西洋文化に対して明治維新を成功させた日本は兄として、弟分の中国を助けてやるべきであったし、多くの中国人もその役割を期待していましたが、残念ながら日清戦争を契機に中国人を蔑視するようになり、中国の近代化の足を引っ張ったのでした。魯迅も日本に留学して「藤野先生」にみられるように日本に期待していましたが、案に相違して他人任せでは駄目と気付き、帰国して中国人自身に覚醒を促す文学運動を始めます。
 期待に反する日本の中国への干渉に、逆に憎さ百倍になってしまいました。
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規模と政変の問題では無いかと思っています。



規模
幕末の日本の人口が3500万人程度。
清末の人口が3.6億程度。
また、当時の西欧諸国の人口は5千万以下だったように記憶している。
その程度の規模の国家でないと近代化を推進する統治機能が作動しなかったのではないかと思う。

近代文化の受容する側も、そのくらいの規模以下でないとシステムを消化できない。

トルコが曲がりなりにも、近代化に向けて動き出せたのも、第一次世界大戦で、規模が小さくなれたからで無いかと思っています。

あと、政変によって、「悪いのは前の政権」とばっさり切り捨てることができたかどうか。
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1.体力がありすぎた。


2.都市と農村の格差が日本より大きかった。
3.二千年の「官僚体制」が染み付いていた。
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